3-3


 コンコン。


世間知らずなお嬢様が機械科クラスの担任になり、問題ばかり起す生徒達に翻弄されるドラマのパート2を観ていた最中に訪問者の合図が。

(ん?もう晩めし届いたけど……)

「どうぞぉ」

この一声後にドアを豪快に開けて現れたのはタケさんだった。

「どうしたんですか?」

家で顔を見るのは初めてだった先輩は、両腕を突いてゆっくり腰を上げかけた俺の仕草を「いいよ動くな、お邪魔するぞ」と片手で制しながら後ろ手で扉を閉める。

「それにしても酷ぇ面だな」

そう言いながら上がり口で履物から足を抜いた意外な来客者が自分に向かって来る間にリモコンでテレビの電源を落とし、「ココはどうやって」と尋ねると、手ぶらの先輩は対面に腰掛け胡坐をかいた。

「二日位前に寿人が来ただろ、ヤツから聞いた。フクロにされたって話もな」

確かに来てる。

目的は『テキヤのバイトを変わってくれ』だったらしいが、俺の姿に驚いた後にその理由を聞いただけで一緒に晩酌しようと買って来たのであろう一式をそっくりそのまま置いて帰って行った。

「鬼畜龍らしいな」

ブラウンジャケットの内ポケットからマイルドセブンを取り出し、一本を摘まみ出したタケさんに「何故それを」と思わず口走ってしまった。


相手が誰だったかのをヒサトさんに喋る訳がない。

自分を探し回っていると聞かされたあの日以来、自身がどうなろうとも他言せずと決め、終わりにするべく痛めつけられる覚悟であの場所に誘い込んだんだから。


先輩は煙草を懐に収めるとシルバーの薄いジバンシーで火を点け、苦そうな顔で吸って口を半開きにし煙を吐いてから会話を続けた。

「ヤツがアパートから離れて直ぐにスキンヘッドのおっさんに会って、お前のお見舞いか?って尋ねられたから『そうだ』って答えたらしい。そしたら特攻服に縫われたチーム名の奴等にやられたって教えてくれたんだとよ」

またもや意外。そんな所からバレるとは……

この何日かで半箱分にもならない吸い殻が入った円形のスチール灰皿に煙草を揉み消したタケさんが真顔になった。

「俺はO町が地元、ウラは簡単に取れた。済まなかったな」

何でこの人が謝っているのだろう。

「I町とO町の顔見知りメンバーで結成された鬼畜龍は当初、規律の取れたグループだったが何代目からか無秩序なチームになった。俺は鬼畜龍の二代目総長だ」


玄関のドアが解放されてからここまで立て続けに驚かされる。

こっちはそんな事とは露知らずにこの人の下でせっせと働いていたのか。


「中坊の頃にお前が身を寄せていた所に森山達が火を放った話は当然うちに手伝いに来る前から知っていたが、寿人からお前を紹介された時点では放火された相手だと聞かされていなかった。その後耳にした時はどうしたもんかと考えあぐねたぜ」


ある時期から妙に優しくなったのはその為だったのか。


「俺は森山達がパクられる前に首謀者の柳田を絞めて鬼畜龍から追放した。仕来しきたりとまでは言わないが道に反することまで自分等の代ではしなかったから腹が立って

な。お前、顔見たことあんだろ柳田幸志郎、眉毛の無いヤツだ」


あの惨劇を思い付いたクソ野郎と乗っかった奴等にムカつきが止まらない。


「それ以来チームの後輩は俺を避けるようになった。引退しても尚口出しする上の人間が鬱陶しかったんだろうな」


的屋に俺が出入りしていたのを知られなかったのは、あいつ等が寄り付かなかったからだったのか。


「だから家探ししてまで狙っていた事までは感知出来なかった。未だに森山が恨み続け、お前の周りを嗅ぎまわっている話を聞いたあの日以降直ぐに俺が何とかしておくべきだった」

ここまでを喋り終えたタケさんは神妙な面持ちで後退り、両掌を畳にそっと付いた後に深々と頭を下げた。

「何もかもを込めて詫びる。申し訳なかった」

こればかりは体が痛むからとは言ってられず、テーブルを回り込み真横に這いよって両膝立ちになり、首を垂れる先輩の肩を掴み押し上げる。

「タケさん……いいっすよ」

それでも尚俯く慚愧ざんぎに堪えないその表情を見てもう一度本心を伝えた。

「いいですって」

俺は先輩が何かしらの一言を切り出すのを待つ為に手を放し、腰を落として足を崩すと、じっと構える。

静寂の間が暫し続く。


(あなたは何も悪くないし何も間違っちゃいない。

下がやらかした所業も、腐った奴を排除したのも。

いわれのない辛い仕打ちを後輩達から受けていても尚、そいつ等の代わりに相手の所に出向いて謝罪するあなたは正しいんですよ。だからもう充分です)


「分かった、ありかとう」

タケさんの消え入るような囁き声が漏れたのは体感的には五分以上は経っていた様に思えた。

「昔から謝りなれてねぇから我がの態度が正解だったか怪しいモンだったよ」

先輩は右の口角を微妙に変化させる。

きっとタケさん、はにかんだのだろう。相変わらず感情が分かりにくい。

「俺はもう年だ。今の立場もあるし女房子供もいる」

背中を丸めてゆっくり揉み手する先輩の話は続く。

「表立って事を起こす訳にはいかないが、お前がその気なら間を取り持つぐらいは出来るぞ。その際は俺も立ち会って勝った噂も負けたデマも流させん、どうする?」

せめてもの罪滅ぼしとして提案してくれたタケさんの持ちかけに、俺は重なっていた視線を下方に逸らし断りを入れた。

「いいです」


これでお終い、幕切れ。

数年に渡った因縁は、経緯や事情を知ったこの俺が蒸し返さない限り収束する。

先は要らない、疲れた。

ケジメだの大義名分だのリベンジなんて神経をすり減らすだけで採算が合わない。


「そうか」

自らに踏ん切りをつけた口調で気を取り直し上半身を立てたタケさんが一呼吸入れ眉間にしわを寄せる。

「今日来たのはこれだけの為じゃないんだ」

低く唸るような相手の深刻な切り出しに只事ではない空気を感じた俺は、体に負担のかからない今出来得る正対をして耳を傾けた。

「昨日の事なんだが……玲子が……自殺した。あいつが慕っていた女から呼び出され告げられて」


あの女が死んだって……。


「ミカが言うには、お前の事を好意的な口調でよく喋っていたらしいから伝えようと思ってな」


こんな事になるなら冷たくあしらっておけばよかった。


「しかもそれは集団レイプされた数日後に起きたって」


違いない。奴等以外に考えられない。

怒りがくすぶる。


「その一件以来、毎日会いに行っていたが殆ど会話が出来ない状態だったし」


きっとアイツは犯されている最中に殺された方がマシだと思っただろう。

腹の虫が騒めく。


「どこのどいつ等にまわされたのかは頑なに口を噤んでいたらしい」


時期も合致しているし目撃証言も得ている。

血液が逆流する。


「ミカが家に行ってみたら部屋に姿が無かったもんで慌てて探していたら納屋の奥に玲子が倒れていて、そいつが発見した時には間に合わず自ら命を絶っていた。傍らに転がっていた茶褐色の瓶のラベルを確認したらそれはパラコート。除草剤だったようだ」


醜い死に方を選択した。

その死に様はレイコがどれだけ苦しんでいたかを体現した最後の自己主張なのだったのかも知れない。

生涯あの出来事と添い遂げなければいけない未来がその日に確立されたのだから。


憤怒ふんど戦慄わななく。


「どうしようもないクズは色んな所に居るもんだな」


あいつは俺と顔見知りになったがばっかりに外道な奴等にさらわれた。

狭い地域の小さなコミュニティーで尊い命が一つ消えた。

その事実や誰かを知っている事はこの人に打ち明けるべきではない。

大好きだった先輩にまで言いたくも知られたくも無く口を閉ざして棺桶まで持って逝ったレイコの心を踏みにじる訳にはいかないから。


「……あの……」

自分が絡んだ不測の事態に静観を決め込む気にはなれない。

「やっぱり段取って貰えますか」

これは自らの遺恨を晴らす為の報復ではない。

「何でだかイラつきが止まんなくなったんで」

こうなったら先の事など知ったこっちゃない。

「時期に関してはまだこの状態なんで改めて相談します」

弁解の余地を与えて貰えなかった今の自分がやるべきは線香をあげる事ではなく、アイツの仇を討つのみ。

「急にどうした?」

上着から煙草を抜き出し咥えたタケさんの問いに「お願いします」と頭を下げる。

これにライターの側面に親指を当てローラーを回し着火して咥えた煙草を寄せて吸い込んだ先輩が異変を察知したのか顔を覗き込む。

「さっきは俺の書いた筋書きを突っぱねたのによ」

「すいません」

舌の根も乾かぬうちに意思をひっくり返したのは申し訳ないという思いに事情を説明する気が無い事を含んだ一言で済まそうとした自分に対してタケさんは間を置かずに、

「ま、どうして気が変わったかはお前の都合だから聞かずにおくよ」

と言って紫煙をくゆらせた。

またしても器の大きさを実感する優しさに触れた俺が「ありがとうございます」と再度首を垂れると、今度は美味そうに煙を吸い込んだ先輩が煙草を指で挟んだ手をそっと上げ、

「動ける体になったら連絡くれ」と言いながら俺の肩を叩き、

「邪魔したな」と立ちあがる。

玄関に向かう背中を見送りながら「お疲れさまでした」と声を掛けると、タケさんは振り返らずに片腕で応え部屋を後にした。


融通が利かない我が身がもどかしく、歯痒く、苛立たしい。

森山が自分の周囲で犯した罪の分だけ奴をどうしようとも、野郎がどうなろうとも神は見逃してくれる筈だ。


一分一秒でも早く回復してくれ。

そう願った俺は、テーブルの端に置いてあった五円玉に通した紐を摘み上げた。

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