第22話 ミステリーシンドローム(中編)
ワンピースタイプの軍服でプリーツスカートのような折り目が印象的だ。肩から腕の袖口。胸元から太腿にかかるスカートの裾にかけて、金を基調とした華美な刺繍が施されており、腰には若干斜め掛けした太めの黒ベルトがウエストマークされている。
肩辺りの袖には青色の桜の代紋。これは所属階級の色を表している。
夏用に作られた薄布はスタイルの良い肢体の輪郭線を強調し、その姿に扇情的な印象を与えていた。そして、注目すべきは黒のニーソックスに留められたシルク素材のセクシーなガーターベルトである。
当然、健全な男性の反応としては、
「超エッッッッッッッッッッッッッロッ!」
性欲が枯れていない限り、ノラの反応が一般的であろう。絶対領域に釘付けである。
しかし、ノラは認識していないが軍服は実体ではない。
軍服にガーターベルトをカスタムしている彼女を指摘する者は霊犯内には誰もいない。唯一の存在と言える元教官の
フォーマルを意識してガーターベルトをブレンドしている所は、まさにハイスペックな天然である。
そんな天然娘の脚線美がバレリーナのように眼前まで真っ直ぐ上がる。
「『
振り下ろした足が地面に到達する瞬間、空中から吹き下ろされた烈風が人形達に直撃した。吹き荒ぶ音を伴いながら、家の塀に叩き付けられる人形。プラスチックやガラス素材の物は甲高い音を鳴らして粉々に砕ける。
しかし、形状を保っている布素材のぬいぐるみや人形は、むくむくと起き上がると後続兵に混ざって再び進軍を開始した。
「
透かさず神戯が発動し、四方向へ分散して伸びた黒豆のモヒカンが愛玩具の集団を絡め取る。
「クソッ! ピンチの時でも抜けないのかよっ」
カチャカチャと抜刀と試みるノラは諦めてサポートに回った。
「モヒ犬! この中に叩き込めっ!」
ノラが開いたのはゴミ捨て場に設置されているアルミ製のトラッシュボックスだ。拿捕した集団が放物線を描きながら豪快に収納されると、ノラはパッチン錠でロックした。箱中からドンドンッ、とアルミをノックする音が響く。
「……人形を操る呪力?
渋面を作った紅空の口元に添えられた手には、黒革薄地のグローブが装着されている。
革グローブとシューズタイプの黒カラーの
体内の基脈から流れるエナを当人の属性に変化させ、体に纏いながら戦闘することで、移動補強、打撃強化が可能となる体術専用の霊具である。紅空が得意とする
「後はこの不思議な現象だよなぁ。町全体が偽物の場合は『幻術系統』の可能性大。一番ヤバいのは、常識の
「神を惑わす根幹……『悪魔系統』だったら、分が悪過ぎるね。霊犯内でも
エナの八属性による性質以外にも『系統』と呼ばれる能力質が定義されている。例えるならば、八属性が血液型で能力質が性格と言うべきだろうか。
その中で一番厄介なのが『悪魔系統』である。別名『悪魔の命題』と忌避される呪力は、世の定理や道理が一切通じない。云わば災厄である。
紅空と黒豆は一抹の不安を感じながら、チラッと戦闘中のノラを一瞥する。二体の敗残兵(スライムとミジンコのぬいぐるみ)と鞘で戦う姿は、玩具売り場で駄々をこねる子供ぐらい滑稽であった。
⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅
一方その頃、
「はいは~い。押さないでちゃんと一列に並んでね~♪」
妹のパサラが先導する列の先頭には、姉のケセラが所有するピクニックバスケットが地面に置かれている。その中に飛び込む人形の姿は何とも珍妙な光景だった。
ケセラの呪力『
・性質 闇属性𝕮
・能力質 物質干渉系統
ケセラの
人形を操る条件は、対象の人形を三秒間以上目視すること。そして、完全な奴隷にするためには、一度でも
常識で考えれば、軽井沢中にある何千世帯――しかも屋内に存在する人形を目視することは不可能であるが、その点はパサラの呪力で補完している。
「あれあれ、ケセラ。浮かない顔してどうしたの? この煩い犬の遠吠えが気になる?」
人差し指を唇に当てて、キョトン顔を作るパサラ。
「メエメエ。子羊が三匹迷い込んでるみたいだよ、パサラ。集合を命じていた人形が百体程やられちゃったみたい」
「シクシク。
「白の軍服。恰好的には霊犯の下級霊能官だね~」
「なら楽勝で完勝だね~。
「うんうん。日本人形兵二百体、フランス人形兵二百体で蹴散らしちゃうね♪」
クククッと嗤いながら口角を上げるケセラ。
「あらあら。絶望で横暴だね。迷える子羊は肉塊も残らずララバイ決定♪」
ケケケッと嗤いながら口角を上げるパサラ。
「日本人形軍出陣!
ケセラがそう命令すると、
⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅
「紅空、一つ気になることがあるんだけど……」
「……この時代の道路標識は全て黒色なのか?」
ノラが指で示した先には一方通行『⇒』の看板が立っている。なぜ彼がこんな質問をするかと言うと、記憶にある一方通行の看板は青色を基調とした白矢印だったからだ。
だがしかし、目の前にある看板は黒を基調とした赤矢印である。
「いや、こんな色した看板見た事がないよ……暗くて意識してなかったけど、よく見ればあちこちに黒色の看板あるじゃん……」
現在地から見える看板と言えば、一時停止、進入禁止、指定方向外進行禁止……そして、家のドアの絵にバツ印が描かれた看板だ。これは明らかに見た事がない。
「……嫌な予感がするな。今まさに一方通行の道に入ってるから、逆走してみるぞ」
ノラの提案と共に踵を返す一行。すると、紅空とノラの顔面は蒼白に変わる。
「嘘っ! 前に進めないよっ!」
「嫌な予感的中だな。まるで見えないバリアが張られているみたいだ……これが呪力かよ」
「常識の
敵の能力は標識に書かれた規則の強制的な順守である。全員顔を合わせてゴクリと息を飲んでから、おずおずと道を歩いていると、
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
紅空が馬鹿になった。
「ちょ、脅かすなよっ!」
紅空が大音量で叫び出したので、口から心臓が飛び出すぐらい驚愕するノラ。
「紅空っ、そこから離れろぉ! 『警笛鳴らせ』の標識の効力だ!」
咄嗟に機転を利かせた黒豆のモヒカンが紅空の腕を引っ張る。どうやら効力範囲があるらしい。全員効力範囲内に入っていたら、三馬鹿ENDだった。
「この呪力恐ろし過ぎでしょ! 見通しが悪い交差点だったけど、失恋後に海へ向かって叫ぶレベルだったよっ! 喉が焼き切れるかと思ったよっ!」
発狂から解放された興奮気味の紅空にノラは冷静に助言する。
「兎に角、一方通行の道で敵に挟まれたらアウトだ。標識に注意しながら全体を見渡せる広い敷地を探そう」
「待って! 霊犯に状況報告させて。これじゃあ、応援が辿り着けな――」
紅空の語尾が切れた。後方から殺気を感じた一同は即座に振り返る。
「「「「――――」」」」
二十メートル先には華麗でゴージャスなドレスの集団。大量のフランス人形が紅空達を
先程、戦闘した人形達は統一感はなく、種類はバラバラ。だが、今回はフランス人形で統一されている。明らかに先程とは毛色が違う、とは全員の寸感であった。
ノラと黒豆がゴクリと生唾を飲み込むと同時――口を堅く結んだ紅空の先制攻撃が走る。
「『
左足を軸とした流麗な回し蹴りが前方に放たれ、まるで風を絡め取るように発生した突風が人形兵を強襲する。
だが、突風が到達する寸前にジャンプした人形兵は、上昇気流に乗るように上空に運ばれる。
紅空が上空を睨みつけた先には、フリルの傘を広げた約五十体の人形兵。空中飛行のまま、定規サイズの投げナイフが一斉投下された。
人形兵が投じた力と重力が相まって、矢のようなスピードで紅空達を捉える大量のナイフ。
透かさず心臓に手を当てて、冥想する紅空。
「
目を見開くと、紅空の周囲に風の衣が吹き乱れる。乱れる風はすぐに拡散して、空気を切る轟音となり、無数の刃を風圧で吹き飛ばした。回転するナイフが月の光を反射しながら彷徨う。
互いに譲らない応酬戦。だが、戦況を有利するのは圧倒的な武力数である。
「――――ッ」
風の衣が消える瞬間を狙った奇襲のナイフが地上にいた兵から投げられる。その数八十二本。紅空の動きが止まる絶妙なタイミングのカウンターだ。
「紅空っ――!!」
ノラが飛び付いた反動で、二人は地面に倒れ込む。間一髪で躱したナイフは、後方にいた黒豆のモヒカンを掠めた。
「ギャァァァァァァ――――俺っちのモヒカンがぁ!!」
悲鳴と同時に空中を彷徨っていたナイフの雨が地面に落ちると、乾いた金属音が鳴り響く。
「モヒ犬! 何かで道を塞いでくれ。真正面から打ち合っても勝てないっ!」
紅空の頭を抱きながら黒豆に叫ぶノラ。黒豆は取り乱しつつも、その声に応えた。塀の向こう側にある庭から拝借した倉庫を人形兵達に投げ付ける。
倉庫の形状が変化する程の騒音を伴い、横倒しになった倉庫が人形兵の行く手を塞いだ。しかし、喜びの束の間、空中飛行していた兵がゆっくりと地表に降り立った。
「一旦退くぞ!」
「う、うんっ」
出口の見えない迷宮に不安を感じながら、一方通行の道を全力で駆け抜ける紅空達。そして、分岐するT字路を目視した矢先、正面から現れたのは市松模様をあしらった朱色の着物を着た集団である。
丸顔お河童の三頭身。白化粧で少し歯を見せ、離れたタレ目がジロリとこちらを睨み付ける。世にも奇妙な光景に紅空達は、ゾクッと背筋が凍るような感覚が伝播し、戦々恐々となった。
一方、市松人形の後ろには舞妓のような八頭身の人形達が立ち、小型の火縄銃をこちらに構えている。
「アレ……本物じゃねえよなぁ? レプリカだよなぁ?」
「まさか……人形が銃なんて扱える訳ないだろ。きっとエアガンか水鉄砲だ」
半笑いの黒豆とノラの願いも虚しく、数発の銃声が鳴り響く。目の前の地面から乾いた破裂音がすると、銃弾が減り込んでいた。
あんぐりと口を開けて放心する一同。
しかし束の間、銃声の号令を待っていたかの如く、短刀を握った市松人形三十体が一気に飛び出した。しかも、フランス人形と比べると、かなり素早い。
呪力の影響で前進するしか手段がない紅空軍は、袋小路の絶体絶命だった。
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