第24話 タガタメの想いと資格
黒の標識が町中から消える光景をノラ達は目撃する。そして、軽井沢で初めて見る町人は、狐につままれたような疑問を孕んだ顔をしていた。
「呪力の消失と同時に人の気配が増えやがったなぁ。これも織り込み済みだったってことか」
「呪力の影響で家の中に監禁されていたんだろうな。……町の状況は気になるけど、
眉を寄せるノラの表情は明らかに負の感情が混迷していた。おそらく紅空は藁しべ猫の救援に向かったのだろう。危険を顧みずに目的を遂行する想い――そこまでして藁しべ猫に縋る彼女の本心がノラには見えなかった。
「おい、ノラ公っ。アレを見ろよ!」
「呪力か!?」
「いや……呪力の気配はない。おそらく
光の矢印に近づくと、それは目的地に向けて動き出した。夜風が静かに吹く小道に入り、ノラ達は光の指針を辿る。
一方、光の矢印が導く先にある駐車場では、昏倒した紅空が横になっていた。ややあって、膝に触れる感覚を察知してゆっくりと目を覚ます。
「時期に黒髪の少年達が到着する。応急処置しか施せない我を許してくれ」
目の前で藁しべ猫が頭を下げている。刺傷箇所から流れる血を止めるため、膝には布が巻かれていた。血が滲み込んでいる。
「良か…た……ノラ達…生きてた。ぁりがとう……猫…ちゃん」
「お礼を言うのは我の方だ。本当にかたじけない。お主よりも長い生を受けている割には、浅はかな行動を取ってしまった。……だが頑固と言われようが、時には信念を通さねばならぬ決断もある」
「ふふ。確かにその気持ちは…分かる…よ……」
紅空の掠れた声は集中しないと聞こえないぐらい小さかった。エナは生命エネルギーに等しい。枯渇した状態では体に力が入らないのが必然であり、ボロボロに傷付いた姿は満身創痍だった。
「……猫ちゃん…一つお願いがあるの。私に道標を示して…ほしいの」
「……何の道標を示して欲しいのだ?」
「私の連れ……ノラを式神として…召喚した契約者の居場所を……示してほしい」
紅空は上体を起こそうと試みるが失敗し、照れ隠しに小さく微笑んだ。その姿は儚い程に弱弱しく、藁しべ猫は真一文字に口を結ぶ。
「ノラが式神になれば……国から許可が下りる……現世にずっと…滞在できる」
「……正式に許可が下りるとは限らぬ」
「うん。でもノラなら……きっと大丈夫。彼には前を向く強さが…ある。私と違って……生きる強さがある」
ゆっくりと話す口調は更にペースを落とす。紡ぎ出される言葉の一つ一つが力を振り絞って出された音だ。
「秘密を隠してまで……彼には生きて…欲しい。忌々しい理…から逃…れて…ほし…」
微風で揺れた前髪が目にかかっている事に気付かない紅空。彼女は再度意識を失った。
「銀髪の少女よ……すまぬ。残念だが願いを成就させるのは難しい。お主は道標を示す条件を満たしていないのだ」
目を瞑っていた藁しべ猫が首を横に向けると、駐車場入り口から光の矢印が進入する。その後続から黒髪の少年と黒犬が現れた。
「紅空っ――!!」
一目散に紅空へ近付いたノラは、彼女の名前を何度も呼ぶ。
「案ずるな。怪我はしているが、すぐに治療すれば命に別状はない。時期にこの
「……
「全てのエナを使い果たしてまで、身を挺して我を助けてくれた」
……どうして? 命を懸けてまで望む彼女の本懐は一体……何なんだ?
バーでの記憶が脳裏を過ぎる。魔法の本が提示した未来が再現される。ノラは必死に解釈する。
紅空が懊悩しているのは自身の死? 彼女の必死な行動がそれを裏付けている。だから、命を懸けてまで藁しべ猫の道標を求めている。
ならば自分の願いと紅空の願いは一致している。ノラはそう答えを導いた。
「藁しべ猫……俺が望む願いを聞いてほしい。紅空の運命を変えられるなら、その分岐点を教えてくれ。紅空が笑って生きる未来の道標を示してくれ」
漠然とした内容だが記憶がない空白の器に、唯一存在するノラの本懐だ。
「……不器用な連中だな。残念ながら主も条件を満たしていない」
「条件があるのなら何でもする。だからその条件を教えてくれ!」
藁しべ猫に真剣な眼差しを向けるノラだったが、不意に鳴る鈴の音と駆け寄る気配がしたので身を振り返る。
黒い軍服を纏った金髪
「
「了解にゃんっ!」
あまりに手際が良いので、ノラと黒豆は声を掛けるタイミングを逃す。ややあって、ダルクの横に座り込むと首輪の鈴がチリンと鳴った。
「治癒能力があるのか?」
「ダルクの肉球に触れると細胞が活性して、周囲の組織から傷口を修復するにゃん。骨もいけるよん」
心配そうに見守る中、紅空の刺傷が徐々に修復されていく。
「優秀な神戯だな。何処かのモヒ犬とは大違いだ」
「うるせぇ」
「にゃんて事にゃいよ。はい、外傷は治ったにゃん。輸血は大丈夫そうだけど、念のためお医者に診て貰うにゃん」
猫のお医者さんの治療時間約五分。優秀な名医もいたものである。そして、小言だがこのタイミングで黒豆のモヒカンヘアーが完全に戻った。
「ノラ公……藁しべ猫の姿がないぞぉ」
黒豆の発言直後、辺りを見回したが藁しべ猫の姿は消えていた。結局、道標を訊く事が出来ず、やり切れない思いに唇を噛み締める。
「取り敢えず『スサノオ』の承認が下りた。朝方までには、町中の荒れた現場は元通りに回帰する筈だ。現場整備は他の霊能官に任せて、我々は紅空君をリージョンGの医療施設に運ぶ」
御厨の発言に含まれていた『スサノオ』は、
登録した座標ポイントにある建築物、道路、その他(外壁など)を補完し、元の状態へ回帰する事が可能である。
但し、建築基準法で定められた『
「それでは……浮遊霊と犬の式神諸君。我々は失礼する」
「失礼するじゃねえし!」
ナチュラルにお姫様抱っこを決め込んだ御厨に対して、文句のツッコミを咬ますノラ。万人受けするイケメンだ。この状況を見た女性達が、黄色い声援を飛ばす光景が目に浮かぶ。
「治療してくれた事は感謝する。だけど、紅空は俺が運ぶ。アンタは他の事後処理に専念してくれ」
「……指輪を見る限りでは既に登録済みの浮遊霊で間違いなさそうだが、諸注意が頭に入ってないのか? 霊と人間の接触はご法度だ」
「俺達は紅空の連れだ。連れが一緒に居ちゃ駄目なのかよ?」
「その言葉……あまり他言しない方が良い。何よりも罰せられるのは紅空君だ」
ノラは目を丸くして御厨を直視した。正直、この世界の法がそこまで深刻だと思っていなかったのだ。
「一緒にいるだけで……紅空が罰せられる……? そんなのイカれてるだろ!」
「イカれてるのはメビウスの理を無視する君だ、凡霊。浮遊霊は人間と接触せず、死後カリキュラムを熟せばいい。周りの霊も理に従ってる筈だ」
御厨の騎士道と言わんばかりの凛とした姿勢と口調が妙に癇に障る。他者との友好関係の良し悪しは、第一印象で決まるとは言うが、まさにその通りである。
「凡霊とは陳腐な表現だな。流行語大賞のノミネートでも狙っているのか? 全ての霊を一括りにしないで貰いたいねっ」
過剰に悪態を
「……君と話すのは、どうやら無駄な時間のようだ。品性の欠片もない。君の素行が紅空君を危険な目に合わせたのだろうな」
ふぅっ、と殊更に溜息をつく金髪の騎士。売り言葉に買い言葉の応酬を黒豆とダルクは沈黙で見守っている。
「なっ! 元はと言えば、お前達の応援が遅延したから――」
「紅空君は聡明だ。敵の力量が上だと判断したなら、即刻に退却する決断を取っていただろう。それが出来なかったのは、君が足を引っ張っていたからではないのかい?」
「それは……」
「君は紅空君を守ることが出来るのか? その強さがあるのか? 全てを受け止める資格はあるのか?」
「――――ッ」
「その中途半端な覚悟や威勢が彼女を不幸にする。凡霊に一つ忠告しておく――」
御厨が踵を返すと、闇夜でも艶やかさが伝わる銀髪の束が、彼の腕から零れるように落ちた。
「君の狭量では、紅空君の悲しみを背負うことは決して出来ない。分かったなら、今後は彼女と接触しないでくれ」
その言葉に反論することなく、ノラは御厨の背中を見ながら静かに立ち尽くしていた。今回みたいな騒動が起きたとしても、紅空を守る自信がない。御厨が言っていることは間違っていない……だからこそ、握り込んだ掌に爪の跡を残すことしか出来なかった。
揺らめく銀色の髪は、自分の心の揺らぎを映しているようで。彼女の傍にいる資格がない事を理解したら、頭の中が真っ白になった。
吹き上がる風に導かれるように夜空を眺めると小さな星が輝いていた。
――この世界にいる霊に輝ける場所はあるのかな?
後ろ髪を引かれるような涼風が吹き、黒のジャケットが少し捲れ上がると、胸に秘める『後悔の灯』が静かに揺らいだ気がした。
⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅
目を覚ますと、消毒液の匂いが部屋に充満していた。紅空が苦手な病院の匂いである。
「……そっか。完全に意識を失って此処に運ばれたんだ……」
紅空は上体を起こしたが、力が抜けてボスッと羽毛の枕に横顔を埋めた。
時刻は十時だ。
サイドテーブルの上には、空になった薬の包装シートとコップ。そして、一枚のメモが置かれていた。
『今日は一日安静にした方がいい。午後にお見舞いを兼ねて伺うつもりなので、昨夜に発生した
ちなみに死者はゼロ。
伝言を読み終えた紅空は、安堵の吐息をついた。
「無事で本当に良かったぁ……。そう言えば……」
藁しべ猫はノラに道標を伝えてくれたのかな?
ふと思案顔を作った紅空だったが、すぐに目を瞑った。何となくノラなら心配してお見舞いに来てくれる気がしたし、その時に話を訊けばいいかと考えたからだ。
それから二時間経過して昼に目が覚めた。……それから三時間は経過した。……それから数時間は経過した。
結局――。
その日にノラが現れることはなかった。
⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅
『……お願い!! ここから出してよぉ!!』
『うるせぇ! 犯罪者の子供のくせに出しゃばるな!』
『暗いの怖いよぉ……出してよぉ……お願い!!』
『霊の子供なら暗闇の方がいいんじゃないの?』
『……誰か助けてよ……助けてよ……』
『お前の味方なんて、この世のどこにもいねえよ!』
『世の中には正義の味方がいるもん! きっと紅空を助けてくれるもん!』
『なら助けが来るまで、ここで泣いてろ!』
『……助けてよ……助けてよ……お母さん……』
目覚めると、寝汗で服がぐしょぐしょだった。気分最悪の朝だ。
嫌な事を思い出した日は、大抵嫌な事が重なる。負の予兆と言うべきだろうか。運命は流れの法則で成り立っている。
『交友関係のトラブルが絶えない一日。秘密が明るみに出るので心得よ』
毎日の日課である二十冊の九星運勢歴の中から適当な一冊を選択する儀式――籤引き運勢チェックをすると、紅空は憂鬱になった。
今日はノラに会いに行こうと考えていた。ノラから音沙汰がないのが腑に落ちなかったのだ。だけど、運勢の暗示が最悪だった。
「会いたいけど……今日は止めた方がいいかな……」
だが、どんな行動を取ったところで、逆らえない絶対的な運命は存在する。
この日を境に運命の渦は大きく回り始めた。
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