第9話 心を満たすのは温もり
緊急招集は、何か大きな事件の幕開けを暗示する。会議で周知された時には、もう既に戦禍に巻き込まれており、第一声は殉職者への黙祷から始まることが多い。
しかし、今回は平和的に会議が終わったので、
会議後の余韻で世間話をするメンバーを横目にして、紅空はそそくさと帰ることが常である。
各霊能官は隣のカンファレンスルームDに預けた式神達を迎えに行くが、紅空は式神がいない。今日もアフターダッシュで、逸早く帰宅しようと考えていた矢先だった。
「紅空君、疲れているところ申し訳ないのだが、少しだけ残ってほしい」
泥棒のようにコソコソしている紅空を、
歩くだけで多くの女性から脚光を浴びる金髪のイケメンは、ファシリテーターとしての疲労を全く見せないぐらいの爽やかな立ち振る舞いだった。
「はい……分かりました」
一方、紅空は疲労困憊。今日に限って最悪だ、と無機質な表情で素っ気のない返事をする。
暫く経つと、残るメンバーが会議室から退出。互いに向かい合う形に座り直すと、御厨はゆっくりと口を開いた。
「先程はバイネームで意見を求めてしまい、本当にすまなかった。だが、お陰で進展はあったよ」
「いえ、大した事を言ったつもりはありません。それで要件は何でしょうか?」
「手短に話すよ。残って貰った理由は二点あるんだ。一点目は最近、中部地方を中心に市民から問い合わせが多発している件があってね」
「問い合わせですか?」
御厨が空間にブラウザを立ち上げると、紅空は問い合わせ記録を流しで読み進めるが、内容を理解するにつれて、次第に表情を曇らせた。
「……悪戯ではないですよね?」
怪訝な顔をしながら、紅空は疑問符を頭上に浮かべる。
「不思議な話だろ。当初は悪戯の類だと静観していた。朝起きたら、人形やぬいぐるみが消えていた話なんて、警察もいちいち真に受けられないしな」
「でも、流石に二週間で372件って異常過ぎますよ」
「あぁ。類似した問い合わせが日に日に増す一方でね。五日前から地方県警が対応していたのだが、全く解決の糸口も掴めないようなんだ。
終いには『夜中に人形が勝手に歩いて出ていった』など、子供が証言したみたいで、混乱の最中らしい……」
「ネズミー映画みたいな話ですね……」
この時、紅空の脳内はざわつき始めた。きっとまた、オカルト対応の雑務を命ぜられるのか、と。
「そこで、上層部から霊的なアプローチで霊犯に調査してほしいとの通達があってな。紅空君に任務をお願いしようと思った次第だ」
予想通りだった。
――やっぱり。今回もオカルト対応かぁ……。
序列最下層の
とすれば、
前回の任務では、ある老人の依頼を調査した。部屋から物を叩くような不信音が鳴り響き、皿などの食器が勝手に動くとのこと。
要するにポルターガイスト現象が起きると訴えていたのだが、際しては老人の病的な貧乏ゆすりだった、というオチでクローズした案件である。
高速で上下に動かす老人の膝の皿を叩き割りたかった気持ちは、わなわなと震える紅空の胸中で収めた話だ。
「承知しました。後、調査方針と期限の話をさせて下さい」
紅空は学生だ。当然、学生の本分は学業。霊犯に所属する学生に与える任務は、主に隙間で熟せる範囲で計画される。
「方針は紅空君に任せるよ。調書は君の
霊犯内で紅空が浮いていることは、御厨も承知の事実だ。だからこそ、先程の会議のように発言の機会を与えて、各メンバーの彼女に対する意識を変えたい思惑があるのだ。
御厨は紅空の思慮深さとプロファイリング能力には一目を置いていた。
「はい、任務の件は承りました」
しかしながら、紅空の想いは明後日の方向だ。誰とも関係を持たず、空気として生きることを最善としているため、そんな御厨の意図など何処吹く風であった。
「よろしく頼むよ。後、二点目の話なのだが……」
御厨はバツが悪そうに語尾を落としながら、少し間を空けた。
「
紅空の眉がピクッと動く。御厨のお節介な質問に対して、戸惑ったように目を横に外す。
「彼女とは……特に話す機会はありません。学校でも別グループなので」
「以前のように、何か嫌がらせを受けてたりはしてないか?」
「いいえ、別に……」
紅空が斜に構えた態度で答えると、御厨は小さく頷いた。
「……そうか。協調性を意識しても人間は結局、相性を重視する生き物だ。だから、無理に仲良く、とは言わない。だが、波長が合わない同士でも、共に任務を遂行するとなれば、互いに命を守り合わなければいけない」
「はぃ。重々承知しています」
「余計なお世話だったな。何か悩みがあったら、遠慮せずに言ってくれ」
「お気遣い有難うございます」
「遅くまで付き合わせて悪かったね」
紅空は立ち上がり「それでは失礼します」と頭を下げ、会議室から矢継ぎ早に退出した。
エレベーターホールまでの廊下。鼠色の防音カーペットの上を、焦げ茶色のローファーが踏み歩く所作は少し荒々しい。早歩きをしながら、紅空は御厨の顔を想起した。
紅空に向けていた憐憫の目。
ガラスモノを扱うような態度を取らないでほしい。憐れみの矛先を私に向けないでほしい。
そう紅空はいつも心の中で思っていた。
⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅
本部の正面エントランスから外に出ると、潮風の匂いが鼻についた。夜の海を航行するフェリーの汽笛が耳に入ると、秋風を感じる冷たい風が紅空の頬を撫でる。
「大分、居残っていましたのね」
横から声を掛けられたので、反射的に振り向くとそこには遊鳥の姿があった。取り巻きの連中はいないが、当然、肩にはシマフクロウのキュービッツが乗っている。
油断していた紅空は、引き攣った顔をした。
「任務の話でちょっとね」
「どうせ、また雑務でも任されたのでしょ? 遊鳥キッパリ♪」
「…………」
腰に手を当てながら、マウンティングポジション全開の遊鳥。赤い前髪を払う仕草は、どことなく機嫌が悪いように見える。
「もしかして、それを言うためにわざわざ待ち伏せしてたの? それとも追っかけ? 何れにしても趣味悪いよ」
「ふんっ。あなたに忠告しておいた方が良いかと思いましてね」
「なにっ?」
機嫌が悪いのは紅空も同じだった。露骨に不服さを顔に出している。
そんな彼女の態度に眉を顰めながら、遊鳥は腕を組む。
「先程の態度は何ですの? 我関さず、事なかれ主義を通している割には、随分と生き生きと論説して!」
「ただのヤッカミじゃん! 私は意見を求められたから、それに答えただけだし、萌園さんの汚点を拭っただけ」
「自分の殻に籠っているくせに、都合が良い時だけ他人に寄生してしゃしゃり出る。その中途半端な態度が気に食わないのよっ。学校でもそう!」
「大きなお世話! 私の生き方を否定しないで!!」
キュービッツが仲裁に入るが、女同士の争いは止まらない。もはや、置物同然の扱いだった。
周りには誰もいないので、ヒートアップする一方だが、悪意を孕んだ遊鳥の一言で鎮まることになる。
「チッ。失墜者の娘のくせに……」
刃物で刺されたような鋭い痛みが紅空の心を抉った。目の奥にある光は一瞬で翳り、焦点が定まらないまま朦朧としている。
遊鳥の背後から声が聞こえたのは、その時だった。
「おい、萌園。ポッチー食うか?」
全く気配を悟れずに背後を取られたせいか、怯えた表情で振り返る遊鳥。
「――ら、雷前さん!」
そこには茶髪でポニーテールの女性が立っていた。
黒のインナーにライトグレーのスーツ。身長160センチ台の紅空や遊鳥と比べると、背はかなり低い。
御年
「いや~今日は絶好調だったぜぃ。なんと、二万五千発――収支プラス七万勝ちだ。凄いだろ!?」
「おめでとうございます……ただ、御厨さんはご立腹でしたわ」
人生の大半をパチンコに捧げる女――
男の需要が見込まれる猫のような懐っこい顔と、服がはち切れんばかりの双丘を持っているが、もう
そんな彼女の飄々とした態度を前にして、遊鳥は一歩退いた。遊鳥の中で、思考が全く読めない人間の一人だ。
「あちゃ~。英士スペシャルお灸コースか。景品のポンタン飴を渡すだけじゃオブラートに包んでくれないだろうな」
虚空を見ながら、手を顔に押し当てる帆稀。アーモンド型の右目の下にある泣きぼくろが手で隠れる。
「雷前教官。お疲れ様です」
弱弱しい声で挨拶をする紅空。
「うぃーす。紅空の好きなグミもあるぞ。ほれ」
「ありがとうございます」
明るい笑顔でグミを渡す帆稀と気落ちした紅空を他所に、モヤモヤが晴れない遊鳥は仕方なく帰宅する。
「それでは、私は先に帰らせて頂きます」
「おい、萌園。――甘い物食わないとストレス社会で死ぬぞ」
振り向いた帆稀が投げたお菓子が遊鳥の手に渡る。明るい声とは裏腹に、帆稀の表情は鋭いものだった。
「お、おつかれさまです」
背筋が凍るような感覚が走った遊鳥は、その場からすたすたと去って行った。
「メス一匹の戯言だと思って、あまり気にするな」
「はい。見苦しいところを……本当にすみませんでした」
「なあ、紅空。……何度も言うが、あの件を考え直すことはできないのか?」
気を揉むような帆稀の表情に、紅空は頭を下げると、
「自分で決めたことなので。心配しないで下さい……私は大丈夫です」
そう言って紅空は、静かに歩き出した。
闇夜に飲まれるように消えていく紅空の背中。それを見届ける帆稀の目にも憂いの色が浮かんでいた。
⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅
賃貸マンション3F。紅空の住処。
到着時には、既に八時半だった。
部屋の前で紅空は夕飯を食べていないことに気が付いた。そもそも、食欲すらなかったし、道中で食べたブドウ味のグミが夕飯でいいかな、と精魂尽き果てている。
徐にドアを開けると、目の前の台所にはノラの姿があった。
「おかえり。遅かったな」
紅空はポカンと口を開けて、その場に立ち尽くす。
「紅空どうした? 居ちゃマズかったか?」
「いや、そうじゃないよ。『おかえり』……って久々に聞いた」
「まあ、慣れ親しむと忘れがちな言葉だしな。ましてや、一人暮らしだと聞ける機会がない」
「う、うん」
「なら早く『ただいま』って言えよ。それが礼儀だろ」
紅空は戸惑いつつ、一呼吸置いてからその言葉を声に出した。
「た、ただいま」
「おかえり」
何年も縁がなかったその言葉。ありきたりな挨拶の一つだ。
だけど、ぽっかりと空いた心が満たされるぐらい、紅空はその言葉に温もりを感じていた。
「ボーっとしてないで、早く上がれよ」
リビングに入った時、紅空がまず感じたのは、部屋が綺麗になっていることだった。床、家具、ルウさんの水槽さえもピカピカで、散らかっていた服や物が片付いている。
そして、テーブルに並べられた料理。
「チキン南蛮! これどうしたの?」
「当然、ノラ料理長が作ったんだ。甘酢のタレとタルタルは特製だぞ。夕方六時ぐらいには出来てたから、大分冷めちゃってるけどな。だから、早く食べてくれ」
紅空がテーブル前にちょこんと座ると、ご飯と野菜サラダ、それに温め直した味噌汁が並ぶ。
「わざわざ、ここまでしなくて良かったのに」
「一宿一飯の礼はする。怪我も治してくれたしな」
紅空は毒味をする忍者のようにゆっくりと箸でチキン南蛮を掴み、一気にパクッと口に入れて咀嚼する。
「んっ! 美味しいぃ! 超美味しいよ、これ!!」
「昨日のモヤシ炒めよりは美味いだろ?」
「うわー、掘り返すとか酷い奴。ノラ、料理上手なんだね」
「みたいだな。その記憶は生きてて良かったわ」
チキン南蛮、ご飯を交互にパクパクと食べる紅空。
美少女のくせに口の周りにタルタル付けるなよ、と微笑むノラ。
紅空は両手で持った味噌汁を飲むと、今日一番の笑顔を見せた。
「お味噌汁……温かいね」
「? そりゃ温め直せば、温かくなるだろ」
「ううん。温め直さなくても、温かいよ……」
「本当に変な奴だな」
「えへへ」
少ししょっぱめに作られた味噌汁の味は、
――優しい温もりの味がした。
お味噌汁の中身を見つめる紅空は本当に嬉しそうで、その姿を見たノラは少し照れながら、
「腹減ってないけど、俺も少し食べていいか?」
「うんっ。一緒に食べよっ!」
久しぶりに誰かと一緒にご飯を食べる紅空。いつも一人で寂しそうに弁当を食べる姿と、今の喜びに満ちた笑顔を比べられるのは、この場で一匹だけだった。
「そう言えば、どうして私の好物を知ってたの?」
「それはル……ウーマン。女性の好物なら、言わずもがなチキン南蛮だろ?」
「ふぅーん。普通スパゲティとかハンバーグが出てきそうだけどね」
そんな和気藹々の団欒を、水槽の割れた鉢の中からヒョッコリと顔を出したルウさんがずっと見守っていた。
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