第19話 あなたの未来を守るためなら

 驚愕の事実に脳内全てが蹂躙され、混乱した影響で胃の中に鉛を抱えているような重圧を感じた。


 何者かに心臓をキュッと握られているような不快感が込み上げる。黒瞳が宿る双眸を見開きながら、ノラは初めて公園で会った時の彼女の言葉を想起した。


『あなたも一人ぼっちなの?』


 それは世界から孤立した者の心の悲鳴だったのだ。


 それは誰かに縋りたい心の叫び声だったのだ。


 それは誰かに認めて貰いたい心の訴えだったのだ。



「はぁ……はぁ…………」


 沈痛な面持ちを映したまま呼吸を整えるノラは、その先を訊くことを恐れていた。


 喋ることが好きで、些細な話を楽しそうに語る表情。相槌をしながら会話に応じると、まるで子供のように喜ぶ仕草。少し強情っぱりな一面はあるが、相手を想う優しさと無邪気な笑顔は、何よりも心地が良かった。


 そんな紅空くれあの心が、姿が、形が、存在全てが瓦解していくようで。自分の手など全く届かない場所に、紅空が存在することを知るようで。


 ……全てが怖かった。



「ノラ君……大丈夫っすか?」


 津々良つづらの声で我に返ると、傾いていたコップからコーヒーが零れていたことに初めて気が付いた。紅空の寝顔をチラッと確認し、額に流れる嫌な汗を袖で拭く。


「……悪い……話を。紅空の母親について……詳しく訊かせてくれ」


 たどたどしい喋り方をしたノラは、一呼吸置いてから津々良の視線と合わせる。そして、コーヒーを一口飲んだ津々良は続きを語り始めた。


「まずは私達と空音そらねさんの関係から話さなきゃいけないっすね。私が大学生だったので、二十歳ぐらいの時でしょうか。自分で言うのは恥ずかしい話ですが、当初の私はやさぐれていて、家族とはずっと疎遠になっていましてね」


 津々良は一枚の写真を差し出した。相も変わらずの三白眼で眼つきは悪く、挙句の果てに金髪だ。ヤンチャしてそうな仲間と連んでいる写真であり、確かに若気の至りとしか言えない。


「当然、家族が崩壊するサインなど分かる筈もない。父と母は毎日のように喧嘩し、いつの日か母は家を出ていきました。

 親不孝者の私は、両親が離婚直前でも何も動こうとしませんでした。例え息子である私が介入しても、どうせ問題は解決しないだろう、と現実から逃げていたんです。本当に酷い話っすよね……」


 悔やむ気持ちが表情に浮かび上がり、寂しげな顔で津々良は話を続けた。


「だけど、家族の絆が切れる寸前――突然、家庭にズケズケと土足で現れた『侵略者』が絆を修復してくれたのです」


「侵略者?」


黒豆くろまめのことっす。アイツは過去幾度も時を超えてきた転生者っす。色々な時代の経験――家族の温もりだったり、時には無情さも全て知っている。家族の絆や大切さを十分に理解しているからこそ、その想いが私の両親に届いたのでしょう」


 二人はチラリと紅空に抱かれている黒豆を一瞥する。奴も気持ちよさそうに寝ていた。


「モヒ犬が転生者? じゃあ、過去は人間だったりするのか?」


「いえ、アイツはずっと犬ですよ。一回前は豆柴だったらしいっす」


「……あ、そう。それで何で侵略者なんだ?」


「当初の黒豆は私の事をすこぶる嫌っていて……『家族の有難味ありがたみを知らないお前はこの家に必要ない。俺っちが息子として此処にいるから出ていけ』などの罵詈雑言の嵐でしたね。

 本気で私のポジションを乗っ取る計画だったようで、その様子から私は『黒の侵略者』と呼び、家族の椅子を賭けての喧嘩が日々絶えませんでした」


「ふてぶてしさは血統書付きって所だな。トイプーに息子の立ち位置を乗っ取られたら、間違いなくギャグだわ」


 一瞬、ノラと津々良は破顔したが、すぐに真顔に戻った。


「そんな最中、私達は世間を騒がせていた『神隠し事件』に巻き込まれていきます。そして、絶望の淵に立たされた私達を救ってくれたのが空音さんだった。黒豆との絆を含め、家族の大切さを教えてくれた、私を変えてくれた恩人です」


 ノスタルジーに浸っているのか、津々良は柔和な表情になると椅子に深く座り直した。『神隠し事件』の話は気になるが、優先順位プライオリティでは紅空の母親の話が重要なので、ノラは本題に戻すよう促した。


「私も空音さん達の馴れ初めとかは知らないっすよ。質問した事はありますが、『愛はことわりなんかに負けたりしないよ』と笑いながら、よくデコピン攻撃されてましたよね。本当に快活さ溢れる明るい人でした」


 津々良は「少し変わった人っすけどね」と苦笑する。


「空音さんは悲しみを乗り越えて、どんな苦難にも立ち向かうことができる強い女性でした。元霊能犯係、序列第二位の実力は伊達ではありません」


「!? 紅空の母親も霊犯だったのか?」


「そうっすよ。百人以上のメンバーが集っていた、まさに霊犯黄金時代。その当時、上級霊能官エレメントナンバーズ特級二等位チタンナンバーでした。

 強さは国が認める折紙付き。誰よりも正義を貫き、相応の功績は余る程――そんな空音さんだったからこそ、ことわりを破った者として、警察上層部は彼女の処分に迷ったようです。そして、その贖罪として、ある戦いが勃発しました……」


 前屈み気味で肘を机の上に置き、手を組む津々良。間接照明の光が栗色の短髪と混ざり、薄オレンジ色に変化すると、彼の三白眼を照らした光は一際鋭い眼光として、薄暗い中で異彩を放った。


「――元S級死霊第一厄エスグレッド・ワン『異邦の魔女』の討伐戦」


「……魔女……っ!?」


 思わず声を上げてしまったノラは、紅空の方に反射的に首を回す。どうやら起きていないようだ。


「ノラ君、魔女の事を知ってるんっすか?」


 ノラの反応を見て、怪訝な表情をする津々良。


「いや、魔女って言葉を直近で聞いた覚えがあるから、咄嗟に反応したけど……絵本の中で登場した単語だった」


「……絵本?」


 更に眉を顰めた津々良の表情見て、ノラの中で一つの疑問が浮かんだ。


 ――津々良は絵本の存在を知らない?


 世の中の超常現象や怪異、妖怪などのアブノーマルな知識の専門家だと紅空から聞いたが……博識な彼は『魔法の絵本』の存在を知らないのだろうか。


 ――いや、『魔法の絵本』の存在は知ってるけど、紅空が絵本を持ってる事を知らないのかもしれない。だとしたら、なぜ紅空は言わないんだ?


 そんな思考が巡った後、ノラは内容を誤魔化しつつ、黙秘することを選択した。その様子を見た津々良は溜息を一回してから、『異邦の魔女』について語り出した。


 突如、世界に現れて各地に異常現象を巻き起こした魔女は、エナ以外で発動する不思議な力を持っていたらしい。魔女と戦った霊道御三家れいどうごさんけの数人が返り討ちにあった事を皮切りに、最強最厄の死霊グレッドとして恐れられる存在となったようだ。


「そして、魔女討伐戦が開始されました。開戦時に神光知能じんこうちのう『アマテラス』で算出した空音さんの勝率は5%――敗戦必至の数字です」


「アマテラス? 例の管轄神域を納める天照大御神アマテラスとは別の話なのか?」


「別っすね。神光知能アマテラスは、日進月歩で辿り着いた科学の叡智の一つ。未知数や不足データを全知全能の知識で補って、無限の確率を収束させる自立演算型インターフェースです。

 非計算可能値を独自のアルゴリズムと高速演算で読み解き、前世代のハイパーコンピューターを遥かに凌ぐスループットを誇るナノマシンです」


 津々良が右手を前に出した瞬間、空中に画面が展開される。そこには、津々良が言った科学の叡智と呼ばれる次世代社会基盤プラットフォームの構成が表示されていた。



――――――――――――――――――

神の名を持つ羅針盤デウスコンピューター

――――――――――――――――――

 ①神光知能演算システム『アマテラス』

  ・非計算確率収束演算機ナノシュミレーター


 ②粒子空間転移システム『ツクヨミ』

  ・空間転移装置――《転移端末テレポス

  ・仮想世界――――《社会の楽園パラムガーデン


 ③記憶永存管理システム『スサノオ』

  ・記憶投写装置メモリースキャン

  ・記憶保存装置メモリーバックアップ

  ・記憶消去装置メモリーロスト

  ・物体補完装置――《形状記憶鉱石グロウメタルの復元》



「要するに『アマテラス』は誤差範囲ゼロの絶対的な確率が求められる機能です。そして、その確率が覆った事例はしかありません」


「……それで、戦いはどうなったんだ……?」


「確率通り、空音さんが圧倒的に不利な状況で激戦は進みます。しかし、彼女は何度倒れようが立ち上がった。負け戦確実、絶体絶命の状況でも臆すことなく、ボロボロになり片腕を失っても、なお立ち上がりました。……何故だか分かりますか?」


 ノラが沈黙で応えると、津々良は紅空の方を向いて優しい目で微笑んだ。


「彼女は一人の女性ではなく、既にからです」


「それって……まさか!?」


 ノラは息を飲んだ。


「そう、お腹の中には紅空が居たんです。死ねる訳がない。大切な命を背負ってた空音さんが負けられる筈がなかったんです」


「…………」


「誰にも真意は語らずに一人で戦う姿――それは覚悟を決めた母親の決意。決死の覚悟です。紅空の未来を紡ぐための想いが、魔女のあらゆる攻撃を跳ね除け、未知の力に屈することなく果敢に攻めた要因です。そして、戦況は逆転した」


「……何故だ……お腹の中に紅空が居たのに……どうして戦うことを選んだんだ?」


 拳を握り締め、震えながら床を見つめるノラ。それは津々良ではなく、自分に問い掛けているような疑問だった。


「紅空を産むことは、ことわりに反する行為です。判明すれば、強制的な中絶は免れない」


「――――ッ」


「だから空音さんは戦った。魔女に勝利し、母親としての武功を国に知らしめるために。『私はことわりなんかに屈しない。この子の命は私が守り抜く』と国に宣言するために」


「…………」


「空音さんの戦いは、国の未来のためではなく、紅空の未来のため。掲げる正義は国のためではなく、自身に宿る最愛の娘に向けられたものだったのです」


「…………」


「そして、最厄の死霊グレッド『異邦の魔女』と神籤空音『蒼天の巫女』の国の存続と命運を賭けた死闘は、夜中から朝方まで繰り広げられ、魔女を倒した空音さんは虫の息でした。そんな状態で、空を掴むように蒼天に拳を掲げ、爛々とした笑顔でこう言ったそうです」



『――あなたの名前は紅空。世界中の人々が見上げる優しい空は私の希望。紅空の未来を守るためなら、私はどこまでも強くなれる!!』



 全身から熱い思いが込み上げるが、この感情に名前は付けられなかった。ただ、静かに涙を流すことしかできなかった……。


「お腹に宿った奇跡の例外因子が『アマテラス』の確率を覆した……たった一回だけの奇跡と愛の物語です。そして、数ヶ月に渡って称えられた『英雄』は、ことわりを破るために全ての功績を捨てて『失墜者』となり、紅空という希望に出会うことができました。……母親って本当に強い生き物っすね。私は勝てる気がしません」


「……っ……俺もそう思うよ。自分の中で尊敬している女性の偉人――マザーテレサ、ナイチンゲール、ジャンヌダルク……その中に追加された女性の名を忘れることはないよ」


 ジャケットの袖で涙を拭ったノラは、鼻をすすりながら笑顔でこう言った。


「――神籤空音。その偉大な母親の名前を」


 別に恐れることは何もない。紅空は母親に愛されて育った、ごく普通の女の子なんだ。普通の人間と境遇は何も変わらない。だから。


 例え、紅空が抱えている秘密を知ったとしても、真っ直ぐに向き合おう。現世ここに居る間は、最後の一分一秒まで彼女の隣で笑っていよう。


 純粋な顔で眠っている紅空の寝顔を見ながら、ノラは拳を固めてそう決意した。

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