6-4


「くっ……っくっふっへっハッ」


笑った。


「ハッはっはぁ、ひぃ~……いいね、あはっ」


楽しそうに身悶えるこの人に何故褒められたのだろうか。


「ふっふっふぅ……いいよ、引く気無かったろ、お前」

こちらを指差した男には怯えが虚勢に隠れた自分がそんな風に映ったらしい。

「何もしやしねぇよ」

力の抜けた手首から先を二度振った仕草を受けて緊張が解かれる。

「ここまで呼び付けて悪かった。それにしても、お前と面突き合わせてたら柄にもなく饒舌になっちまったよ」

この時の俺はソファーに深く腰掛け直し、ゆったりとした姿勢になった相手から上に立つ者の器量を教えられた様な気がした。

「じゃ、改めて自己紹介だ」

そう言いながら目上の人物は、上着のポケットから物を出してそこから一枚を抜き取る。

もったいぶるでも無くテーブルの角に置かれた名刺には一之瀬会系和泉組若頭補佐の肩書が印刷されていた。

「あとな、どうして客に茶を出さなかったのか。そして何故追い込む様に脅したのかを教えてやる」

言い終わりで組の幹部が名刺入れを仕舞う逆の手でジャージの下を弄って煙草を出すと、沢口が透かさず寄って来る。

「それは極限まで追い詰められたら何を出すのかを試したかったからだ。謂わば本性を。こいつは何を信念を置いているのかを測定する為だ」

ライターを煙草を咥えた顔の前に差し出し、着火が終えたのを確認した若中が一礼して定位置に戻る。

「こんな所まで連れて来られたら大概の奴は媚びるか泣きを入れる。だがお前は自分を守らずに自分を貫いた」

指に挟んだ煙草をヒョイと持ち上げる素振りが板に付いていた相手に見抜かれたようなそうでない様な気分になって苦笑いが出た。

「どうだ、ウチに来ないか」

対談を強請されたのなら考えうる言葉を受けて想定していた返事を述べる。

「俺は少なからず世間の同年代が経験した事の無い境遇を経て今に至るまでにそれなりの熱や心情を肌で細かく受け取れる感度を持っていると自負しています。

ですが、極道で飯を食おうとは思いません。これはその世界を下に見たからではなく自分には務まらないからです」

不服とも納得とも取れる表情で止まった幹部が間を置き口を開く。

「何故そう結論付けた」

この先は用意していたモノとは違う返しだった。

「冷徹にも温厚にもなれないからです。そうだと確信したのは今日あなたとの時間を過ごしたからです」

偽りは無い。

元から切った張ったの世界の職に就く選択肢は持ち合わせていなかったが、こうも駆け引きを巧みに操る人物と渡り歩く事に順応出来ないと知らしめられた直ぐ後では当たり前に出た説明で言い切る。

「ほぅ、丁重な断りに目先の人間を敬う一文を込めるなんてそう簡単にこなせる芸当じゃねぇぞ。大したモンだよ、お前」

俺の回答が逆効果を呼んでしまったかも知れない。

これからも自身に固執しないでくれと祈る。

「ま、いいや。これでこの話は終いだ」

やっと解放される時がやって来た。

「それと、もう一人紹介しておく。おい、こっち来い」

いや、まだの様だ。

「失礼します」

呼び込まれて滞りなく現れたのは、薄手のグレースーツごと腕捲りをした森山で、これも始めから仕組まれていた演出だったらしい。

ドアを閉めて並んで立つ二人のて遣ったりな目元にイラつく。

「あの場で監視していた陽一の相棒はこいつだ」

速攻で寝返ったクズ野郎め。

これで迂闊に手出し出来なくなった。

「こいつ等、よろしく頼むな」

よろしくだと。

願わくば死ぬまで二度と会いたくないがな。

何を思ったのか、沢口が唐突に控えめな声で喋った。

「中坊の時に何故お前の住処がバレて火を放たれたのか教えてやる。それはあの日に俺がコイツに漏らしたからだよ」

その後の奴は自慢げに胸を張り、組の幹部は口元を押さえ笑みを堪え、森山は傍らで満足そうに頷いた。

「放火はやり過ぎだった。が、若気の至りだったって事で許してやれよ」

俺はこの言い草を聞いて芽生えかけていた僅かな信頼を軽蔑で燃やした。

「お前も判るだろ。プライドを守る為に力で捩じ伏せるのが何時の間にか癖になって行き過ぎる手段を選ぶ気持ちを」

駄目だ、やっぱりどうにもこのヤクザという人種とは打ち解けられない。


(そうだ、俺にはまだやらなければならない事が残っていたっけな)


もうやるべき事は一つ。

「自分はクズの言動や思想、所業を色々と体感してきましたが……」

ここで賭けに出た。


「集団強姦も和泉組の遣り口ですか」


「あ?」


「最近起こしたコイツ等のレイプも若気の至りで片付けますか」

俺は森山を顎で指し示す。

「それは初耳だな」

若頭補佐が興味を示した。

先に室内に居た若中がこちらに体を向ける。

「その証拠はッ」

沢口が吠えた。

コイツも知っていやがったらしいな。

「自分とその女も通っていた教習所から鬼畜龍の特攻服を纏っていた奴等に攫われていくのを知り合いが目撃してましてね」

怒鳴った勢いのまま詰め寄って来た相棒を余所にもう一人は視線を逸らす。

「その直後にレイプされたと聞いた女性も知っているんですが」

沢口が動きを止め振り向き、森山の顔は見る見ると青褪めて行く。

「あぁ~あ、手前ぇ等は下手だ。誤魔化し、演技も」

一連の態度と行為で動揺を漏らした両者に威迫の込もった台詞が刺さり、自ずと二人の首が垂れ下がってゆく。

「このザマを見れば判るよな、答えは」

「えぇ、は……」

「違うんです柴原さん。俺はあの時やってません」

「『俺は』だぁ?」

俺とのやり取り中に必死の形相で割って入った森山に組幹部は一喝する。

「馬鹿が簡単に喋りやがった。てめぇが関わっていたって事には変わり無ぇんだよ」

吸いかけの煙草を投げつけられ、クソの役にも立たない主張をもっともな意見で捩じ伏せられた奴は一瞬で黙らされて再び下を向き固まり、助け舟を出した筈の沢口は明後日の方向を見ていた。

「おい彰浩あきひろぉ、こいつ等を車に積んで置け」

「失礼します」

返事と共に成人式を数年前に越したのであろう人物がドアから現れ、幹部に仰せ付かった連れ出す仕事を対象者達の肩を小突きながら淡々とこなす。

その最中に森山に睨まれ、口元が自分に向けて動いた。

「お……だ……ゆ……ね……」

先に呼ばれた肩の男が床に落ちた吸い殻を拾い、一礼後にドアが閉められる。

それを見送るベテランヤクザが頭を掻く。

「とんだ恥をかかされちまった」

相手がこちらに向き直る際に出て来た本心だとは受け取れない言葉に反応の仕様が無かった。

「ところで……」

年長者がそう言って湯飲みに手を掛け一口啜る。

「仮にお前が組織の上役だったら森山の処遇をどうする」

この時、先程見せた雑さが混じる上っ面だけの態度から察するに、奴等に酷い制裁が科せられる可能性が低いと感じたが、俺はこう答えた。

「自分はこれ以上人が傷付くや壊れる、ましてや居なくなるのを望みません」


すまない、レイコ。敵を取ってやれなくて。

クズの処分は汚い奴等に行ってもらうよ。


「上の決断を甘んじて受け入れます」


過度な期待は抱かない。

だが、あんたがそれなりの仕打ちをしなかった時には……


「そうか、考えておくよ」

男から聞かされたソレには、もう既に選択肢が決められているとしか感じられない軽さが滲んでいた。

「そうだ」

続け様に出た本当に思い立ったとは考えられないわざとらしい一言に、さも興味を誘われた振りをしてみる。

「小島が車内の会話でこんな事を言っていたんだ。

『あいつがこの先苦しむのを止められた』ってな」

あの人がそんな事を。

益々疑念が頭をもたげる。

「情けは人の為ならず、って諺を知っているか?あれな、そいつの為にならないって事じゃ無いんだが、小島の言葉で実はそうなんじゃないかって思ったよ」

ケッ、笑わせるな。

今のアンタは己が下に見ている、いい人“ぶる奴”なんだよ。

悦に入る真似を見せていた組幹部がここで両膝を音を鳴らして叩いた。

「よし、今度こそ話は終わりだ。気を付けて帰れよ」

ついさっきが初対面で何の世話にもなっていない相手から妙な馴れ馴れしさをかもし出された俺は、つくづく絶対的に優位な状態を乱用しない技を実感しながら立ち上がる。

そこから儀礼的な動作に「では、失礼致します」と言葉を乗せ、一瞥いちべつしてから出口に向かい、ドアを開け部屋から出たその場で振り返り再度頭を下げると、相手は軽やかに右手を上げた。


 極度の緊張から解放され屋敷から出た俺は、表の涼しさを体に受けながら真っ先にラークマイルドを取り出してライターを擦りニコチンを吸い込み、咥え煙草で飛び石を踏み、木製の開き門扉を抜けて原チャリに着くと、シートが潰れる勢いで腰掛ける。

意に反してだが貴重には変わり無い体験をさせてもらった事を噛み締め、上には上があるし、下には下があると痛感し煙を吐く。


授かった身命を粗末に扱うつもりはなかった。

これは他者と比較しても重さが等しいだけに何人なんびとに当て嵌めても同様だ。

それでも命を擦り減らす場面を渇望してしまい、我で設定した信念を脅かす対象が出現すると希求が増大してしまう。

だが、その欲が望まぬモノを呼び込み、気概から逸脱した終幕に導かれる。

そして何をもってしても表現できない感情に苛まれる。


俺はアイツの為と誓った報復欲求とタケさんの事実、未必の故意か認識ある過失かを確かめたい願望を胸の奥深くに閉じ込め、バイクのエンジンを始動した。

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