誤選択

9-1


 「まぁ座って下さいよ」

飯野光将こうしょうが柴原政晴に促す。

ここは的屋事務所の洋室、応接間。

「何故こいつが」

例の一件で呼び出された黒豹柄のドレスシャツを纏ったヤクザの幹部がドアから一歩踏み入れてから俺を指差す。

「関係者としてお越し頂いた重要な人物なんだよ」

長がグレーの作務衣姿で右隣に腰掛けていた松と鶴があしらわれた開襟半袖シャツの自分にサムズアップの親指を向けた。

「今夜は支払いについて、という話でしたよね」

柴原が何時ぞやに遠回しで偵察兵として俺が任命された日に身を預けたソファーに腰を落とし、黒で艶無しクロコ柄のセカンドバッグを足元に置く。

「あぁ、振り込みが遅れてすまなかったな」

上座のおやっさんが短い前髪が立つ総白髪の頭を撫でる。

「で、ご用意して貰えたんですね」

ブルボーズレッグのテーブルを挟んだ向かいの側頭部を刈り上げた細身の男が股を大きく開いて両膝に左右の肘を乗せた。

「それなんだが、先ずは色々と聞いておきたい事がありましてな」

家主が声質を低音域に変える。

「柴原さん、あの晩に殺されたのは誰ですか」

この問いを受けたヤクザ幹部の切り返しは早かった。

「は?ウチのもんで柳田って……」

的屋の長が待ったと言わんばかりに掌をかざし途中で遮り、右の鼻翼と口角を上げる。


「仕入れた情報と違ってますな」


するとヤクザの幹部が怪訝な表情に変化し、

「その出処は信憑性が有って鵜呑みに出来る相手ですか」と顎を引いて上目遣いになった。

「ですから、それを確かめる為にこいつが居るんです」

このおやっさんの説明に豹柄シャツの背中が黒革へと凭れかかり、一拍を置いてから嘲笑い、顎で俺を示す。

「このガキを信じたと」

そう言った柴原に否定の笑みを浮かべる家主。

「いや半信半疑ですよ。だからこの場で貴方にも判断して頂きたい」

きっとこれは本心なのだろう。

自分の掴んだモノは盤石とは断言し辛く脆さを孕んでいる。

「私は一向に構いませんが」

左右の脇を広げて仰け反ったヤクザの幹部は相手の意見に反論や反発がある様を見せなかった。

「そうですか、じゃあ始めてくれ」

この飯野光将の合図で俺は両腕を太腿に軽く預けて前傾姿勢になる。

「はい。これからお話する内容は昨日の午前中に遡ります」



 前日 AM9時過ぎ ガソリンスタンド


(どうせまた追尾してくるつもりなんだろうな)

あとをつけられているのを認識した俺は当初の予定を余儀なく変更せざるを得なくなり、車を人里離れた方角へと進路を取る。


(この場面をどう切り抜けようか)


A往還から県道127号を右折してオレンジの中央線が延びる道を南下する。

このルートは以前にゴルフ場のクラブハウスを拡張する工事で通った事があり、朧気おぼろげながらだが周辺の景色に民家が疎らだったのを思い出し、速度超過をしても交通事故の危険やネズミ捕りの餌食になる確率が低いと踏んでチョイスした。


(千切るには車体性能が違い過ぎるし、交通違反を犯さなければ無理だ)


心情とは裏腹にメーターの針がアスファルトに塗装されている数字より上へと振れていく中を右に左に曲りくねりを繰り返して進む。

ルームミラーに見え隠れする後続車はやはり黒のチェイサー。


(偶然で追われている筈は無い。俺は朝から監視されていたんだな)


道路が直線になり、水辺が少なく大半が雑草の緑に侵食された一級河川に架かる橋を渡ると穏やかな坂になりうねりが再開する。


(ならば、こちらから攻めて状況をひっくり返すか)


U村に変わって最初の信号を左折して数十メートルで左を差す供養塔への案内板が立つ細い道に曲がり、一分半で鳥居を視界に入れた俺は、平安時代末期の武将が眠るという墓所の中に完備されていた無料駐車場に速度を落として尾行する車に認識させてから進入した。


敷地内でブルーバードを最速で一周させ、入口を出口にする。

徐々に姿を露わにした車の運転席に居たのは植田。


道路に停車した車内の相手と互いの視線が交わって数秒後、観念したかのような面持ちになったツーブリッチのメタルフレームがリームレスのスクエア眼鏡をかけた男がチェイサーを少しバックさせ、ステアリングを切りながら前進して駐車場にフロントを差し込んで来る。

こちらが車を後進させてトラロープで区切られたスペースに収めると、黒の国産車はその右隣に頭から突っ込んで運転席同士を並べ、双方ほぼ同タイミングで窓を降ろした。

「よぅ、覚えてるか」

「えぇ植田さんですよね」

「おっと、名乗った覚えは無かったけど」

川辺と飲んだ晩に妙な胸騒ぎが走っていた。

聞き出したのはこの名の男だが、奴から身体特徴等を教わっている間に自分が以前すれ違っていたのを思い出し、あの邸宅でも眼鏡をしていた彰浩あきひろと呼ばれていた人物と合致していなかったからだ。

「それよりも俺のケツに引っ付いて何がしたいんですかね」

「まぁそう目くじら立てんなよ」

硬めのポマードでスタイリングされたベリーショートでスキンフェードのオールバックがいたずらに笑う。

「では、ご用件は」

「お前に旨い話をしたくてな」

暴力団員から持ち掛けられるモノなんて碌なもんじゃない。

「素直に耳を貸すとでも」

「いや、そうなるのは分かるが聞いた方がいいぞ」

下げたウインドウに片腕を乗せていた植田の発言には自信が溢れていた。

逡巡しゅんじゅんを数秒かけて済ませ交渉に出る。

「ならば、概要だけでも教えてもらいましょうか」

「今お前が被っている火の粉を他人が振り払ってくれる」

そんな都合のいい話が尾行されていたチェイサーに積まれて運ばれて来る、なんて事があるのだろうか。

しかしながら危険を避けていては望みを手に入れる道が切りひらけない。

「興味がありますがその先へ進む前に質問があります。その答え如何ですね」

この取引にスクエア眼鏡が目尻をほころばせた。


「やっぱり面白い奴だな、ヤクザと対等に渡ろうとするなんて。OKだ」

「じゃあお尋ねしますが、や……」

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