5-4
(……今は何時だ? あぁ、もう日付が変わってそんなに過ぎてたのか……)
(……今日何曜日だ? 昨日何してたっけ……)
(……今日は何日だ? そうか、もうこうして三度目の朝か……)
俺はこの三日間部屋に籠っていた。
思慮も、落胆も、憤慨も、考察も、楽観も放棄して。
無能な身を無気力に無駄な時間を費やして。
ただ、唯一しなくてはいけない事が残されていた。
寧ろ、その行為に踏ん切りをつけるのに時を要していたのかも知れない。
今日こそはアイツの前に行こう。
地図を頼りに原チャリで訪れたO町郊外の高台に造成された全区画がひな壇式の公営墓地で羽織ったネイビー色のパーカーを脱ぐと、バーバリー柄風のTシャツがそよぎ澄み切った空気が吹き抜ける。
それとは裏腹に重苦しさが充満していた心中のまま記された場所へと足を踏み入れて進めるが、歩幅と速度が普段と異なっているのが明白だった。
丁寧に書かれた内容のおかげで迷う事無く辿り着いた一画で、境石に囲まれた白系の石目が少し粗い和型の継承墓に楷書体で彫られた文字を目の当たりにして胸が締め付けられる。
なのにどうしてなのか、感情が言い表せない。
謝るべきなのか、悲しむべきなのか。
こうなった原因に対して怒りを再燃させるのも違う気がするし、苦悩から解放されたのだから安らかに眠ってくれと願うのも違うのだろう。
故人を供養する礼儀作法を知らない俺は霊前に記憶にあった物を手向ける事しか思いつかず、淡黄色のカーゴパンツからバージニアスリムを取り出し火を点け、一度吸い込んだ煙草を角香炉にそっと置き、両掌を合わせ目を
何を唱えるでもなくそのまま時を過ごし、ゆっくり瞼を開け両腕を下ろした先の台石には、溢れんばかりに沢山の品々が華やかに並べられていた。
その
意識が混濁している状態で眺めていたその中には既に封が切られた真新しい煙草の箱が置かれていて、その上には過去に見覚えのあるシルバーで薄い型のジバンシーが乗っていた。
瞬時に疑問が生じる。
(おかしい)
咄嗟に不可解の元を探る。
(二日前の朝方が雨上がりだったと記憶している)
この現象には同一性が失われている。
(この地域には降らなかったのだろうか)
数多く置かれた供え物を注視して仮説が覆される。
(同じくここも雨だった。だとしたら、このライターが供えられたのは……)
夜を待ってあの日の居酒屋で『いつか飲みにおいで』と渡された名刺から住所を辿って美香さんがチーママとして勤めるスナックに歩み寄ると、青山学院大学の学生らで結成されたバンドが歌うバラエティ番組の主題歌で盛り上がるカラオケが漏れ聞こえる。
「いらっしゃいませぇ」
扉を開いたのと同時にカウンター内から真っ先に振り向いた室内で一番めかし込んだママらしき女性の声に軽く会釈をして入店すると、二つ設けられたボックス席の奥側に三十代と思しきトリオが陣取っていて、その中の一人が決して上手くはない歌声を披露していた。
「あれ?来てくれたんだ」
ロングソバージュの髪を水商売仕様にセットした青いボディコンスーツの肩越しに厨房が見えるレジ横でカウンターを挟んで接客中だった美香さんは少し驚いた様子でこちらに気付き、
「ママお願い」
と立ち位置を入れ替え、入口に最も近い席にコースターを置き「座って」と促す。
「失礼します」
かしこまって腰掛けたすぐさまに「何飲む?」と微笑まれたので「じゃ、ビールで」と告げる。
「了解しました」と言って場所を離れたチーママは、確かに店内を見渡すと貫禄がソレに値していた。
成人に満たない人物がこうしていても何ら咎められないって事は、客も含めごく普通な出来事なのだろう。
「はい、おまたせ」
茶褐色の瓶を携えて戻って来たホステスさんの手には、しっかりとグラスが二コ用意されていた。
注がれるビールに器を押さえて対応し、相手の分が注ぎ終わるのを待ってカンパイを交わす。
「今日はどうしたの?」
「昼間墓参りに行ってきました」
コレを聞いたチーママはグラスに口を付けたまま目を細め、コレを発した俺は器の中身を一気に飲み干した。
「で、寄ってくれたんだ」
「はい」
(実は元々予定にはなかったんですが)
ここで本来の目的を切り出す。
「あの、美香さ……」
「ちょっとぉ」
急に遮った先パイが胸元の『あきな』と書かれた名札を爪で突く。
「あ、スイマセン。あきなさんに聞きたいことがあって」
「何?」
言い直したことで今度は前向きに受け付けてくれた。
「墓前に置かれていたライターなんですけど」
「あ、アレ。一昨日の夕方前には置かれていたよ」
話が早い。
「玲子が前から欲しがっていたけど、買ったとは聞いてなかったわね。剛さんがプレゼントしてくれたんじゃないのかな」
この人はまだあの事を知らないのだろう。
「欲しがっていたのを知っている人って誰かいますか?」
「うーん、、、分かんないなぁ。ほら、あの子おしゃべり好きだったでしょ」
だとしたら、あの場に居た鬼畜龍関係の奴等が心苦しくなってレイコの所へ出向いて行った可能性が残る。
それ以外は……
「どうして気になったの?」
「いや、俺も欲しかったもんで」
誤魔化してはみたが不自然ではなかったかが気になる。
それとなく美香さんの顔色に変化が無いか確かめたが平気そうだ。
しかし、このまま酒を飲みながら長居をするとレイコやタケさんに絡む真実が零れ出てしまう危険が付き纏う。
それと、どうにも納得しにくい問題が引っ掛かって落ち着かない。
「挨拶だけに来たのでこれで帰ります」
明らかに無礼な振る舞いをしてでも席を立ちたかった。
「もう行くの?」
「スイマセン、お幾らですか」
「いいわよ、私のおごりで」
こんな礼儀知らずな態度の後輩に優しい言葉をくれた美香さんに申し訳なさが押し寄せたが、知られてはいけない事情を抱えてるからにはこれが得策だった。
「ご馳走様でした」
俺はせめてものお辞儀を深々とし、椅子から離れ扉に向かう背後から聞こえてきた
「またおいでね」を投げかけられる許容の広い女性に再度頭を下げ店を後にした。
ライターが供えられた日時は特定された。
だが、それをした人物は誰だ。
わざわざ墓の前まで置きに来た行動には何の意味が隠されているんだ。
和泉組側の人間。
それはないだろう。
レイコが眠っている場所を知っていたとは思えないし、そもそも理由の結びつきが紐解けない。
鬼畜龍側の中はどうだ。
考えられるのは一方的に想いを馳せていた奴か。
もしそうだとしたら、そいつに接触して事実を警察に吐かせる。
これなら久賀が助かるかもしれない。
けれどそんなに上手く事が運ぶだろうか。
現時点ではあくまでも俺の憶測に過ぎない。
然も証言をさせようとしている相手が敵対する集団の一人で敵に回すのがヤクザ。
族の奴が口を割るとは限らないし、柳田が認めるのを組に阻止されるのがオチ。
証拠の有無、証言の信憑性、経緯の裏付け、身の安全。
どれも確証や保証が担保されない。
これらを俺一人でやれるのか。
この先、自分は何を選択し、何を捨てなくてはいけないのか。
情報収集の為に訪れた店の看板が煌々と照らす道端で、打開策を模索し陥った思考の蟻地獄から抜け出す術を見出すために藻搔く。
「ねぇ」
突然の呼びかけに驚く。
ミスった。速やかにこの場から離れるべきだった。
その声の持ち主が美香さんなのは直ぐに判別出来たのだが、現れたのがスナックの扉からではなかった。
「隠してること無い?」
推測するに裏口から姿を見せた先輩の直感に反応が鈍る。
「剛さんと繋がらないんだけど」
しくじった。ここに来るべきではなかった。
だが要らぬ詮索をさせる切っ掛けを与えてしまった事を悔やんでる時間は無い。
「実は俺も心配になって来たんです」
この取り繕いは通じるのか。
「そうだったの」
知られてはいけない、俺の嘘は。
「だったら、ここ行って来て」
そう言って渡されたのはこの店〈ムーンライト〉に宛てられた年賀状だった。
「行って確認の連絡ちょうだい」
受け取った葉書の左半面には小島剛の名と住所が印刷されている。
「ほら、早く行って」
原チャリの方向に引っ張られた袖には相当な力が込められていた。
この強引さの量こそがこの人の
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