不条理
3-1
翌日の俺は出勤日以外では有り得ない薄明るくなった夜明け前の時間に目が覚める。
のどの渇きを覚えてスエットを履き自販機へ向かおうと玄関を開けて一歩足を踏み出した途端に建物に面した道路を刺繡の刻まれた黒い服装の人影が過ぎ去った。
(チッ)
既に奴等の包囲網は狭まっていた。咄嗟に扉を閉じて鍵をかけ息をひそめる。
(俺の家捜しを早朝からしてきやがった。いや、きっと奴等にしてみれば徹夜で今に至ってるんだろう。よくもまぁ会社の住所まで調べ上げたもんだ)
慌てて部屋の隅に走り寄り、置いてあったこんな日の為に段取りしてあった布製のコルセットを装着する。
その上にもう一つ重ねて巻き、マジックテープ式のソックスバンドを数セット使用して繋ぎ、上下二箇所分の帯を作ってコルセットを固め、更に上からガムテープを巻き付ける。その位置は腰ではなく肋骨を守る高さだ。
(一昨日コイツをを仕入れておいて良かった。
まだ試したことは無いが、これならみぞおちも含めてダメージを軽減出来る筈。
そう踏んでの簡易防具だ。
奴等共は集団暴行の最中、その行為に酔いしれてきっと気付かない、違和感に。
打撃が当たった際に相手が防具を仕込んでるなんて。
そして俺は祈る。多少でも効果があってくれと。
だが、ある意味ではツイていた。
このアパートの住人が先に気付いたら厄介なコトになるのは目に見えていた。
いや、騒がれた方が身の危険は回避できたか)
厚手のTシャツの上に季節外れのトレーナーを着て懐周りの違和感を誤魔化し、ワタリの太いジーパンに着替えて時を過ごす。
(このままやり過ごすのも一手だが、この先延ばしで奴等のいつまで続くか判らない追跡に怯える日々を送らなきゃいけなくなるのは面倒くせぇ。
何か案は無ぇかな……
そのまま路上で暴れたとして警察にパクられても馬鹿らしいし……
奴等の言いなりで攫われてもフクロにされるのは火を見るよりも明らかだし……
よし、アレに賭けるか……)
安全靴を履いた俺は時計を見つめ、ある時間が過ぎるまで待ち、その時が経過した五分後に一つ息を吐き腹を括って部屋を出た。
「おい」
ある範囲まで声を掛けるのを待って後をつけていた俺の呼び止めにI町の族共が振り向く。
人数は五人。
背丈こそ違うがパンチパーマの特攻服が二人、片方は金のメッシュが右にだけ入っていて、もう片方は明らかに中学卒業したての幼い顔。
一番図体がデカいのは黒のボンタンジャージに角刈り野郎で、残りは茶色のスラックスにしゃくれ顔。刈り上げたリーゼントパンチの森山智志以外知らないメンツだ。
「どこに居やがった、この野郎」
森山がそう言いながら駆け寄り、人の胸ぐらを掴み顔面を近付けてくる。
これに取り巻きも走り寄って来て一気に囲まれた。
「おい待て、こんな所じゃ人目に付きすぎる」
現に特攻服集団に一人が因縁をつけられている構図に行きかう人々が立ち止まらずともこちらを気にしていた。
「近くにウチの資材置き場があっから、そこでやろうぜ」
虚勢に僅かながらの自信を含ませ凄んで見せる。
場所を指定したのはある作戦があったからだ。
既に皆は現場に向かったからこの近辺にはいない。ソレを図る為に部屋を出る時間を遅らせたのだ。
「おめぇ、
しゃくれの一言で森山が掴んだ胸ぐらに力を込めた。
「他の誰かがいたらお前らが近寄らなけりゃいいだろうが」
語尾を巻き舌にした俺が更に寄った相手共のツラに視線を突き刺す。
(あそこで何だかんだ引き延ばせば早起きのあの人が置き場の片付けに訪れる筈)
これが作戦だ。
シノさんが当分は現場に出られない日のお決まりで資材置き場の整理だってあの晩に言っていた。
「ここまで来られちゃコッチはお手上げなんだよ。かといって多少の抵抗はするかも知んねぇけどな」
この挑発に怒り心頭の森山は、
「上等だよ、案内しろや」と手を乱暴に振り解いてこちらの提案を呑み込んだ。
(会社の敷地内でガキ共が暴れていれば止めに入るなり、他の社員を呼びに行ったりして事態を収拾してくれるに決まっている)
「ついて来い」
一瞬だけ首を横に振って歩き出した俺の策略を知ってか知らずか族共は興奮を抑えきれない様子で俺の後を追って来た。
今にも襲い掛かってきそうな輩を連れて資材置き場に着くと、鍵の数字を合わせチェーンを外して両開きのパネル付キャスターゲートを引き、時間調整の甲斐あって仕事に出払い空になった駐車場に奴等を誘い込んだ。
次回建て込む型枠を積んだユニック車が置かれている砂利敷きで十数m四方程度のスペースへ全員が立ち入ったのを確認した俺は、
「どうせなら邪魔されない様に入口閉めておけや」と顎で指図する。
これに森山が仲間へ振り向き、ソレを察知した幼顔と角刈りがゲートを戻した。
改めて奴等と対峙する。見える限りに武器を所持している様子はない。
(ただでさえ目立つ集団がバットや木刀を握っていたらソッコーおまわりに呼び止められる事は百も承知だったろう。ま、メリケンサック位は忍ばせてると思うが)
俺はポケットに手を突っ込みながらも細心の注意を払って時間稼ぎの質問をする。
「この会社の住所はどうやって調べた?」
これに答えたのはしゃくれだった。
「おめぇん所のハイエースに書いてあんだろ。康平から聞いた会社の住所で必死に探したぜ」
そうか、車体の側面に住所のみならず電話番号までご丁寧に入ってるんだった。
この流れで更なる引き延ばし工作を図る。
「誰だ、ソイツは」
これに威勢よく突っかかってきたのは森山だった。
「おめぇ等が中坊の時に家まで乗り込んでフクロにした山井康平だよッ」
だろうな、知ってたよ。名前は忘れていたが。
次にふと浮かんだ疑問を俺等のやり取りが始まってからメッシュがずっと敷地内をフラフラしているのを気にしながら投げかける。
「愚麗嬢の女はどうした」
「玲子か?てめぇと仲良しの。何時だったかN町まで探しに行ったっけな」
森山の返答でやっぱりあの日にアイツが拉致られていた事が確定した。
「それでどうしたんだ」
尚も問いかけると、森山が「どうなったかは、なぁ」と振り返り、これにしゃくれと幼顔が気味の悪い笑いを浮かべ、角刈りが俺を挑発する様に舌を出した。
(あの教習所に自分を知るこいつらの仲間が居たのか、それともレイコが自ら俺の事を喋ったのか……どちらにしろアイツが何かされたみたいだ)
「どうすんだ、コラッ」
リーダーの一言で残りの三人が仕掛ける頃合いを見計らった。
奴等の中でケンカの実力がどの程度のあるのかを知っているのは森山だけ。
この状況で仲間が現れ大乱闘……は残念だが起こらない。
俺には背負う地元も守ってくれる仲間もいねぇからだ。
いつかのヤクザに絡まれた時の様に当たったフリなどしていられない。
今は全力で防御に徹する事に専念してやり過ごすしかない。
初めに動いたのは角刈りだった。
ダッシュで突っ込んできた奴の右腕からストレートが飛んでくる。
ガードで上げた左腕にそれが当たったのと同時に幼顔の前蹴りが腹に刺さった。
が、それは軽く、自身の体勢は崩れなかったが、次の森山が放った右前方から来たパンチを右側頭部に喰らい上体が少しよれ、いつかのタイマンが頭を過る。
その瞬間に角刈りのアッパーが頭部を掠め、残りの誰かのケリが右横っ腹に入り、
これに二歩斜めに後退って踏ん張った。
が、しゃくれの追い打ちの蹴りを太ももに受け又下がらされ、すかさず放たれた幼顔のパンチをいなし右肩辺りを
その腕を掴もうと左手を出したが森山に左奥襟を握られ左フックを喰らい、もう一度飛んでくる間に振り解いて難を逃れた。
すぐさま死角から誰かのつま先が肋骨に入り、苦しみながら咄嗟に見上げた角刈りとの身長差が明暗を分けた。
上部から左こめかみにヒットし体をくの字に折られ、その隙に誰かの意識が飛ぶ寸前の一撃を顎に喰らった。
それからは掴まれ引きずられながら四方八方から体中に攻撃を浴びせられ、全身至る所に誰からの何を何処に喰らったのか、自分が何方を向いているのかも判別出来なくなる。
その最中に反撃するひと時の間など無く、腹部付近に飛んで来た蹴りを掴み苦し紛れに上方へ勢いよく引き、その足の持ち主が倒れ、それが幼顔だったのが唯一の細やかな抵抗だった。
次第に痛む箇所が増え、時には呼吸が困難になる。
意識が飛ぶ一打を受けぬよう、恐怖の中瞼を閉じる訳にはいかない。
地面に倒れたら最後、致命的なとどめを刺される。
刻一刻と力が入らなくなる両足の神経を途切れさせてはいけない。
口内に鉄の味が広がり、鼻腔は血液で遮断される。
奴等はこのシチュエーションに慣れているらしく、襲い掛かる威力を増すために無駄な奇声を発する事はせず渾身の一発を絶えず繰り出していた。
やがて足は砂利に上滑り、視界は焦点が合わなくなり、息が詰まり意識が薄れる。
(今日に限ってシノさんの出勤が遅いぜ……いつもならもう来ててもおかしくない時間なのに……)
多勢に無勢。数的不利で敵う筈もない勝負に策を講じて挑んだが、思惑通りに事は進まず策に溺れる。
集団暴行の餌食となった俺の四肢は言う事を聞かず、躯幹には異常な熱を帯び、精魂尽き果て、脳が途絶し、腰が砕け、跪く間もなく砂利敷きの上へ横向きに倒れ込んだ。
それを待ち侘びていたかの様な無数の蹴りが奴等の爪先、足の甲、踵から俺の体の至る所に降りかかり、それは時に鋭利に、時には鈍く肉質部、骨、精神に突き刺さる。
呼吸は不規則にしか出来ず、瞼は閉じるしか無く何物も捉えられない。
それでも頭部への打撃は回避する為に両腕で抱え込み、両足で腹部を守る体勢は崩せず、自分を囲んだ前後左右から無防備な箇所を狙った袋叩きを喰らい続ける。
それはどれ程の蹴りを受けているのか数え様がない永遠にも似た辛く長い時。
そして恐怖との戦いを強いられた上に生命の危機を耐え抜くかのような時間。
因果応報。
いつかのアイツもこんな苦しみを味わったのか……
意識を失いかける狭間で奴等の誰かが自身の何処かを壊してくる。
自分の呻き声の隙間に連中の誰ぞが俺の自我を潰してくる。
泣きつき許しを請うた方がマシだ。
続けられる終わりの見えない暴行に怖じ気づいて観念する言葉を上げかけた。
が、そのタイミングに幾人かが息を切らせ始めたのが耳に届いた。
それを境に一発一発の間隔が開き一人また一人と離脱していく。
次第に止んでいく攻撃を察した俺は胎児の様な格好のまま最低限の防御はし続け、されるがままの硬直から体の緊張を緩やかに解いていき事の終焉を待つ。
最後の一撃はしゃくれに頭部を踏みつけられ、下敷きにしていた前腕に小石が数個食い込んだ痛みに顔が歪んだ。
荒い呼吸が周囲から聞こえる中、「座れよ、こら」と幼顔に襟首を掴まれ引き上げられ、これに合わせて自力で起こそうと試みてはみたがそれは儘ならず、痺れを伴う筋肉全部は一切いう事を聞かない。
「おら、座れよ」
又促された二度目の引っ張りに身を任せる。
多数に屈して気力を無くし疲弊した自分にはその反動に乗っかってやっと浮き上がった上半身を左腕を突いて辛うじて止め、首をうな垂れ、肩を落とし、背中を丸め、両足を投げ出してその場に坐する事が精一杯だった。
瞼を腫らして視界がほぼ奪われている目前に森山がしゃがみ込み、前髪を握られ面と向かわされると、薄らにやけた顔を拝まされ、負けを認めたに等しい半死半生の人間に対して更に追い込みをかけてきた。
「土下座しろ」
個人の欲を満たす為、個人の発散の為に無様な姿を強いられる。
晒し者にされ、人間の尊厳が損なわれる。
これが敗北だ。
「もう十分だろ」
自分のモノかどうか判らない唇を辛うじて動かしたが、か細い声にしかならない。
「いいからやれや」
角刈りが吠えた。
「ほら、正座しろ」
しゃくれが肩口を小突く。
臨戦態勢が解かれていた自分の視界にメッシュが握った銀色に光る物体が高速で迫って来ていた。
(ハンマー……)
無防備の俺はあらん限りの力で振り抜いたソレを庇う間もなく左顔面にもろに喰らい、眼下に衝撃と痛みが瞬時に走る。
(いつの間に探し当てていやがった。終始姿が見えないと思っていたが、コレを狙ってやがったか……)
「何してんだお前らッ」
怒鳴り声の後耳元で金物が砂利に跳ねる音がし、奴等は蜘蛛の子を散らすかの如く一目散に逃げ去って行く。
その一言に安堵し、入口の方向に顔を向けた俺は何時しか地面に倒れ込んでいた。
(資材置き場に誘い込んだのが仇になったか)
シノさんが近付きながら何かを叫んでいたが、それを自分の耳が捉えているのかどうかも疑わしいまま意識が薄れていった。
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