第27話 そして空の下に烏は集う

 燃える炎の音と風切り音が荒々しく修練場に響き渡る。


 紅空の防戦一方の状況がひたすら継続していた。


 無数の火球が紅空くれあを強襲する中、擦れ擦れを彼女は避け続けている。躱したタイミングで攻撃に転じたとしても、炎の壁がその進行ルートに生成され、遊鳥ゆとり達に接近できない状況である。


 本来ならば、加速の詠唱を使用すれば状況を一転することが可能だ。紅空は向かい風に乗る事で常人離れした移動速度を成している。だが、今は風が通わない室内。自然の加護もなく、自身のエナで生成した風のみではキュービッツの神戯じんぎですぐに風向きを変化させられてしまう。


 失速と同時――息を継ぐ暇もなく紅空に火球が直撃すると、糸が切れた人形のように顔から地面に倒れ込んだ。


 本日四度目のダウンを見届けると、遊鳥は安堵の息を胸からゆっくりと吐き出した。


 今回の紅空くれあは随分としぶとかった。バトル開始から既に二十分。何度も炎の猛攻を全身に浴びて、それでも気力だけで立ち上がった事は称賛に値する。


 だが、遊鳥の情熱フルコースを幾度も受けた。蓄積されたダメージで無論、もう起き上がる事はないだろう。


 能力的に相性が悪く、自身をサポートする式神もいない。これ以上戦っても勝利は絶無……理知的な彼女なら、そんな事は開始早々に理解していた筈だ。


 ……必死になってまで奮闘する理由は何ですの? 貴方は何のために戦っていますの?


「遊鳥、もう雌雄は決しました。彼女に戦う気力はないでしょう」


「え、えぇ……」


 キュービッツの言う通りだが、初めて見る執念に近い闘争心に遊鳥は恐れすら感じていた。だが、その答えも知る事はなく、この戦いの幕は下りたのだ、と身を焦がすほど奮闘した少女に憐憫の目を向ける。


「それにしても先程から外野がやけに騒がしいですわね。白熱のバトルに盛り上がるのは理解できますが……品性が欠けていますの」


 特殊能力を扱う派手な戦闘――滅多に見られない霊犯の公式戦は注目の的になる。年末に実施される公式ランキング戦は警察の上層部や政府のお偉いさんが観戦に来る程だ。


「ともあれ、これで公式戦は遊鳥達の勝利で終わりですわね」


 完勝したら存分に見下してやろう、と胸に秘めていた邪な感情も彼女のボロボロの姿を見たら毒気を抜かれてしまった。


「……更衣室に戻りましょう。結果も報告しなければいけませんし」


 遊鳥が振り返り、紅空に背を向けた矢先だった。


「ま…、終わ……ない」


 か細く弱弱しい声の筈なのに、信念に似た強さが込められたその声に遊鳥は目を見開いた。振り返ると腕を地面に突き立て、無理やり体を起こそうと奮闘する紅空の姿があったからだ。


「な、なんで起き上がりますの!! もう勝ち目はない事ぐらい理解出来てる筈でしょ!?」


 正気の沙汰ではない。全く理解が出来ない。この戦いに彼女が負けたとしても序列には、さほど影響がないだろう。例の賭けの話、浮遊霊保護罪が露見したとしても数日の謹慎処分程度で済まされる筈だ。


「意味が分かりません! 訳が分かりません! 限界の筈なのに貴方はなぜ戦いますの!?」


 思考すればする程に遊鳥に動揺が走る。


「あなたは――」


 俯き加減のまま荒い呼吸をした紅空は、一拍息を吸ってから恐懼する遊鳥に目を向けた。


「大切な人が突然いなくなる辛さを知ってる?」


 心の底から紡がれた紅空の言葉に、遊鳥とキュービッツは無機質な表情で無言を通して息を飲む。


「その人の存在だけが生きる糧なんだよ。そんな一握りの幸せが何の音もなく瓦解する怖さをあなたは知ってる?」


 圧倒的な気迫と共に力強く語られた彼女の言葉と目の色には、戦意の二文字が込められていた。




⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅




 約三十分前――。


 リージョンG内にある緑のオアシス『深緑公園』のベンチにノラは座っていた。目の前に吹き上がる噴水をボンヤリと眺めながら、浮遊霊の子供達の燥ぎ声に耳を傾けていた。隣には霊の少女――リンちゃんが座っている。


 小さな少女を誘って公園デートなど……些かどうかしている。ここが世俗的な場所だったら、即補導されていたことだろう。


 当然、幼女趣味はない。一人でいる時間が解消できるなら、例え幼気な少女と二人でも十分だった。

 どんなに時間が経っても紅空の怪我が気になっていたし、何よりも単純に彼女の顔を見たかった。だけど、御厨英士みくりあえいしが紅空を運ぶ後ろ姿を見てから、不可解な異変がノラを支配していた。


〔ッ――、主はまた力を求めて悪魔に魂を売るのではあるまいな?〕


 ノイズ混じりの声。男か女かも判断できない声がノラの脳内に時より囁くようになっていたのだ。


 それはまさにノラの心の形を鏡に映した言葉だった。


 御厨の言葉は正しい。


 紅空君を守ることが出来るのか?


 その強さがあるのか?


 全てを受け止める資格はあるのか?


 全てが肯定できない現状を認めた瞬間、心に芽生えたのは力の渇望。正直、紅空の隣に立てるならば、どんな力でも受け入れて良いと考えていた。


 それはまるで透明な水がどんよりと濁っていくような感覚。濁りの中で気が付けば御厨の背に向けていたのは、静かな殺気だった。


 ――本当の自分は何者なのだろう?


 ノイズ混じりの声を聞くのが怖い。記憶を取り戻す事が怖い。記憶が戻った時に、此処で生まれたノラという存在が失われることが、何よりも恐ろしくなった。


「ちょっとノラ! 私の話ちゃんと聞いてるの?」


 リンちゃんが大きめのリボンをはためかせて、ノラの膝元を揺する。若干の膨れっ面だ。


「ごめんごめん。ちょっと考え事してて……」


「レディーを前にやってはいけない一つなの。失礼だよ」


 人懐っこくて可愛いが、慣れてくると結構オマセで生意気な少女だった。


「話の続きだけど、本当に死後の世界はあるのかな?」


「浄土学習で言っていた話か……正直、眉唾だな。てか俺達にとって死後の世界って……此処だよな」


「夢がないねノラ。器が小さいとモテないの」


「大きなお世話だ」


「でも聞いた話が本当なら行ってみたいなぁ」


 昨日の浄土学習で伝えられた話は正直、人というか霊を舐めてるとしか思えなかった。要約すると、現世の他に常世とこよと呼ばれる世界――人間と亜種族、つまり妖精やエルフなどの人ではない存在が共存して暮らす世界があるそうだ。


 当然、呆気に取られたのは言うまでもない。ただ、奇怪な事件が立て続けて起きた影響か、へそで茶を沸かすのを一周通り越して、ティーファールで茶を沸かすぐらいの正常さを保っていた自分の適応力が末恐ろしかった。


 ただ隣に座っているリンちゃんがニコニコしている姿を見ていれば、霊法機関の狙いは霊達の不安を少しでも取り除ければというメルヘンな計らいだと理解できる。


「常世かぁ……そう言えば最初に会ったセーラー除霊師もそんな単語を使っていたっけ?」


「セーラー除霊師?」


 空を見ながら独り言を呟いたコメントをリンちゃんに拾われたので、ノラは話題を転換する。


「えっと、こっちの話だわ。そう言えば今日のカウンセリングはどうだった? 後悔の灯は消えそうか?」


 リンちゃんはブンブンとかぶりを振る。


「やっぱり駄目みたいなの。だから、きょーせい除霊法? になるみたい」


 生前の未練や後悔をアンケートやカウンセリングで解き明かす死後カリキュラム。今日行われたプログラムが後悔の灯を鎮火する自然除霊法をとるか、あの世へ通じるメビウスの門から送られる強制除霊法をとるかの分岐条件となっていた。


「……そっか。俺も生前の記憶がなかったからアンケートは真っ白。カウンセリングも、ちんぷんかんぷんで強制除霊法に決定だった」


「除霊って……注射打つみたいに痛いのかな?」


「う~ん。全く見当がつかないよな……」


 ファーストフード店で駄弁る学生のように、ただ他愛もない話を続ける二人であったが、どこか不安げな雰囲気だった。そんな中、一人の女性の声が介入する。


「千差万別だが、リラクゼーションを受けてるぐらい穏やかなモノらしいぞ。痛くても足ツボマッサージ程度じゃないか?」


 茶髪のポニーテールを左右に揺らしながら、雷前らいぜん帆稀ほまれがノラ達のベンチに近づいてくる。今日もくたびれたスーツを着ている。


「おーい! 景品おばちゃんがお菓子持ってきたぞぉ!」


「いい加減にしろクソガキ共! せめてお姉さんと呼べ!」


 定番のやり取りの上で、公園で遊んでいる子供達が帆稀に群れを成す。もはやこれが日常の風景らしい。


「てか、ヤバい事件が起きてるのにパチンコ屋に行く暇なんてあるのか? 呑気なものだな」


「おうおう。今日も皮肉が冴えわたってるな少年。帆稀さんは仕事とプライベートのオンオフの切り替えが天下一品なんだな」


 例のバーでの一件があったので気まずいノラだったが、陽気な帆稀を見ていたらアホらしく感じた。


「色々と話は聞いてるぜ。軽井沢事件で紅空と同行していた霊って少年の事なんだろ?」


「……全く役に立たなかったけどな。犬以下だったわ」


 子供のように口を尖がらせて愚痴を零すノラに、帆稀は笑う。


「役に立たなくて当然だろ。霊能官は死霊グレッドと戦うために鍛えられてるし、突発的な戦場で活躍する一般霊なんて聞いたことねえよ。まさか、そんなショボイ事で懊悩した結果、紅空の見舞いに行かなかったのか?」


「…………」


「ったく……男っていうのは肝心な時に、謎のプライドを塗り固めて意固地になる変な生物だよな。女心を全く理解できていない」


「男心も加味してほしいけどな」


「お前のは女心あっての男心だろ。とにかくお前の本心はさて置き、紅空は会いたがってたぞ。さっきオフィスルームに居たから会ってやれよ」


 酒が入っていない帆稀が真面目に語る様子を初めて見たので、妙な感じがしたが少し間を空けてから、ノラはゆっくりと首を縦に振った。


「ねぇ、帆稀お姉ちゃん。あのお爺ちゃん達は何をやってるの?」


 会話のピリオドを悟ったのか、リンちゃんが帆稀に質問をする。彼女が指を差した先の噴水前には、老夫婦が互いを見つめて何かを話している。どうやらお爺ちゃんが霊で、お婆ちゃんは普通の人間のようだ。小さな巾着袋をお爺ちゃんに渡している。


「多分、あのお爺ちゃんは今日が除霊決行日だな。除霊の立会いは出来ないから、別れの挨拶と『輪廻の想い』を告げてる最中だよ」


「輪廻の想い?」


 首を傾げるリンちゃんの頭を帆稀は優しく撫でた。帆稀の表情はどこか切なくもなり、どこか優しくもあった。


「まぁ少し儀式化されている所もあるけど、あのお婆ちゃんはお爺ちゃんに一番伝えたい想いを送っている最中――」


 その時、何かの通知音が突然鳴り、帆稀のウィンドウが空中に展開される。それを凝視する帆稀の表情が変化した。


「……はぁ!? 紅空と萌園が公式戦!? どんな流れでこんな話になったんだ!!」


 感情剥き出しで声を張る帆稀。紅空という単語にノラの耳がピクッと動く。


「すまん、急用だ。失礼するぜ!」


 振り返ってその場を離れようとする帆稀の腕をノラは掴む。


「紅空に会ってやれって言ったのは帆稀さんだぜ。俺も連れて行ってくれ!」


 それは首を縦に振らない限り、決して離さないぐらいの力で掴まれており、ノラの真っ直ぐな目を見た帆稀は直に観念した。それ程、時間が欲しかったのだ。


 斯くして、帆稀とノラは公式戦が行われているドーム型修練場に向かって走った。

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メビウスの分岐点♾ 〜浮遊霊は女子高生に拾われ、やがて式神になる〜 水樹 @gokigendori

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