第20話 西暦最後の失われた時代
ノラの中で霊を想見した心象――それは白装束の恰好をしていて足がないイメージが強く、SF映画や漫画の世界で登場する怖い霊の姿と一致していた。
だが、
そして、無限に広がる運命の中で、紅空の父親は霊として現世に降り立ち、
空音さんは愛する人を浄化されて……心が擦り切れるぐらい辛かった筈だ。だけど、まだ希望があったから彼女は立ち上がり、魔女と命懸けで戦うことが出来たのだ。
お腹に宿る紅空を庇いながら、そんなアドバンテージの中でも勇敢に立ち向かった英雄である。だから、紅空は愛情と勇気を一身に受けて生まれてきた英雄の子供であり、空音さんが世界に示した愛の象徴なのだ。
しかし、そんな彼女の思惑など無視するように世界は紅空を差別している。その光景を直接見た訳ではないが、バーで会った女性達の会話からして明白である。そんな差別する人間達をノラは絶対に許せなかった。
「
「どうやらタイムリミットみたいっすよ」
津々良がちょんちょんと指を示した方向には、紅空がソファーの背凭れの上で顎を乗せて、寝惚けた表情で口をムニャムニャと動かしていた。
「ふにゅ~。今何時?」
美少女とは程遠い緩みきった顔と声である。
「もうすぐ二時半だな。
「えっ本当? 準備しなきゃだし!」
急いでソファーから起き上がると、紅空は洗面所に顔を洗いに向かった。
「面白そうだから、俺っちも一緒に行くことにするぜぇ」
「てか、モヒカンを器用に動かせるなら自分でハム焼けよ」
「毛が燃えたら大変だろぉ。常識で考えろよノラ公」
「……多分、俺はモヒ犬アレルギーだわ。お前と話すと腸が煮えくり返ってモツ煮が完成しそうだ。よって、ここに置いていく。軽井沢にはドッグランするために行くんじゃないんだぞ」
「おいおい。冗談は顔だけにしろよぉ。長い物には巻かれろって言葉知らないのけぇ?」
「長い物には巻かれろって言うか……実際にモヒカンに巻かれちゃってるけどな」
「用心に越したことはないぜ。紅空一人じゃ戦力不足の可能性はあるだろぉ? 俺っちなら一毛打尽だ。それともノラは戦う術でもあるのかぁ?」
「戦う術か…………」
そう言えばアレの事をすっかり忘れていた、とノラは胸ポケットから奇怪な御札セットを取り出した。初期装備だったので重宝していたが、スタート地点の屋上は寒かったため、数枚は鼻をかんで捨ててしまった代物である。
白色の御札が五十枚程、黒色が十枚、赤色が一枚だ。御札を広げて手で持つと、陽気な津々良の表情が一際険しくなった。
「それはノラ君の持ち物っすか?」
「多分な。現世に来たタイミングで胸ポケットに入ってたから、おそらくとしか言えないけど」
津々良は怪訝そうな表情ではあるが、興味あり気に御札を観察している。
「文献で読んだことがあります。これは
漠然とした内容ではあるが、ノラは言われた通りに全ての御札を手で広げながら適当に何かを念じてみた。
すると、直ぐに異変は起きた。
ガチャーン――――。
ガコン――――――。
バサバサ―――――。
「えっ? ちょっと! 何が起きてるの!?」
静寂な部屋に突如として様々な音が鳴り響いたので、大慌てで戻って来た紅空が説明を求める。何せ白い鳩の形状をした紙がバサバサと豪快な音を立てながら、縦横無尽に飛び回る光景が目の前に広がっていたからだ。
「これヤバいだろっ! どうやって止めるんだ!?」
「深呼吸して心を落ち着かせて下さい!」
津々良のアドバイスに従い、深呼吸するノラ。平静を取り戻すと共に白い鳩の動きが緩和されていく。
「心の中で手元に戻るように念じてみて下さい」
言われた通りに念じると白い鳩達はノラの手元に帰還し、元の御札の形状に戻る。
「今のは……何だったんだ……?」
ノラが呆然とした様子で重役席の机に腰を預けている時、津々良は紅空に成り行きを説明していた。
「霊譜なんてアイテム聞いたことないんだけど……紙を鳩にする手品用品じゃないの?」
「確かに今の状態では、鳩の形状をして飛ばす手品レベルの代物っすね。何も発生しなかったのは術式が込められていない証拠っすね」
「それで? その床に散乱した物は何?」
紅空がしゃがみ込んだ床には、色々な物が落ちている。中華鍋、土鍋、圧力鍋、蒸し鍋、その他料理器具、料理本、スノーボードセット、布袋に入った棒状の物、そして……
「太陽と月のヘアピン?」
紅空が指輪ケースのような小さな箱を開けると、そこには二本のヘアピンが入っていた。
「……ノラってコッチ系の趣味があるの?」
人差し指で耳たぶを弾いた紅空。イタリアでオカマを表すジェスチャーではあるが、なぜイタリアにかぶれているのかは一先ず触れなかった。
「全力で否定はしておくが……記憶が戻った瞬間にオネエ化するのは願い下げだな……」
「オネエはさて置き、前世のノラは間違いなく厨房長だね。料理作るの上手だし今思えば、料理見た瞬間に金色の光が放たれた気がする!」
「完全に料理アニメのエフェクトやん……特級厨師だったのかな俺」
オカマの厨房長とかピーキーな設定だな、と鼻で自嘲したノラは布袋に入った棒状の物を取り出した。
「おいっ、これ刀じゃねえかよ!」
手に取ったのは一本の刀――
「てか、何でお前らそっちの隅に移動してるんだ?」
ノラ以外の全員は離れた場所から、心配そうな表情でこちらを見守っていたので、疑問を漏らすのは自然な摂理である。
「ごめんノラ。その刀……ちょっと嫌な感じがするんだよね」
「恐らく黒と赤の霊譜は物質召喚用っすね。霊譜に登録した物質を自在に取り出すことが出来る便利な代物っすよ。ただ、赤色の霊譜は
「マジ? ……曰く付きとか物騒過ぎるだろ。刀を抜いたらヤバいのか?」
他人事のようにサムズアップする津々良の姿は、傍観者さながらの投げ遣りな態度と言っても過言ではない。しかし、刀が織り成す純白の美しさは何処か妖艶さを秘めており、形容し難い精彩さに見惚れるように抜刀を試みたが……、
「ん? んっ? んッ? どんなに力入れても刀が抜けないぞ……」
ノラの一言で全員が拍子抜けした様子で近付いてくると、第一回抜刀大会が始まった。
「本当に抜けないね。クゥちゃんの
黒豆の神戯はモヒカンで巻き付けた物を一トンまで持ち上げることが可能なので、相応の張力を発揮できる。
「どうやら刀まで
「言い方が軽っ! 妖刀とか現実世界で本当に存在するんだな。まぁ貫禄のある武器っぽい感じだし、同伴させることにするか」
抜刀不可の心許無い武器を腰にぶら下げて準備していると、料理本の中身を見ていた津々良は更に意味深な発言をした。
「紅空、円暦の前の暦はご存知っすか?」
「社会で習ってるから常識だよ。西暦でしょ?」
「なら……西暦最後の元号は?」
「『平成』でしょ? こんな当たり前の質問してどうしたの?」
紅空は首を傾げながらそう答えると、津々良の視線の先を目で追った。そこには引き攣った顔をしたノラが困惑していたのだ。
「その反応を見て確信しました。ノラ君……今の話と貴方の認識は齟齬があるのではないっすか?」
「あぁ……違和感があるのは確かだ。自信はないけど『平成』の次には元号が存在していた気がする」
ノラの言動に対して津々良は何かを見透かしたようにニヤリと笑った。ややあって、料理本の最後のページを開いて見せると、そこには『2020年3月17日 初版発行』と記載されていた。
「今の子供達は紅空と同じ知識を義務教育で教えられています。西暦最後の時代は『平成』で2019年5月から円暦1年が始まっている。大人世代も含め、全ての人間がその偽りの歴史を刷り込まれています」
「……どう言うことだ?」
「一つの時代が隠蔽されているってことっす。今現代に生きている人間の中で、新の歴史を知る者はいない。約百年前に起きた『常闇の数秒』と共に消失した時代の真実は文字通りに闇の中です。つまり、『失われた時代』に歴史が隠蔽される程の何かが起きたのは明白。私は『歴史を紡ぐ者』として、その真実を知りたい!」
まるで好奇心が芽生えた純粋な子供のように、津々良の目は熱を帯びていく。
「私の一族で語り継がれた伝承の中には、興味深い伝話があります。霊が現世で命を芽吹かせた始まりの時代。そして、世界の均衡が崩れて霊が飽和した。私達は『霊が飽和した時代』を略して、こう呼んでいます」
全員が息を飲む程の熱量が語り部の表情に映っていた。真実を語る津々良の一挙手一投足に目を配る。
「――西暦最後の時代『
その単語が耳に入った途端、記憶の迷宮に足を踏み入れたノラの心拍数が急激に高まった理由は誰にも分からない。理解不能な鼓動は彼の記憶の範疇を超えていた。
--★あとがき★--
目次のトップに専門用語集を纏めてみました。一旦は世界観に関連する用語だけとなります。忘れている単語が現れたら、辞書代わりに使用して下さい。
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