@fOURteen
明らかに集中力が切れてきたと自覚した杜乃は、一旦仕切り直しとばかりに食事と入浴までを一通り済ませてからまたディスプレイに向かう。この間。部屋の中には時折生まれる杜乃の独り言や作業に伴う生活音以外に、なんの音もない。
殺意解剖のための必要最低限の環境。そしてその必要性は、すべて猟奇的な殺人を犯した殺意を解明することだけに向いている。その空間が、長年事件に携わってきた刑事や事件関係者の仕事部屋として追求された人っつの形としてならばわからなくもないが、これが高校一年生女子杜乃 天加の居住空間であることは、どう考えても正常とはいえなかった。
杜乃個人として、殺人犯に対して憎しみや許せないという感情はあまりない。それだけを理由に、ここまでの追求する姿勢を突き詰めるためのモチベーションにはならない。殺人という行為に対する個人的な境遇を考慮したところでそれは変わらなかった。
彼女がここまで積極的に、我流とはいえ徹底的に没頭していくのには別の理由がある。それは蓮宮が在室しyていた夕刻の会話の中にもあるように、杜乃 天加は殺人を犯した側の視点で推測ー杜乃流にいえば、推想をする。彼女がここまでの、ある種執着めいた勢いを発揮するモチベーションは、その視点にこそ隠されている。
彼女は、純粋に興味を持っていることはさることながら、自分にも発生する可能性のある殺意や悪意、自分と同種の人間を殺すという、自分の中に生まれる可能性と同様、いつその矛先が自分に向くとも限らないモンスターのようにも感じられるその意思が、純粋に好きなのだった。
そして彼女は、蓮宮にこそ、自分の命とともに自らに殺意を向けるという行為を託したいと考えている。
ーそういえば、捜索の方はどうなったのだろうな。
杜乃が資料の分析を、精査から俯瞰に切り替えた時、そんな思いが頭をよぎる。
五月とはいえ、夜はまだ冷える。そんな朝霧に対する配慮もどこかにあったかもしれない。
その時、杜乃のコーヒーの入ったマグカップの横で携帯端末が震えた。
メッセージの着信を告げる振動音だった。
“何か進展あった?”
と、蓮宮からのメッセージだった。同様に画面に表示された時刻は22時過ぎを示している。システムからの秘匿回線を使えば通話をしても構わないだろうか、と思って、回線を開いても問題ないか問いかける返信をするとすぐに快諾する返事が届いた。
ディスプレイ群とキーボード、両手のトラックパッドで操作しているパソコン群ーよく自分たちはシステムと呼んでいるそこから、秘匿回線を使用するソフトウェアを再起動させる。先ほどまで朝霧や帝智との会話に使っていたものだ。
そこに、蓮宮への通話を開始するための暗号キーを入力して「Connect」と表示されたボタンをクリックすると、発信される。
すると呼び出し音が部屋に響くが、その音はすぐに途切れた。どうやら蓮宮は待ち構えていたらしい。
『こんばんは。杜乃』
と、その瞬間。一瞬の間が生まれる。
「……ちょっと叶世くん!なんで帰っちゃってるのよ!」
『ええ!?杜乃か!』
「どっちも杜乃じゃん!いい加減
『ま、まあ感得て送ってその件は』
「で、なんで電話するの?」
『また案件があってさ。って、知ってるだろ』
「うん。知ってるけど」
『話終わったら変わってもらうからさ。一回切ってまたかけるから』
「ほんと!?」
『うん。もちろん』
「約束ね!」
『わかった。遅くなったら済まない』
「いい。待ってる」
『じゃあ、後で』
「うん」
その杜乃の返答に、蓮宮の答えはない。その無音はただの沈黙のようでいて、声がかかるのを蓮宮が待っているようにも感じられる、気まずい静寂ではなかった。
「…蓮宮くん」
少しの無音の後で生まれた声は杜乃のものだ。
『ああ。杜乃。急に変わったからびっくりしたじゃないか』
「まんまとハマってくれてありがとう」
ディスプレイの前でニヤリと口角を上げていたずらっぽく言い放つ杜乃。
『わざとか。そんなに便利なものじゃないだろうに』
「まあ、こういうことすると負担があるのはそうだね」
『ならしなくていいよ。負担かけてまですることじゃないって』
「ははは。まあ、私ばかり話してると怒るだろうと思ってさ」
『…その通りだけれども。まあ、後で電話することになったから別にいいさ。で、進捗は何かあった?』
「強制的に話題を変えてきたね」
『いいから』
そんな蓮宮に対する対応を、杜乃は楽しんでやっているようだった。推想している時よりも圧倒的にその表情は柔らかかったが、カメラ通話ではないのでそれが這う宮に伝わることがないまま、杜乃の表情に一定の緊張感が生まれた。
「そうだね。現状まだ、帝智教授からの情報も未着だし、朝霧くんの捜索隊からも報告は特にない」
『そうか。深夜になりそうだね』
「ああ。私は一応待機するが、君は明日学校だろう?」
『そうなんだよ。また帰りにはよるし、携帯は使えるから何かあったら言ってくれと思って。まあ、何かできるわけじゃないけど』
「いやいや、助かるよ。ありがとう」
『そんなことはないよ。いつものことさ』
「それじゃあ、あまり遅くなっても悪いから、天加に代わるよ。これは秘匿回線だから一度切って、携帯から蹴てもらうことになるが」
『…約束したしな。うん。頼む。何かあったときは問題ないんだよな?』
「そうだね。いつも通り大丈夫だ」
『なら、大丈夫だな』
「ではまた」
『ああ。お疲れ様』
そこで、秘匿回線を使った通話が切断された表示がディスプレイに出て、その機能を終了する。
それを見届けた杜乃は、ふう、と一息ついて、デスクチェアに身を預けた。ゆっくりと目を瞑る。
「……」
少しの瞑想のような時間があって、気絶から目が覚めたようにハッとする。
ディスプレイの表示が切り替わっていることを確認して、傍らに置いてあった携帯端末を取り上げて、慌ててダイヤルする杜乃。
呼び出し音は、これまた一回程度だった。
『もしもし?』
「叶世くん」
『ああ、杜乃。思ったより早かったな』
深夜に少しだけの、年相応に楽しめる時間が、杜乃 天加に訪れたのだった。
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