第50話 シリーズ 7 養護施設を出た後に・・・
その2日後の木曜日の夕方、O駅前の居酒屋で尾沢さんと待ち合わせた。時間通りに彼はやって来た。先日と同じような紺のスーツ姿だ。今日は、自宅兼事務所のある郊外からバスで出てこられたとのこと。
居酒屋に入り、ぼくとたまきちゃんと尾沢さんの3人でテーブルについて簡単に注文を済ませ、ビールで乾杯した。おとといの話はちょっと重かっただけに、今日は、酒でも飲んで楽しくお話ししましょうとぼくのほうから提案していた。
とりあえず、あのZ君とG君の話は基本的になしで行きましょうと改めて提案した。尾沢さんにももちろん異論はない。尾沢さんは見るからにものすごくまじめそうな方で、実際まじめな方なのだけど、酒を飲んで話せば面白くて楽しい人だ。
「おとといに少しばかりお二人に申し上げましたけど、覚えておられますか? あのよつ葉園の卒業生が、子どものころ「よつ葉園」で鍛えられたから社会に出ても何の苦もなく生きていけると言っていたと申し上げたことですけど」
もちろん、覚えている。あれは何だか不思議な心地のする言葉だった。
「ええ、覚えていますよ。なんだか、前向きになれそうなお話があるのですか?」
たまきちゃんが尋ねた。ぼくもそのことには大いに興味がある。尾沢さんは昨年の末ごろに、何人かの卒園生と元職員の山崎さんとで忘年会をした時の話をしてくれた。
去年の12月中旬のことです。昨日申し上げたZ君の同級生になる柳井君という子が、と言っても、みんな結婚して子どもさんもいるいい年のおじさんですけど、あ、それは私も(苦笑)、まあ、おいておきましょう。その柳井君が音頭を取りましてね、その世代の卒園生と、元職員の私と山崎さんに声掛けをして、忘年会をすることになりました。実はその忘年会、この店の2階で行いましてね。
山崎さんはもう17年、私も12年ぐらいになりますか、よつ葉園を退職して。
時が経つのは早いですね。その時来たのは、柳井君のほかに彼より1歳上の矢沢君、2歳年下の谷村君と堀内君、それから佐竹君の3人で、元児童が計5人、私たち元職員が2人で、合計7名でした。それに柳井君より2歳上の長門君が急に参加できることになって、合計8人での飲み会でした。矢沢君以外の子は皆、高校は卒業しました。矢沢君だけは中学を出てすぐ父親の親族が経営している工務店を継ぐべく修行に入り、そのままその店を継いでいます。そういう飲み会は度々行っているわけではありません。20年ぶりぐらいですかね。みんな立派な大人になっていて、しかも仕事もバリバリ頑張っている。うれしい限りです。それこそZ君なら、そんなことは思い出したくもないことでしょうけれど、彼らは、よつ葉園にいた当時のことを、懐かしむともなく、そういえばこんなことがあったなと、いろいろしゃべってくれました。
例えば、谷村孝雄君。彼は、両親が離婚して母親が家を出て行ったため、父親のもとにいましたが、この父親が酒を飲んで仕事もしない。生活保護を受給してなんとか暮らしている状態でしたが、息子の彼をまともに面倒なんか見ようともしない。
結局、見かねたO市のケースワーカーが児童相談所に通報し、児童相談所を通してよつ葉園に来ることになりました。彼が幼稚園ぐらいの頃です。仮に自宅にいたとしても、食べ物も満足になく、勉強どころじゃない環境ですからね。じゃあよつ葉園にいたらどうかというと、上級生、それこそ3歳上の矢沢君と同級生だった葛西君に、理不尽にも殴られたことを語ってくれました。葛西君はその時、虫の居所が悪かったのでしょうかね。私もその話は他の職員から後に聞きましたけど、殴った理由、本当にどうでもいいような内容でしたね。しばしばそんなことは起こっていました。
そんな環境でも谷村君にとっては、自宅の父親の元よりもはるかに安全な「居場所」だったのです。でも、彼にとってよつ葉園は「家庭」だったと言ってしまえば、さすがにそれは買い被りでしょう。
矢沢正三君も、彼より2歳上の嘉田圭一君によく殴られていたという話をしてくれました。これも同じようなものでした。今なら問題になりそうな話ですけど、あっさりとこんなことが昔あったよ、といったノリで語ってくれる。今なら問題となりかねない話でも、彼らにかかれば何だかカラッとした話になる。そういう理不尽を与えられることも含めてよつ葉園で「鍛えられた」おかげで社会に出てからこの方辛いことなど何一つない、たくましく世の中を渡っていけると、彼らは異口同音にいろいろなエピソードを加えて話していました。山崎さんと私はどちらともなく、彼らに、じゃあわしら当時の職員は君らに何の影響も与えられない存在だったのかと、思わず聞いてしまったほどです。
それについては、堀内透君がこんな答えを言ってくれました。
山さんや尾沢先生がいくら手を尽くしても、そんなもん、完全に止めるのは無理だったろうな、あの頃は。表向きは止まっても、裏でそれとなく同じことが起きただけじゃ。
でももうええがな、済んだことじゃ。
そいつらとわしら、何も一生過ごさにゃあいけんこともねかろう。そりゃあ、あいつらと一緒にこれから先も住んでやれとか何とか言われたら、そりゃあわしも怒るし、それ以前に大体無理じゃ、そんなこと頼まれても・・・。
養護施設では、職員に対し基本的に「先生」と呼ばせるようにしていますが、慣れてくれば、普通に「さん」付けや、あだ名で呼ばれることだってあります。山崎さんのように言われず、「先生」と言われ続けることに、違和感は当時からありました。私自身と子どもたちの距離の問題が大きかったような気もしますが、それは置いておきましょう。堀内君の言葉は、Z君のような辛辣さはありませんが、別の形で私たちのしてきたことが非難されているような気さえしました。まあしかし、この日来てくれた彼らは皆それぞれ今の仕事を通じて、たくましく世の中を渡っています。
でも、他の卒園生の話になったら、やっぱり、社会から外れてしまったような元児童の話にもなる。この日も、何人かの卒園生の話が出ました。聞いていて辛くなるような話もいくつかあります。それも含めてお話ししましょう。
確かね、Z君がたまたま岡山に戻ってきていた時の話です。もう10年以上前のことですけど、彼はその日たまたま、地元紙の備讃新報を読んでいました。ちょっとした事件をいくつか紹介しているコーナーが地元記事欄にありますよね。そこにね、O市の隣のS市にある神社で賽銭を盗んだ男が捕まったという記事が出ていると、彼から連絡がありました。確か6月の下旬でしたから、よほど大きな神社やお寺でもない限りそんなところに多くの賽銭が入っているとは思えませんけど、そこのさい銭箱をゆするか何かして、箱の中から3万6千円ほど盗んで逮捕されたという記事が出ていました。彼は沼津竜太という子で、当時40歳近くになっていました。住所不定で無職。とても辛かったですよ。彼は戸塚君と同級生になる子ですけど、よつ葉園にいた当時からいろいろな面で社会生活に適応できない要素がありました。中学を出てどこなりの就職先が見つかったのはいいが、それもすぐ辞めて行方不明になっていました。彼が逮捕された当時、私はすでによつ葉園を退職していましたけど、やりきれなさを感じたとしか言いようがないです。その後彼がどうなったのか、私にはわかりません。養護施設はそんな「元児童」たちに何かしてやることなんてできませんし、そのことについて責任をとれる職員なんて誰もいません。
そもそも成人になったら本人の責任なのだから、親であれ施設の職員であれそんな面倒など見る必要もないだろうと言われれば、それまでかもしれませんけどね。
他にも、Z君の同級生で2度にわたって「行き倒れ」になった宮木道雄君という子もいます。彼には2歳上の姉もいて、彼女もよつ葉園で中学卒業まで育ちました。彼女は関西圏にいる父親のもとから近くの定時制高校に通いつつ仕事をするということで、よつ葉園を去っていきました。のちに高校も卒業して程なく結婚して、今は子どもにも恵まれています。もう、子どもさんもかなり大きくなっているでしょうね。
問題の宮木君はどうかといいますと、中学を出て近くの農業高校に合格できたのはいいが、1年生を終えた時点で鰻料理店に住込みで働くと言って、折角入れた高校も退学してよつ葉園を去っていきました。高校中退の施設児童のパターンで一番多いのが、高1終了時の中退と抱き合わせの「退所」なのです。別に統計を取ったわけではないですが、そういう例が少なからずあって妙に印象に残っているのかもしれません。
宮城君の話に戻しますけど、彼、その鰻料理店も数日で辞めて、中学を卒業してすぐによつ葉園を退所した1学年下の岩本誠君という子とつるんで、裏山から入ってはよつ葉園内の金品を盗む行為をしばしば繰り返していました。梶川と山崎の指導員二人が、とにかく彼らを「現行犯」で捕まえて二度と出入りできないようにしなければならないということで、監視を強化しました。その矢先、盗みに入った宮木君と岩本君を見つけて、追いかけました。宮木君は逃げ切りましたが、岩本君は逃げ切れず捕まってしまい、梶川に思いっきり蹴り殴られて、二度とよつ葉園の敷居をまたぐなと厳しく申し渡されて追い払われたそうです。
岩本君は成人後窃盗で警察に捕まったそうですが、その後の彼の行方はまったくわかりません。
宮木君はしばらくの間、梶川だけは許さんと息巻いていましたが、よつ葉園には出入りしなくなりました。その後彼は姉のもとに身を寄せたとのことですが、不義理でもあったのでしょう、父親からも姉からも、さらには姉の夫からも愛想を尽かされて、一人であちこち転々としていた。それから10年近く後、O県の隣のH県北部の警察署から連絡がありまして、彼が行き倒れになっているから身元引受人になってもらえないかと、高2の年に彼を担当する予定だった山崎さんあてに連絡がありました。山崎さんも困っていましたが、よつ葉園を「退所」したいきさつを話し、彼に対してそういう形での面倒は見られないと言って引受人を辞退しました。さらに約1年後、今度は地元のO市の中央警察署から連絡があって、また行き倒れになっていると言われました。今度も山崎さんあてに連絡が来ました。前回同様山崎さんは、宮木君がよつ葉園を退所した経緯もあるし、これ以上彼の面倒は見られないと言って身元引受を断りました。その後宮木君がどういう人生を歩んでいるのかは、もう私たちにはわかりません。ひょっと、どこかの街中でホームレスでもしているか・・・そんなところかもしれません。
都市部には、社会に馴染めずホームレスになってしまう養護施設出身者が少なからずいると聞いています。O市程度の地方都市でもそれは例外じゃない。私の関わった子どもたちの中には、ホームレスもしくはそれに類する境遇になって社会から「消えた」子もいます。宮木君はその典型例です。
先ほど少し述べた嘉田圭人君にしても、1学年下の弟の浩輝君に借金を頼んで断られて「消えた」という情報を、ある卒園生から聞きました。圭人君よりこれまた1歳上の守也君も「消えた」とのことですが、あるとき、園長の大槻に電話をかけて金の無心をして、大槻に金なら出さんぞと一喝されたそうです。
大槻は内心どんなことを思っていたか。
こんな者に金を使うぐらいなら、それこそZ君や彼より1学年下の松阪君あたりに使ってやりたかったと思っているかもしれない。これが企業なら、間違いなくそういう判断をされます。そうすれば、よつ葉園も子どもたちに対する指導という点においてもっといい成果もあげられたことでしょう。
ですが、「弱者救済」が旨の養護施設においては、そういうことをあからさまにやっていくわけにもいかない。現に大槻の手法を一種の「エリート重視主義だ」と言って非難していた保母もいたし、大槻の意に添わず問題行動を起こしていた子もいて、山崎さんにこんなことを言ったそうです。
「おれは山さんを困らせたいんじゃない。大槻のやり方にどうにも許せんところがあって、それであんな行動に出たんじゃ」
とね。
その中の一人の森高克己君は、今でこそトラックの運転手として立派に仕事をしていますけど、当時のことについては、あまりいい印象を持っていないようですね。
いずれにせよ、施設で子どもたちを育てていくために、莫大なお金と人の労力がかかっているのです。良くも悪くも「平等」を旨とせざるを得ない養護施設の限界の一つには、性善説からくる「平等神話」も、その理由の一つかもしれません。
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