@elEVEN

 CAZEを出た蓮宮はすみや斑鳩総研いかるがそうけんの敷地を駅方向に抜け、一路最寄駅の方角へ歩みを進めた。

 通い慣れた道から一本離れると、飲食店が立ち並ぶ繁華街となる。その道をさらに駅方向に進んだところに、やや有名な洋菓子屋があった。ここには昨日すでに電話で予約を入れており、現在時間は受け取り時間の範囲内となっていた。

 会計を済ませ、やや大きな荷物を増やして電車に乗る。車内は暖かいが、たった二駅だ。中身が溶けてしまうということはないだろう。

 二駅移動し、改札を出る。日はすっかり暮れていたが、ここもまた、通い慣れた道だ。CAZEよりも、圧倒的にその回数は多かった。

 目的の施設、虹乃宙学院にじのそらがくいんは最寄駅から通常徒歩15分、一人の時であれば人よりも若干歩く速度が速くなる蓮宮の足で12分ほどだった。

 途中で、何組もの母子とすれ違う。こういうとき、気にしていないとはいえ、やはり少し、ほんのりとした寂しさを禁じ得ず、しかしその光景に対し無条件に頬笑みが漏れるのもまた事実だった。

 そんな、住宅街に続く道を、受け取ってきた洋菓子にダメージを与えないよう慎重に歩き続け、蓮宮の目的地である虹乃宙学院に辿り着いた頃には、時刻は19時を回っていた。

「失礼します」

 少しデザインされた、おとぎの国の城を模した外観をした小学校のような施設だ。そこに高校生の男子が入って行く光景というのは少し異質に感じられるが。

 その施設の多くの利用者が出入りしている、学校の昇降口のような下駄箱の立ち並ぶ正面玄関には、まだ明かりが煌々と照らされていて、奥から賑やかな声が響いてくる。蓮宮は、みんな相変わらず元気だなぁ、と思いながら外履きを脱いで簀に上がり、荷物を置いた後で、特別に用意されている自分の名前が記された下駄箱から上履きを取り出して履き替える。

 下駄箱に外履きを収め、荷物を持ち直したところで直結した廊下を、職員と思しき女性が通りかかった。

「あら!かのちゃん!お帰りなさい。予定より早かったわね」

 そんな突然の問いかけにも、慣れているのか特段驚いた様子のない蓮宮。

「あ、依田よりた先生。こんばんわ」

 久しぶり、という挨拶でないところから、蓮宮はこの施設にそれなりの頻度で通っていることが伺えた。

「あ!それ!まだ冷やしておく?もう始まるから、出しちゃいましょうかね」

「お任せしますよ。人数多いから、一応予定の三倍、三個買ってきました」

「ええ!?そんないいのに」

 齢30代半ばだろうか。その依田と呼ばれた職員は腕を捲り上げた薄手のTシャツの上にエプロンをつけているという出で立ちで、遠慮がちに言う。

「いえいえ。いいんですよ。みんな元気ですか?」

「元気よー!元気すぎて擦り傷とか痣を作ってる子は多いけど」

「それは良かった。せっかくなんで、ちょっとだけ覗いていきます」

「ちょっとなんてそんな!ご飯食べていきなさいよ!」

「いや」

「こら。そんな痩せて、何言ってるの」

「…あーそれは弱いですね。じゃあ、お言葉に甘えて」

「今更何言ってんの。いくらここを離れた時間が長くなっても、ここは蓮宮 叶世の実家なんだから」

「…はい」

 蓮宮が、照れ臭そうに、けれど噛みしめるように返答する。

「あ、じゃあ折角だから、そのケーキ、なんか皿に移して持っていきながらサプライズ登場しようかな」

 蓮宮が、その依田の言葉を受けて思いついてしまったことを口にする。差し入れだけ置いて、ちらりと気付かれぬように夕飯の様子を覗き見てすぐに立ち去ろうと思っていたが、ここに来ると、そして依田に言われるとつい甘えてしまう。

「いいじゃない。みんなめちゃくちゃ喜ぶわよ。覚悟してなさい。あ、来ること伝えてないからね」

「ええ!?めっちゃハードル上がるじゃないですかもう」

「でも今のアイディアいいわよ。じゃあ、厨房においでなさいな」

「はい」

 東京都目黒区にある施設「虹乃宙学院」。

 そこは、様々な事情により親や親戚と暮らすことができなくなった孤児を預かり、育て、送り出す施設、俗に言う孤児院だった。

 蓮宮は過去、小学生の時にここにきた。それから中学校卒業までをここで生きてきた。

 その間に、蓮宮が入所したときに先からいた者。そこで暮らすことを余儀なくされて訪れた者。年上も年下もなかった。確かに擬似兄弟のように年上のものは兄や姉、年下は同様に弟や妹というなんとなくの序列ができあがってはいたが、基本的に縦割りではなかった。血は一切繋がっていない唯一の、家族。蓮宮のそれが、この虹乃宙学院で暮らしている。蓮宮は高校生に上がった3月の下旬にここを出た。路線こそ近いもの、施設からは離れて暮らしているが、それでも時折こうして訪れているのだった。そして、今日は。

 厨房に入った依田と蓮宮は、彼が持ってきた差し入れ、三種のホールケーキを箱から取り出し、プレートの名前を確認した。

 今日は、この施設で生活している者のうち、4名が4月に誕生日を迎えていた。4月は学院の都合もあり満足に誕生日会ができないと言う理由で、5月の今日に開催されることになっていたのだ。

「でも、4人なのに3個なのね」

「あ、比奈ひなには、別のものを」

「来年、ここ卒業だから?」

「その言い方やっぱり素敵ですよね。卒業」

「一応高校生以上は一人暮らしさせる規定あるからねぇ。私はいてもらってもいいと思うんだけど」

「今日、比奈帰ってますか?」

「もちろん。みんな喜ばせるんだーって、山ほど駄菓子買ってきてたわ。お小遣いの使い方間違ってるわよあれ絶対」

「らしいな」

「なに、じゃあ、比奈だけ別のなんかがあるの?」

「ま、まあ。高校の同級に相談して買ってきました」

「さすがお兄ちゃん」

「まぁ、一番懐いててくれましたしね」

「過去形じゃないでしょ。今だってねぇ」

 と、話す依田は悪戯な笑みを浮かべる。

「あーあほんと叶ちゃんは罪だわぁ」

「なんでですか」

「あんなに可愛いのに彼氏の一人も作らないの叶ちゃんのせいだもの絶対」

「そんなことありませんって」

「いや、私の目はごまかせない」

 そんなやりとりがややりつつ、三つのケーキと、それらを取り分けたり、食べるためのカトラリーが揃えられた。依田が一個と食器、カトラリー類を。蓮宮が、残り二つのケーキを持って、依田が先に行って呼び込むと言う演出が決まった。

「そんな大仰にしなくてもいいですよ」

「いいのよ。私が、あの子たちの喜ぶ顔が見たいだけ」

 そんな依田の押し切る言葉に蓮宮はすっかり負けてしまう。

「……わかりましたよ、もう」

 ものを持つ前に、カバンの中から長方形の箱を取り出し、制服上着の内側の胸ポケットにしまった。

「……それが比奈のか」

「変な納得しないでもらえます!?そうですけど」

「…ふーん」

「なんですかその目」

「…なんでもありません。さあ行こっか」

 蓮宮は敬語なのが気になったが、全てネタバラシして時間ができたら問いただそうと思う、ここは素直に進行に従うことにした。

 ケーキを構えて、そのほか厨房で作業している数名の職員を除いた全員が集合している食堂の扉の前にたどり着く。

「叶ちゃんはちょっと壁際に隠れてて。合図出すから」

「え……はいはい」

「よろしい」

 蓮宮が扉をあけても四角になる位置に移動したのを見て、依田が扉を勢いよく引き開けた。

「イエーイみんな!誕生日おめでとう!ケーキがきたよー!」

「「「わーーーーー!!!」」」

 小さい者ではまだ年端もゆかない5歳前後のものから、上は中学三年までが、およそ60名ほど暮らしている施設だ。れが一堂に会している食堂の歓声は鼓膜をビリビリと震わせる。

“懐かしいな”

 出所してからも度々訪れている施設だが、なぜかそんな感触が蓮宮の胸に小さな熱をもたらす。ここで過ごした時間が、長すぎた。

「えー!でも那珂なかくんのしかないよー!せいちゃんと希琉璃きるりちゃんのはー?」

「お!もう気づいたか。さすがだな健誠けんせい。ちゃんとあるよ。おーい持ってきてー!」

 依田の号令で、蓮宮がケーキを構えたゆっくりと入り口に姿を表すした瞬間、爆音が食堂を埋め尽くした。

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