第27話 幽霊騒動4 現代っ子

 2019(令和2)年5月2日(土)夜 米河清治邸


 「こんばんは!」


 土曜日の夜、もう少しで日付が変わる頃合い。

 子どもが来るはずのないアパートのドアの向こうから、子どもの声が響く。

 作家として執筆作業にいそしむ米河清治氏は、近く出版が決まっている小説の校正中。この日彼は、朝から新型コロナウイルスに伴う特別定額給付金の支給申請をはじめ、各種の給付金や補助金などを調査していた。

 

 しかし、何でまたこんなところにこんな時間に、子どもが?

 

 ドアを開けたら、玄関先には、昭和50年代と思える服装の若い女性と5歳ぐらいの少年が立っていた。

 「御免下さい、米河さん。お忙しいところ、大変申し訳ありません。ちょっとばかり、失礼してもよろしいでしょうか?」

 母親と思しき女性が、丁寧にあいさつする。

 「ええ、まあ、どうぞ。私も年で、朝は早く起きられますが、夜は結構、早くに寝入ってしまうものでして。今日も、先ほどから3時間ほど寝入っておって、つい先ほど起き出して、30分ほどこうして仕事にいそしんでおります」


 「年、ねぇ。50歳のおっさんが、日曜日の朝はプリキュアを観る、ついては、携帯の電波を切っている。ぼくらが生きていた頃には考えもつかない大人がこうして出来上がってしまったのも、ねぇ・・・。これが現代っ子の行きつくところかぁ・・・」

 「ほっといてくださいよ」

 5歳の少年は、なぜか、巨人の帽子をかぶっている。確かにこの中年男性が小学校に入って間もない頃、巨人軍は長嶋茂雄が引退して監督になったものの、王貞治は世界の本塁打王として子どもたちの憧れと尊敬を一身に引受けた。赤バットの川上哲治以来、巨人軍は少年らの人気を一身に背負うスター選手を、欠くことなく供給していた。今でこそ阪神ファンの米河氏も、王選手にあこがれていた少年の一人だった。

 「じゃあ、お邪魔しますね」

 母親と息子は、彼が仕事用に借りているワンルームのアパートに入ってきた。


 米河氏がこの母子に会ったのは、初めてではない。平成になって間もない頃、当時住んでいた叔父の経営する学習塾兼用の住居で何度か出会い、かれこれ話していた。あのときの2人は、それこそ戦前、1940年代の母子らしき格好だったのだが、今日はどういうわけか、子どもの頃、それこそ、よつ葉園にいた頃に街中で見かけていた人たちのような格好をしてやってきた。

 母子は、アパートに置かれている学習塾や学校などで使う椅子に腰かけた。

 対する米河氏は、20年来使っていた肘掛椅子が壊れたのを機に、昨年秋に買ったメッシュ製の肘掛椅子に腰かける。この椅子は、彼が仕事用で購入したもの。

 目の前の机は、学習塾用のもの。その上には、本やパソコンとともに、バーボンのボトルとグラスが置かれている。ビールのジョッキもあるが、それには水がなみなみと注がれている。本人いわく、それは就寝中の水分補給のための水だとのこと。

 「バーボンのボトル・・・。ま、勝手にしやがれ、ってことかな?」

 少年が呆れて吐き捨てるように言うのを、中年男は涼しい顔でやり過ごす。

 

 「御無沙汰しています。米河さん、あなたもいいお年を召されましたね」

 まだ両親とも生まれていなかった1945年にこの世を去っているはずの母親にそう言われるというのも、何だか、変な感じがしないでもない。

 「ええ、生きていれば年は取ります。昨年9月で50歳ですよ。私の父方の祖母は数えで51、満年齢で50になる前に病死しておりますから、私はもう、あの祖母の年齢を超えて生きていることになります。これで少しは、祖母に孝行できたかなと・・・」

 「その客観的事実は認めるにしても、酒、飲みすぎじゃないか?」

 「大丈夫ですよ。こう見えても、酒と食べる量は、かなり減らしていますから。おかげで、高血圧はありますけど、尿酸値も正常ですし。確かに今でも、カレーやラーメンの大盛を食べはしますが、その代わり、昔のように食っては飲んで、みたいなことは、基本的になくなりました。飲み放題も、大幅に回数を減らしましたしね」

 「へぇ~、ちょっとは考えて行動シテルナ。その割には、説得力ないけど(苦笑)。そりゃそうと、今年のプリキュアの春の映画、また延期になったそうだな。残念だね」

 「しょうがないですよ、あの映画は小さい子ども相手が主ですからね。でもその代わりに、三島由紀夫と東大全共闘の映画を観られましたから。私が生まれた1969年の知識人同士の果し合いの立会みたいなものでして、なかなか素晴らしかったです」

 「まあ、プリキュアを観るのも果し合いの立会とやらをするのも同じペースでやれるのは、君らしいね。以前君が修行に言っていた塾の生徒の前で、横浜銀蠅とセーラームーンは矛盾するかなんて言って、みんなに矛盾していると言われていたそうだけど、プリキュアと三島由紀夫と東大全共闘、もう、ハチャメチャの無茶苦茶だな」

 「その無茶苦茶に涼しい顔で淡々と立ち向かうのが、知識人というものかと」

 「和男君の講話で、密造酒のネタを出された「自称知識人」もいたものだね」

 「私は密造酒なんか作りませんって。大体、自炊もしない奴が密造酒なんてハードルの高いものを作れるわけもないでしょ。私は、飲む専門ですから」

 「酒をノムさん、ってかな(苦笑)」


 ここで母親が、孫ほどの年齢にあたる中年紳士に向かって、用件を切り出した。

 「その矛盾とか密造酒云々は、いいでしょう。そうそう、あなたもご存知のよつ葉園の大槻和男さんも、今年で75歳。いいお年を召されましたね。あの方もあなたも、Zさんも、人間性と社会性で言うなら、社会性を重視される方々ですけれど、そちらの方に傾きすぎるところに生ずる危険性をどうお考えかと思いましてね。それで、伺ったのです」


 生きていれば100歳をいささか超えているはずの彼女だが、見た目はまだ30歳かそこらのままだ。巨人の帽子をかぶってやってきた少年にしても、生きていればちょうど80歳ぐらい。

 先日死去された元南海ホークスの野村克也氏よりも、いささか若い。

 ちなみに米河氏の母方には、この少年と同年生まれの伯父もいて、つい先日東京で亡くなったという。ちょうど80歳を迎えたばかりだったが、新型コロナウイルスとは特に関係ないとのことだった。

 

 彼は前日にたまたま母親に電話をかけていて、そのことを知ったという。

 「君の伯父さんにも、先日お会いしたよ。ぼくと同じ年生れだけどね」

 そんなことを言われても、この世の者がピンと来るはずもない。

 「そうですか。私はこの世では、成人後は一度も会っておりませんから、何とも言えません。そう言えば、母方の祖母は今から8年ほど前に、90代で大往生を遂げましてね」

 「そのおばあさんもだけど、君の父方のおばあさんにも会ったよ。何でかさっぱりわからんけど、君にはものすごく感謝しているって。君のお母さんのところに、夢で出張って来られたらしいね。一張羅の着物を着て髪をきれいに整えて、お出ましになられたそうで」

 「ええ、なぜ私じゃなくて、岩崎・渡辺コレクションに出てくる明治時代の寒漁村民、もとい、母のところなのか、よく判らないですがね。しかも、何ですか、生前は腹の立つことばかりで「確執」なんて言葉も生ぬるいほどの間柄の嫁姑同士だったのが、そのときは、満面の笑みで寒漁村民様に何やら語っていたそうですわ」

 「何が明治時代の寒漁村民だ。そういう君は誰かに言われたとおりの、大正時代の酔っ払いだろう。おばあさんにしても、自分が生まれた頃にあちこちいたような酔っ払いよろしくへたばった孫を見るのは情けないから、出て来られないだけと違うか?」

 巨人帽の少年が、中年男にからかい気味の言葉をよこす。

 「ほっといてくださいよ・・・」

 中年男は、目の前のグラスにバーボンの原液を注いで、氷も入れずに一口すすった。

 「まあ、こうして務めて余裕をかましてみせるのが、知識人というものです」

 「自称知識人、ね。東大の教室で煙草を吹かす近代ゴリラさんの猿真似じゃないか」

 「猿ということは、ゴリラと同じく霊長類つながりですな。さすれば、わたくしも 三島ゴリラ大先生と同類ということですな。実に光栄です」

 「やれやれ。自画自賛もここまでくると、芸術ものだねぇ・・・」


 中年作家がグラスをおいたのを見計らって、母親が話をつないだ。

 「今日私どもが出向いたのは、その父方の御祖母様からの御依頼です。私よりは10歳ほど若い方ですね。あなたはお母様に似ていらっしゃるから、顔つきはそれほど似ているとは思えませんが、でもどこか面影もありますね。じゃあ、本題に入りましょう。米河さん、あなたは小説家として本を出すまで何年、小説を書かれましたか?」

 「3年目ですね。正味は、2年ほどです」

 「3年目に芽を出して、後に三冠王になったプロ野球選手、御存じかしら?」

 「南海ホークスの野村克也選手です」

 「そうですね。先日こちらに来られたようですが。もうひとつ。質問内容を変えましょう。あなたが大学生の頃の司法試験の話です。司法試験は、何年間本気で勉強すれば、合格しうる力がつくと、一般に関係者間で言われていましたか?」

 「3年です。O大の憲法学の山藤和弘先生のおっしゃる通りでして」

 「そうですか。司法試験は残念でしたが、小説を通じて、あなたは3年間、ひとつのことを本気でやって、それで芽を出すことを体感できたのです。その点では、南海の野村さんと同じような経験をされたわけですね。そんなことよりも資格試験を受けて資格を取って何かしろ、とおっしゃっていた先輩もおられたようですが、それでもあなたは、小説を通じて表現することを選び、それに磨きをかけてきた。そして、小説家として3年間、正味は2年間ですけれども、あなたは小説を書き続け、本を出せましたね。その経験を糧にして、これから先小説家としてやっていく自信が、できたのかしら?」

 母親は、やんわりとした口調ながら、劣勢からも相手を必ず詰ませるとばかりの調子で攻めてくる。孫ほどの年齢の中年男性は、防戦一方。

 「はい、できました。私は、ただの小説好きや趣味で書いているのではありません。仕事として成立させるべく、書いてきました。これからも、そのつもりです」

 「君の最初の頃の文章を読ませてもらったけど、ビギナーズラックの出た文章だね」

 「ええ、おじさん! 私はね、これで身を立てるべく、書いてきたのです!」

 「どうでもいいけど、おじさんがおじさん、言うなよ。まあ、君の母方の上の伯父さんと同い年であることは認めるにしても、ねぇ・・・」

 巨人の野球帽の少年姿のおじさんが、甥ほどの年齢の中年男に「抗議」する。息子と孫ぐらいの年の少年と中年男の言い合いを、母親が制した。

 彼女は、米河氏がお世話になったという、ある人物のことを話し始めた。

 

 まあ、米河さん、ムキにならないで。そのビギナーズラックという英語の言葉ですけれども、私どもが生きていた頃は、敵性語と言われておりましたから当然馴染みはありません。私は、高等女学校にも行っておりませんで、英語を学んだわけでもありませんし。

 実は、あなたが書き始めの頃の文章を、ある筋で拝読しましてね、最初にしてはよく書けているなと、皆さん、おっしゃっていました。

 ほら、あなたが選挙でよくお会いしていた永野修身さん、軍令部総長をされた海軍元帥と同姓同名の方ですけど、元本屋の方。昨年の年明けに亡くなられてこちらに来られました。ご存知ですよね。

 永野さんは、米河君は間違いなく小説を世に出せる文章力はあるが、どれだけ書き続けられるか、あきらめずにやれるか、それが一番の問題ですなと、私の前で言われました。ビギナーズラックという言葉、その時に永野さんがおっしゃいました。

 あの方は、確かに大酒飲みで賭け事好き、賭けマージャンで家業の本屋をつぶして、その後は、選挙となるとあちこちでうごめいては何やらやらかす。

 失礼ながら、胡散臭い方でしたよね。

 T高校の3年間、数学でとった点は、答案用紙の裏に書いた漢詩でもらった2点だけ、それも、早稲田出身の漢文の先生に回されて、韻を踏んでいないと言われて次回の漢文のテストで1点ひかれて99点にされたと、まあ、そんな武勇伝がおありの方ですけど、確かに、文系科目はいつもトップだったそうですね。その後早稲田大学の文学部を卒業されて、一時期は週刊誌の記者をされていたとのことですが、評論家的な要素の強い方のように、私には見受けられました。

 確かに、生前にはあなたの周囲の皆さんに多大なご迷惑をかけられた。帰る金がないと言って同世代の知人に5千円や1万円を借りて、そのお金で煙草を買ったり、缶ビールを買って飲んだり。それで返した試しもほとんどない。借金もあちこちあって、飲み屋のツケも多数。あなたと行ったある居酒屋さんは、あれは香典なのだそうで。永野さんは、確かにそんな方だったことは間違いないですね。

 ですが、米河さんにとっては、恩人ともいうべき先輩のお一人ではないですか?


 100歳を超えたはずの30代の女性の質問に、当年50歳の中年男が答えた。

 「ええ、それは確かに、その通りです。小説家としての私の文章を真剣に読んでくださったのは、あの方が初めてでした。黙って読んでくださるだけでしたが、本当に心強かった。特にあれこれ感想や技術的なアドバイスを頂いたわけではありませんが」

 「それだけでもないだろ! 君が永野君から教わったのは」

 少年が、突如、声を上げた。


 「ええ。あの方に最初にお会いしたのは、O県議の補欠選挙でした。そのときは、候補者の方や応援に入られた方々、いろいろ厄介な話もあったと伺っていますが、私と岐阜県から来た熊山君という早稲田出身の若い方、彼も後に選挙に出られましたが、我々にだけは、そのもめごとに巻き込ませないように配慮してくださいました。あと、選挙のたびに来られる方で、ブラッシーさんというあだ名の方がおられて、まあ、私が名付けたのですが(苦笑)、この方が来られると雰囲気がちょっと、というのがあって、常木(参三氏・O市議)の選挙事務所は、皆さんお人のいい方の集まりですから、正面切って排除などされませんでしたけど、このときばかりは、出入りを毅然と止められました。ああいうところを見ると、単なるどうにもならんオッサンだったとは思っていません」

 「そうですか。あなたも、一面だけ見て人を判断する人ではないことがよくわかりました。大槻さんもZ君も、米河さん、あなたもそうですが、社会性を標榜する人たちは、どうしても人間性という言葉を嫌う傾向があると、思っておりました。あなたの場合、おそらくはよつ葉園での経験の反動でしょう。しかしあなたは、社会性というものを武器にして生きてきたからこそ、他者を見る目をしっかりと養って、それをもとに、人間性を高めて来られたようにお見受けしました。あなたも、若い頃は他者を排除するようなところが多々見られた。しかしそれを、社会性を伸ばすことで克服されました。今もって独身というのは、あと、セーラームーンだのプリキュアだのを観ている、そのあたりにつきましては、私も思うところはありますし、あなたの御親族の皆さんもあまり感心されてはおられませんが・・・、米河さん、あなたは、本当に人に恵まれていますね」

 「ありがとうございます」

 「じゃあ、明日の朝はプリキュアを観るのに忙しそうだから、この辺で。またそのうち来るから、そのときは、よろしく」

 「おじさん・・・、プリキュアの時間だけは、お願いだから来ないでくださいね」

 「わかっているよ。永野君が呆れていたからなぁ。日曜朝の8時30分過ぎにうっかり電話かけたらえらい剣幕で怒ったって。みんな大笑いしていたぞ(苦笑)」


 話は、約30分続いた。50歳の男性が巨人帽の少年に「おじさん」と呼びかけるのもなぜか不思議だが、この世に生きた時代と年齢差を考えると、それも仕方のないことなのか。それにしても、傍目で見ると、いささかシュールな光景ではある。


 「それでは米河さん、お邪魔いたしました。ごきげんよう」

 「朝までふざけて寝坊するなよ(苦笑)!」

 「大丈夫。最近、朝は早いですし、この後寝直すにしても酒は飲みませんから。なんせプリキュアは、この3年来、「皆勤」ですからね」

 「もういい、わかった、わかった(苦笑)」

 母子は、中年男の寝泊まりするアパートをそっと去っていった。

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