第12話 サイレントサイン

 湾岸特殊区域『リージョンG』浄化支援中央センター講義ホール。


 後方に向かって段上が高くなる構図は、さながら大学の講義室によく似ている。各自バラバラに座ってるのは、約50名程の浮遊霊。200人は座れそうな席数が確保されているので、随所にポツポツと空席が目立つ。


 浮遊霊達の目線が向かう先には、一張羅を着こなした講師の男性がガイダンスという名目でマイクで喋っている。内容は現世滞在中の諸注意と今後のスケジュールである。


 ――なんか大学の講義チックで拍子抜けするな。ただ内容は全く笑えん。


 面妖に近しいこの状況で、不快さを顔に滲ませていたノラだったが、午後一ということもあり、気持ちは大分緩みきっていた。欠伸をしながら、配布された資料に目を落とす。




~死後カリキュラムの流れ~


 9月15日(金)

  ・今後のスケジュールについて

  ・現世滞在中の諸注意

  ・その他連絡事項

 9月16日(土)14:00〜

  ・浄土学習(全体講義)

 9月17日(日)別途連絡

  ・生前調査レポート記入(個別)

  ・カウンセリング(個別)

 9月18日(月)別途連絡

   ・メンタルコーデ(個別)


 ※以上、各プログラムの終了時点で正常と判断された場合、十日間の待機期間を以って『魂の浄化』を実施するものとする。




 この資料通りに事が運ばれるなら、二週間後には天国行きだ。いや、地獄行きかもしれないが。


 ――まるで洗脳だな。浄土学習とやらで、大司教様が登場するんじゃないか? 浄土だからどちらかといえば坊さんか……。


 しかしそれはさておき、全員の落ち着き方は異常だった。一番後ろの席から見渡すと、それが十分に理解できる。落ち着かない様子が見て取れる者も、ちらほらと見受けられる。おそらく、ノラと同じで奇怪な法律を知らぬ者だろう。


 生前時点で《霊観念措置法メビウスの理》という概念を認識している者と、そうではない者でこの場は二分されていた。


 ずっと心の中にシコリがあるような気分だった。根本的な疑問――それを問う者はこの場で誰一人いないのだろうか。


 そう考えていた矢先に隣からノラの疑問を声に出してくれた者がいた。


「……何のために現世ここに戻ってきたのかな」


 ノラの隣でポツリと呟いたのは、八歳ぐらいの年端もいかない丸顔の少女だった。ピンク主体のパーカーワンピース姿で、頭には大きな水玉模様のリボンカチューシャが付いている。


 そう、ノラも少女と同じことを考えていた。死去して成仏したものの、また現世に戻ってくるサイクルにどんな意味があるのだろうか、と。


 人生をやり遂げ老衰した者。運命に導かれるように突然死が訪れた者。人生を達観したが故に自ら命を捨てた者。


 全てが該当する訳ではないが、少なからず死と向き合い、生と決別した者はいる筈だ。だとすれば、再度その機会が訪れるなんて、理不尽以外の何物でもない。


 死んだ人間の魂が現世に蘇る――自明の理を汚す罪過である。


「……本当に。俺はどうして現世ここに居るんだろうな」


 答えを求めるその言葉は弱弱しく、誰の耳にも入らぬまま、マイクの音に掻き消された。




⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅




 長時間に及ぶガイダンスが終了すると、宿泊施設が提供されるまで各自散会する流れとなった。準備が整い次第、黒い指輪識別端末を介して連絡が来るらしい。


 少し時間が空いたので外を散歩しているが、先程の少女ことリンちゃんが金魚の糞のようにノラの後ろにピッタリと付いている。


「おい。どうして俺の後を付いてくるんだ?」


「……だって、リン一人じゃよく分からないし……不安なの……」


 リンちゃんはノラのジャケットの裾を掴み、しょんぼりした顔で俯く。つくづく少女とは縁があるな、と後ろ髪を摩りながら胸中で囁いたが、不安な気持ちはノラも同様だった。


「……向こうの海沿いを散歩しようと思ってるけど、一緒に行くか?」


「うん。行く!」


 リンちゃんは相好を崩すと、ジャケットの裾を掴んだままノラの横に並ぶ。ノラは少女の歩幅に合わせてゆっくりと歩いた。


 澄み切った晴天の下、視界を遮る物はなく、射光が降り注ぐ海の向こう側は、お台場とレインボーブリッジが一望できるので見晴らしがいい。


 この場所、リージョンGは転移端末テレポスを利用しないと立ち入ることができない、わば隔絶された孤島だ。


 《転移端末テレポス》――この叡智の結集と言える発明があったからこそ、現代の人々は移動を苦にしない。


 ――空間転移。


 通称『テレポステーション』と呼ばれる転移端末集合エリアを経由点として、各端末同士の空間転移が可能となる。今は無き電車の各駅に転移端末テレポスは点在し、現在は市役所など一部の公的機関にも増設されている。


 先程のガイダンスによると、深夜一時に日本中全ての転移端末テレポスがシャットダウンするらしい。終電という理解で間違いないだろう。


 現世滞在中の浮遊霊は、基本的に此処に居なければいけないが、外出許可を取れば転移端末テレポスを利用して外へ出ることが可能だ。


 ただ、胡乱げに眉を顰めるノラが思った印象は、まるで鳥籠の中に捉われた気分だった。これでは刑務所の囚人である。


「リンちゃん……だったよね? 嫌な事を思い出すかもしれないけど、訊いていいか?」


 さざ波の音に耳を傾けていたが、ややあってノラの声が波音を上書くと、少女はこくりと首を縦に振った。


「……自分が死んだことを覚えてるのか?」


 その言葉にリンちゃんは表情を曇らせ、一回瞬きをすると微かな声で返答する。


「……うん……覚えてる」


「……なら、さっき説明された自分の『後悔のともしび』も分かるのか?」


 後悔のともしび――生前に残した後悔の念が消えれば、自ずと魂は浄化される。このカリキュラムの最終的な目的は『魂の浄化』だが、『後悔のともしび』が自然に浄化されるように配慮されている。


 プログラム内の生前調査レポートやカウンセリングが、その役割を担っていた。


「リンは……最後の一年間はずっと病室だったの」


「…………」


「心臓の重い病気で家に帰れなかったけど、毎日お母さんが隣に居てくれた。だから、一度でも元気な姿をお母さんに見せたかったの」


 少女の沈痛な面持ちから悲しさと切なさが伝わり、ノラは唇を固く結んだ。寂しさを少しでも拭いたい気持ちで、ノラは少女の頭を撫でる。


「無神経な質問してごめんね……お母さんに会えることはできないのかな」


 少女はかぶりを振りながら、力一杯に白い歯を剥き出しに見せた。


「リンが死んだのは70年前の話。もうお母さんには会えないよ」


 自分を諭すように作った笑顔に、ノラは沈黙で応えることしかできなかった。


 この世界は何て残酷なのだろうか。この世界にはきっと神様は存在しない――ノラはモヤモヤした感情を誤魔化すようにリンちゃんの手を繋ぐと、海岸線に沿って歩いた。


 暫く歩いていると、常緑の木々に囲まれた公園に辿り着いた。石造りの看板には、『深緑公園』と書かれており、子供達の喧噪が聞こえてくる。


「おーい、みんな! 景品おばちゃんがお菓子持ってきてくれたぞ!」


「誰が景品おばちゃんだ、クソガキ! まだギリギリ二十代じゃ、ボケ!」


 何やらスーツを着た小柄な女性が、子供達と口喧嘩をしているので近付いてみたが、お菓子を配っているらしい。


 茶髪のポニーテール。猫のような目と泣きぼくろ。全体的に覇気がないが、ボリューミーな双丘が一際存在感を放っている。


 ――丁度良かった。リンちゃんが元気になるようにお菓子を譲って貰おう。


 そう安堵の吐息をついたノラだったが、女性の突き刺すような冷たい視線と交わった。


「おい少年。少しは男前だからって、おっぱいを舐め回すように見ていい許可は与えてないぞ!」


 人生の大半をパチンコに捧げる女――雷前らいぜん帆稀ほまれの咆哮がノラを強襲する。


 リンちゃんを含め、約10人の子供達の白けた目がノラに集中した。


「~~っ、ふざけるな! 舐め回すように見てないわっ! てか、舐め回すって上から下まで全身を食い入るように見ることを指すんだぞ。おっぱいだけの局所的に使うかよ」


「おいおい、犯罪者さながらの言い訳だな。もしくは童貞DTの負け惜しみか。オレはそんな生温い慣用句の使い方をした訳じゃないぜ」


「!? じゃあ何だよ」


「少年は乳頭、乳輪、乳房、あらゆるパーツをペロペロとしゃぶり尽くし、吸い付くように見ていた」


「……アンタ、マジで酷いな。シリアスな空気返せ」


 帆稀が真顔で「1630ひとろくさんまるオッパイ星人を確保」と叫ぶと、子供達から「警部、お疲れ様でした」と喝采が上がる。「なんだこれ」と引き攣った顔をしているノラの手の上に、帆稀はオレンジグミをポンと置いた。


「まあ、神々の双峰に魅入ってしまった少年を寛大な心で許そうではないか。男の視線を釘付けにするオレが悪い。おっぱいしか取り柄がないオレが罪なんだ」


「その胸に対する自意識の高さ、癪に障るな……」


 腕を組んだせいで更に強調された双丘の上方には、ドヤっている帆稀の顔がある。ふんっ、とノラは鼻を鳴らしながら目線を変えると、リンちゃんがケラケラと笑っていた。


 ……冤罪の件。まあ、水に流してやるか。


 そして、一頻りノラを茶化して満足した帆稀は、中央に建つガラス張りの高層ビルの方角へ帰って行った。




⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅




 霊特殊捜査本部α棟10階、霊能犯係オフィスルーム。


「どうしたの遊鳥ゆとり? 不機嫌な顔して」


 制服姿の黒髪ショートの取り巻きこと五十嵐いがらしが、萌園遊鳥もえぞのゆとりの側に歩み寄る。


 同じく制服姿の遊鳥ゆとりは仏頂面で、デスクの上に頬っぺたを乗せている。不規則に乱れた赤い髪は、まるで猛毒を撒き散らすイソギンチャクのようだった。


「別に……ですの。ちょっと遊鳥ガッカリな気分……ですの」


「例の浮遊霊失踪事件、進展なし……?」


 遊鳥がコクリと顔を動かすと、五十嵐は溜息をついた。だが、遊鳥が喪心している理由は他でもなく、ミスコン選抜の件だ。


 ――あの銀髪根暗女ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!


 情緒不安定につき、嫉妬心に焦がれていた。メラメラと。


 実際のところ、遊鳥の投票数は選抜者2人(紅空、リリス)の票と比べると圧倒的に差はあるが、投票数は一年生の中で3位だった。


 男子内では希少種の萌豚ドM界隈の票。また、女子内では遊鳥が開くお茶会に憧れる干物女子の票が彼女に集まっていた。当然、その事実を遊鳥が知ることは永遠にない。


「はぁ~手詰まりかぁ。見た目だけで死霊グレッドか判断できれば捜査は進展するのにね」


「見た目は人間と変わらないので、厳しいですわね。判断できるとすれば、『呪力じゅりょく』解放時に変化する真紅の瞳と、体の何処かに刻まれた『呪印』だけですの」


 遊鳥は体を起こしながら、分厚い辞典の上に乗っているフクロウのお腹辺りを指した。そこには白勾玉しろまがたまの刻印があり、それは極小の梵字ぼんじで形成されていた。


「こら遊鳥。私のは呪印ではありませんよ。『神戯じんぎ』を司る『玉印ぎょくいん』です」


 ブローされた綺麗な羽を広げて抗議するキュービッツ。


「キューちゃんごめんね。から、呪印と玉印は本当に紛らわしいよね」


 遊鳥はウインクしながら手を合わせると、棒状の練り餌をキュービッツの口元に運んだ。特注のスペシャルミートである。


「まぁ否定は……むしゃむしゃ……できないですね……むしゃむしゃ」


「式神の感知能力で何とかならないですの?」


「――ゴックン。奴らも意図的に力を抑止してますからね。禍々しい程の強い呪力を解放すれば感知できますが……」


「式神の感知能力を掻い潜るなんて、本当に化け物ですの。結局、手掛かりはこの写真だけですわね」


 足を組みながらカフェオレを飲む遊鳥が、不服げに一枚の写真をペラペラと扇いでいると、五十嵐が反応した。


「遊鳥、その写真なに?」


「例の少女が転移端末テレポス近辺の監視カメラ映像に残っていましてね。あの根暗女の言う通り、首にはチョーカーが付いてましたの……」


「あらら。ご機嫌斜めな訳だね。少女とが映ってるね」


「時すでに被害者か、或いは仲間か……まあ見つけ次第、参考人として任意同行決定ですわね」


「黒髪で少し癖っ毛。男前だし遊鳥のタイプなんじゃない?」


「遊鳥はもっと品がある高貴な殿方をご所望ですの。こんなドブネズミのような冴えない殿方はいりません」


 遊鳥は嘲笑しながら椅子に深く座り直した。そして、椅子の背もたれに体重を預けて、上体を後ろに反らせていると、


「精が出るな萌園。ポッチー食うか?」


 ポッチーを咥えた帆稀が背後から登場し、遊鳥は「キャッ」という小さな悲鳴と共に心臓が早鐘を打った。


「ガールズトークとか青春だな。の帆稀さんも混ぜてくれよ」


 キッと睨みつける遊鳥を余所に、帆稀は机に置かれた写真を手に取った。


 ――この神出鬼没のギャンブル女め~~!! 毎度のこと背後から……忍者ですの!?


 写真を見ていた帆稀は「ふぅ~ん」と一瞬不気味な笑みを作ったが、すぐに通常モードの飄々とした態度に戻る。


「萌園のタイプはこういう男なのかぁ」


「~~~~っ! だから、違いますわっ!!」


「なら安心したぜ。何せ萌園はスレンダーだしな」


「――――?」


「コイツを含め男は基本的にだからな」


 ――この脳筋デカ乳女~~~~っ!! 胸を気にしている遊鳥への当て付けですの!? スレンダーというまな板の比喩ですのっ!?


 邪悪なオーラがひしひしと感じられる遊鳥の横で、ポッチーのチョコレート部分だけを舌で吸い取っている帆稀。他人に対する鈍感さにおいては、帆稀の右に出る者はいない。


「おい、帆稀……会議が始まってるのだが、油売るのは楽しいか?」


 直後、金髪翠眼の騎士――御厨英士みくりあえいしの凍えるような一言により、場の空気は氷河期を迎える。


「にゃあああああああああ! 英士、首を掴むなっ。セクハラだぞセクハラ! 騎士の名折れだ!」


「煩いこの税金泥棒猫。会議サボる奴に名折れなどと言われる筋合いはない」


 ニャーニャー騒ぐ子猫のように連れ去られた帆稀の背中を見ながら、「ざまぁ」と微笑を浮かべた遊鳥は小さなガッツポーズをした。


 この茶番劇は、もはや霊犯内では日常的な光景だった。




⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅




 提供された宿泊施設は、ビジネスホテルの一室に近いシンプルな部屋だった。シングルのベッド。無地のドレッサー。必要なアメニティがそこに置かれていた。


 リンちゃんは小学生以下が適用される保育園のような施設で泊まっているので、一先ず安心だ。

 ノラは気が緩んだせいか、部屋のベットの上に横になると同時に微睡み、気が付けば二時間経っていて、既に夜の七時である。


 風呂に入ろうと、洗面所で上着を脱ぐノラ。鏡に映る自分の姿を見て、怪訝な顔をする。


「……この胸にある模様は一体なんだろうな……気味が悪い」


 ノラは胸の辺りを触りながら、そう呟いた。


 そこには黒勾玉くろまがたまの模様が浮かび上がるように刻まれていた。

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