2-5
翌日に目を覚ましたのは世の中が通勤・通学をとっくに済ました時間。
昨晩は部屋に着いた直後に手土産を持って隣を訪問し、目的を果たした後に考え事をしながら家飲みをして眠りについた。
今日をどう過ごそうかについても昨日悩んでみたが、何の案も浮かばないまま時を無駄遣いして止めちまったんだったっけ。
とはいえ、どんな状況に置かれても腹は減る。
最近はコンビニ弁当ばっかりで流石に飽きた。
(コメでも炊くか)
首元が伸びかけた白Tシャツにゼブラ柄トランクス姿の俺は台所に行き、米袋に入れたままの計量カップを一杯だけ掬い、洗って逆さまになっていた炊飯器の釜に放り込み、水を流しっぱなしで砥ぐ。
ソコソコ透き通ってきた後に釜の外側についた水滴を拭き取り炊飯器に戻して準備完了、ボタンを押す。
炊き上がる迄におかずを買いに行こうと上は紺無地のダボシャツ、下はグレーのスウェット七分丈パンツに着替え、頭は男女混声ツインボーカルのソプラノサックスプレイヤーよろしくヘアジェルで固める事もなく寝ぐせだけを直して外に出た。
俺がこんな身なりをして堂々とこの町を闊歩できるのには訳がある。
何故なら、ひょんなことからD市内だけで通用する魔法の言葉を仕入れたからだ。
それは或る日のコト。
今日みたいに買い物をしようと街中をフラフラしていた時に年の頃は同い年と踏んだ二人組の輩に絡まれ、その際に「見ねぇ顔だけど、お前ドコのもんだ」とありきたりな因縁をつけられた。
コレを受けた俺はこう答えた。
「砂野工務店だけど」
何も間違っていない。
“何処”って聞かれればこうとしか答えようがない。
するとその片割れが、「ぉぃ、ぃぃょ、ぃこぅぜ」と小声で臨戦態勢の仲間を制止して連れ去ろうと振り返り連れの腕を引き、相方は納得がいかなそうなツラでソレに従って消えていった。
その日以来この市内で絡まれる機会に出くわす度に会社名を告げたが、毎回その先に発展する事にならなかったのである。
通常こんな時には暴力団の名前や所属している暴走族名を持ち出し、それを聞いた相手がビビッて退散するモノだが、工務店の名前でその効果があるなんてまずありえない。
――ウチの会社、どんだけ評判悪ぃんだよ。過去に殺人事件でも起こしたんじゃねぇのか?……まさかぁ、そんな事は無ぇよなぁ……ま、この先もこの土地でケンカ売られたら魔法の言葉を有り難く利用させてもらうけどね。――
行きつけの弁当屋に着くとメニューを眺めるまでも無くぽっちゃりオバサンに、
「おかずだけで豚カツと、これ」とカウンターの脇に積んであったみそ汁の中から豆腐を選んで差し出す。
「あいよ、ちょっと待っててね」
注文を受けた年の頃は四~五十とおぼしきオバサンは厨房へと引っ込んでいった。
食事で自炊をしているといっても大半は炊飯するだけで、おかずなどを調理するにしても揚げ物やコトコト煮込むモノや数種類の調味料を駆使して仕上げたりは出来ず、やったとしても野菜か肉を炒める程度の技しか持っていない。
ただし、メシに関してなるべく譲りたくない事がある。
それは『米はなるべく炊きたて、味噌汁は火傷するほどの温度』だ。
これは幼い頃に家庭料理を親兄弟と一緒に食べるどころかその日の食事にありつけなかった経験が由来しているようで、器から立ち昇る湯気を見ると何だか安心する気になる。
「お兄ちゃん、おまたせ」
会計を済せる最中に(出掛ける前に湯も沸かせておくべきだった)と反省し、商品を受け取り振り返って店を離れる間の背後から聞こえたオバサンの「またね」に軽い会釈をして家に帰った。
飯を食ってまったりしていたらいつの間にやら眠りに落ちていたらしく、窓から射す光は既に傾き出していた。
その体は座椅子に下半身を残して上体を畳に寝そべらせた姿勢で、普通の人間なら何処かを痛めていてもおかしくないが、若さゆえなのか常日頃から肉体労働で鍛えられているからなのか何の支障も無く起き上がれた。
正午前後の食事が済むと睡魔がやって来る習慣がついたのは建設業に携わっているからだろう。
仕事に行く先々でどの業種の職人でも休憩所又は現場内で殆ど昼休憩に寝ていて、
テーブルに突っ伏している者、椅子を並べて簡易ベッドを作る者、足場の上でのびのび寝る者、等々の様々な寝姿を当たり前の様に現場内で目撃していた。
背中側の壁に掛けた正方形の時計に目をやり、それにしても昼寝の域を超えた数時間の睡眠を取っていた事に軽く驚いた俺は冷蔵庫へ歩き、水出し麦茶をコップに注がず直接飲む。
十歩程度で定位置に戻り座り込むと見る気もないテレビの電源を入れ、考えたくもないこれからについて脳ミソを稼働させた。
(さて、レイコの件もあるしタケさんとの接触は早いトコ済ませたいな。
あわよくば両方の住処をどうにかして着き止められれば状況が進展するんだけど、かといってあの女の住所が判った所でI町に足を踏み入れ、奴等の誰かに発見されようもんなら〔飛んで火にいる何とやら〕になって……
ん?待てよ、あの町の奴等の中で俺の顔知ってる人間は森山とキツネ目以外にいるのだろうか?
いやいや、とはいえ、とはいえ自分の身辺を探っているアイツのテリトリーに入るのはヤバい)
この時ゆっくりと体を座椅子から起こした自分の眉間に無意識下でしわが寄った。
パッケージからフィルター部が飛び出したタバコを一本取って咥え、肘をテーブルにつき頬杖にし、逆の手で火をつけて再度考察を続ける。
(だけど、このままってのもなぁ……現に自分は奴等に狙われてるみたいだし……
けど、俺はタケさんに会って何を聞くんだ?
人数?単車の数?戦闘能力?友好チームの有無?族の成り立ち?奴等の倒し方?
そう考えると何かを聞いたところで『へぇ、そうなんだぁ』としかならないな。
だったらこれからタケさんを苦労して探し当てても意味無ぇじゃん。
あ、そして自分がやった昨日の行動も意味無かったじゃんか。
あぁ~あ、やらかした。正にこれぞ“無駄足”ってヤツだな)
前日の努力が虚しく終わった俺は伸びをするように仰け反り返って座椅子の背もたれに体重をかけた。
その後咥え煙草で天井を仰ぎ木目に視点を合わせるでもなくの喫煙タイムに入り、灰が形を留める限界に達した辺りで今までを無かったことにする為に立ち上がる。その足で冷蔵庫へと進み扉を開けて中を覗いた瞬間に舌打ちが零れる。
痛恨のミスに気付いた俺は、どうして昼間の買い物でついでにビールを仕入れていなかったのかを悔やみつつテーブルにあった財布を掴み、ヒョウ柄の女物サンダルを履きアパートから近所のコンビニへ向かった。
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