無軌道

5-1


 ここは喫煙所。五分後に始まる次の授業に備えた午後三時前。

廃バスの中で一人最後尾に陣取り、隣の座席に置いた箱から抜き取ったラークマイルドを燻らせる。

奴に制裁を加える日までの時間を多少でもミッションの運転技術を向上させようと居酒屋での会話の翌日から教習所に通う事を再開し、尚且つ暇があればちょこちょこブルーバードを乗り回してより一層感覚をすり込む努力も並行していた。

あれから八日。望み通りに事が運んだとしたら数日もしない内に答えが聞けるだろう。

「あ」

唐突に声がした方向を見遣ると、降車ドアから大崎美奈子が半身を覗かせていて、その姿は「居たよ」との声を残して消えた。

明らかに自分を見つけてから体を引っ込めた行動に不思議がっていると、いかにも誰かを誘導しながら再び現れ、車内に乗り込んでからも手招きをして呼び込んだ相手が視界に入る。

連れられて来たのは組の家紋が入った白ジャージ姿の久賀信宏だった。

昔のクラスメイトを伴いながら、はしゃいでいるかの様な振る舞いで寄って来た濃紺のリクルートスーツ風ファッションの大崎は、

「見て見て、ほらヤクザ屋さん」

と言ってお道化たが、目前に立ったこいつの背後からそれとは真逆の面持ちでこちらを眺める眼に何らかの意思を感じた俺は煙草を円柱型灰皿に揉み消し、

「ちょっと外してくれ」と笑顔の女に真顔で促す。

大崎は何時の間にか眉間に皺を刻んでいた前方の人物と、振り向いた先の肝が座った様な佇まいの人間に視線を往復させてから表情を膨れっ面に変化させたが、

「ンー、分かった」とこちらの要望を飲み、久賀が座席に避け譲った通路をつかつかと歩いて行き、極道稼業に身を置いたヤツは暫く背もたれに片腕を乗せ居なくなった女を見送ったまま動かず、それを見る俺は椅子に腰を据えたまま授業開始を告げるチャイムを聞いた。

漸くして動いた久賀がゆっくりとした足取りで近付いて来る間に不穏な空気が辺りを漂い、灰皿を挟んで対峙した時には良からぬ話を聞かされる事は避けられないと直感が働く。

「何しに来た」

気持ち前に重心を移して平静を装いながらも警戒心が勝るトーンで語りかける。

「お前、鬼畜龍とトラブってるだろ」

そんな事を聞きに来たのか。

「あぁ」

「奴等のアジト知ってるか?」

「おぅ」

「もう直ぐあそこは無くなる」

「何で?」

「人が殺されたからな」

は?何だそれ。

あの場所は警察の現場検証やら何やらで閉鎖されるのか。

自分のした事が無駄な努力、骨折り損、徒労に終わった。

「これから自首しに行く」

「は?」

予測もしてない方角から撃たれた言葉に戸惑う。

自己内で消化するのに手間取る。

ったのは俺って事なんだ」

これを聞かされて頭が混乱した。

自分が見上げている男の瞳には一点の曇りが無く取れるが、コイツの発言が事実だとしても何故俺が耳にしなければならないのだろうか。

それと、久賀の台詞に違和感が残る。

「それを打ち明けに来たのか」

やっと切り出せた問いの答えはこうだった。

「死んだのは、小島剛」

くだらない話を持ち出され付き合う気が失せる。

「何だその笑えない冗談は」

呆れてモノが言えないとは正にこの事。

俺は体勢を後ろに投げ出してふんぞり返った。

だが久賀は顔色一つ変えずにジャージの上着を捲り上げ、晒しが巻かれた懐を弄り出す。

「これが証拠だ」

そう言って突き出された黒い塊は拳銃だった。


一言どころか息も吐けない。

未だ腰掛ける素振りを見せない相手に瞬きを忘れたが、まなじりが立っていくのは確実に分かった。

何故?どんな経緯があった?

どうしてコイツがタケさんを?


「訳を聞かせろッ」

自分の内心が慌てふためいているのを抑えきれずに灰皿を蹴飛ばす。

大きな音を立てて左にぶっ倒れたソレに一瞥もせずにこちらを見据える久賀は、凶器を握った腕を下ろしてから少しして深々と頭を下げ「すまない」と呟いた。


謝って済む問題じゃねぇだろっ

俺はその様を黙って受けていたが不意に先程の違和感が過ぎり、併せて生まれた真相を知りたいと欲した質問を投げる。


「お前は何故ソコに行った」

「シャブのばいだ」

そんな世界にまで首を突っ込んでいたのか。

「柳田幸志郎って人がウチに居てよ、そのシノギで定期的な卸しで河合に会う為に廃パチンコ屋に行ったら小島ってのが来る事を知ってな」

柳田。あの眉ナシまでも和泉組に。

「昨日の真夜中……」

「待て、それは何時頃だ」

「日付は変わっていた。正確には今日になる」

ウソだろ。一時間と差のない前に俺はその周辺に居た。

「三度目があると河合から聞かされ、昨日待ち構えていた」

もうこの時点では、どんな詳細でも聞き逃したくない衝動に駆られていた。

「その中にメッシュや角刈りが居たか?」

「メッシュ?あぁ、それが河合健だ」

奴はシャブを喰らっていやがった。きっとあの日も。


それにしても何故俺の為の交渉からタケさんが……

『その際には俺も立ち会って勝った噂も負けたデマも流させない』

あの時の言葉が思い起こされる。


「河合と言えばな、半月ぐらい前にアイツが可愛がってる奴の話になった時に狙ってる女が教習所で仲良さそうに喋っていた男が居たって言っててよ。その話を脇で聞いてたら人相が似てたから多分自分の知っているお前じゃないかって教えたんだ。美奈子からもここで会ったって耳にしてたからな」


そう言う事か。

メッシュの連れが通ってたから情報が漏れたんじゃ無く、コイツの口から俺の名前が出てレイコを狙っていた男がメッシュに情報提供し森山の元に届いた。


「中学の頃に鬼畜龍絡みと揉めていたなんて優等生だった俺が知る由も無かった。

お前の事を話した後にそいつ等から放火にまつわる一部始終を面白可笑しく聞かされた時に失敗したと後悔したよ」


あぁ、お前は大きな過ちを犯した。それは俺に対してじゃ無ぇが。


「それとコレな、スカイヤーズビンガム38口径。コルト社のモノそっくりに作らたフィリピン製のコピー銃」

久賀はそう言って黒い塊をこねくり回した。


コイツは今現在まで饒舌に不要な話をして不安や恐怖を払拭しようとしている。

時折下唇が震えているのがその証拠だ。


「いいから、そんなモン隠せ」

他人の目に留まったら大事になるその様を顎で示して咎めると、ヤクザ崩れは素直に従い懐に納めて話を戻した。

「それでな、『地元の後輩は切り捨てた癖して手伝いの顔見知りの為に交渉を買って出たのか』って吠えた柳田さんが小島剛に昔こっぴどくやられた事があった怨みをこじらせて逆上し、コレで小島を弾いた」

(くそッ)

これがさっきの違和感か。

「だったらテメーは殺ってねぇじゃねぇか」

これに悟ったかのツラで久賀が答えた。

「実際にはそうなるな」

コイツは馬鹿だ。これは頭の中身の事ではない。

「シャブ中が出頭したら他の探られたくない懐にまで警察の手が及ぶ。組のシノギも減って影響が出るから、それを避ける為の身代わりだよ」

手のつけようがないバカだ。

百歩譲ってヤクザとして生きる選択をしたとしても、我がの身を預ける相手を見抜けずに飛び込んだ先見の明の無さが馬鹿としか言いようがない。

だが、気が狂っていたのは柳田。

「何でチャカなんて持っていたんだ」

この疑問を受けた久賀は倒れた灰皿を元に戻し、これからの話が長引くのを体現するかの様に左手の一座席前へ座った。

「和泉組の手駒の族として寝返らせる為だ」

俺は文字通り腰を据えて喋り出した相手から視線を切らずに傍らに置いていた煙草を掴み、その箱を口元に運んで一本噛み咥え引き出し、火を点けた後にライターを脇に放って一つ吸い込む。

そして素人でも考え付く可能性を投げかける。

「何だそりゃ。ケツ持ちヤクザ同士の権力争いって事か」

「そうだ。本気で脅していると知らしめる根拠に持っていたんだよ」

前屈みで肩幅程に開いた膝上に両掌を組んだ姿勢で答えた久賀は、こちらに義理立てしているのかジャージに浮き出ている煙草に触る気配も無く、僅かに動いていた親指を眺めていた。

「I町のケツ持ちが黙ってないだろ」

「それが目的らしい。葉月組と事を構えるつもりなんだとよ。鬼畜龍をまとめて傘下にし吸収して準構成員を増やすのが手始めなんだ。実際人が一人殺された訳だから良い脅しになったってアニキは喜んでたよ」

道理から行けば当然そうなると分かり切った問いの返りに足されていたクソ野郎の

神経に胸くそが悪くなる。

族を潰す手段の飛躍しすぎた思考の末に度が過ぎ、そこに居合わせたタケさんが生け贄になった。


くだらねぇ。

体裁やメンツ、威厳や畏怖の為に起こる争い、強奪が。

馬鹿げてる。

虚飾や力の誇示、格付けや序列の為に動く精神、盲信が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る