第30話 行き倒れ 前編 1 元入所児童の消息
1995年10月下旬 よつ葉園事務室+兵庫県警T署近辺にて
10月下旬、秋も盛りのある日の昼過ぎ。
よつ葉園に、一本の電話がかかってきた。
「はい、よつ葉園でございます」
「お忙しいところ申し訳ありません。わたくし、兵庫県警T警察署の高田と申す者ですが、10年ほど前におられた山崎先生という方ですけど、今もそちらにいらっしゃいますかね? もし在籍しておられたら、お話したいことがありまして・・・」
「山崎でしたら現在も在籍しておりますが、どういったご用件でしょうか?」
少しばかり戸惑いながら、女性事務員は尋ねた。
「実は、よつ葉園さんの卒園生といいますか、10年ほど前におられた元児童の方の件で、ちょっと、山崎先生にお話がありましてね。実は、その方が、今朝から、うちの署に、来ておられましてねぇ・・・」
「そうですか、少々お待ちください」
電話を受けた若い女性事務員が、電話を保留にした。
電話口の保留音は、よつ葉園の園歌である。
明るさの中に切なさ、その切なさの中にいささかの希望も感じさせる歌声とピアノの音が、警察署の電話口に流れている。
山崎良三指導員は、事務室にいた。
「はい、お電話代わりました。山崎と申します」
「山崎先生でいらっしゃいますか。私は、兵庫県T警察署の高田と申します。実はですね、先生、よつ葉園さん出身の宮木正男さんという若い方が、うちに来られまして」
山崎指導員は、何が起こっているのかを把握しきれない。宮木正男がなぜ、縁もゆかりもないはずの兵後県北のT市なんかに来ているのか。思い当たる節も何もない。
宮木青年に縁があるのは、関西圏といえども南部の都市圏側。そこには確かに、実の姉や父がいる。姉は彼よりも4歳年上。その姉のもとに身を寄せていた時期があるが、話によると、彼はその姉と夫、つまり義理の兄からも愛想を尽かされ、さらには父からも疎んじられ、一人、あちこちを転々としているというではないか。
彼は高2になってすぐの春先、住込みで散髪屋の仕事に就くと言って高校を中退し、幼少期を過ごしたよつ葉園を去った。就職したとは言うが、ホトボリが冷めた頃には、彼はその「職場」を「辞めて」いた。散髪屋の息子である友人と、よつ葉園から「出ていく」ために示し合わせて仕掛けたという話もある。
彼はその後、姉を頼りに関西圏に出て、一時期そこに身を寄せた。彼の母親は若くして病死しており、父だけでは面倒を見切れないため、彼が2歳、姉が6歳の頃から、児童相談所を通して幼い兄弟そろってよつ葉園に措置され=預けられ、そこで幼少期を送った。
父としては娘と息子に負い目があったが、息子のあまりの不義理には、いくら父親とはいえかばいきれない。
かくして宮木正男は天涯孤独の身となり、あちこちを転々としていた。
そして、それまで縁もゆかりもなかった兵後県北のT市で、ついに力尽きた。
その日彼は、最終列車に乗ってT駅まで来て、街中をふらふらして、適当な雨宿りぐらいできそうな場所に横になって、夜を明かした。
所持金もさしてない。
何か食べてと言っても、肝心の体自体に食物を受付けるだけの気持ちのゆとりもない。
なぜこの街に来たのか?
その必然性もないが、そのわけもわからない。
行く当てもないし、もう、どうでも、ええわ・・・。
そんな思いで、彼は見知らぬ街の路上で仮眠をむさぼった。
「ありゃ、若いのが何か、道端に倒れて寝とるで。今やからまだええけど、もう3か月も遅かったら、そらあんた、死んでもうテモ、おかしないな、これ」
まだ携帯電話もさほど普及していなかった頃のこと。
その日の朝、彼を発見した地元の年配の男性は、近くの公衆電話から、とりあえず手持ちの10円玉を小銭入れから出して電話口に入れ、110番した。
電話した後、その10円玉は返却口にチャリンと戻ってきた。
10分も経たないうちに、兵庫県警と書かれたパトカーがやってきた。駆けつけたのは、その男性の知人の警察官だった。
「神戸の街中あたりならまだしも、こんな田舎街で、行き倒れですかねぇ・・・」
「ホンマなあ、高田さん、こんなところで行き倒れなんか、初めてヤデぇ・・・」
「あなたよりは二回りぐらいはまだ若いですけど、私だって、警察に入って30年以上やって、この年で初めてですわ、こんなん。県南ならともかく、県北では・・・」
パトカーを運転して一緒に駆けつけた若い制服の警察官が、私服の警察官の指示に従って、彼から事情を聴取していた。
状況は、おおむね把握できたようである。
「えらいお手数かけました。おおきに。あとは、うちで何とかしますわ」
私服の警察官が、発見者の男性にお礼を言い、彼の身柄を引継いだ。
宮木青年は警察に保護され、T警察署に連れて行かれた。
まずは、警察医によって健康診断が行われた。彼の健康には、特に異常はなかった。さしあたり、彼には飲食物が与えられた。
高田正三警部補は、終戦の年生まれの、「たたき上げ」の警察官であった。そのとき50歳。定年までまだしばらくあるものの、先はもう、おおむね見えている。
彼の実家は、お世辞にも豊かではなかったが、高校に何とか進ませてもらった。
警察官の採用試験にも合格した。
中堅レベルの私立大学なら十分合格できる学力レベルにはあったが、そこまで彼の家には経済的なゆとりはなかった。
それから30年以上、彼は兵庫県警の警察官として働いてきた。
宮木青年の話は、彼にとっても他人ごとではなかった。
自分だって、一歩間違えたら彼と同じような状況に陥っていたかもしれない。何とか、この青年を助けてやりたいと思うが、自分一人の責任でどうなるものでもない。
彼の趣味の一つには鉄道を使った旅というのもあって、時々、山陰地方を中心にぶらりと出かけることもある。
だから、そのような雑誌との親和性はもともと高かった。
今から10年ほど前に、彼が交番に勤めていたとき、旅の途中で道を聞いてきた若者がいた。O大学の鉄道研究会にいるという、京都出身の大学生だった。
彼は、「旅と鉄道」という雑誌を持っていた。彼と話しているうちに、その雑誌を買ってみようと思い立ち、早速近くの本屋で取り寄せた。
その号の記事には、終戦直後の新宿駅の駅員と戦災孤児たちの話が出ていた。孤児たちは、駅員たちには迷惑をかけないようにしていた。終戦直後で食べ物どころか住む場所さえもままならなかったあの時代、いさかいもあったが、ほのぼのとした心あふれる交流もあった。ある駅員は、いささか年少の孤児の身元を引受け、就職の世話までしてやったという。
出来るならそのくらいしてやればいいかもしれないが、自分の家では息子たちが大学に行っているし、とてもそこまでは・・・。
そもそも、こういう若者に出会うたびにそこまでの世話をしていてはキリもない。
しかし、一体全体、何が彼をそこまで追い込んだのだろうか?
出前で取寄せたT市の名店のカツ丼を行き倒れて保護した青年に食べさせながら、高田警部補は、自分の執務デスクで考えるともなく考えていた。
丁度昼飯時だったので、同じカツ丼を注文して、執務デスクで食べた。
食事を終えて落ち着きを見せ始めた宮木青年に、高田氏は尋ねた。
「宮木君、あんた、養護施設におった、いうたな。確か、岡山県にあるよつ葉園ときいたが、そこでホンマに、間違いないネンナ?」
青年は、黙って頷いた。
「誰か、お世話になった先生、今でもおられるか?」
中年刑事のその質問に、彼はしばらく黙っていたが、彼は黙ってやり過ごそうとしていたわけではない。
彼は、よつ葉園にいた頃の職員を必死で思い出そうとしていた。
「山崎先生が、最後の担当の先生じゃ」
ようやく、彼は、山崎良三児童指導員の名前を、刑事の面前で、述べた。
「山崎先生の下の名前は、なんや?」
「・・・忘れた・・・」
養護施設は、職員が長期間勤める場所ではないことを、高田氏は知っていた。その 「山崎先生」という人がどんな人か、それこそ、この時点では男性か女性かさえわからない。
その山崎さんという彼もしくは彼女が、その施設に職員として在籍していたとしても、それは今からもう10年も前の話。
その頃の職員が、どれほど残っているのだろうか?
しかも彼は、お世話になったはずの職員のフルネームを覚えてもいない。
「その、山崎先生という人は、男の人か、女の人か? で、どのくらいの年の人や?」
「男じゃ。今なら多分、40ぐらいじゃねぇかなぁ・・・」
とりあえず、相手の最低限のイメージがつかめた。
とりあえず電話をかけてみよう。
「ほな、その山崎先生に、電話をかけてみたるわ。電話番号、覚えとるか?」
「覚えて、ない・・・」
力なく、青年は答えた。
「じゃあ、ここで待っとって。ああ、吉沢君、彼の話し相手してやってくれるか」
制服姿の若い警察官に声をかけ、彼は電話のある自分の執務デスクへと向かった。
彼を別室に残したまま、高田警部補はデスクで電話をかけた。
彼が電話番号を覚えていたとしても、それが記憶違いの場合もあり得るし、まして覚えてないとなれば、確認を取らないといけまい。
104で聞いてもいいが、他県の養護施設がどこにあるかもわからないし、まず、岡山県庁に電話をかけて福祉関連の部署につないでもらって、そこで、よつ葉園という養護施設が実際にあるのか、そこがどんな所かを確認した。岡山県警の関連部署にかけてもよかったのだが、養護施設の状況を知ることも含めて、あえてそちらの部署に電話をかけた次第。
養護施設「よつ葉園」は実在することが確認できた。
電話応対してくれた職員に事情を話し、よつ葉園の電話番号を教えてもらった。
宮木青年については、特に被疑者というわけでもなく、逃亡の恐れも(気力も)ないけれども、若い警察官に頼んで、彼の話し相手がてらに様子を見てもらった。
彼の言う「山崎先生」は、確かに実在していて、幸運にも、まだ在籍していた。
どうやら、自分より幾分若い男性のようだ。
高田警部補は、宮木青年が行き倒れになって保護されるまでの事情を話した。
「それがですねぇ、先生、宮木正男君やが、言いにくいのですねんけど、今朝、「行き倒れ」になっていると地元の方から通報があって、うちで今、保護しておるのです。聞けばよつ葉園で子どもの頃を過ごしたというわけで、どんな状況やったのか、まずはお話しいただければと思いましてねぇ・・・」
山崎指導員は、彼の幼少期からの情報を知り得る限り話した。
宮木少年と接触があったのは、前に勤めていた同じ岡山市内にある養護施設のくすのき学園から「移籍」してきて後、およそ1年とほんのちょっとの間のことである。
担当になったのは、彼が高2の年、それも、最後の数日間だけだったその時期の前後の経緯と、その後、彼が1学年下の岩本誠という元園児と一緒によつ葉園に忍び込んで「盗み」を働いていたことを話した。
うちとしても、彼らの盗みには手を焼きましてねぇ・・・。
当時同僚だった梶川という男性の児童指導員と一緒に、彼らを見張っていたら、よつ葉園の敷地のある丘の裏手から二人で園舎に忍び込んで、児童寮の職員が住込んでいる部屋に入って金品などを盗んでいました。さすがに、管理棟の事務室には入り込んだりはしませんでしたが、それ故に、いつどこからどのように出入りするか、やきもきしておりました。
ある日の昼、ようやく彼らを見つけた私と梶川が、彼らを追いかけて、梶川が何とか岩本だけは捕まえました。梶川が岩本をぶん殴って、二度と来るなと怒鳴りつけて放り出したのですが、宮木については捕まえきれないままでした。
警察に突き出してもよかったのですが、そんなことをしても手間なだけなので、やめておきました。
その後、彼らはよつ葉園に来たことはありません。
一時期宮木は、公衆電話から電話をかけてきて、梶川だけは許さんと息巻いていましたが、彼がその後よつ葉園に来ることはありませんでした。
お聞きになったかもしれませんが、彼には4歳上の姉がおりまして、その姉を頼って、大阪に出向いたという話は聞いております。
うちにも、姉の夫から連絡がありました。彼も妻である正男の姉と同じ年で、結婚して子どもも生まれて間もないし、それでいて、あまりにだらだらした生活を送る義理の弟まで、とても、面倒は見切れませんわなぁ。子どもの面倒でもしっかり見てくれればよかろうが、そんなこともないし、あるいは大金稼いで何かをしてくれるかというと、そうでもない。
結局姉夫婦からも義絶され、同じく大阪近辺にいる父親からも、最近では疎まれているようですわ。そこまでは、園長と別の指導員にも情報が入っています。
その後どうしているのかは、私どもでは把握しきれておりませんでしたが・・・。まさか、縁もゆかりもないところで「行き倒れ」ですか・・・。
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