蓋然率

2-1


 ある時期からまともに授業をこなした事が無く、今後やって来るであろう苦痛に怯えた教習所デビューを終えて後日の学科予約を受付で申請していると、背骨を何かでツンツンと突かれた。

訝しげに振り向いた先には、卒業した中学校で隣の席だった大崎美奈子が後ろ手で微笑みながら立っていて、久しぶりの再会に戸惑ってしまった俺は、瞬きを繰り返すだけで挨拶も出来ずに少しの間が空く。

これを感知した同級生は、

「気付かなかったの?同じ教室に居たじゃん」

と、ケツに平手打ちをかましてきた。

『同じ教室に居た』の言葉に、中学時代の事なのか、さっきまで受けてた授業の事なのか迷ってしまったが、次に女が発した

「私、さっき廊下側の前の方に座ってたんだよ」

でコイツも今日が初日であの室内にいたのだと疑問が解けた。

俺より七~八㎝低い背丈の大崎は、世間の流行に逆らわないとさかを形成した髪型をしているが、ベージュ色を基調とした清楚寄りの服装を身に纏っている。


(ン?大崎は高校に進学した筈。在学中に車の免許取得に来てるってことは……

 相当緩いとこに通ってるのか、頭良すぎて単位の取りこぼしが気にならないのか、のどっちか……いや、夏休みか。

 しかし、よくもまぁ現場仕事の出で立ちと大して変わらない格好のヤンキーに臆することなく喋りかけて来れやがったなぁ……恐るべし幼馴染み……)


受付嬢(いや、オバサンか)に「では、明日の14時に」と予約が済んだ旨を告げられ、二人でその場から数メートル離れると、正式な立ち話となった。

「卒業以来だね、今は何をしているの?」

「ヘルメットかぶって現場で働いてる」

「ふぅん、大変そうだね。で、どこに住んでるの?」

「D市のアパート」

「えぇ~、ここまで結構あるでしょ」

「原チャリあっから(免許はねぇけど)」

「そうなんだぁ。一人暮らし?」

「あぁ、けど寮だから」

「そっか。なら、食事の心配ないね」

「いや、居ねぇよ」

「え?」

「寮母さん的な人はいねぇ」

「そう、じゃあごはんはどうしてるの?」

「自炊したりするけど、コンビニ弁当がほとんど」

「え?それで栄養取れてる?」

「ダイジョブじゃね?今こうして生きてるし」

「そっか、そっかぁ」

客商売のバイトを経験したからか、過去の知り合いに会って懐かしかったからなのか、この場の俺は結構饒舌だった。

その間のコイツは、終始ニコニコ顔で会話を楽しんでいる様に見える。

「あ、今思い出したんだけど……」

ここで急に大崎が小声になった。

「うちのクラスで生徒会長だった久賀信宏くん、ヤクザ屋さんになったんだって」

は?ヤクザ?あいつが?

奴に対して大した印象は残ってないが、明らかに俺らの世界とかけ離れていた場所に居たヤツだ。

何処でどう間違えてあいつが任侠の世界の門を叩いたのかが想像できない……

「私も初めて聞いたとき、ビィッックリしたわよ。去年のお正月に久賀くんから年賀状が届いて、そこに改造したバイクが載ってたから『あれ?』とは感じたんだけどまさか……ねぇ」

確かに、びっくり度合いは凄まじいが、よくよく考えたら自分にとっては取るに足らない情報だった。

「それとね、バレー部だったふ……」

「空いたぞ」

近況報告をさせられ、昔の同級生の今を聞かされた俺が、更に長引きそうだった話の前からチラ見していた受付カウンターに首を振ると、それに気付いた大崎が、

「あ、ホントだ」と反応し「じゃ、またね」と笑顔を絶やさぬまま離れていった。


 それを見届ける事もなく、家路に向かう為に安堵と物足りなさが混じったまま誰とは分からぬ数名の視線を感じつつソレを横目に見ながら出口に歩き、建物から出た途端に喫煙欲が押し寄せて来た。

普段ならその場で煙草に火を点けるのだが、この自動車“学校”の前では気が引ける。

せめて少しでも離れた場所で吸おうとバイク置場に急いだ俺の視界に、これまた前髪に気合を入れた人物が入って来た。

こちらに気付いて「うぃ~~っす」と片手を上げ、軽くおどけながら歩み寄って来た女は、何時ぞやのレディース。

こいつは真横に立ち止まって「やっと来たじゃん」と俺の肩甲骨を一発叩いた。

「今からタバコやりに行こうと思ってたんだ。付き合ってよ」

「あ?……いいけど」

喫煙所を二度ほど指差した手を下ろした女のこちらに有無を言わさない仕業に流され、廃バスに連れていかれる事になった俺は、

(辿り着くまでに、前を歩くこの女の名前、思い出さねぇと……)

と、後をついて行き、その道中で記憶の呼び戻し作業に没頭した。


 俺達は車内に乗り込み最後尾の座席に並んで座ると、煙草を一服するまでの動作をほぼ同じタイミングでこなし、目前の空気中でお互いの煙が絡み合っていくのを暫く眺めていた。

「今日はもう終わり?」

女の質問に俺は二口目を吐き出し「あぁ」と答えた。

「ところで、あたしは誰?」

「梅屋」

「下は?」

「玲子」

「正解」

危なかった。

ここに座る直前に、この景色が思い出させてくれていた。

「あたし、もうすぐ仮免なんだよ」

「マジメに来てんだな」

「うちのおっ母が『教習所にはちゃんと通え』ってうるさくてさ。おかげで順調に進んでいるよ」


この女からは言い回しや振る舞いから同じ匂いがしない。

いわば日頃は使わない脳の何処かが瞬時に反応を示すとしか説明出来ない感覚。

それが悟れない。逆に育ちの良さが漏れ出てる。

今までの経験上からすると俺界隈での母親の呼び方は、ちゃらけたり可愛く見せようとするオンナは『ママ』、通常は虚勢を張った『ババァ』。

それがこの女はママでもなくババァでもなく『おっかぁ』。

大方、家では『お母さん』と呼んでいるのだろうが、人前では恥ずかしいから敢えてのおっ母。そして、身なりからも“イイとこの子”が感じ取れる。

前回ここで見た時もそうだったが、バカみたいに派手な服をチョイスしていない。

だからと言っちゃぁ何だけど、ファッションがソコソコ地味なフェンディのズッカ柄っぽい上下を好む相手だったから印象に残らず、自分はこいつの名前を憶えてなかったのだろう。

レイコはどんな経緯か分からないが、元々こっちの世界に来なくてもいい人種だ。


「ヤバ、もう行かなくちゃ」

左手首の内側を見ながらそう叫んでバージニアスリムを灰皿で揉み消し立ち上がった女は、傍らに置いてあったビニール製のバックをつかみ取り、「んじゃ」と言い残して走り去っていった。

その姿を見送り、陽が落ちる手前の時刻に廃バス内の座席に一人取り残された俺は、この時、こう思った。

(奴は人を誘っておきながら、とっとと行っちまった。あいつは育ちがイイかも知れないが……自分勝手な傾向がある……明日から付き合いを考えなきゃだな……)


 バイクの元へ着いた俺は、シートにまたがりワインレッドの半キャップを被り、今日の晩飯を何にしようか思案しながらニュージョグを走らせた。

原付免許は持っていないが、ここの教官がいちいち誰がどうやって通っているかなんて調べてる訳ない、とタカを括って素知らぬ顔して無免の原チャリ通学を敢行している。

この愛車は下手にヤンキー共に絡まれたり、警察に捕まったりの危険を回避する為にマフラーに穴をあけてうるさくする事はせず、見た目も極端に弄らず、ヘルメットもキッチリ使用して乗っている。

単車の免許を取得しようとも思ったが、自分好みの族車にして走っていれば、

『うちのチームに入れ』とか、どっかの族と揉めるとか、余計な事に巻き込まれると考え、中坊の頃に夢見た単車を購入するすることも無くここまで来た。


ハンドルをハリケーンセパハンに交換してナポレオンクロス2ミラーを右のみ装着。

BEET製テールカウルに純正アンダーカウルを付け、リアはフェンダーレスにして、

外装はパールホワイトに全塗装してホイールとシートはワインレッドにし、モリワキフォーサイト集合管に交換した〔CBR400F〕を……


……やっぱし欲しかったなぁ~……あれ?何だか涙がちょちょぎれて来た……

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