第26話  幽霊騒動3 自分宛の辞表 続編

 本記事及び幽霊騒動2(本日2時43分投稿)は、今から75年前の本日、1945年6月29日の岡山空襲の犠牲者の皆様に捧げるための記事です。

 なお、この3につきましては、拙著冒頭の章の続編でもあります。


2018(平成30)年2月3日(土) 大槻邸

 

 この日の理事会で、35年来園長を務めてきた大槻和男園長兼理事長の園長辞任が決まり、次期園長も決まった。彼はこの4月より、理事長専任となる。彼は園長室に戻り、理事長としての書類棚に、自らの辞任願を収納した。女性事務員が、頼んでいたコーヒーをマグカップに入れて持ってきてくれた。インスタントコーヒーもあるが、普段は、米河氏に教えてもらった街中の下田珈琲という店で買っている豆を使って電動式のドリップでコーヒーを淹れている。この珈琲豆は、来客用としても使っているが、職員らの福利厚生費として計上している。専門店で焙煎された豆で淹れたコーヒーを飲みながら、彼は再び、考えるともなく、いろいろなことを考えていた。


 平成が始まったあの頃、この地では「幽霊騒動」があった。自分自身はそんなオカルト話に興味があったわけではないが、幽霊を見たという声は多くの職員や児童らから出た。彼はこの部屋で、その「幽霊」に会った。戦時中、岡山空襲で亡くなったと思われる母子連れだった。

 よく考えてみると、あの和服姿の少年は、生きていれば自分より年上で、70代後半。今どきの法令上の定義では、すでに「後期高齢者」となる世代である。


 あの幽霊の母子に会ってすでに30年近くの時が経った。職員でいまだに勤めている者は、もう自分だけだ。子どもはやがて大きくなり、親元を巣立っていく。

 自分の息子たちもすでに巣立って久しい。

 O大に進んだZ君をはじめ、養護施設の子どもたちも、みんな巣立っていった。

 時に顔を見せてくれる子もいないではないが、相変わらずここで過ごしているわけでは決してない。今ここにいる子どもたちは、彼らがいた頃、まだこの世に生まれていなかった子たちばかりだ。職員たちにしても、巣立った彼らがいた頃、まだ生まれていなかった人や、その頃まだ自分も子どもだった人がほとんどではないか。

 あの二人だけだろう、あの頃と変わらないのは・・・。

 

 よつ葉園での業務を済ませた大槻園長は、自家用車で、電車通りから少し入ったところにある街中の自宅へと戻っていった。

 この日、大槻氏の現妻は所用のため、泊りがけの出張に出向いていた。

 彼女もまた、ある会社を経営していて多忙を極めている。

 

 大槻氏は、自宅のソファに一人腰かけ、缶ビールを飲んだ。そして、あらかじめ用意していたバーボンのボトルを手に取り、ロックグラスに氷の塊を何個か入れ、ロックで水割りを飲んだ。

 昔なら煙草を吸いながら飲んでいたものだが、今はもう、煙草は吸わない。

 彼は、金色の液体を氷に浸し、一口飲んで、テーブルの上に置いた。


 「大槻先生、お休みのところ、失礼いたします」

 

 ふと目の前を見ると、あの母子が立っていた。

 あのときと同じ30歳前後の母親が、頭を下げて丁寧にあいさつする。以前は和服姿だったが、今日は洋装だ。時代遅れ感もあるが、小奇麗な品のある服。

 あのよつ葉園にいた、誰かの服装に似ていなくもない。

 「園長のお仕事、長い間、お疲れ様でした」

 ほろ酔いの中、感慨深いものを感じながら、彼は母親に頭を下げた。

 「酒を飲みながらで、失礼いたしております。お心遣い、ありがとうございます」

 彼もまた、かしこまって彼女に頭を下げた。

 

 「和男君、おつかれさま!」

 今度は、あの少年。

 今日は、「国民服」を着ている。声は、子どものままだ。

 「ありがとう、兄ちゃん・・・」

 

 国民服の少年は、懐かしい人の名前を出した。

 「よつ葉園にいた、新橋先生に会ってきたよ。亡くなられてもう3年になるでしょ?」

 「そうだね。あの人、結婚して山上さんになっていたけどな、若い頃は、仕事をよく教わったよ。あの人のおかげで、うちの息子らの世話も、私は、男なりに、しっかりできたね。わしも、40年前の「イクメン」なんだけど、なぁ・・・」

 「和男君が過去のイクメン・・・。ま、そうだね。でも、園長になって、ちょっと、ぼくが見ても変わったように思った。和男君の立場では、ある程度仕方ないと思う。でもさあ、山上先生が辞める前、園長室でひと悶着やらかしちゃったでしょ」

 「やらかしたかもしれんけど、あれは、どんな職場でも、代替わりの前後にはよくある話じゃないか。確かに、山上先生に関しては、退職してもらうときに、ひと悶着やりあった。あのときは、私なりに信念をもって、言いたいことは言わせてもらったんだよ!」

 「そうか・・・。やっぱりそうだね。同じ立場だったら、やっぱりぼくも、同じような対応をしただろうね。5歳でこちらの世界に来てしまったから、そちらで和男君のような立場にならなかったのは、ある意味幸せだったかも。それこそ、国鉄なんかに就職して、分割民営化で大量の退職者を募るような仕事を管理局なんかでさせられたらと思うと、われながらゾッとするよ。あ、そうそう、こちらに来て、古京先生とか、森川先生とか・・・会ってきたぞ」

 

 少年は、あちらの世界で出会った元よつ葉園関係者らのことを伝えてくれた。

 そうか! 

 母親の服装、山上さん、旧姓新橋敬子元保母の服装とそっくりではないか。


 「召されているお洋服ですが、山上先生を思い出しますね。長生きされて、本当によかった。滋賀県から来られた高尾さんと、くすのき学園から来た梶川君は、力のある方々ですから致し方ないにしても、山崎君や尾沢君には、逃げられたような形になりましたな。あれも、私の若気の至りでした。山崎君があの時、園長室で言っていた「人間性」という言葉に、私は、復讐されたのかなと思うことも、近年ではありましてね・・・」

 ひとしきりしゃべって、彼は、バーボンのグラスを口にした。グラスがテーブルに置かれ、さらに氷と酒が注ぎ足されたのを見計らって、母親が、ゆっくりと話をつないだ。

 「復讐、ですか・・・。そのあたりの経緯も陰ながら拝見しておりましたけど、それはある程度あたっているかもしれませんね。現に、米河君もそのあたりの経緯を伝え聞いていて、同じようなことを言っていました。でも彼は、さすがに現代っ子といいますか、大槻さんの離婚については、婚姻の自由が日本国憲法で認められている以上、大槻さんを法的にはもとより、道徳的な面からも、その経緯であれば当事者はともかく、第三者が非難すべき性質のものとはいえませんと、言っておられました」


 それにしてもこの親子、何故、自分と彼とばかり、込み入った話をしに度々出てきたのか。

 よくはわからないが、強いて言えば、幽霊の話とか何とか、そういうものにさして興味も示さないし、ある意味そんな話をする人の対極にいる者だからではないか? 

 Z君もそうだが、米河君もまた、自分以上に、人間性か社会性か、そのどちらが大事かと聞かれたら、明らかに「社会性」と答える側の人間である。

 だからこそこの母子連れ、「社会性」によりかかる側の者に対して出張ってきて、話をしているのではないか? 


 大槻園長はそんなことを考えた。母親の言を継ぎ、少年がさらに話をつなげた。

 「でも、いいじゃない。伊島さんって若い人が後継者になってくれるのだからさ。山崎さんや尾沢さんだって、あの人たちに向いている仕事に就いていると思うし、何も、よつ葉園だけが、仕事場じゃないでしょ。この際、若い頃の夢をもう一度、クルマ屋でもやってみたら? 合同会社なら昔の有限会社以上に簡単にできるし、資本金にしても、何百万も見せ金なんかしなくたって十分立ち上げられるじゃない。大槻モータース合同会社を設立して、若いクルマ好きのオニイチャンたちを集めて、中古車屋なんかどう? 若い子にインターネットをやらせて、そっちでも売買したり車検をやったりするのは?」

「実は、ズバリ大槻モータースでクルマ屋をやろうと思っていたところが、結局やれないままだった。そうかと言って、今の奥さんの会社名を「大槻モータース」は、ちょっとなぁ。大体その会社、クルマ屋じゃないからね。社長はいいが、今どきの若い社員やお客さんから、ダサいってブーイングを食らうだろうなぁ・・・」

 「そうだね。クルマも、50年前とはだいぶ変わったみたいだし。そうそう、何年か前の職員会議の言葉、外から聞いていたのさ。一流の職員の条件をね。ごめん、母がここには来ませんって言ったけど、ボクはあのとき来ていたのよ。来ないと言ったのは母であって、ぼくじゃないから、ま、問題ないでしょ。幽霊って、自在に年齢はもちろん、服装も変えて動けるの。あのときは大人の格好で出向いていたよ、森川先生と一緒にね」

 

 唖然とする大槻氏に、母親が述べた。

 「私もあちらで森川先生から、大槻さんは20代の頃、自分で事業をしたがっていたとお聞きしました。その準備もかねて、近くの川上モータースによく出入りしておられたようですね。結局、大宮病院の哲郎君や川崎ユニオンズにおられた西沢さん、それに森川先生にたしなめられて、よつ葉園に勤め続けることにしたのも、前の奥さんと結婚された経緯についても、じっくりと伺いました。お若い頃の大槻君らしいと思いました。でも、いいじゃないですか。これから、されたかったことをされれば。今どきの70代は、老人なんてお年でもないでしょう。うちの子が先程、生意気を申しまして、それはお詫びしますけれども、この子の言うとおりだと思います。年金や生活保護がおりた日には、朝から早速お金をおろしてお酒を飲みに出るような生活をされるのは、大槻さんにはもったいないですよ」

 「そうですね。これから、本当にやりたかったこと、模索しながら頑張ってみたいと思います。理事長職は、そう忙しくもないですから・・・」


 「森川先生も、東先生も、山上先生も、みんな、大槻君にはまだこっちには来るなって伝えてくれって言っていたよ。だからさ、和男君、飲みすぎちゃ、駄目だぞ!」

 後期高齢者のはずの、5歳のままの少年が言う。

 母親は、微笑をたたえつつ頷く。

 「別に、昼間からお酒なんか飲まないようにとか、そんなことは申しませんけど、いいお年を召されたのですから、大槻さん、お体には、どうぞお気をつけて・・・」

 母のその言葉とともに、二人は、彼のもとを去っていった。


 彼はグラスに氷を継ぎ足し、さらにその上から、バーボンの原液をいくらか注いで、グラスをゆっくりと回し、そっとグラスを唇に寄せ、金色の液体を口にした。

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