@TwENty

 日は同じく、昼下がり。

 朝から働く人々も、学業に勤しむ学生も、ややまぶたの重くなるような、集中力の途切れ始める時間帯に差し掛かり始めた15時半頃。

 斑鳩総研いかるがそうけんの敷地内に一台の濃紺のうこんの乗用車が乗り入れた。

 至って普通の乗用車のようで、ナンバーも一般的なものだ。警察車両を示す番号の付与もない。

 非常に滑らかで熟練した運転により、その車両は歩行者に一切の危険など感じさせることもなく運転する者の意図する施設へと一路向かう。

「あ、紀麗きうら、ちょっとだけ手前で止めてもらえる?」

「OK。んじゃあ、一旦この辺で止めるわ。どうしたよ」

 その車は東京都千代田区霞が関から走行して来ていた、内閣情報調査室の車両だった。後部座席に座った日奈円かなえ 仍生よるはの言葉が、運転席に座る紀麗きうら 氷室ひむろの了解を得て、施設内を行き来する人々の邪魔にならないような位置に、車両は駐車された。

「ちょっとね、資料のダウンロードがまだ終わらないから。2,3分よ」

「了解。そういや、ここ、あの嬢ちゃんの家だろ」

「そうね。だから何?」

「帰国のご挨拶でもかましていくのかと思ってよ」

「んー…まあ、叶世かなせは学校に行ってるから今日はいいかなと思ったけど、それもありかなぁ」

「本当にあのガキンチョにご執心だなぁ姉さん」

「いつか教えてあげるって」

「へいへい。どうする?ロード待ってる間に行ってみるか?」

「うーん。そうねぇ」

 と、その時。

「ん?」

 紀麗が何かに気づいたような声をあげた。

「何?」

「いや、今すれ違った車の助手席の女、見たことがあった気がしてな」

「まあ、ここは政府関係者色々出入りしてるからその内の誰かなんじゃないの。紀麗人の顔を覚える訓練しなさいよ本当」

 まるですっとぼけたようにいう日奈円。

「結局認証かけりゃわかるじゃん」

「そうだけどさ」

「だから必要ねぇ。それよりもっと他に脳みそに詰めることあるしな」

 どこか誇らしげにいう紀麗。そもそも今になっても詰まっていないということ自体をどうにかしろと日奈円は思ったが、それは今更指摘しても仕方ない。責めるよりも賞賛した方が、人は伸びる。

「そうね。早くちゃんと私と同等になりなさい」

「期待はせんでくれ」

「ダメよ。なんのためにあなたを隣に置いていると思っているの。運転手として雇っているわけじゃないのよ?」

 日奈円の言葉は強くなるが語気は変わらない。

「へいへい。ありがたい評価痛み入ります」

「この日奈円 仍生が言ってるんだから噛み締めなさいよ。で、さっきすれ違ったのは警視庁捜査一課の朝霧あさぎりえん警部補よ。運転していたのはおそらく同僚の昼々蕗ひかる 真希まさき警部補ね。スモークで目隠しされてたけど、おそらく後ろに杜乃もりの 天加あすかでも乗せてるんでしょう。訪問したら空振りだったわねぇ。よかった」

 さも当たり前のように紀麗に告げる日奈円。しかし紀麗はそんなことにも特普段驚いた様子もなく返した。

「端末のディスプレイ凝視してるくせに、ほんと地獄目な」

「千里眼、と言いなさいな」

「へーい」

「終わったわ。行きましょう。いつもいうけど、ここからは、内閣情報調査室ないかくじょうほうちょうさしつ特別犯罪とくべつはんざい情報鑑識じょうほうかんしき分室所属ぶんしつしょぞくの人間でいるように」

「わかってるよ。毎度毎度同じ忠告をどうも」

「わかってるならいいのよ。それにこれは紀麗だけに言っているわけではないわ。自分の戒めも含めてね」

「承知。じゃ、行くぞ。薬科棟やっかとうでいいんだよな」

「そう、お願いね」

「御意に」

 おそらくは杜乃 天加を乗せて走り去っていったであろう車の轍をひと時追う様に走り出す二人を乗せた車は、CAZEケイジの施設を尻目にするようにして、正門から捉えれば奥にある薬科棟を目指して走っていく。

 徐行とはいえ乗用車の走行速度だ。徒歩で進むのとはワケが違うわけだが、それでも多少の時間を要する。斑鳩いかるが総研そうけんがそこに構える施設の広大さと、ムーンギフト研究において世界をリードするということの商業的、並びに政治的成功の強さを実感せざるを得ない。日本国政府が一時期放棄した教育的研究開発に対する支援などまるで最初から必要ないというように無視して、爆発的な勢いで成長した化け物のような企業体。その薬科棟。黎明期の斑鳩の、収益の柱の三本目となった、斑鳩製薬いかるがせいやくの中央研究所である。

 この施設の所在ももちろん公に公表されているものではある。

 そしてこの斑鳩製薬が、全国な様々な病院への処方提供や市販薬の販売を行なっていることは一般人においても当然に事実であり、この独立した企業が日本の製薬業界のトップをひた走り、他社の追随ついずいを許さないことも、20年以上にわたって常識として認識される実績であり事実となっている。事実そのシェアは一社で4割をわずかながらだが超えているのだ。

 しかし。

 この斑鳩製薬中央研究所と、内閣情報調査室特別犯罪情報鑑識分室、さらにいえばその主任研究員である来比良きひら 柳維ゆいと日奈円 仍生との関わりは、当事者以外知ることは許されない危険な秘匿事項だった。




 もし。

 悪意が何かを食すことができたとしたら。

 そして反芻はんすうするとしたら。

 それはどんなものだろう。

 殺意?

 悪意?

 狂気?

 柔らかく暖かい毛布のような、しかし決定的な刃は、空気中に薄く混じるアロマのように、ただ悪意という隠れ蓑に完璧なまでに隠されて、すぐそこに漂っている。

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