第1話 世界の在り方

 約百年前、宇宙から太陽が数秒消えた超常現象により、地球の公転軌道が変化した。


 未だにその理由は解明されていないが、その影響で暦法が変わり、現在は新暦に基づいて歴史は動いている。


 悠久の歴史が語り継がれる中での大事件。だが、世界中の人々に尋ねた場合、この大事件は『最も』『一番』という最上級の言い回しで語る者はまず少ない。


 急変した世界情勢――想像を絶する大事件はのだ。それは人々の心の内に秘められた、とある疑問を解消するものだった。


『霊は存在するのか?』


 当然、答えはノーである。スピリチュアルな感性を持っていない限りでは、殆どの人間はそう答えるだろう。霊は現実では視えないし、例え視える者がいたとしても、証明できなければこの命題の真偽は成立しない。


 だがしかし――、


『霊は存在するのか?』


 科学的な見地に立つ学者。常識に捉われない現実主義者リアリスト。現代ではどんな人間でも口を揃えて、イエスと答える。一般常識の正解率百パーセントの問題だ。


 生活空間の中で、当たり前のように霊が存在する光景。それは街中にあるお洒落なカフェであったり、或いはデパートだったりと。

 詳らかに述べると限りがないが、暮らしの全てに存在すると言っていい。もはや、可視化された霊の存在は日常的だった。


 そんな絵空事のような舞台が現在進行形で成立している世界では、誰でも、どこでも、何時でも霊は実際に視えるし、触れることも可能である。


 この現象が発生した当初、原因不明の非常事態に人類は混乱し、世界は震撼した。霊との隔たりがなくなり、窮状を訴える人々との間で日々事件が発生する。


 そこで政府は幾多の対策を講じていく。霊に個人の情報マイナンバーを付与して一市民として社会的に管理したり、『基本的霊権の尊重』と憲法改正が行われたりなど。


 そして、人類は長い年月をかけて、新たなイデオロギーを確立したのだ。それが現在適用されている法令――《霊観念措置法メビウスの理》である。



□すべての霊類の権利は人類に信託するものとする。国民は永久の冥福を祈ることを尊重し、規範に基づいた行動とそれを遵守することを必要とする。


(メビウスの理 第一条より)


                 

 要約すると、霊の成仏を第一に考えて人間は行動すること。


 成仏の仕方は二通りある。未練や後悔などの思念『後悔のともしび』を鎮火させる自然除霊法か、『メビウスの門』と呼ばれるあの世へ通じる霊方陣を開放する強制除霊法。現状は後者を敢行するのが基本だ。


 なぜなら、『後悔のともしび』を鎮火するには労力と時間が必要だ。また、人と霊の接触は更なる後悔を生むことが多い。条例に記載されたとは、霊との接触を避けることを示唆している。


 それはつまり、コミュニケーションの禁制。霊との過剰な会話や体に触れることは警告に値する。


 ましてや、人と霊が恋愛をすることは禁止されており、昨今ではその実例はなかった。




⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅




 都会のコンクリートジャングルにポツンと佇む公園。それなりの遊具は揃っているが、小規模ながら雨を凌ぐ場所はない。


 夜も更けた頃合、降り続く雨が強まり、公園内には人の気配は全くなかった。


 公園内に通り風が迷い込み、ブランコの一つがゆっくりと揺れたが、並んだもう一方のブランコは揺れない。


 そこには男が座っていた。雨を避けるために俯く姿は、どこか翳りを帯びている。


 年頃は二十歳程。若干癖のある黒髪、くっきりとした黒瞳。少し細身の体躯ではあるが、上着から露出した腕は隆々として、ある程度引き締まっていた。


「……本当に最悪だ。やってらねぇ」


 男は腕を摩りながら、服が破れている肩辺りを手で押さえた。襲われた時にケガを負った傷口が、雨でズキズキと痛んでいる。


 寒気と熱っぽさを感じているせいで、体がやけに怠かった。昼間の暖かい陽気とは一転して、夜はかなり寒く、急雨に打たれた体が冷えたせいかもしれない。


 体が震えているのは体調が悪いだけではない。帰る場所もなく、おまけに追われている身。直面している問題に平伏すように項垂れていると、僅かな雨音の変化に気づき、怯えるようにさっと顔を上げた。


「あなたも一人ぼっちなの?」


 男の瞳に映ったのは、濃淡な青が格子状に組み合わされたチェック柄のスカートだった。


 目の前には制服姿の銀髪少女がいた。


 ビニール傘からジッとこちらを覗く双眸。タレ目がちの大きな目元には、空色の瞳が宿っている。整った鼻梁、透けるような乳白色の肌は雪のようだ。


「深夜の公園、男一人でブランコに座ってたらボッチ以外の何者でもないだろ」


 男が喋ると、少女は柔和な表情を見せた。笑顔は可愛く、愛嬌がありそうなので、万人受けする美少女と呼ばれる部類だろう。


「捨てられたのなら、ダンボール箱に入ってないと拾われないよ」


 初対面の男を前にしているのに、妙に馴れ馴れしい。人懐っこいと言えば聞こえはいいが、少女はこの状況が怖くないのだろうか。凛とした態度と澄んで響く玲瓏な声からは心の強さを感じる。


「……野良猫じゃないんだ。箱に入るかよ」


「ならブランコで、はっちゃけて死んじゃった地縛霊さん?」


「エッジの効いた最後だなそれ。とりあえずあっちに行け」


 露骨に邪魔者扱いした態度が気に食わなかったのか、少女の眉が上がった。こちらを見おろしながら、殊更に溜息をつく。


「はぁ~善良なる女子高生のとろけるような甘ぁい優しさを無下にするとは……まあいいけどね。それじゃあ、はい」


 持っていた買い物袋を傘の取っ手にかけて、少年の眼前で手を広げる。ニコニコと微笑む少女。


「何だよ……その手は?」


「会話料金、プラスJKオプション。30秒毎に千円。1分47秒だったから税込で三千円だよ」


「悪徳リフレかよ! あ~もうあっち行け」


 男がシッシッと手を払うと、少女は顔をフグのように膨らませた。はち切れんとばかりに。


「随分と毛嫌いするね」


「……今時の女子高生は苦手だ。何考えてるのか、サッパリ分からないからだ。今なら出家した坊主頭のツルツルJKでも毛嫌う自信がある」


「なんじゃそりゃ、偏見じゃん。……肩ケガしてるよ。体調悪そうだけど、大丈夫?」


「……俺に関わると碌なことないぞ。いいからほっとけ」


 雨で呼吸がしにくいので、なるべく話したくない。想像以上に頭が痛いので一人にしてほしい。歯に衣着せぬ物言いで拒絶の壁を築く男の心中を悟ったのか、少女は買い物袋を手に持ち直すと、


「まあ、お一人が好きみたいだしおいとまするよ。雨で風邪引かないようにね」


 皮肉気味な口調で別れの言葉を残して、ようやくこの場から離れて行った。

 傘をくるくると回して、表面についた水滴を取り払っている。その姿は少女特有の無邪気さを放っていた。


「全く……ほんとぅに、やってられ……」


 脳が揺さぶられたような感覚の後、急に景色が歪み、頭に衝撃が伝播する。冷たい水に浸かる感覚が頬にあった。


 腰まで伸びた艶やかな銀髪が風で靡いている姿を最後にして、男の視界はブラックアウトした。

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