第8話 16分音符のオンパレード ~ Z氏の回想
1
私が通った中学校に、二宮先生という音楽の先生がいた。音楽の先生というよりは、作曲家か何かをされているような人にも思える風貌だった。よく言えば、「高原列車は行く」を歌っていた岡本敦郎さんのような雰囲気と、言いますかね。
ところがこの先生、どういうわけか、少なからずの生徒たちから嫌われていた。その「嫌われる」度合いに勢いをつけたのは、他でもない、私だった。幸か不幸か、この先生が、私の中3の時の担任だった。発端は、ちょっとした行き違いのようなものだった。そこから、この先生との関係がこじれた。その頃の話は、あまり思い出したくないので、しないでおく。別にこの先生の「せい」にするつもりはないが、私は高校受験に失敗した。一応、定時制高校に行くことになった。その後3年間、私は、周囲のクズを排除しつつ、当時脚光を浴びつつあった大検こと大学入学資格検定に合格し、現役の年にO大学に進学した。
幸か不幸か、私は当時、養護施設にいた。
中3のときの担当者は、短期大学の幼児教育学科を出てすぐの保母だった。さらに高1のときの担当者は、X県の紡績会社に勤めつつ、短大の二部を卒業して保母資格を取得した若い女性だった。さすがに、あるベテランの男性児童指導員が、彼女たちをフォローしてはいた。だが、彼は他の児童の対応に追われていた。養護施設から大学に進もうという児童を導く力は、彼にも、なかった。残念ながら、他の職員たちにも、なかった。
私は、二宮という教師を徹底的に叩き潰すには、どうすればいいか考えた。その結論は、簡単に出た。高校すなわち高等学校という制度を極力無視して、大学に行く。定時制高校もしくは通信制高校に在籍していても、大検の受験資格はあるし、取得した単位は認定される。現役の年に合格しなければ、意味がない。そう思った。
そして、それを実行した。
2
養護施設にいた最後の2年間は、別の男性児童指導員が直接担当した。
「大検という制度を何も使わなくても、定時制高校で4年かければ、高卒の資格があるではないか。高校で仲間と学んだ証拠が残るではないか。それを何も、大検でさっさと大学になんて言わなくてもいいじゃないか。大学の合格が1年ぐらい遅れても、長い人生にはどういうことなんかないだろう。同級生と勉強して、触れ合うことを一切拒否するなんて、寂しい話だ」
彼は、私より10数歳年上で、ちょうど、青春ドラマ全盛期に中学生か高校生だった。「飛び出せ青春」や「おれは男だ」、年配の方なら御存じの、あの手のドラマとの親和性の高い世代だ。しかも当時、彼は結婚して間もない時期だった。家庭というものの良さが、身にしみてわかってきたのだろう。その良さ、素晴らしさを、熱く語っていた。
彼だけでない。当時その施設にいた職員の多くが、こんな言葉を頻繁に使っていた。
「・・・、人間としてよければ、・・・」
彼はよく言っていた。
「大学に行けなくても、人間としてよければ、それでもいいじゃないか。家庭をもてて、幸せな生活が送れれば、それでいいじゃないか」
「進歩の敵」 ~ 左翼の人たちが使いそうな言葉だ。
言葉にこそ出さないものの、この言葉を彼にあてがい、私は冷めた目で彼を見ていた。
「くだらん郷愁論ですな」
私は彼が「寂しい話だ」などというたびに、この言葉を投げつけた。
彼にどう響いたかは、わからない。なぜそこで「情緒論」とか「感情論」と表現しなかったのだろうか? なぜ、「郷愁論」という言葉を使ったのだろうか? 今となっては、そこが今一つよくわからんのだが・・・、まあ、いいか。
いずれにせよ、私は、この人物は本質的に自分の味方たりえない人間だと思った。
こんなところで、私の人生をつぶされてたまるか!
こいつを倒さない限り、私は前に進めない。こいつを倒すにはどうすればいい?
私は、プロ野球の本を読みまくった。
そこで私は、人生観を築くことができた。
「チームの輪? そんなものは、屁のツッパリにもならない。プロは勝たなければならない。勝っていけば、チームの輪とか同じ釜の飯を食う仲間意識とか、そんなものは、あとからついてくるものに過ぎない」
「プロは群れる必要などない」
「プロ野球選手は個人事業主だ」
いろいろ、思うところはあったし、これはと思う言葉にも、たくさん出会った。
それでも、一番私に響いたのは、やはり、この言葉だ。
「グラウンドに、銭が落ちている!」
そうか・・・。
大学受験生といえども、そのプロとなるならば、参考書に、ゼニが詰まっているというわけだな。その「ゼニの元」をつかんで、大学に行けばよい。
そのうち必ず、本物のゼニになる。
3
私は、大検に合格し、大学に現役で合格した。
養護施設を、それと同時に「退所」した。
彼は、私に対してその後も、厚意を示している言動を続けた。
その割には、私にとって真の利益になるようなものは、ほとんどなかったのだが。
彼は、いつも言っていた。
「おまえには、何もしてやれていないけど・・・」
いやいや、十分してくれていますよ。足を引っ張る行為なら、ね。
そう言いたくなるのを、私はあえて抑えていた。
「まあ、飯でも食って・・・」
そんなことのために、自転車で30分以上もかけて、こんな「丘の上くんだり」まで来ているのではない!
きちんとした話が、あんた達は、できないのか?!
少し話がかみ合ったかと思うと、彼はしばしば、こう言った。
「今後はそんなことのないように・・・」
タラは北海道、レバは焼肉屋、コンゴはアフリカだ!
不祥事を議会で陳謝して見せる首長のような言葉を、彼はしばしば述べた。
やがて私は、その施設に行くこともなくなった。「報告」と称して彼らに「相談」などしても、どうせまともな解決策も出まい。時間の無駄以外の何物でもない。
私は、そう判断した。
4
大学を卒業するころ、彼らの態度に、変化が起こった。
卒業する前年のある時、彼は、私に謝罪した。申し訳なさそうに。
しおらしいとはこのことか。とりあえず、彼の主張を黙って聞いた。
「二宮先生のことだが、もう本当に、いい話が入ってこなかった。それどころか、あちこちで悪い話ばかりだ。おまえの言うことが、正しかったようだ」
そんなもの、気休めにもなるか! それより、そんなことで、子どもらに「言い訳するな」などと「指導」できるな? まあ、いい。
「実は、おまえの高校受験の後、職員会議で、大変だったんだ」
知るか、ボケ!
「いったい何を指導していたと、園長が怒って、大変だった。あれで、おまえを担当していた保母が、辞めさせられた。指導員の某も、この件で、ひどく責任を問われた」
わしの知ったことじゃねえ。
話はやがて、二宮先生の話になった。同級生に、K君というのがいた。彼は、某福祉団体に新卒で入ったのだが、あるときその養護施設に、実習で来た。
かの指導員氏、K君と飲んでいた。そのとき、二宮先生の話になった。
「私も二宮先生には、ひどい目に遭わされました」
音楽の時間に、作曲の宿題が出た。彼は何を思ったのか、16分音符を連ねた曲を作って、先生に提出した。その通りを、先生がピアノで弾いてくれるのだが、ピアノの前に、彼、持って行った。二宮先生、彼が作曲した紙を、目の前で破って捨てたそうだ。
その後彼は、音楽で5段階の1をつけられた。これが高校入試に響いて、公立には行けなかった。それでも私立の男子校に進学して、大学にも行けたからいいが・・・。
男性指導員は、さらに、言葉をつないだ。
二宮先生が、そんな人物だと見抜けなかった。私たちの対応が、あまりにも悪かった。何より、君のために何もしてやれていない。本当に、申し訳ない。許して、欲しい。
5
16分音符の話を、先輩や知合いの先生に話した。
どなたも、二宮先生のことを、決してよくは言わなかった。
ある年配の先生にお話したら、このザマだった。
「枠にはまらんからといって、そんなことをするのは教師とは言えん」
何だか、こんな話を持ち込んだ私が悪さでもして叱られているかのような気分で、そのお言葉を聞いた。その先生の研究室の後輩になる、サークルのある先輩が、こんなことをおっしゃった。
「一人やそこらなら、まあ、言っている側にも何か問題があるだろうと、誰もが思う。だが、同じことを何人も、まったく違う状況や立場の者が異口同音に言うとなったら、それはもう、言われる側を問題にせざるを得ないだろう・・・」
エピローグ
男性指導員が私に謝罪した翌日の夜、私は、自宅で一人、ビールを飲んだ。
何か嫌なことがあったら、酒がまずくなるという。だが、酒がうまいの、まずいのと言っているうちは、まだいいほうなのかもしれない。
その日私は、ヱビスビールの大瓶を4本飲んだ。
飲み始めから飲み終わるまで、ビールの味がした記憶が、まったくない。
救いもないわけではなかった。
翌日、特に二日酔にもならず、すっきりと目覚めることができた。
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