第二章 未成熟

1-1

 私はあの時こう思った。

自分のせいで犠牲になった二人の元へ逝こうか、と。




 この時期は徐々にバブル崩壊が表面化してくるが後の平成不況はまだ遠く、水面下では失われた10年の足音が忍び寄っていた。


 ここは世間の大半がそんな事など眼中になく、バブル景気の終焉を楽観的に捉える者たちが夜な夜な遊び惚け浮かれている都会の賑わいとは程遠い片田舎。


 暴力団の起源の一つと定義されているという的屋てきやの手伝いで顔見知りの先輩から頼まれて原付で朝七時にJ町の事務所に集合し、R市にある国営の自然公園に車で三十分かけて連れていかれ、入口付近で日曜日に店を出す消え物の焼きそばを売る為に半ば強制で助手をやらされる今後の景気がどうなるかにも興味がない俺は、二tの箱トラックから商売道具を下ろして準備を進めていた。

 的屋とは、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のことで、、縁日の屋台を主に稼ぎとしている集団だ。


「じゃ、段取りしとけよ」

白地に赤文字で[飯野興行]とペイントされたトラックの運転席に座り、全開にした窓に右腕を乗せたリーゼントアイパーの通称〔タケ〕と呼ばれる九コ上の小島剛が何時もの台詞を残して駐車場に向け走り去っていった。

こうなるとアノ人は度々バイトに来ていて手順を覚えていた俺の準備が整い切った頃まで姿を現さない。大方車内で居眠りでもしてるのだろう。


 店開きは間違いなく二人でやった方が捗る、とほぼヤクザなタケさんに言える訳も無く、屋台の組み立てを進めるべく動き出しは先ず角刈りかスポーツ刈りをチョイお洒落にした短い髪の下に黒地でペイズリー柄のバンダナをねじり鉢巻き代わりに絞める。

お次は発電機を回してラジカセを繋ぎ、男女混成バンドの女性ボーカルがギンガムチェックの衣装で彼氏から今まで貰ったモノを羅列する曲を流す。

外国製ビールのロゴがプリントされたエプロンをつけた俺は、三寸売台を開いてコの字に立てて掛け棒を乗せると4尺バーナーが4つ並ぶガス台をセットし、オトシ用ビラ板を被せると4本柱天材一式を括る紐を解き、柱を売台の四隅に立てて天材を組む。

売台に乗り巻き取られたビニール生地製天幕を天材の上に乗せ先端を縛り付け転がし広げ覆い要所を括ると、店先から奥にかけて勾配がついて低くなっている天材に後幕を自分の背後を囲う形でこの字に吊るす。

黒の焼きそば用布のれんを備品が入る収納ケースに乗って軒先に垂らした後は、売台の客側にガラス製の風除けを設けてガス台に鉄板をセット。

10㎏容器のプロパンガスに調整器とヒューズガス栓を付けホースをバンドで止めると乾麺を茹でる寸胴鍋用のコンロとガス台に繋ぎ、売り場の斜め後方に置いたコンロに乗せた寸胴にポリタンクで運んだ水を注いで火を点けて沸かす。

その間に紅ショウガや青のり等の食材をトレーに入れて備品と共に並べ、予備や空になったケースを一つだけ残し売台の下にしまい、まな板をケースに置きキャベツを丸ごと上に乗せてしゃがみ、包丁さえ持てれば誰でもできるブツ切りを開始。

その後二つ目を刻み出した辺りで後ろから肩を叩かれる。

「ご苦労さん」

振り返る俺にタイミングを見計らっていた様に薄茶けた前掛け姿で登場したタケさんは片手に持った缶を二つ差し出した。

「休憩だ。好きな方選べ」

「いただきます」

立ち上がって売り台の傍らに置いてあったタオルで手を拭いた俺は飲み物を選択する権利を得たが、コーヒーが苦手なので迷わずもう一方のサイダーを選んだ。

その筋にしか見えない強面だけども毎回喉を潤す物込みで一服する時間をくれるタケさんが沸騰した寸胴の蓋を開け、そこに乾麺を数玉放り込んだ後にガス台に火を入れ、売台に立てかけてあったパイプ椅子を開き腰掛けるのを見てからケース上のまな板を退かして座り、一休みに入った。


 右足を放り出してポケットに手を突っ込みタバコを取り出し咥え、ライターを構えた所で既に煙草を吸い出していたタケさんが煙を吐きながら話しかけてくる。

「今日で何回目だ」

「七か八ですね」

「楽しいか?」

俺は改めて火を点け直してから答える。

「小遣い貰えますから」

「ウソつけ。寿人が毎度バックレる為にかり出されてるんだろ」

お見通しだった。四コ上の滝沢寿人に連れられた最初の手伝いからその後は二~三週間に一度の代役だったが、最近は毎週押し付けられている。

「アイツはどうしようもないから俺が拾ってやらねぇとなんねぇが、お前はまだ何処

 かで潰しがききそうだからテキヤになるのは辞めとけよ」

これは渡りに船な言葉を貰った。

このままではアノ先輩の代わりで生け贄になりそうだったけど、今度会った時にこの話をそっくりそのまま言ってやれば逃げ出せそうだ。

「まぁアイツが何時腹を括るかは判んねぇけどな」


そこが問題だった。

このバイトは飯付きでそこそこの暇と駄賃が頂けるから悪くはないが、正社員こうせいいんになるとは全く考えていないし、この人の気が変わらない内に滝沢さんをどうにか早急に言い包めないとスカウトの手が自分に伸びて来るかも知れない。


「さて、始めっか」

腕時計に目をやりコーヒーを飲み干して立ち上がったタケさんが椅子を畳んだのを合図に自分も缶ジュースを飲み干して本日の商いが正式に回り出した。


 店長が熱せられた鉄板に油を敷くと具材に火を通し始め、助手はエプロンをつけウンコ座りでブツ切りを再開し、タケさんが調味料を振って炒めた具材に程よく茹で上がった麺を湯切り網で掬い上げて鉄板に投げ出すと大量の水蒸気があがる。

ここ迄になると俺は一旦キャベツから手を放しサポートに回り、ソースを塗し両手のへらで絡める店長の脇に少し間隔を置いて立つ。

ここからの俺は透明な使い捨て食品容器にギリ閉まる容量で詰められたパックが並び始めたのを皮切りにその一つを持ち上げて青のりを振り紅ショウガを乗せ、容器に輪ゴムをかけて割り箸を差し込み、それを運動会でやるピラミッドの様にガラス製の風除けの手前に積む。

疲れるのは朝一の組み立てぐらいの、動き自体が単純で自動車免許をまだ取得できない俺でも通用するこの仕事には旨味はある。

が、これは飯野興行が助手として作業を覚えさせ、その道に引きずり込もうとしている策略なのかもしれない。

しかしながら自分には休憩中に聞いたアノ言葉がある。

今はそれを信じて黙々と与えられた流れ作業を捌いていくしかない。


 今日一発目の調理が終えた頃に開園に伴い入場する人々がチラホラ現れてきた中からこの匂いに引き付けられたのか、両親に連れられ♪三角形の秘密はね~と歌いながら歩いていた子供が立ち止まり、母親の片手を引っ張りながらこちらを指差してきた。

それに答える様に俺が満面の笑みと共に手招きをしてみたが、母親が一瞬こちらに目線を向け子供に耳打ちをした後に子供の両肩を持ち、その体を園の入り口に方向転換させ、父親に至っては一瞥もくれず親子三人は足早に去っていく。

これに関してはもう慣れっこになっていた。そして原因も解っている。

理由は単純明快で、うちの店長タケさんだ。

隣を見ると案の定、口を真一文字に閉じたブスっ面で立っていた。


この人は何故こんな愛想の無さでこの商売を選んだのかが不思議だ……

更には未来永劫この生業で日々の売り上げを捻出し続けていけるのだろうか……


年下ではあるが、この人の行く末を心配になりながら振り返り、ケースの前でウンコ座りにしゃがんで次に何時来るか分からぬ客に備えてキャベツ切りを再開した。

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