第12話 引き裂かれたドレス
コチュンは思わず身を強張らせ、天敵ともいえる同僚を見た。
「リタ先輩も、晩餐会に参加されていたんですか」
コチュンの震える唇が、早口に動いた。この緊張関係のせいで、相手の言動一つに過敏になっているのだ。
リタは不適に微笑むと、黄色い女中服をなびかせて、踊るように回った。
「この服のこと忘れちゃったの? わたしは仕事、松明に薪をくべているの」
「薪の当番は、大変ですよね」
「ええ、ほんと。薪の棘が指に刺さって痛いわ」
リタの抑揚のない声が、蛇の
「それに比べて、あなたはすっごく綺麗。おとぎ話のお姫様みたいじゃない」
コチュンは、顔の包帯に花を飾り付け、ユープー風の化粧をし、初めてドレスに袖を通していた。皇后の付き人として、客人たちの前に出るために、ふさわしい礼装をしなければならなかったからだ。
しかしこの姿は、女中の仕事着とはまるで違う。目の前のリタと比べると、天と地ほどの差があった。リタは忌々しそうに吐き捨てた。
「あたしは血を流しながら仕事してるっていうのに、あなたはお洒落して貴族ごっこだなんて、いいご身分ね」
「ごっこだなんて、そんな風に見えますか?」
コチュンは全身でリタの嫉妬を受け止めながら、挑むように言い返した。
「リタ先輩、わたしは遊んでいるわけではないです。今は、これがわたしの仕事なんです」
「あんたみたいな没落貴族が、どんな手を使って皇后様に取り入ったのよ。本当ならその仕事は、あたしのほうが相応しかったのに!」
リタのあまりの言い草を受けて、コチュンの足に武者震いが出た。及び腰がピンと伸び、爪先に力が入る。
「よくも、そんなこと言えますね。この仕事が、どんなに大変か知らないでしょう」
「あんたの仕事は、皇后様の着せ替え人形になることでしょ。ドレスの下は田舎者のくせに!」
その途端、リタの腕が火柱のように伸びてきた。コチュンは振り払おうとしたが、まだ完治していない腕に痛みが走り、思うように動けない。その隙に、リタの手がコチュンの顔の花をむしり取った。
包帯の結び目が音を立ててほつれ、垂れた包帯がコチュンの鎖骨を触って、地面に落ちた。
リタは勝ち誇った笑みを浮かべたが、外気に晒されたコチュンの顔を見て、ギョッと目を剥いた。
コチュンの顔には、醜い傷跡が走り、陰陽の
コチュンは咄嗟に傷跡を隠したが、リタが悲鳴をあげた。彼女のつん裂くような絶叫は、晩餐会の会場中に響き渡り、演奏を楽しんでいた客たちまでもが、コチュンを振り返った。コチュンは凍りついたように立ち尽くしたが、リタは身を翻すなり、一目散に走り去ってしまった。そこへ、入れ替わるように走ってきたのは、ドゥンだった。
「団子、どうしたんだ。一体なにが……」
ドゥンは警戒した声を響かせたが、コチュンが顔を両手で隠し、震えているのを目の当たりにして口を閉じた。自分についてきた衛兵に戻るように命令すると、足元に落ちていた花を、そっと拾い上げた。
「少しあっちて休んだほうがいい」
ドゥンの手が、励ますようにコチュンの肩におかれた。すると、堰きとめられた川が流れ出すように、コチュンの目に涙が浮かんできた。歩き出したドゥンが、優しく尋ねた。
「大丈夫か?」
「わたしの顔、やっぱり酷いですよね」
庭園の噴水の傍で、コチュンは足を止めた。傷を隠したまま顔を上げると、ボロボロと涙が流れた。
「ドゥン様、なぜ、わたしなんかを、皇后陛下のお付きの女中にしたのですか。ただの女中でいれば、仕事仲間に
涙でグチャグチャになった嗚咽を吐き出すと、コチュンは両手を下ろした。赤黒く変色した顔を、ドゥンを糾弾するように見せつけたのだ。
ドゥンは黙り込み、視線を下に向けた。
「君の怪我については、申し訳ないと思う。だが、我らの秘密を守るためには、どうしても協力者が必要だったんだ」
「それが、どうしてわたしなんですか。もっと別に、ふさわしい人がいるでしょう」
コチュンが涙に濡れながら訴えると、ドゥンは首を横に振った。
「君が、女中仲間のために蓮華宮に忍び込んだと知ったとき、この仕事は君にしかできないと直感した。自分の身を危険に晒しても、友を救おうとする心は、誰もが持てるものではない。君は最初から特別だったんだ」
「特別なんかじゃありません……」
コチュンは静かに否定した。こんな性格は、損しか生まない。今の自分の立場が、それを物語っているではないか。
コチュンが鼻を鳴らしていると、おもむろにドゥンが膝をついた。皇帝陛下の頭頂部なんて、初めて見た。コチュンは涙も引っ込むほどに驚いてしまった。
「どっ、ドゥン様、皇帝が女中の前に膝をつくなんていけませんっ!」
「さっき言ったことは、本当だと改めて伝えたくて」
ドゥンはコチュンの手を取ると、しっかりと握りしめてきた。こんな状況は、本で読んだ愛の告白以外、見当がつかない。コチュンは目が回りそうだった。
しかし、ドゥンはそんなコチュンを置いてけぼりにするように、淡々と言葉を続けた。
「特別な君に、頼みがある」
ドゥンが顔色を変えたので、コチュンは体を硬くした。
「急に、どうされたんですか」
「さっき、君も見ただろう。上皇がニジェンの正体を疑っている。本物の姫ではないと勘付いてるんだ。ニジェンが確実に、この国の皇后になったと知らしめなければ、さらなる追求が課せられるだろう」
「それは、ドゥン様とニジェン様が、共謀したときからわかっていたことじゃないですか。今までが運が良すぎたんです。こんな馬鹿げた嘘は、すぐにバレてしまうに決まってますよ」
コチュンは泣きはらした顔に眉を寄せ、諭すように答えた。すると、ドゥンは儚げに笑った。
「全て、君の言う通りだよ。君は本当に賢い女中だ」
ドゥンは、馬が背筋を伸ばすように立ち上がった。背の高いドゥンが見下ろせば、コチュンには巨大な壁のようにすら思えてくる。コチュンは息を飲み、ドゥンの次の言葉に身構えた。
ドゥンは、乾いた唇を微かに舐めてから、ポツリと切り出した。
「では、どうすれば嘘を先伸ばせるかも、君ならわかるだろ。ニジェンの代わりにわたしと結婚し、わたしの子を産んでくれないか」
突きつけられた言葉の重みに、コチュンは絶句してよろめいてしまった。ドゥンが長い腕を伸ばしてコチュンを支えたが、コチュンは身をよじって振り払った。
「じっ、冗談はよしてください! 何を馬鹿げたこと言っているんですか」
「表向きの皇后はニジェンのままだが、君がわたしの妻になることはできる。子供が生まれれば、ニジェンの地位は
「それこそ、わたしに頼む必要ありますか? ドゥン様が恋人を作ればよろしいじゃないですか」
コチュンが噛み付くように怒鳴り返すと、ドゥンは悲しげに目を伏せて首を振った。
「それができれば、わたしだって、こんな馬鹿みたいな提案はしないさ。時間がないんだ。君の病気の身内のためにも、考えてくれないか?」
コチュンの腕が、反射的にドゥンの頬を叩いていた。治りかけの腕に、鋭い痛みが走るが、それよりも頭に上った血のせいで、コチュンは我を忘れていたのだ。
「いい加減にしてくださいっ! いくら皇帝でも、言っていいことと悪いことがあるでしょう!」
コチュンが牙を剥いて怒鳴ると、ドゥンは叩かれた頬をなぞりながら、ゾッとするような笑みを見せた。
「では、おれではなく、“オリガ”とならどうだ?」
その名前が出た途端、コチュンの息が止まった。
「彼の、名前を知ってたんですね……」
「おれたちは共犯者だ、名前ぐらいとっくに知っている。君があいつに惹かれていることも、とっくにバレている」
ドゥンは、狙いを定めた虎のように、ジリジリと迫り寄ってきた。コチュンの背中は噴水に押され、苦し紛れにドゥンを睨みつけた。
「馬鹿な冗談はやめてと言ったじゃないですか!」
「上皇から、大事なオリガを守りたいだろう?」
ドゥンは、猛獣の一撃のように、コチュンの細い腕を掴んで捻り上げた。コチュンの悲鳴が噴水の波しぶきに呑まれ、ドゥンの血走った目が松明の中でギラリと光った。
「君が一生困らないだけの金は払う。ユープーとの同盟を破棄させないために、ほんの数年でいいから、わたしたちに体を捧げてくれ」
「手を離してっ!」
コチュンが悲鳴を上げた、そのとき。
ドゥンの背後から、褐色の腕が伸びてきて、コチュンからドゥンの腕を引き剥がした。
「てめえっ、何やってんだ!」
怒りに目を剥いたオリガが、顔を真っ青にして掴みかかってきたのだ。肩で息をし青筋を浮かべ、こんなに興奮している姿は見たことがない。
地べたに座り込んだコチュンは、呆気にとられてオリガを見上げた。
「オリガ様、どうしてここに」
「団子の声が聞こえたから、すっ飛んできた!」
オリガはドゥンを睨みながら答え、ドゥンの腕をますます捻り上げた。
「どうしたんだよ、ドゥン! お前ちょっと変だぞ!」
「上皇は戦争をしたがってるんだ、今のまま手をこまねいてたら、あっという間に統治権を取られてしまうんだぞ!」
ドゥンが涙の滲んだ悲鳴を上げると、オリガは上から押さえつけるように言い返した。
「お前は今、焦りと恐怖で頭が参ってるんだよ、少し落ち着け」
「おれの治世で、バンサ国を乱すわけにはいかないんだ!」
ドゥンは怒鳴り返すと同時に、掴まれていたオリガの腕を逆に掴み返し、グルンと振り払った。感情が
コチュンの目の前で、オリガの痩躯がグニャリと折れ曲がった。
「オリガ様っ!」
コチュンの悲鳴が、噴水の音をかき消した。オリガは噴水に頭を打ち付け、倒れ込んだのだ。
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