第14話 ミスマッチ3後編 高部友子元保母の回想

 この記事は、よつ葉園の高部友子元保母に××ラジオアナウンサーの大宮たまき氏が電話でインタビューをした時の記録です。

 ~本シリーズの「ミスマッチ 2」の続編です。


 「ぼくがやるより、たまきちゃんがインタビューしたほうがいいかもしれないな」

 太郎君には何か、思うところがあったみたい。そこで私が、よつ葉園の高部友子元保母に電話でインタビューすることになった。もちろんこれは、生放送ではない。

 彼女の連絡先は、すでに大槻和男園長からいただいており、取材の許可もすでに得ている。


 「高部友子様の携帯ですか?」

 「はい」

 「私は××ラジオのパーソナリティーをしています、大宮たまきと申します。よつ葉園という養護施設に、以前、お勤めになっていたとお聞きしていますが」

 「ええ。短大を出てから3年ほど勤務しました。その後は県庁の非常勤職員などをしまして、今は、県関連の団体で事務員をやっています。よつ葉園に勤めていた頃のお話ですか?」

 「はい。ぜひ、お願いします」

 「お話しするのは正直、気が重いです。先日久しぶりに大槻園長に電話しまして、Z君の件でいろいろお聞きしました。私なりに一生懸命、彼のためを思って頑張ったはずでしたけど・・・。私が退職後、彼が大検に合格してO大学に現役で合格したことは、同僚だった元保母から聞いていました。その時は素直にうれしかった。でもその翌年でしたか、彼があるテレビ局のインタビューに答えているのをたまたま見ましてね、その時、うれしいという気持ちよりむしろ怖さを感じました」

 「怖さを感じられたとは?」

 「テレビの画面から、なぜか彼の心底からの怒りが感じられまして・・・」

 「何か彼に対して、後ろめたい思いでもおありだったのでしょうか?」

 「そういうわけじゃないですが、理屈抜きで、インタビューに答える彼を見て、怖さとしか言いようのない感情を抱きましてね・・・」

 「その後、彼に会う機会がありましたか?」

 「いえ、彼が大学に合格して以降は一度も会っていません。ただ・・・」

 「ただ・・・」

 「彼が高1の時の私の言動や対応について、今も並ならぬ怒りを持っていたということを、先日園長に言われまして・・・、頭が真っ白になりました」

 「そうですか。今もし彼に会ったら、何て言いたいですか?」

 「当時、大検という制度がまだ世間に知られていなかったとはいえ、どんなものか調査も分析もしようとせず、私がいい加減なことを言っていたこと、彼は許すことなどないでしょう。Z君が私など足元にも及ばないほどの能力を持った人物であることに、あの頃すでに気づいてはいましたが・・・」


 重いことこの上ないやりとりが、しばらく電話越しに続いた。とにかくこの話は、ラジオやテレビで紹介できるような話じゃない。

 それどころか、どこかで気軽に話せるような内容でさえもない。


 「私たちは、Zさんとあなたを会わせて対談を求めるなどという企画を立てる気はありません。でも、ひとつだけ、お聞きします。今のZさんに何かお伝えしたいことは?」

 「・・・特には・・・」

 「あなたは高校1年生のZ君に、大検を受験すると言ってきたときに、夢のような話をしていないで現実を考えなさいと、たびたび言ったそうですね?」

 「ええ、何度も・・・。長い人生、1年遅れぐらいどういうことはないなどと言いましたが、園長に、彼はそんな次元で物事を考えるような人間ではなかったと、先日改めて指摘されまして・・・。尾沢指導員も彼に同じようなことをしきりと言って指導していたそうですが、後に散々批判されて、「ぐうの音」ひとつ出なかったと聞きました。尾沢先生はともかく、私にはそもそも彼を指導する能力も資格も全くなかったのです。園長からは、無理な仕事を丸投げした形になって申し訳なかったと言われました。私たちには、彼の生きる時間を無駄にする権限なんて、もともとなかったのです。私にとっての余分とはいえ貴重な1年は、彼にとっては排除されるべき無駄以外の何物でもなかった。現実を考えなさいなんて、今思えばよく言えたものです。彼は私を、金輪際許すこともないでしょう。私は、彼の歴史の中に存在さえ許されない人物でしょうね・・・」

 「その「現実を考えなさい」という言葉、今のZさんの前で、もう一度言えますか?」

 「・・・・・」

 「もしZさんに目の前で、「もう一度言ってみろ!」と言われたら・・・」

 「・・・・・」


 私にしては珍しく、ねちっこい質問をした。太郎君もこれには相当びっくりしていて、こんな私を見るのは、中学生の時に出会って以来初めてで、まさに、いじめられた弟を助けるためにいじめた相手を詰問しに行く「肝っ玉ねえちゃん」だとまで言われた。

 しばらく沈黙が続いた後、高部さんは、声を絞り出すように言った。


 「・・・ごめんなさい・・・Zさんには、どうぞお元気でと。それだけです・・・」

 「そうですか・・・辛い経験を思い出させて、申し訳ありませんでした。このことはもちろん、番組では紹介いたしません。少なくとも、あなたを特定できる形で放送することもありません。本当に急な電話で、申し訳ありませんでした」


 時間にして10分前後の会話だったが、聞いていて、正直心が重苦しかった。

 ふと私は、中1のとき、国語の教科書で学んだヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」だったと思うけど、エーミールという少年が、あることをきっかけに集めていた蝶の標本をすべて潰した話を思い出した。

 「一度したことはもう取り返しがつかない」という言葉が、改めてズシッと心に乗っかってきた。

 国語の授業でちょうどあの文章をやり終えたその日の帰り、私は交通事故に遭って数か月入院する羽目になった。それから2か月後の4月、私は始業式を病院で迎えた。それから数週間たったころ、1歳年下の少年が入院してきた。それが、今の夫である太郎君。彼と同じ病室になって、夜な夜ないろいろと語り合っていた。

 それから5年後。

 太郎君と私が出会ったのと同じ年頃になった、5歳年下の米河清治少年は、鉄研の新歓ビラをO大の入学式でまいていた。彼は鉄研の例会や岡山鉄道管理局などに出向いたり、鉄道雑誌を読みまくったり、まさに、鉄道漬けの日々を送っていた。

 パジャマ姿で語り合っていた中学生の男女は、その後結婚して今もこうして夫婦となり、子どもたちの両親として、そして、仕事上のパートナーとしても関係が続いている。一方の鉄道漬け少年、女性との縁はないものの(困ったものです~苦笑)、相も変わらず鉄道趣味人としての人生を邁進している。

 鉄道漬け少年と同学年で、まだよつ葉園に児童として暮らしていたZ氏はちょうど同時期、短大を卒業した高部保母と出会った。

 職員と児童の関係で。

 その時は直接の担当ではなかったものの、当時から高圧的で自分が指導者であるという意識を丸出しにして子どもたちに接していた彼女に対して、彼は反感を持ったと言っていた。

 しかも、高校入試に失敗して後の1年間、彼の担当は彼女になった。そのことは、Z少年にとっても高部保母にとっても、また、よつ葉園にとっても、お互い不幸のもととなってしまった。

 Z氏にとっては、高部保母の存在は「黒歴史」だの「汚点」だの、そんな言葉で語れるほどいいものでさえない。そしてそれは、決して修復することもかなわない。

 少なくとも私には、そう思われてならない。


 太郎君が、私に尋ねてきた。

 「Zさんにもう一度言えますか、って、なんでそんな聞き方をしたのさ?」

 「ちょっと、言いすぎたかもしれない。でもね・・・」

 少し間をおいて、私は話をつないだ。

「あえて、そう聞いてみたのよ。彼女の昔と今を際立たせるような答えが出ないかな、って・・・」

 「それさあ、気に入らないことを言われた人間が、言った相手に向かって怒りを示すべく言い返すときの言葉だよ。確か飲み屋かどこかで、阪神は身売りするしかないと言った客に、聞きとがめたある阪神のOBが「何だと? もう一度言ってみろ!」と怒鳴ったようなものじゃないか・・・いつか週刊誌に出ていたけどさあ」

 「確かにね。でも今回ばかりは、聞いてみたくなったの」

 「昔はともかく、今の彼は弱者ってわけでもないだろう」

 私は、思うところを太郎君に述べた。


 確かに今は、そうかもしれないわね。

 でも、高部さんは当時のZ少年にとって、目の前に立ちはだかる圧倒的な強者だったのよ。だってそうでしょ、彼女は職員として、いうなら親代わりとして、彼の「生活」の場にいて上から目線で見て、ああだこうだ「指示」を出す。

 彼女の背後には養護施設があって、さらなる背後には岡山県があり、国がある。

 大げさな表現かもしれないけど、Z少年にとって高部保母は、権力の末端にいて彼の生殺与奪権を握っている存在だったってことにならないかしら?

 でもよつ葉園を彼女が退職した時点で、彼女はZ君にとってタダの人になった。

 Z君は、養護施設から大検を経てO大に現役合格。かくして彼は、まさかの大学進学者となって、昼間印刷会社で働きながら大学を卒業したのよね。

 そのあとは、岡山県を出て兵庫県で学習塾業界に入って、それなりの立場を築いて、馬鹿にされないだけの人生を送っている。

 

 養護施設で暮らす高校生児童Z君に対して言えたことを、高部元保母は今のZ氏に、果たして言えるか? 

 そこが、この二人の関係の重要なポイントじゃない?


 ここまで述べた後、私たちはしばらく黙っていた。

 沈黙を破ったのは、太郎君だった。

 「たまきちゃん、自分の弟がそんな目に遭っていたとしたら・・・」

 「もし、あのせいちゃんが同じ目に遭っていたとしたら、もっときつく言っていたかもしれないわね。え? ちょっと待ってよ、太郎君! あんな偏執狂鉄道マニアの小生意気な弟なんかいないわよ!」

 「弟みたいなものとしか、見えませんけどねぇ(苦笑)」

 「あんな弟はおりません。彼もこんな姉はいないと、否定していますから・・・。そんなことはいいけど、ZさんにGホテルでお会いしたとき、私にものすごく激しく怒ったことがあったでしょ。あの激しさはどこから来ているのか、随分考えてみたの。彼は、この社会で生き抜くための基盤を整えなければいけないことがわかって、まずは学歴を確実に確保することから始めなければならないという結論を出し、自ら道を切り開いてきたわけじゃない。そこにはねぇ、あれはダメとかこうあるべきとか、そういうタブーは、合法である限り一切なかったってことなのよ」


 「Z氏にとって、高部友子という元保母の存在は・・・」


 太郎君が私に尋ねるともなく、ぼそっと漏らした。

 私たちの会話は、そこからしばらく途切れてしまった。

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