第44話 シリーズ 1 捨て猫の目をした子どもたち 

 養護施設元職員たちの回想


 このシリーズは、岡山市に本社のある××ラジオ代表・大宮太郎氏と妻でありアナウンサーでもある大宮たまき氏の二人もしくはそのどちらかが取材したものをまとめたものです。


 第1回は、くすのき学園及びよつ葉園で児童指導員を務めた山崎良三氏のインタビューです。


 くすのき学園というのは、いかにも昭和の「孤児院」のような雰囲気を持った、第三者の目からしてもあまりに希望の持てない環境でした。子どもたちの目がまるで「捨て猫」のようにさえ見えました。稲田さんが園長を務めておられたころは幾分マシな状況でしたけど、青山智正という児童相談所の所長を務めた者が後任の園長に就任した後は、職員の私でさえもあまりこの場に居続けたくないという思いが高まってきましてね。

 結局、高校の1学年上の先輩でもある梶さんこと梶川さんが見かねて、そんな状態なら、自分は近くよつ葉園をやめるからぜひ代わりにうちに来いと言われ、青山が園長になった翌年、よつ葉園に「移籍」しました。梶さんとは結局、引継ぎがてらに2年間一緒に勤めました。その梶さんとは3年ほど一緒にくすのき学園に勤めていたこともありましたから、彼も、くすのき学園の事情はよく知っています。

 この本に書かれていることがすべて真実とは言いませんけど、当時のくすのき学園の内情はおおよそこんなものです。くすのき学園がどうというわけではなく、この本に書かれている内容は、当時の日本の養護施設の典型的な様子を実によく表現されています。この本の最初に、くすのき学園にいる子どもたちに対して実に強権的かつ偉そうに振舞うベテラン保母が出ています。

 彼女のモデルは「白井芳子」という人物でして、私よりも二回り以上年上で、独身を通し、定年だった55歳までくすのき学園にいて、その後2年ほど人手不足もあったので継続して勤務しました。彼女は私といまだに付き合いのあるくすのき学園の卒園生の諸君には、誰からもよく言われていません。

 よつ葉園にも山上敬子さんという白井さんと同じくらいの年齢のベテラン保母がいて、この方も定年まで勤められましたけど、彼女は結婚もして子どもさんもおられました。よつ葉園も当時の定年は55歳でした。もっとも私がくすのき学園から「移籍」してよつ葉園に来た時がちょうど彼女の定年退職と重なりまして、入れ違いになりました。今でこそ55歳と言っても皆さん元気で現役世代として認識されていますけれども、当時の国鉄では定年の時代でした。男でさえその年齢が定年の時代です。まして女性ですよ。その年まで同じ仕事をずっと継続できるなんていうのは、奇跡に近いものでした。当時は短大を新卒で就職しても、結婚や転職などで平均して3年ほどで退職する保母がほとんどであった時代です。結婚・出産後も続けた人や、まして定年まで継続して勤務した人は、例外中の例外でした。もっとも、彼女たちのように継続して働いてもらおうと思っても、施設にはそれだけの人件費を払える経営基盤がなかった。さらに、長く働いてきた保母は意識や思考がどうしても時代と合わなくなって、若い保母や男性指導員などから内心疎んじられたり、自分より若い上司である園長からも持て余されたりするケースも多かった。山上さんもその典型例でした。

 それこそあのZ君は、山上さんという「ベテラン保母」をまったく評価していません。「お互い出会わなければ、それぞれに幸せに暮らせたことでしょう」などと言っているぐらいですから。

 山上さんは昨年亡くなられました。年齢的には90歳近くになられていたはずです。晩年に至るまでお元気に過ごされたようで何よりですけどね。一方の白井さんの退職後の消息は分かりません。今は、くすのき学園の当時の職員らとはまったく付合いなしです。卒園生と会っても、元保母をはじめとする職員の現在の動向など誰も知らないですねぇ。

 稲田さんの本の中で、年上の元保母と結婚した元園児がいるという話が出ていますけれど、私はその元園児も保母もくすのき学園に就職する前にいた人たちなので、どういう人かはわかりませんが、卒園生の誰かから、その二人は確かに結婚していて今はK市の街中で夫婦そろって暮らしているという話を聞いています。その元保母以外のくすのき学園の元保母の動向は、もう一切私のところには入ってきていません。

 男性の元職員も、梶さんとあと何人か以外は音信不通です。梶さんとは疎遠になっていた時期もありましたけど、私がよつ葉園を退職した後突如連絡して来られて、それから今も付き合いはあります。

 彼はよつ葉園を退職後高齢者福祉の世界に入り、今も特別養護老人ホームの施設長を勤めています。彼から福祉の仕事をやったらどうかと言われましたけど、断りました。福祉の世界独特の「偽善」的な要素に耐えきれなくなったというのが、私の偽らざる本音です。


 話を戻しますね。こんなことを言っても、当時のくすのき学園の子どもたちにはそれがどうしたと言われるのがオチでしょうが、白井さんも辛い人生を送ってきたことは確かです。彼女の幼馴染で結婚を約束していた恋人が学徒出陣で出征し、終戦間際に戦死してしまった。そのショックもあって、彼女は一生独身で生きていくことにした。両家ともその結婚には大賛成だったそうで、それだけに彼女の気持ちに逆らうような縁談を、彼女の両親は押し付けられなかった。相手の両親が見かねて、もしよかったら知人を紹介しようかとも言ってくれたそうですけれど、それも丁重に断ってね。彼女の実家は彼女一人ぐらい生涯遊んでも食べていけるだけの資産はあったのですが、やっぱり何かしていないといけないと思って、まずはくすのき学園に臨時職員として就職し、働きながら保母資格を取りました。その後正式に就職して、定年まで保母として仕事をしました。

 彼女には姉や弟がいますので、親族の誰かのもとで暮らしているのかもしれません。お姉さんや弟さんはそれぞれ結婚して子どもさんもいらっしゃった。白井さん自身、甥や姪たちにはくすのき学園のようなところで過ごさせたくないと常々言っていました。あくまでも他人だからここで「仕事」として「生活」できるのよ、って。確かにそうだけどそんな「仕事ぶり」はなかろうと、私はいつも思っていました。

 彼女は、終戦直後の混乱期からずっとくすのき学園に勤めました。かなり悪く言ってきたようにも思いますけれど、彼女も、勤め始めた頃はそうでもなかったようです。でも、年が経つにつれ、子どもたちに対して強権的な態度をとるようになりました。

 彼女なりに理想はあったのでしょうが、目の前に次々起こる現実に対して、思うことがあったのでしょう。

 がみがみとヒステリックに大きな声で子どもたちを「指導」するのが仕事だと思ったのか、そんな調子で子どもたちに対応するようになっていった。

 小さい子なんかはそれでも聞くでしょうが、男の子で中学生にもなれば力もついてくるし、そうそう言うことも聞かせられない。

 歴代の園長はそれを見越して、小さい子や小学校の低学年ぐらいの子どもか女の子を担当させるようにして、中学生以上の男子の担当からは一切外していました。そうしないと、ただでさえ殺伐としていたくすのき学園が、収拾のつかないところまで追い込まれてしまうからです。彼女を小さい子たちの担当にしたのは、良くも悪くも、その後のくすのき学園の雰囲気に影響を与えてしまいました。

 もちろん、そんな彼女に子どもたちの将来を考えて示していける力などない。そういうことは、男性の児童指導員が担当していました。そうして白井の悪影響をできるだけ最低限に食い止めるようにするのが精一杯でした。短大を出て間もない二十歳そこらの保母ならまだしも、年齢のいったベテランですから、まだ小さな子どもたちからすれば怖いだけのおばさんにしか見えなかったでしょう。

 それが近所のおばさんならまだしも、生活の場に居座って、のべつ大きな声で、命令口調で指示して従わせる。あまりのひどさに、稲田さんが園長になって間もない頃かなり厳しく彼女に注意した。

 その時まだ私はくすのき学園に勤めていませんでしたので、その一部始終を見たわけではありませんが、すでに勤めていた梶さんの話では、稲田さん、相当な権幕だったようです。彼女は稲田さんが園長の間は大人しくしていましたが、稲田さんが退職された後、また以前のような態度が見え始めた。もっともその頃には年齢もいっていましたから、若いころほどひどくはなく、かなり丸くはなっていました。

 しかし、稲田さんがこの本を出された時、彼女はO児童相談所の所長だった後任園長の青山と組んで、この本を回収させる動きをとったそうです。だけど、O県立図書館はじめO県内の公立図書館や国会図書館には、今も、この本、置かれていますよ。


 青山にしても白井にしても、施設の中や児童相談所の中にいる子どもたちには強権的な態度をとるが、自分より強い何かが出てきたら途端に小さくなってしまう。

 自分より年長で定年まで小学校の校長を務めていた稲田さん相手に怒鳴られたとたんに、白井がシュンとしたようにね。

 青山に至っては、知り合いの弁護士か誰かに冗談めかして、国会図書館やO県立図書館に寄贈された稲田の本を回収する術はないものかと言ったそうですけど、相手に、施設関係やら児童相談所界隈やらそこらならまだしも、そんなところにそんな申入れできるわけがなかろう、冗談のつもりか知らんが、そんな調子じゃから、あんたら児童福祉関係者は世間から馬鹿にされるんじゃ! と一喝されたそうです。

 養護施設という閉鎖的な環境の中で職員として仕事をしていれば、自分がその中で偉くなったどころか万能の存在にでもなった気にさせてしまう要素がある。まして住込みなどで働いていればね。白井に至っては、退職までずっと住込みで働いていました。彼女がくすのき学園を定年で退職したとき、よく知っている卒園生がよつ葉園にいた私に電話をかけてきて、何て言ったと思います?


「これで、社会のガンが一匹消えたな」


ってね。

 彼だけじゃない。他の元児童たちも、負けちゃいなかったようでね。


「あのババアがくたばったら、くすのき学園も少しはましになろう」

「そりゃあ朗報じゃのう。今日は祝杯を挙げに行かせてもらうわ」


とか何とか、かなりの声が上がったそうです。彼らの言葉に同調する気はありませんでしたが、たしなめる気持ちも起きませんでした。連絡をくれた子には、飲みすぎたり、やけ酒になったりするなよ、と伝えてくれと言うのが関の山でしたね。

                             (つづく)

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