第19話 あなたの未来を守るためなら
驚愕の事実に脳内全てが蹂躙され、混乱した影響で胃の中に鉛を抱えているような重圧を感じた。
何者かに心臓をキュッと握られているような不快感が込み上げる。黒瞳が宿る双眸を見開きながら、ノラは初めて公園で会った時の彼女の言葉を想起した。
『あなたも一人ぼっちなの?』
それは世界から孤立した者の心の悲鳴だったのだ。
それは誰かに縋りたい心の叫び声だったのだ。
それは誰かに認めて貰いたい心の訴えだったのだ。
「はぁ……はぁ…………」
沈痛な面持ちを映したまま呼吸を整えるノラは、その先を訊くことを恐れていた。
喋ることが好きで、些細な話を楽しそうに語る表情。相槌をしながら会話に応じると、まるで子供のように喜ぶ仕草。少し強情っぱりな一面はあるが、相手を想う優しさと無邪気な笑顔は、何よりも心地が良かった。
そんな
……全てが怖かった。
「ノラ君……大丈夫っすか?」
「……悪い……話を。紅空の母親について……詳しく訊かせてくれ」
たどたどしい喋り方をしたノラは、一呼吸置いてから津々良の視線と合わせる。そして、コーヒーを一口飲んだ津々良は続きを語り始めた。
「まずは私達と
津々良は一枚の写真を差し出した。相も変わらずの三白眼で眼つきは悪く、挙句の果てに金髪だ。ヤンチャしてそうな仲間と連んでいる写真であり、確かに若気の至りとしか言えない。
「当然、家族が崩壊するサインなど分かる筈もない。父と母は毎日のように喧嘩し、いつの日か母は家を出ていきました。
親不孝者の私は、両親が離婚直前でも何も動こうとしませんでした。例え息子である私が介入しても、どうせ問題は解決しないだろう、と現実から逃げていたんです。本当に酷い話っすよね……」
悔やむ気持ちが表情に浮かび上がり、寂しげな顔で津々良は話を続けた。
「だけど、家族の絆が切れる寸前――突然、家庭にズケズケと土足で現れた『侵略者』が絆を修復してくれたのです」
「侵略者?」
「
二人はチラリと紅空に抱かれている黒豆を一瞥する。奴も気持ちよさそうに寝ていた。
「モヒ犬が転生者? じゃあ、過去は人間だったりするのか?」
「いえ、アイツはずっと犬ですよ。一回前は豆柴だったらしいっす」
「……あ、そう。それで何で侵略者なんだ?」
「当初の黒豆は私の事を
本気で私のポジションを乗っ取る計画だったようで、その様子から私は『黒の侵略者』と呼び、家族の椅子を賭けての喧嘩が日々絶えませんでした」
「ふてぶてしさは血統書付きって所だな。トイプーに息子の立ち位置を乗っ取られたら、間違いなくギャグだわ」
一瞬、ノラと津々良は破顔したが、すぐに真顔に戻った。
「そんな最中、私達は世間を騒がせていた『神隠し事件』に巻き込まれていきます。そして、絶望の淵に立たされた私達を救ってくれたのが空音さんだった。黒豆との絆を含め、家族の大切さを教えてくれた、私を変えてくれた恩人です」
ノスタルジーに浸っているのか、津々良は柔和な表情になると椅子に深く座り直した。『神隠し事件』の話は気になるが、
「私も空音さん達の馴れ初めとかは知らないっすよ。質問した事はありますが、『愛は
津々良は「少し変わった人っすけどね」と苦笑する。
「空音さんは悲しみを乗り越えて、どんな苦難にも立ち向かうことができる強い女性でした。元霊能犯係、序列第二位の実力は伊達ではありません」
「!? 紅空の母親も霊犯だったのか?」
「そうっすよ。百人以上のメンバーが集っていた、まさに霊犯黄金時代。その当時、
強さは国が認める折紙付き。誰よりも正義を貫き、相応の功績は余る程――そんな空音さんだったからこそ、
前屈み気味で肘を机の上に置き、手を組む津々良。間接照明の光が栗色の短髪と混ざり、薄オレンジ色に変化すると、彼の三白眼を照らした光は一際鋭い眼光として、薄暗い中で異彩を放った。
「――
「……魔女……っ!?」
思わず声を上げてしまったノラは、紅空の方に反射的に首を回す。どうやら起きていないようだ。
「ノラ君、魔女の事を知ってるんっすか?」
ノラの反応を見て、怪訝な表情をする津々良。
「いや、魔女って言葉を直近で聞いた覚えがあるから、咄嗟に反応したけど……絵本の中で登場した単語だった」
「……絵本?」
更に眉を顰めた津々良の表情見て、ノラの中で一つの疑問が浮かんだ。
――津々良は絵本の存在を知らない?
世の中の超常現象や怪異、妖怪などのアブノーマルな知識の専門家だと紅空から聞いたが……博識な彼は『魔法の絵本』の存在を知らないのだろうか。
――いや、『魔法の絵本』の存在は知ってるけど、紅空が絵本を持ってる事を知らないのかもしれない。だとしたら、なぜ紅空は言わないんだ?
そんな思考が巡った後、ノラは内容を誤魔化しつつ、黙秘することを選択した。その様子を見た津々良は溜息を一回してから、『異邦の魔女』について語り出した。
突如、世界に現れて各地に異常現象を巻き起こした魔女は、エナ以外で発動する不思議な力を持っていたらしい。魔女と戦った
「そして、魔女討伐戦が開始されました。開戦時に
「アマテラス? 例の管轄神域を納める
「別っすね。神光知能アマテラスは、日進月歩で辿り着いた科学の叡智の一つ。未知数や不足データを全知全能の知識で補って、無限の確率を収束させる自立演算型インターフェースです。
非計算可能値を独自のアルゴリズムと高速演算で読み解き、前世代のハイパーコンピューターを遥かに凌ぐスループットを誇るナノマシンです」
津々良が右手を前に出した瞬間、空中に画面が展開される。そこには、津々良が言った科学の叡智と呼ばれる
――――――――――――――――――
◆
――――――――――――――――――
①神光知能演算システム『アマテラス』
・
②粒子空間転移システム『ツクヨミ』
・空間転移装置――《
・仮想世界――――《
③記憶永存管理システム『スサノオ』
・
・
・
・物体補完装置――《
「要するに『アマテラス』は誤差範囲ゼロの絶対的な確率が求められる機能です。そして、その確率が覆った事例はたったの一度しかありません」
「……それで、戦いはどうなったんだ……?」
「確率通り、空音さんが圧倒的に不利な状況で激戦は進みます。しかし、彼女は何度倒れようが立ち上がった。負け戦確実、絶体絶命の状況でも臆すことなく、ボロボロになり片腕を失っても、なお立ち上がりました。……何故だか分かりますか?」
ノラが沈黙で応えると、津々良は紅空の方を向いて優しい目で微笑んだ。
「彼女は一人の女性ではなく、既に一人の母親になっていたからです」
「それって……まさか!?」
ノラは息を飲んだ。
「そう、お腹の中には紅空が居たんです。死ねる訳がない。大切な命を背負ってた空音さんが負けられる筈がなかったんです」
「…………」
「誰にも真意は語らずに一人で戦う姿――それは覚悟を決めた母親の決意。決死の覚悟です。紅空の未来を紡ぐための想いが、魔女のあらゆる攻撃を跳ね除け、未知の力に屈することなく果敢に攻めた要因です。そして、戦況は逆転した」
「……何故だ……お腹の中に紅空が居たのに……どうして戦うことを選んだんだ?」
拳を握り締め、震えながら床を見つめるノラ。それは津々良ではなく、自分に問い掛けているような疑問だった。
「紅空を産むことは、
「――――ッ」
「だから空音さんは戦った。魔女に勝利し、母親としての武功を国に知らしめるために。『私は
「…………」
「空音さんの戦いは、国の未来のためではなく、紅空の未来のため。掲げる正義は国のためではなく、自身に宿る最愛の娘に向けられたものだったのです」
「…………」
「そして、最厄の
『――あなたの名前は紅空。世界中の人々が見上げる優しい空は私の希望。紅空の未来を守るためなら、私はどこまでも強くなれる!!』
全身から熱い思いが込み上げるが、この感情に名前は付けられなかった。ただ、静かに涙を流すことしかできなかった……。
「お腹に宿った奇跡の例外因子が『アマテラス』の確率を覆した……たった一回だけの奇跡と愛の物語です。そして、数ヶ月に渡って称えられた『英雄』は、
「……っ……俺もそう思うよ。自分の中で尊敬している女性の偉人――マザーテレサ、ナイチンゲール、ジャンヌダルク……その中に追加された女性の名を忘れることはないよ」
ジャケットの袖で涙を拭ったノラは、鼻をすすりながら笑顔でこう言った。
「――神籤空音。その偉大な母親の名前を」
別に恐れることは何もない。紅空は母親に愛されて育った、ごく普通の女の子なんだ。普通の人間と境遇は何も変わらない。だから。
例え、紅空が抱えている秘密を知ったとしても、真っ直ぐに向き合おう。
純粋な顔で眠っている紅空の寝顔を見ながら、ノラは拳を固めてそう決意した。
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