第13話 とあるバーでの邂逅
何故か一人の時間が無性に寂しく感じた。白壁に映写されているテレビの音も、今は雑音にしか聞こえない。
――てか、タレント誰一人知らないから素人にしか見えないわ……。ルウさんの解説が欲しい。
ジャケットがボロボロだったので、クローゼットに用意されていた新しい服を適当に見繕う。結局、変わり映えのない黒のジャケットと赤のインナー、インディゴブルーのデニムを選び、それに着替えるとノラは部屋を後にした。
ホテルを出ると、四方八方に飲食店やレジャー施設が広がっている。カラオケ、ビリヤード、ボーリング、温泉等。イメージ的には遊園地の最寄駅にある複合商業施設のような感じだ。店から溢れる光と人々の喧騒が、賑やかな街並みを作っている。
霊達がボルタリングを楽しむ光景をウィンドウの外から眺め、ノラはせせら笑った。平和の標榜を掲げるような光景――全く、感覚麻痺も甚だしい。
ちなみに現世滞在費として、五万円の金額が援助されている。お金は
程なくして見つけた酒場のドアを開けると、カランカランとやや鈍い鈴の音が鳴った。テーブル6席、カウンターは7席といった手狭いバーで、木製のお洒落な衝立の向こう側にはダーツが一台設置されている。
ノラがカウンターの一番奥にゆっくりと腰を下ろすと、三十代半ばのチョビ髭バーテンダーが手早くおしぼりとメニュー表を置いた。過去に幾度の千客万来を捌いてきた熟練のマスターである。
「ウイスキーのロック。度数の強いやつを頼みたい」
場の雰囲気に合わせたのか、気取った態度で注文するノラ。それに応じるマスターは、アイスピックを巧みに振るい、立方体の氷が瞬く間に丸氷へと変わると、琥珀色の液体がグラスにトクトクと注がれた。
揺するグラスと氷がぶつかるカランッと鳴る音。クリスタルな氷の輝きと仄かな樽の香りを嗜みながら、ノラはニヒルな笑みでチビリと一口飲む。
……にがっ。どうやら強い酒は飲めないらしいな。カシスオレンジにすれば良かった。
そう後悔しつつ、お通しのカリカリパスタをポリポリと食べながら店内を見渡した。天井に設置された間接照明は、カウンターとテーブル席を濃淡のパーテーションで区切っている。カウンターの方が若干暗く、少しムーディーだ。
店内にいる客は3組。
1組目は衝立奥のテーブル席なので、顔は見えないが声的に若い女性の組だろう。かなり酔っているらしく、少し耳障りな盛り上がり方をしている。
2組目はノラの背後のテーブル席に座る二十代半ばの男女。受付嬢のような気品漂う女性を口説いている最中のようで、達者な口説き文句をスーツの男性が披露している。しかし、話は迂曲しており、男のまことしやかな武勇伝に対して、女性は「凄いですね」の一点張り。脈は無さそうだ。
そして、3組目は……
「なぁ~マスター。オレ、来月で三十路なんだぜ。慈悲深き情があるなら、俺を嫁に貰ってくれよぉ」
「それ本日8回目ですよ。私は恋人がおりますのでご勘弁を」
「ちぇっ。チョビ髭のくせに恋人いるのかよ! 飲まなきゃやってられないぜ。ウイスキー水割りもう一杯!」
ノラとは逆側のカウンターの端には、ベロンベロンに酔っぱらったクズの申し子の姿があった。テーブルに顎を置いて、ブツブツと念仏を唱え、茶色のポニーテールが寂しげに垂れている。
――ちっ、最悪だ。またこの女か……。無視した方が賢明だろうな。
カリカリパスタのポリポリ音を最小限に抑えたノラだったが、首が座っていない赤子のように、帆稀の顔がドテッと横に倒れる。そして、帆稀の据わった目がノラを視野に入れると、瞳孔がくわっと開く。
「ああああっ~~!! 視姦罪でしょっぴいたパイオツ星人だぁ!」
「バカっ! デカい声で変なこと言うなよっ!」
テーブル席にいる男女から冷ややかな眼差しが向けられたので、ノラがペコペコと謝辞を並べていると、慌てたマスターはチェイサーを帆稀の前に置いた。
「帆稀さん飲み過ぎです。水を飲んで下さい」
「ちぇっ、水の水割りかよ……気が利かない髭だな」
「せめてチョビも付けてください」
「……ゴクゴク。おぉい少年、この帆みゃれさんと一日二回会えるなんて、本当に
呂律が回っていない帆稀は千鳥足さながらで、ノラの隣に腰を掛ける。絡み酒とかウザすぎる、と眉を顰めて迷惑そうな表情を見せるノラ。
「ダメな上司の典型的な見本だな。このVTRを新人研修の教材に入れるべきだろ」
「にゃにぃおお! 社会の
「病原はアンタだろ。てか、本当に警察官なのか? だとしたら職権乱用だな。そりゃ、国家レベルも衰退する」
ゴクゴクと水を飲み干した帆稀はぷはぁっと息を吐き、ノラの首にガシッと腕を絡めると、たわわに実ったスイカのような横乳がノラの顔面にプレッシャーをかけた。
「うぅっ~ひゃめろ~はな~ひぇ!!」
「
帆稀の腕をバンバンと叩き、「ギブギブ」と叫ぶノラ。小柄の割に腕力はゴリラ並みである。ややあって、双丘のゾーンディフェンスから解放される。
「ごほっ、ごほっ――。俺をパイ圧で殺す気かっ!!」
「快楽安楽極楽。トリプルの幸福要素で死ぬれば本望だろ?」
有り得ねえ、とノラは首をコキコキと鳴らながら、帆稀に不平を漏らす。その横で帆稀はニヤッと不敵な笑みを浮かべる。
――まあ、数時間前までは本当に
ノラの耳元で囁く帆稀の言葉。咄嗟に振り向くノラだったが、帆稀の顔を捉える刹那、鋭利な物体が眼前を支配した。
「――――ッ」
悪寒と共に、ごくりと生唾を飲む。
そこにはカウンターに置かれたハウスダーツをノラに突き付けた帆稀の姿。カエルを睨みつけるヘビのような威圧を放ち、酩酊状態にも拘わらず、その目は真を語る冷徹さを帯びていた。
「少年は本当に
「……アンタ、一体何言ってるんだ?」
「事実を述べているまでだ。
彼女の呂律が元に戻り始めると、威圧に近い凄みが益々増していた。
……ルウさんから聞いた情報が正しいなら、コイツが霊能官って奴か。紅空と同じ
場を掌握する帆稀にノラは辟易したが、負けまいと啖呵を切る。
「貧弱と判断するのは早計だろ。なら、小柄な女性の帆みゃれさんは俺より強いってのか?」
「女として見てくれるなんて激熱じゃねえかよ、滾るぜ。まあ、30秒あれば少年を消滅させることぐらいは可能だろうな」
その自信に満ち溢れた表情からは嘘偽りを全く感じない。拳を固めるノラに対して、帆稀は余裕綽々である。
「喧嘩を吹っかけたのはこっちだが、これ以上踏み込むなら手加減はしないぜ。蛮勇という名のギャンブラーは嫌いじゃないけどな。身を投じるも引くのもギャンブルの沙汰次第だ」
一触即発の状況にノラは息を飲む。「二人共、落ち着いて」と仲裁に入るチョビ髭マスターの声は届かず、脳内で鳴り響く警鐘はノラの思考を麻痺させていた。
一方、帆稀も酔いの影響で熱は冷めず、両者の睨み合いは続く。
だが、そんな二人の熱を冷ましたのは、他でもなく衝立奥のテーブル席にいた女性客達の声だった。そちらもかなり盛り上がっていて、殺伐とした二人の状況など何処吹く風であった。
カクテルパーティー現象。ノラと帆稀の両者が知っている単語が出てきたので、二人は衝立の方向に顔を向ける。
「霊犯の
「可哀そうな子。霊犯内でも爪弾きにされてるんでしょ?」
「らしいよ。まあ、気持ち分かるけど……私なら関わりたくないもん」
「私も絶対関わらない。神籤さんを虐めてる女の子がいるらしいけど、逆に凄い」
「まあ、傍観する側も虐めてるのと一緒だけどね。そう言えば、神籤さんの噂って知ってる?」
「嫌われてる以外に噂があるの?」
「知らないんだ。神籤さんってさ――――――」
その瞬間、風を切る音が会話を遮断した。
帆稀がクナイを投げるフォームでダーツを高速で飛ばすと、ダーツ盤の的ド真ん中に当たり「プシューン!」という豪快な電子音が響いた。角度45度から差し込まれたダーツは的でぐわんぐわんと揺れ、同時に「キャッ、何!?」という悲鳴が上がる。
女性達は瞬く間に立ち上がり、衝立の上からモグラのようにヒョコッと顔を出す。そして、鬼気迫る帆稀の顔を見るや否や、顔面を蒼白に変えた。
「「「――――ら、雷前さん!!」」」
「君達は霊具開発部の者達だな。よくもまあ、ペラペラペラペラとガールズトークに華が咲くものだな。リージョンGは恵比寿か? 銀座か?」
「「「…………」」」
「君達は情報漏洩のリスクマネジメントも出来ないのか? 基礎教育からやり直した方がいいな。そして、何よりも――――」
捲し立てるように言葉の
「可愛い紅空の陰口を公然と語るのはオレが許さねぇよ! 分かったか?」
雷前帆稀は怒っていた。いや、激オコだった。
衝立を布団代わりにするようにして、女性達はコクコクと震えながら頷く。国家正義の制裁。しかし、これではヤクザの恫喝である。
男女二人組の客は、大慌てで会計を済ませようと躍起になり、チョビ髭マスターは「私の店がああああああ!!」と叫び狂う。
一方、ノラといえば――――
「…………」
心ここに非ずといった感じで、俯きながら喪心していた。顔は青ざめ、恐懼と疑心の狭間にいる精神は、先程聞こえた言葉をずっと反芻していた。
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『神籤さんってさ――――――――』
『――――もうすぐ死んじゃうんだよ』
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