第23話 盟友の決断

 幽閉生活が続くドゥンの元に、上皇の元へ馳せ参じよと伝令が届いた。暮れかかけた空が、紫色に変わる頃だった。

 ドゥンはボサボサの髪と無精髭を整え、有り合わせの礼服に身を包んだ。だが、上皇の前へ進み出たとき、ドゥンは小汚い格好のままで来るべきだったと悟った。

 王の謁見の間に、縄で縛られたオリガが膝をついていたのだ。

 かつての盟友の再会が、こんなに心苦しいとは。ドゥンは罪悪感を嚙み潰し、上皇の隣に進み出た。

「お呼びですか、上皇様」

「愚かな息子よ、見ろ、お前のかつての伴侶が、自ら出頭してきた」

 上皇は節くれだった指で、オリガを指した。オリガは、表情を微動だにせずに、目線だけを持ち上げた。

「これをどう見る?」

「賢明な、判断かと」

 ドゥンは、父親の前に静かにかしずいた。今、王座に座っているのはダオウ上皇。その前に膝をつくドゥンは、もはや皇帝ではない。

 オリガはその光景を目にするなり、そっと俯いた。


 その後、オリガはあの牢屋に繋がれた。オリガを投獄した衛兵は、次に牢屋を出るのは、処刑の日だと言い残して去って行った。だが、前の投獄とは違い、粗末な布団とささやかな食事が乗った小さな卓があった。

 オリガは水差しからコップに水を注ぎ、喉を潤した。

「今回は、出来うる限りのおもてなしをさせていただく」

 突然、牢屋の暗がりから声が聞こえた。オリガは飲んでいた水で咳き込み、鉄格子の奥に怒鳴った。

「おどろかすな!」

「申し訳ありません」

 暗闇から現れたのは、前髪の一部だけ白い、勲章をつけた衛兵だった。

「わたしはサザ、王宮の衛兵長を務めています」

「あんたのことは知ってるよ、上皇の取り巻きだろう?」

 オリガは林檎をかじりながら、サザを睨みつけた。

「おれのことを、いろいろ物色していたな。ドゥンと女中が、あんたに気をつけろとよく言っていた」

「わたしの仕事は、王宮の安寧を守ることですので、お許しください」

「で、今日は何を物色しに来たんだ」

「我が主人が、あなたと話がしたいと」

 サザがかしこまって告げると、オリガは横柄に構えて牢屋の入り口を睨んだ。あの老いぼれ上皇が、汚い牢屋に来てまで、自分を罵るのだと思ったのだ。

 ところが、そこから現れたのは、青い顔をしたドゥンだった。

「ドゥン、何しに来たんだよ」

「オリガ、今まで色々済まなかった。王宮でお前だけ見捨てたことも、許して欲しい」

 ドゥンは口早に今までの経緯を詫びると、鉄格子越しに、盟友の顔を見た。オリガの髪は短くなり、身体はガッチリし、溢れんばかりの健全さが浮き彫りになっていた。

「やっぱり、普通にしていると男の顔だな」

「ちょっと待てよ、サザは主人が来るって言ったんだぜ、なのにどうして、おドゥンがいるんだよ」

 オリガは戸惑いながら、ドゥンとサザを見比べた。ドゥンは余裕の表情をしているし、サザは黙ったまま控えている。状況が飲み込めないオリガに、ドゥンが説明した。

「サザは上皇の配下に属しているが、わたしのために働いてくれている。今夜、お前と話すための手筈も、このサザが整えたんだ」

「いわゆる二重スパイってやつか」

 オリガが意外そうに声を上げると、サザは黙って頭を下げた。

 オリガは、ドゥンに目を戻した。

「で、ドゥンはおれに何の用だよ。言っとくけど、今回は脱獄はしないぞ。もう逃げる意味もないからな」

「そんなことするはずない。お前の処刑を決めたのは、おれなんだから」

 ドゥンが告げた途端、オリガの目の色が変わった。ドゥンは、がっくりと項垂れた。

「またお前だけに犠牲を強いることになってしまって、本当にすまない。だけど、おれたちの目的は、戦争を止めることだったろう」

「ああ、やっとわかったよ。おれの処刑を条件にして、交渉を進めたのは、ドゥンだったんだな」

 オリガが表情を和らげると、ドゥンは顔をあげた。

「本当は、わたしが全ての罪を被って処刑台に立つはずだった。だが、それじゃ上皇は納得しなかった。偽りの姫に罪を償わせなければ、ユープー国に攻め込むと……」

「さすがドゥンだ、上皇の先手を取ったじゃねえか!」

 オリガは満面の笑みで声を上げると、叩けば壊れそうなドゥンの肩を、優しく握った。

「戦争さえ始めなければ、和平交渉のやり直しだって、このあといくらでもできる。“これ”が一番いいやり方だ」

「だが、そのためにわたしは、お前を……」

 ドゥンが唇を噛み締めると、オリガはドゥンの肩を叩いた。

「野心のために偽装結婚した頃のお前は、どこ行っちゃったんだよ。もっと胸張って自信持てよ。平和のために大事な決断を下せたんだから、お前はやっぱり偉いよ」

 オリガはドゥンの体を持ち上げさせると、片方の頬を上げて笑った。

「二人で、戦争を止めようぜ」



 同じ頃、夜更けのピンザオ市内に、一台の乗合馬車が到着した。中から、二つのお団子髪が、ひょっこり顔を覗かせた。

「……大丈夫、周りに人はいないよ」

「よし、コチュンはそのまま御者の事務所に走れ。おれは馬を繋いでくる」

 馬車の上からトギが声をかけると、コチュンは頷き返した。夜の馬車屋の敷地に、コチュンと馬の足音だけが響いた。まるで、隠密部隊の工作員のようだった。

 トギから、事務所の合鍵が置かれている場所を聞いていた。事務所の入り口の、足元にある通気口の中に、合鍵がぶら下がっている。コチュンは間違えることなく、事務所に忍び込むことができた。

 コチュンはすぐに、水瓶から水を掬って喉を潤した。なにしろ、一日中走る馬車の上にいたので、体は痛いわ、腹は空くわの極貧状態で、喉なんてカサカサに張り付いていた。

 コチュンがやっと一息ついた、そのときだった。事務所の奥で、甲高い悲鳴が上がった。

「だれなのっ、 憲兵を呼ぶわよ!」

 その声に、コチュンは飛び上がった。両手を見せて振り返ると、見覚えのある女性の顔が、月明かりの中に浮かび上がっていた。

「……ルマさん?」

 そこにいたのは、馬車屋の庶務員、ルマだったのだ。

 ルマは、目の前にいるのがコチュンだと気づくと、斧のように構えていたほうきを、慌てて下げた。

「コチュンさん、どうして忍び込むような真似をしたんですか。声をかけてくれたら、戸口を開けたのに」

「こんな夜更けに、人がいるなんて思わなかったので。トギから合鍵の場所を聞いたんです」

 コチュンは鍵を持ち上げて軽く振った。鈴の音が響くと、ルマは深々と胸を撫でおろした。

「驚かさないでください。泥棒かと思いましたよ」

「ご、ごめんなさい」

 コチュンが身を小さくして謝ると、ちょうどいい頃合いで、トギが馬房から戻ってきた。トギも、事務所にいるルマを見て、目を丸くして驚いていた。

「どうしてルマが事務所にいるんだよ?」

「御者の一人が、事務所に何も告げずに、勝手に馬を田舎まで連れ帰ったんですよ。やっと戻ってきたと思ったら、また田舎にとんぼ返り。職場に内緒で帳簿をごまかすの、大変なんですから!」

 ルマがトギの罪状を吊るし上げると、トギは慌ててひれ伏した。どうやら、トギの規則違反に、ルマが一枚絡んでいたようだ。職場の先輩後輩になる二人の言い合いに、そばで見てたコチュンは思わず笑ってしまった。

「ところで、どうして二人は、こんな夜更に職場ここにいらしたんですか?」

 ルマが首を傾げると、コチュンとトギは、言葉をウッと詰まらせた。

 なにしろ、コチュンは王宮の罪人を脱獄させた主犯だし、トギは逃走を助けた共犯者だ。オリガの処刑が決まった今、二人の首にも懸賞金がかけられている可能性がある。真昼間のピンザオ氏を、堂々と歩ける立場ではない。宿舎にも、気軽に立ち寄れないのだ。

 そんな本音を、コチュンは作り笑いで覆い隠した。ルマはまだ疑り深い目で見ていたが、ため息をつくと、困ったように提案した。

「もし宿の当てがないなら、うちに来ますか? 一人暮らしの狭い家ですけど」

「まじか、超助かるよ! あ、でも、おれも一緒でいいのかな」

 トギが控えめに伺いを立てると、ルマが声を上げて笑った。

「いいに決まってるじゃないですか、好きなだけいてください」

 その直後、ルマの顔がポッと色づいた。月明かりの下でも、目に見えて分かるほど、恥ずかしがっている。それを見たトギまで、顔を赤らめた。こんな状況でも、コチュンは吹き出さずにはいられなかった。

「ルマさん、本当にありがとう」

「明日からしばらく仕事もお休みだし、お客さんが来てくれて、嬉しいくらいです」

「どうして休みなんだよ?」

 トギが目を丸くして口を挟んだ。トギは、明日からの仕事の予定を確認しようと、事務所の書類を漁っているところだったのだ。

「そうか、二人とも田舎から帰ったばかりだから、王宮の御触れをまだ聞いてないんですね」

 ルマは、事務所の壁に貼ってある、一枚のチラシを手に取った。

「驚くと思いますよ。ドゥン皇帝に嫁がれたニジェン姫が偽物だったっていう、王宮からの知らせがあったんです」

 コチュンは顔を引きつらせ、ルマの手からチラシを受け取った。

 上質紙には、嫁いできたニジェン姫は、和平交渉を不服に思う過激派による偽物であったと書かれていた。そして、偽のニジェン姫の処刑について、記されていた。

「処刑は明後日、王宮前広場にて絞首刑……だって」

 コチュンは縋るようにトギを振り返った。トギも、顔に恐怖の色が浮かび、身体がワナワナと震え出していた。

「こうなるって、分かってただろうが。あの馬鹿ユープー人が」

 二人の空気が一変したことに、ルマは気が引けたように告げた。

「確かに、処刑はやりすぎって思いますよね。偽装結婚だってただことじゃないのに、公開処刑なんて、今の世の中に合ってないっていうか……」

「ルマ、このチラシはいつ配られたんだ?」

「今日の夕方です。乗合馬車も、休業勧告を受けてしまったんですよ。こんなときなので、人の出入りを制限するそうです」

 ルマが眈々と答える声を、コチュンはどこか遠くで聴いているような気がしていた。

 頭の中が、真っ白になっていた。

 処刑は明後日。それまでに、コチュンはオリガだけでなく、バンサ国とユープー国の両方を救わなければならないのだから。

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