第14話 大雪が降る前に

 今年の冬は、いつもより雪が深い。トギはそう切り出し、雪化粧した街道の様子を伝えた。

「まだ馬が走れるけど、もう一週間もすれば、山間の田舎道は雪に埋もれる。大雪が降る前に帰らないと、足止めを喰らうぞ」

 トギは仕事から帰るなり、火かき棒で暖炉の中を弄り、炎の大きさを調節していた。町中の馬車屋が、大雪が降る前に仕事を終わらせようと、疾風怒濤しっぷうどとうの勢いで働いている。トギも忙しくて、暖をとる暇もないのだろう。

 コチュンは暖かいお茶をトギに手渡した。

「じゃあ、早く荷造りを終わらせないと」

「いつ吹雪いてもおかしくない空だ。今日中に仕事を全部終わらせてくるから、明日の朝一番に帰ろう」

「じゃあ、この荷物を一人でまとめなきゃならないの?」

 コチュンは、未だごちゃごちゃに散らかったトギの部屋を振り返った。トギは両手を合わせると、頭を下げて謝った。

「明日までに魚や肉を届けなきゃならないんだよ。ほんとごめん、お願いします」

 言うが早いか、トギは湯気のたつお茶を一気に飲み干すと、寒さに気をつけろと言い置いて、外に飛び出していった。どうやら、仕事の合間にできた一瞬の隙を使い、コチュンに顔を見せにきたようだ。

 コチュンは腰に手を当ててため息をつくと、帰省のための荷造りに取り掛かった。


 

 トギに結婚を申し込まれてから、数日が経っていた。

 もう、汗水流して働かなくてもいい。田舎で牛の世話をしながら、叔母と一緒に暮らそう。トギはそう言ってくれたが、コチュンは驚きのあまり、直ぐには答えられないと言ってしまった。

 それを、トギがどう受け止めたのかはわからない。“返事はゆっくりでいい”と笑って流し、ひとまず田舎へ一緒に帰省しようと、話を変えてくれたのだった。

 トギは思いやりの深い男だ。気心知れた間柄でもあるし、彼と結婚すれば、きっと幸せだろう。それなのに、コチュンの脳裏をかすめるのは、オリガと過ごした、蓮華宮での慌ただしい日々のことばかりだ。

 窓の外を眺めれば、雪で白んだ王宮が遠くに見える。あの中で、 オリガはどうしているだろうか。寒さを凌げているだろうか。彼の平和への覚悟を、わかってくれる人が現れただろうか。

 女中を辞めたコチュンに、それを知る術はない。知ったところで、どうにもならない。

 コチュンは未練を断ち切るように、窓のカーテンを閉じた。


 そのとき、玄関の戸を叩く音がした。コチュンは乱れた髪の毛を整えてから扉を開けて、驚いてしまった。そこにいたのは、以前トギが闘技場で連れていた、若い女性だったのだ。

「トギさんと同じ馬車屋で働いている、庶務員のルマと申します」

 ルマは抑揚のない声で言った。コチュンよりも少しだけ背が高く、三つ編みをぶら下げた素朴な風貌である。コチュンは背筋を正し、ルマを室内に通した。

「すみません、トギはまだ仕事から戻っていないんです」

「知ってます、職場が一緒だから。トギさんが走らせてる馬車が、いつも見えるんです」

「トギがお世話になってます。わたしは彼の幼馴染のコチュンです」

 コチュンがにこやかに挨拶をすると、ルマは抑揚のない声で返した。

「コチュンさんのことは、よくトギさんから聞いています。一緒に暮らしているんですね」

「わたしが仕事を解雇させられてしまって。田舎に帰る前の間だけ、トギの家に居候させてもらってるんです」

「トギさん、求婚プロポーズって、職場で言っていましたけど……」

 抑揚のなかったルマの声が、急に刺々しくなった。おそらく、コチュンのことをトギの婚約者だと思って話していたのだろう。コチュンはバツが悪そうに苦笑いした。

「その話は保留中で」

「でもそれは、トギさんからの贈り物でしょう?」

 ルマは目を光らせて、コチュンの前髪を抑える金細工の髪飾りを見た。コチュンは身を強張らせた。どうして、この人はこんな個人的なことまで、詮索してくるんだろう。

「そうですけど、恋愛はよくわからないし、ましてトギと結婚なんて、実感がなくて」

 すると、ルマは値踏みするように長い相槌を打ち、ゆっくりと切り出した。

「コチュンさん、これから一緒に外を歩きませんか?」

 これまた、唐突すぎる申し出だ。コチュンは驚いて返事に困ってしまったが、ルマは構うことなくコチュンに外出の用意をさせ、引っ張り出すように雪のピンザオ市内に繰り出した。


 トギが言っていた通り、街につもる雪は例年より厚みがあった。

 コチュンはルマにされるがままに歩かされ、会話もほとんど続かない。だが、辿り着いたその場所に、コチュンは意外そうに声をあげた。

「ここ、トギの職場?」

「わたしも働いてます。ここで、コチュンさんに見てもらいたいものがあるんです」

 ルマは人目を避けるように、物陰や壁の裏側を通り、コチュンを馬小屋まで案内した。御者姿の男たちと防寒具をつけた馬が、仕事の準備に追われている。その中に、トギを見つけてコチュンは目を見張った。

 大人びていると思っていたトギだが、ほかの御者に比べると、驚く程若い。それなのに、ほかの御者の二倍も三倍も働いている。

 ルマは、誇らしげにコチュンに視線を向けた。

「トギさん、うちの職場でも一目置かれてるんです。知ってました?」

 そういえば、トギがどんな風に働いているかなんて、知ろうとしてこなかった。コチュンが居たたまれなさに口をつぐむと、ルマは睨みを利かせて口を開いた。

「トギさんは、いつもコチュンさんのことを話してます。あなたに何かあれば、自分が助けるって。トギさんは、あなたのために頑張って働いてきたんです」

 コチュンはそこで、ようやく合点がついた。

ルマが自分をここに連れてきたのは、ひたむきに頑張るトギの姿を見せて、煮え切らない自分に、喝を入れるためだったのだ。

「ルマさんは、どうして、わたしにそのことを伝えてくれたんですか?」

 するとルマは、一呼吸置いてから、ぼそっと答えた。

「わたしは、トギさんが一途な人だって、ずっと知っていましたから」

 言うや否や、ルマは口元をくしゃっと歪めて、背を向けて走り出してしまった。コチュンが呼び止める間も無く、ルマは馬車屋の喧騒の中に消えた。

 入れ替わるように、馬のいななきが耳に届いた。コチュンはハッと目を瞬いた。すぐ近くに、馬車で出発間近のトギがいることを思い出したのだ。

 しかし、コチュンはトギの顔なんて、とてもじゃないが見る気になれなかった。ルマが最後に言い残した言葉。その意味することを思うと、胸が張り裂けそうだったのだ。

 きっとルマは、トギのことが好きなのだ。トギが自分を、好きだと言ってくれたように。

 


 雪の綿が、だんだん厚くなっていく。行き交う人々は、大きなローブに顔をすっぽりと埋めて、足早に過ぎ去っていく。街は氷のように静かだった。

 その中を、コチュンは傘もささずに歩いていた。

 賢明に働くトギと、ルマのひたむきな愛憐あいれんの情を見せ付けられ、対する自分が宙ぶらりんの半端者に思えていたのだ。

 トギの思いを、いい加減に扱ってはいけない。もっと向き合わないと。そう決意を固めようとすると、コチュンの喉の奥がギュッと詰まるような感覚が走った。

 それが災いした。うつむいてばかりで、周囲に注意を向けなかったコチュンは、真っ直ぐ歩いているにも関わらず、通行人と真正面からぶつかってしまったのだ。

 大柄な男の人の肩に跳ね飛ばされ、小柄なコチュンは雪の上に落ちそうになった。すると、男の人にグイっと腕を引っ張られ、間一髪でびしょ濡れになることは免れた。

「すみません、ありがとうございます」

 お礼を言いかけたコチュンは、男の顔を見てギョッとした。その男は前髪の一部が白く、鋭い眼光を光らせる、王宮衛兵長のサザだったのだ。

「サザ……衛兵長……」

 コチュンは腕を引こうとしたが、サザにガッチリと掴まれて身動きが取れなくなっていた。コチュンの瞳の中に、サっと恐怖の色が浮かんだ。サザは突風のようにコチュンを建物の物陰に引き込むと、壁に追い詰め、自分の体で出口を塞いだ。

「ニジェン皇后の女中の、コチュンだな?」

 サザは低い声で尋ねてきた。顔の半分を覆っていたローブを下げると、牛の腹のような太い首が覗いた。コチュンは、抵抗する気力が沈んでしまい、苦し紛れに嫌味を吐いた。

「わたしは解雇されました。今更、王宮の人と話すことなんてないと思いますけど」

「警戒しているな? だが安心しなさい、わたしは君たちの味方だ」

 サザは低くて硬い声で告げると、周囲を警戒するように目配せした。再びコチュンに目を向けると、ローブの内側から、一本の古びた鍵を取り出した。

「ニジェン皇后が、牢屋に囚われている。その鍵を君に渡しに来た」

 その途端、コチュンは絶句してサザの顔を見上げた。

「君も知っているだろう。ニジェン皇后の正体が、ユープーの少年だということ。今、王宮内では、火をつけたような騒ぎになっている。ニジェン皇后はバンサ国を欺いた罪で処罰を下される。ドゥン陛下は謹慎を命じられた」

「皇后は、ご無事なんですかっ?」

「偽物の姫だと明らかになった後は、罪人として扱われている。怪我の治療はおろか、日々の健康も保てていない。そもそも彼は、男の体を細くさせるために、ずっと前から食事を最低限に抑えていたらしい。牢屋に入った今は、栄養不良を起こしている」

「そんな……」

 コチュンは壁にうなだれ、崩れるように座り込んでしまった。太陽のように明るく、海原のように広い心のオリガが、想像を絶するような苦しみを課せられているなんて。コチュンには到底受け入れがたい話だった。

 しかしサザは、コチュンを逃がさないと言わんばかりに、膝を折って目線を合わせた。そして、再び鍵を差し出してきた。

「だから、この鍵を君に託したい。彼を助けられるのは、君しかいないんだ」

 コチュンは、吸い寄せられるように鍵を見て、震えながらサザに目を移した。

「どうして、これをわたしに? あなたはダオウ上皇様の腹心の部下だって聞いていたけど……」

 するとサザは深い溜息を吐いた後、鍵をコチュンの手のひらにぐいっと押し込んだ。

「この国が無用な血を流さずに済むなら、わたしはどんな刑罰でも受け入れる」

 サザはコチュンの手を取って立たせると、背中を押すように告げた。

「さあ、王宮へ!」

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