9-3

「あの晩に殺されたのは別人だった。これには驚きました」


「ここからは植田さんに代弁して頂きます」

俺の言葉に兄貴分へ向け続いた内容はこうだった。

「小島剛が拳銃を奪って揉み合いになった最中に誤って撃発装置が作動した末に流れ弾によって死んだのはでしたね」


やはりアイツは教習所の喫煙所で嘘をついていた。

タケさんの存在を世間から抹消する為の嘘を。


「柳田が眠っているとした場所を久賀に記憶させ、河合が埋められた場所を沢口に掘り起こさせ……」

「ベラベラ喋りやがって、このカスがぁ」

文言の最後に被せた柴原が吠えながら膝高の天板に右拳を縦に振って叩き、中央に置かれたクリスタルの灰皿が音を鳴らしていた間に舎弟分から俺に視線を移す。

「あぁ、こいつの言う通りで間違いぇ。なら、ならばだよ、久賀は誰を埋めたんだ?死体が無い今となっちゃあそれはやってないのと同じ事だよな。お前等にも警察にも時間稼ぎになる良案だったが、ぶち壊されちまったぜ。だがな、飯野さんよぉ」

正面に向き直ったヤクザ幹部が怒りの矛先を変更し、肘をついた右手で的屋の長を指す。

「小島からすれば未成年で族の後輩を殺しちまったのはマズいよなぁ」

興奮気味に喋るそれとは逆に組んでいた腕をほどきながら姿勢を正して構えた所作の中、おやっさんが冷静に語る。

「その弱味を利用して有りもしないヤクザの身内殺しを擦り付け、わしから金を巻き上げようとした」

瞳孔を見開いていた相手はこれを受けてもひるんだ様子を微塵も表さずに眼光鋭く的屋の長を捉えていた。

引くに引けない所まで来た自分も含めた四人の間に緊張感が走り、張り詰めた空気に包まれる。


俺と飯野光将は小島剛に負い目を感じながら。

植田彰浩と柴原政晴は誰かに後ろめたさを感じているのかは知る由も無いが、もう

取り返しのつかない領域に浸かっているのは確かだ。


一触即発の睨みあいにヤクザ幹部が痺れを切らした。

「教えてやるよ、あのガキは見事な位にココを撃ち抜かれていた」

不気味とも取れる笑みで自らの蟀谷こめかみを右中指で二度小突く仕草をした柴原が続ける。

「そうじゃ無けりゃあ違う方策を練るつもりだったんだが、シャブ絡みの人間が関

わる上に発射された銃弾探しが困難だったから現場は放火し、死体はコンクリ詰めにして捨てたのさ」

恍惚としている男の語り口調は後悔の念とされる類いのモノを抱いていないと発表しているようだった。

全身を脱力させソファーに体を預けた形勢逆転でもしたかの態度を行った相手に俺が怯まぬ姿勢で数センチ顔を差し出し問いかける。

「コンクリートかいの一つは河合。では、もう一つは?」

「さぁな。そこまで喋る義理はぇ」

既に劣勢を虚勢で隠し始めた人物に反旗を翻した舎弟が話し出した。

「もう潮時じゃないんですかね」

そのままこちら側の援護射撃を進行させる。

「この顛末へ先導する仕掛けを張っていたのを貴方は見逃していた。あれは私が柳田に偽名で植田と自己紹介しろって指示したんです」

柴原が聞き終えてからスクエア眼鏡を鋭く睨む。

「他の言い付けには森山の制裁もありましたね。奴は女を輪姦する薄汚い真似をしたのだから袋叩きにされても仕方ない。それを何処の誰等にして貰おうかと考え、悪羅漢を選んだ。そこに座る青年と産廃処理をした川辺が旧友なのを下調べで掴んだんでね」

語る先へ眼力を増強させている男を意に介さず不動で進める者を静観する自分の隣では長が瞑想の如く瞼を伏せていた。

「森山に『危なくなったら援護してやる』と言ってそこの青年を呼び出す様にけしかけ敵対する族側に時間と場所を密告しました。必ず顔合わせが叶いますから」

拳が小刻みに震えている兄貴分に舎弟が次を繰り出す。

「一ヵ月前に組長が出席した一ノ瀬会傘下の定例会で『御法度のクスリでシノギを

する者はより一層の厳罰に処す』となった事を告げられた貴方は組に内密で行っていたシャブの売買が発覚するのを恐れ、跡形を消す段取りに着手した」

この構成を組み上げ共謀を企てた人物が達辯たつべんを済まし一呼吸をつく。

その後の台詞は室内の全員が予想し得る言葉だった。


「私はね、貴方の仕出かした愚行を組長に報告する腹積もりですよ」


「ほぅ、てめぇなんぞが一人で如何どうこうさせられるってか」


「自分にその力はありませんよ」


「だったら俺に講釈垂れんじゃねぇ、あ、コラぁ」


お互いがゆっくりと間を取って交わされた会話は、植田側の『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』の精神と、柴原自身の『鎧袖一触がいしゅういっしょくで打ち負かす』の気概が膨れ上がって破裂する寸前に達していると肌で感じた。


「今日はね、」

絶妙なタイミングで割って入ったおやっさんの一言が孤軍奮闘の男へ向けられる。

「会わせたい人間が他にも居るんですよ。どうぞ」

長の先程引かれた襖の奥へ発声した呼び込みにネイビーで亀田縞織のスタンドカラーシャツを身に纏った四十前の大柄が和室から顔面を腫らした柳田の脇に満を持しての姿を現した。

「どうも。わたくし、佐倉充と申します」

「見るからに同業者じゃねぇか。誰だこいつは」

柴原が同年代の男に顎をしゃくって指した相手の素性を俺が丁重に伝える。

「えぇ、この方は葉月組に籍を置く人です」

「この度は葉月組に情報を流して恩を売る事にしましてな」

後に続いたおやっさんの告白に目下の敵が体を反らして大上段に構えた。

「てめぇ等にプライドはぇのか、敵対する組のもんに加担する奴もヤツならお手々繋いでこんな場に現れたヤクザも下の下だな」

最早うに均衡が崩れていたのを認めたくないのか、意気揚々と登場した筈の壮年はまるで駄駄を捏ねる子供よろしく右足を持ち上げ踵をソファーの縁に引っ掛け、片やの長はその様を見届けてから従容自若に微笑みを浮かべて対処する。

「ま、そう言いなさんな。この案は儂独自の裁量で決断したのであしからず」

尚更に太々ふてぶてしい態度を露わにした男に対し、この一連の遣り取りを冷ややかに眺めていた第二の刺客がゆらっと動き、歩を三つ進めて柴原を見下ろした。

「葉月組のシマうちでシャブを捌いていたのはコイツだが、ブツを仕入れたのはあんた等だろ。柳田を破門若しくは縁切りにするなら有耶無耶に処理することになるが、和泉組の構成員だと突っぱねるなら警察に出頭させて洗い浚い喋らす」

この一方的な交渉は聞かされていなかった。

佐倉と名乗った人物の独断だとしても柴原が組諸共窮地に追い込まれるのは素人の自分でも容易に想像出来る。

「元はウチのシマで暴走族をしていた柳田の身柄は葉月組で預かる。和泉組を衰退させ得る爆弾及び功労者としてな」

付け加えられた内容を耳にした其々の立場で部屋に集まった六人の内、咄嗟に安堵の表情を浮かべたのは柳田。

又、兄貴分を売る真似を仕組んだ者は複雑な心境を顔に滲ませ、加担したヤクザは征圧に成功して清々している様に見えた。

口を真一文字に結び押し黙る古老の横で俺が問いかける。


「最後にまだ残っている回答を御自分で仰って下さい」


八方塞がりのストーリーに追い込まれた主人公は、苦虫を嚙み潰したと形容されるつらで細く囁き始めた。


「もう一つの塊は……小島だ」


刹那、階段を駆け下りる音がし、廊下を鳴らして人が飛び込んで来た。

それは、瞼を腫らしていたピンクのレイヤーブラウス姿でワンサイドショートボブの人物。

この行為を敷居を跨いでギャザーが入った九分袖を掴んで後ろに引っ張り阻止していたのは光将の妻、姐さんと呼ばれる飯野志津恵だった。

「やめなさい、ねぇ」

脇にレースを施したライトグリーンのカーディンガンを揺らし、鎖骨が隠れる長さのミディアムヘアを乱しながら必死になって室外に戻そうとする姐さんを振り解こうとする女の人の力は尋常ではなく、形相は憤怒にかられて叫びだす寸前で耐えている。

「どういう事だ」

長の言葉には理解し難い心境があからさまに込められていた。

頑なに動こうとしない人間の意思を後方から抑え込もうとしていた伴侶が即座に事情説明に走る。

「すいません。私がこの子に明らかになる真実を直接受け止めて欲しいと裏の勝手口から上げて二階に待機させていたの」

「だとしても、何故剛の嫁を探し当てられたんだ」

この質しから怒りに包まれている女性の身元が判った。

「それは……そこのヤクザに剛が連れられて来た翌日に佐和さんから捜索願を相談された時に泣きつかれたんです。それで何かあったらこの子にも被害が及ぶかもと思ったから……」

「もしかして、タケさんの家がもぬけの殻に見えたのは」

俺が推量を口にした途中で姐さんが頷いた。

「えぇ、私が旦那も知らないマンションの一室に匿っていたのよ」

「儂に知れぬように、か」

長が天井を仰いで呟く。

その相手に向き直す婦人の眼には涙が滲んでいる。

「そうよ。こんな小さい建物では、たとえ中身が物騒な話でなくても始まれば容易に聞こえてしまうわ。この人は剛を見放したけど、私はこの子を見捨てる事が出来なかったのよ」

芯の強さを語尾に込めた姐さんの斜め前で気を張っていた佐和さんが突き上げる嗚咽を両手で防ぎながらしゃがみ込み、飯野志津恵が選んだ手段はタケさんの妻に対して残酷な結末を浴びせ、精神の蝶番を外し、僅かな希望を打ち砕き、拭えない絶望をもたらした。


この世に定めが存在するとしたら、その振り分けの機軸は悪辣極まりない。


平等とは無形なだけに出処が判らない造られた空想だ。


「くっ……っくっふっへっ」

遠くない過去に聞いた下品な笑い声が漏れた先を睨む。

「これだから外道は面白い。止められねぇ」

尊大な態度に変わった柴原が心根の卑しいつらでぬかす。

多勢の注目を一手に集めた男は低速で其々を順に見渡し始め、七人の顔を拝み終えてから、

「ここで催し物でもしましょうか」

と徐に足元のセカンドバッグを取り上げ、フロント部分の金具にあるボタンを右にずらしてロックを解除した後に中を弄って出て来た黒い物体をゴトンと音を立ててテーブルに乗せた。

「支払いが済んだらオプションとして買い取って貰おうと持参したモノが小島の指紋が付いたコレなんですが」

柴原が久賀が廃バスで晒したのと同型のスカイヤーズビンガム38口径を指先を伸ばした掌で改めて示す。

「これを貴女に渡します。どうですか、誰かを撃ちませんか?」

うずくまる苦衷と憎悪をい交ぜにした表情の相手を覗き見て放った言葉は寒慄かんりつを呼んだ。

「依頼を了承して指示した私か、商談に応じて売り渡した人間か。若しくは、自分自身とか」

薄気味悪さを含んだ問い掛けが続けられる。

「言い忘れてましたが、貴女の夫殺しを遂行したのはソコの植田ですよ。さて、如何しますか?」


名指しされた男に注目が集まり、皆が息を呑む。


「えぇ、私がりました」

違和感を覚える空白から溢れる涙を堪えられない女性に上体を向けた人物がこの時にサマーニットの肘を触る。

悔悟が偽りを演じさせたのだろうか、何かのミスリードを引き出そうとしているのか、嘘をついている可能性が残る仕草を俺は見逃さなかった。


「やめてぇ」

真前で俊敏に身を動かした小島佐和に姐さんが叫んだのと同時に拳銃が華奢な腕で掴み上げられ、一つの発射音が鳴り響いた銃口から閃光が走った。

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