第6話 ピンクの妖精さん

 お喋り紅空くれあさんのペースで、他愛もない話が夜中まで継続した。


 主にウーパールーパーの魅力をプレゼン形式で紹介される流れだったが、表情を変えない鈍重な両生類に全く興味は湧かず、楽しそうに語る彼女に終始愛想笑いを作るしかなかった。


 勿論、紅空が風呂に入った後の話だ。


 流石に彼女のステータスには露出癖は存在しなかったようで、肌触り良さげなモフモフ質感のパジャマを着ながら、おもてなしの料理を振る舞ってくれた。


 ただ、料理はてんでダメなようで、調理スキルゼロで作れるモヤシ炒めを、使用済みのマッチ棒のように全て黒焦げにする始末。

 この世界で初めて食べた料理は、素材と調味料の味を全て殺した苦味オンリーのそれだった。


「男の胃袋を掴む素養なんて……嫁入り前に学べばいいし!」


 ノラに気を配った心遣いが逆に仇となったので、少し不貞腐れた顔で開き直る紅空。


 感情の浮き沈みが、本人の不器用さと共に顕著に表れる。良い意味で素直なのだろう。会話するにつれて。彼女の性格を理解するにつれて、ノラの疑心的な思考が徐々に消えていった。


 しかしながら、見知らぬ男を家に泊めること然り、とにかく不思議という表現が尽きない女の子だった。


 一人暮らしの女子高生の家に泊まる選択。世間一般的には犯罪に近いグレーゾーンであろう。だが、社会的な判断を取ることさえ儘ならない程、心身ともに限界なのは言うまでもない。


 雨が降り止まぬ丑の刻。

 死霊グレッドという魑魅魍魎及び、セーラー女子高生に一狩される危険性。

 硬質な屋上のコンクリートとは違い、柔らかフカフカのベッド。


「……おやすみなさい」


 以上の判断材料により、誘惑に負けた結果が就寝の挨拶である。


 ノラは三日間の疲労を全て忘却するぐらい深い眠りに就いた。病人を気遣ってベットを貸した紅空も、ソファーで毛布に包まって寝ている。


 部屋の中は空気清浄器から噴出されるスーという音と、コツコツと窓に当たる僅かな雨音だけだった。


 壁に表示されたマッピングクロック。ナイトモードに設定されたオレンジ色の弱光の針が差すのは丑三つ時。


 外の雨は完全に止み、部屋は静寂に包まれていた。


 寝返りもせず、同じ体勢で眠るノラ。

 脳の活動はレム睡眠時に訪れる夢の世界へと移行する。


 ところで、夢の記憶想起はその時に見た内容で変わると言われている。良い夢よりも、悪い夢の方が目覚めた時に覚えていることが多い。

 逆をいえば、良い夢の方が目覚めた時には忘却してる可能性が高いのだ。


 そして、ノラの夢は後者だった。

 良い夢と共に寝息を漏らしている。


 だから、ぼんやりと覚醒した時に見た映像は、起床した時には綺麗さっぱり消えていた。


 ベットの前で静かに立っていた彼女を。

 こちらを見る絶対零度の冷たい視線を。


 ハイライトのない目に潜んだ深淵の闇を……ノラは覚えていなかった。




⚀ ⚁ ⚂ ⚃ ⚄ ⚅




 朝起きると、大急ぎで身支度をする紅空の姿があった。


「…………」


 所構わず、制服にミラクルチェンジする彼女に申し訳なかったので、寝たフリを敢行するノラ。だが、一瞬だけ目を開いたノラを紅空は見逃さなかった。


「おっはー。ノラ起きてるでしょ?」


「……おはよう」


 仮にも年上と思われるノラを目の前にして、躊躇なく顔を寄せてきた。朝から快活さが溢れている。


 だが、朝は滅法弱い様子。冬眠から目覚めた小動物のような雰囲気で、目を擦りながら欠伸をしている。すっと伸びをすると、低血圧を主張する乳白色の肌が制服の裾下から見えた。


 適当にある物を使ってよき。食べてよき。何でもよき。


 その三拍子とウーパールーパーのルウさんに昼時、餌をあげてほしい旨をノラに伝えると、紅空は玄関から鳴るオートロックの音を置き去りにして家を飛び出して行った。


「田舎に泊まろうぐらい心暖かいが、不用心だな。自身の城をこんなに簡単に貸すか?」


 そんな一言を残し、とりあえずノラは二度寝した。


 再び起きたのは、昼過ぎだった。

 これぞ堕落した生活、と言わんばかりに欠伸をしながら顔を洗い、簡易歯ブラシで歯を磨いている時。


 ――そういえば、ルウさんだっけ? 餌をあげてくれって言ってたな。


 紅空曰く、朝に昼分の食事も与えて学校に行くらしいが、餌がペレットであるため、昼にはふにゃふにゃの餌が分解気味で水中を漂うらしい。


 水中は汚れ、衛生的に悪いから新鮮なペレットを与えてほしいとのお達し。


 力の入れ方が伊達ではない。きっと彼女の前世は徳川綱吉だったのかもしれない。生類憐みの令が発動した当時、果たしてウパルパは発見されていたのだろうか。


 などと、思案顔で直方体の水槽を覗いていると、中央付近にある割れた鉢の中からルウさんがノコノコと正面にやってきた。


 意外と可愛いと思ったのはノラの寸感。流石は一世を風靡した癒し系筆頭だ。


 記憶上では飼育したことがないので、てっきりコオロギでも食べるのかな、と思っていたが実際はペレット。餌は乳酸菌とミネラル配合らしい。


 とりあえず裏面の記載要領に書かれていた個数の餌を与えてみた。


 パクッ――。


「あっ、食べた」


 あまり興味はなかったが、池の鯉を見る小学生のようなワンシーンを演出してしまった。


 底砂まで吸い込みそうな吸引力を披露するルウさん。モーターはサイクロン式だ。


 しばし、ピンクの幼生をボーと眺めていると事件は起きた。


「よお、景気はどうだ?」


 確かに真正面からくぐもった声が聞こえた。ハードボイルドを感じる低めのトーン。


「ボチボチか?」


 パクパクと口を動かすルウさんから声が聞こえる。


 …………

 ……


「魚おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


「確かにサンショウ魚の一種だが、随分と景気のいいリアクション取るな、兄さん。ところで煙草持ってるか?」


 驚愕するノラに対して、冷静に語らうルウさん。ノラは深呼吸して精神を落ち着かせてから、ルウさんの円らな瞳を直視する。


「煙草はないけど……というか言葉を喋れるのか!?」


「日本語と中国語、フランス語、スペイン語、それにマヤ語を少々だ」


「普通に出来過ぎ君だろ。マルチリンガルだけど、主流の英語はないんだな」


「生まれてすぐに日本に輸入されたから、ネイティブの連中には敵わないけどな。まあ、英語はボチボチだ」


 一流のディーラーばりのポーカーフェースなので、ルウさんの表情が読めない。よって、言葉のニュアンスが卑下しているのか、自慢してるのか、トレース不可能である。


「まさか……この時代のウーパールーパーは皆喋れるのか!?」


「おいおい、それは景気良すぎだ。その考えじゃバブル崩壊時みたいに地獄を見ちまうぜ。一応、仮にも式神って役職なんだ」


「えっ、式神って――あの陰陽師が使役してる?」


「要はそれだな。まあ、時代錯誤と呼ぶべきか、この時代は陰陽師って言葉は浸透してないけどな」


 陰陽師――古来より式神と主従関係という契りを結び、共に悪行を見定め、邪を滅する者。業界人といえば、安倍晴明が有名だろう。十二神将と呼ばれる最強の式神を使役していた。


 そう、式神は別名では式鬼や神霊と呼ばれる陰陽師の相方的存在。悪に対しての絶対的な武力・感知能力を備えていた。社会的な地位を参考にすれば、陰陽師がCEO、式神はスーパーバイザーだ。


 しかし、初めてお目にかかるそれはウーパールーパー。


 ノラの式神に対するイメージは下落した。式神ってこんなにショボイのか、と。


「ちなみに時代錯誤って言ってましたけど、生まれはいつなんですか?」


 古人感が漂うルウさんの言い草。ノラの対話は、自然と目上への話し方に変わっていた。


「西暦1983年生まれだな。あの頃は良かった。何せ我らがCMに出てたぐらいだからな。CD、マスコットキャラとしての商業化。まさに人気の総取りだった」


「はぁ~。一応、時代背景ぐらいの知識はありますが……」


「マリオも流行してたな。横スクロールアクションの金字塔と言えばあれだ。今では大規模な仮想世界でバーチャルを楽しむ時代だから、レトロゲームが恋しいものだ」


 思い出に熱が入るルウさん。ノラは立ち膝の体勢が疲れたので、フローリングに胡坐をかいた。


「訊きたいことがあります。いいですか?」


「知ってることしか答えられないが、何でも訊けよ」


「今って西暦ではないんですよね?」


 野外収集で得た情報の一つ。この時代の暦法が『円暦』であること。ノラはそんな暦法を知らない。


「その質問をする時点で、兄さんは『常闇の数秒』よりも前時代を生きていた者だな。西暦の頃は一年間365日のグレゴリオ暦を行使していただろ? でも今は一年の日数は384日なんだぜ」


 ルウさんの説明によると、過去に宇宙から太陽が数秒消えたその現象により、地球の公転軌道が変わって、現在は新しい暦法でカレンダーが刻まれてる。


 グレゴリオ暦は年間12ヵ月で、ひと月の日数は疎らだ。


 一方、円暦は年間13ヵ月で、1月から12月までのひと月が31日の固定日数。溢れた日数が13月に配分され、俗に言う基準調整日の閏年は13月の最終日になる。


 わざわざ月数を増やす対応に、何処と無く疑問が生じたが、システム関連のIT業界、印刷業界やマスメディア、そして、その他各業界へのインパクトを考慮した結果らしい。主にお偉いさんの意向が大きいみたいだが。


 時代背景は理解した。ただ、もう一つ気になる点といえば――、

 

「ルウさんが亡くなったのって、かなり昔なんですよね。やっぱり、式神だからこの時代にいるんですか?」


「現世に迷い込んだ霊は例外なく、この時代に来るぞ。詳しくはよく知らないが、《メビウスの分岐点》という固有輪廻がこの時代にあるって話だ」


「物体なんですか、それ?」


「それすら不明だな。……それにしても、記憶喪失とは難儀だな。紅空も妙な奴を拾ってきたものだ」


 妖精が羽をパタパタと動かすように、ルウさんは手とヒレを動かし、水中を縦横無尽に泳いでいる。


「そういえば、式神ってことは紅空が契約者なんですよね?」


 ノラの質問で、ルウさんの動きがピタッと止まった。真一文字に口を結ぶと、ノラに目を合わせながら水底に沈んでいく。


「まだ……契約はしてない」


「えっ? どういうことですか?」


「それには、止ん事無き事情がある……」


 ルウさんの話はもう少しだけ続いたのであった。

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