第24話 三角関係の協力者

 日も昇らぬうちに、コチュンは王宮に向かったが、すぐに引き返す羽目になった。

 久しぶりに訪れた秘密の通路は、真新しい煉瓦によって閉じられていたのだ。コチュンとオリガが脱走した後に、誰かが塞いでしまったようだ。

「他にも手はあるさ、そう落ち込むなよ」

 トギの慰めも、今のコチュンには気休めにしか感じられない。肩を落として、帰るしかなかった。

 そんなコチュンを、ルマが朗報を持って出迎えた。

「今日の昼に、王宮へ集荷に行く仕事が入ってたんですけど、これって役に立つかしら」

 コチュンの経緯を知ったルマは、王宮への侵入経路を探してくれていたのだ。

 彼女が見せたのは、馬車屋の台帳だった。依頼された仕事が、日付や時間ごとに記されている。ルマは、その中の一つを指差した。

「冬の初めに、王宮で火事があったらしいの。でも今年の大雪のせいで、廃材が片しきれてないんですって」

 つまり、燃え朽ちた御殿の残骸を、荷馬車に乗せて捨てに行こうというのだ。王宮に入るにはもってこいである。

 だが、コチュンは顔を曇らせた。

「ここまでしてくれるのは嬉しいけど、会社にバレたら、ルマさんもトギも大変ですよ。王宮に入る手立ては、他を探してみます」

「明日までに何とかしないといけないんでしょう? 他に方法があると思いますか?」

「ルマの言う通りだ、コチュン。おれの馬車に隠れて、こっそり入るしかない」

 コチュンの申し出を、トギとルマは一蹴した。それでもコチュンが反対しようとすると、トギは腕を組んで渋い顔を作った。

「おれだって、本当は、オリガなんて助けに行かせたくない。だけど、ここでおれが降りたら、コチュンはもっと危険な賭けに出て、王宮に入ろうとするだろう。それだけは、絶対にさせないからな」

「トギ……」

「それにな、もしユープーと開戦になったら、馬車屋の仕事がなくなっちまう。それどころか、馬は軍に召し上げられて、御者だって兵士にさせられる。そんな事態なのに、コチュンだけに危ない橋を渡らせられねえよ」

 トギは怖い顔でコチュンを睨んだ後、茶化すようにニヤっと微笑んだ。困惑していたコチュンだったが、幼馴染の頼もしい言葉に、口元が和らいだ。

「ありがとう、トギ」

「礼なら後で、オリガの野郎からたんまり貰うからな」

 トギは豪快に笑うと、馬車を取りに行くと告げて、ルマの家を出ていった。

 残されたコチュンとルマは、強引なトギの言葉と行動に、思わず笑いあってしまった。

「やっぱり、コチュンちゃんは、トギさんにとても大事にされてるんですね」

「トギは、頼もしい兄のような人です」

 コチュンが力強く答えると、ルマは意表を突かれたように目を丸くした。

「兄……ですか」

「わたしもトギも、お互いを兄妹のように思っているんです」

 すると、ルマの顔が明らかに変わった。しかし、この前のような刺々しさはない。雲が晴れたような、すっきりとした表情をしていた。コチュンはそれを見て、ルマの背中を押すように、トギの幼い頃の話を始めた。



 トギの馬車が王宮に向かったのは、それからしばらくしてからだ。資材の搬入口に差し掛かると、門を守る衛兵たちが詰め寄ってきた。

「馬車屋が、王宮に何用か」

「集荷に伺いました。昼過ぎにという依頼だったはずですが」

 トギが馬車の上から仕事の契約書を手渡すと、衛兵たちは揃って顔をしかめた。

「市内の馬車屋には休業が命じられていたはず。今日の集荷も延期になったのではなかったか?」

「聞いていないですね。うちは、依頼通りに集荷に伺ったんですから」

 トギは大げさに驚いてみせたが、奥歯が欠けそうなほど緊張していた。馬車屋が休業したのは事実。ここは、ハッタリで押し通すしかない。

「うちは、休業前に一つでも多く仕事を終わらせたいんですよ。早く通してもらってもいいですか?」

「待て、書類に不備はないが、こちら側でも確認させてもらう」

 衛兵の言葉を聞いて、トギは今にも心臓が飛び出そうだった。末端の衛兵なら誤魔化せると賭けたが、王宮の統括はそうはいかない。トギの背中に冷や汗が伝った。

 そのとき、衛兵の一人が背筋を伸ばした。

 前髪の一部が白い衛兵が、トギの馬車を値踏みするように見ていたのだ。他の衛兵たちが緊張する中、その男は悠然と歩み寄ってきた。

「馬車屋の集荷か、こんな時勢にご苦労だな」

「うちはそれが仕事なんで」

 男は、トギの笑顔と馬車屋の契約書を見比べ、書類を自分の胸ポケットへ押し込んだ。

「通りたまえ。廃材置き場まで、わたしが案内しよう」

 男は門番の馬に跨ると、トギの馬車を先導して歩き出した。トギは、固唾を飲んで後に従った。

 馬の蹄の音と、馬車の車輪の音だけが響いた。トギは、息を潜めて衛兵の背中を見ていた。すると、衛兵が振り返った。

「そこに、女中が乗っているのではないか?」

 図星を突かれて、トギは真っ青になった。

「な、なんのことか……」

「安心しなさい、衛兵長のサザだと言えば、女中も出てくる」

 サザが名乗った途端、ホロを翻してコチュンが姿を現した。すると、サザは面白そうに微笑んだ。コチュンは、その笑顔を睨みつけた。

「サザ衛兵長、どういうつもりですか」

「どうもこうも、すぐに戻ってきてしまう困った小娘を、見張りにきたのだ。君の幼馴染の御者が王宮に来るなんて、何か企てているはずだからな」

「じゃあ、わたしたちをわざと中に入れたんですね」

「お粗末な侵入手口だったのでね」

 サザの辛辣な言葉に、コチュンとトギは揃って白い目を向けた。すると、初めてサザが笑い声をあげた。

「それで、小さな女中は、今回は何用で戻ったのかな?」

「決まってるじゃないですか、オリガを、交渉の犠牲にさせないためです」

「だが、それでは両国は争いになる。それだけは阻止せねばならない」

「オリガが死んで、本当の和平が訪れると思いますか?」

 コチュンが挑むように尋ねると、サザは黙り込んで、馬の脚を止めた。

「……そう遠くないうちに、またいがみ合いが始まるだろうな」

「オリガの死は、次の争いの火種になります。犠牲による平和なんて、長く続きません」

 コチュンが身を乗り出して訴えると、今度はサザが挑むように尋ねた。

「では、他に手段があるというのだな」

「……はい、そのために、ドゥン様に会いに行かなければなりません」

「君はいつも、危険な綱渡りをする」

 サザはため息をつくと、再び馬を歩かせ始めた。

「厨房の酒蔵の鍵を開けてある。そこから中に入りなさい。陛下は今、皇太子の部屋にいる」

 話しているうちに、馬車が酒蔵の脇にさしかかっていた。コチュンはトギの馬車を飛び降りると、もう一度サザを振り返った。

「待ってください、サザさん。闘技場で事故を起こしたのは、貴方じゃないんですか。なのに、どうしてわたしやオリガに協力してくれるんですか」

 コチュンの疑問に、サザは困惑した表情を見せた。

「なんのことだ」

「オリガが牛相撲を観に行ったあの日、サザさんも闘技場に居ましたよね。あの事故は、上皇様の命令だったんじゃないんですか?」

「その通り、上皇様の命令を受けて、君たちの後を追った。だが、あの事故はわたしではない。わたしは、ドゥン様に危害を与える者がいたら、暗殺するように言われていた」

 疑惑が晴れたのに、ゾッとする別の事実を知って、コチュンは震えた。

 じゃあ、やっぱりただの事故だったのか。コチュンが考え直したとき、サザが鋭い声で告げた。

「ユープー国の内通者から、何者かがバンサ皇帝夫妻を狙っていると情報が入っていたんだ。わたしは、そのための警備に当たっていた」

「やっぱり、コチュンは暗殺の巻き添えを食らったんだ!」

 トギは怒りに吠えたが、コチュンは冷静だった。サザを振り返り、静かに頷いた。

「やはりあの事故は、誰かが起こしたんですね」

「用心しなさい、誰が何の目的で動いているか、わたしも把握し切れていない」

「わかりました、気をつけます」

 コチュンはサザとトギにそれぞれ礼を言って、一人で駆け出した。


 サザの用意した侵入口は、今までで一番安全に通れる通路だった。

 王家を欺いた大罪人の処刑を控えているため、祝物につながる酒蔵には、給仕人が入ってこなかったし、厨房で働く女中たちに、すぐ混じることができた。

 コチュンは黄色い女中服に着替えると、お団子髪を解いて、顔の傷跡を隠した。厨房に入って高価な急須にお茶を注げば、立派な女中そのものである。コチュンはお茶を乗せた台車を押して、王宮内を堂々と歩いた。

 長い廊下を躊躇なく進み、もう少しで皇太子の個室に到着する。コチュンは走りたい思いをこらえて、必死に足を進めた。

 ところが、そのときだった。

 近くのバルコニーから、悲鳴が聞こえた。思わず振り向くと、窓掃除をしている女中たちが、楽しそうに笑いあっているではないか。しかし、一人の女中が、びしょ濡れで泣いてた。

 親友のテュシが、意地悪な先輩のリタに、水をかけられ、虐められていたのだ。

 コチュンは、腹の底に氷の塊が落ちたような衝撃を受けた。台車を握る腕に力が入る。目と鼻の先には、ドゥンの部屋がある。だけど、ここでテュシを見捨てたら、きっと一生後悔する。

 コチュンはグッと奥歯を食いしばると、台車の先をグルンと変えて、一直線にバルコニーに向かって駆け出した。

 コチュンの怒号が、リタたちの高笑いを吹き飛ばした。テュシが目を丸くし、リタも驚いた。だが、コチュンは彼女たちがものを言う前に、台車の上の急須を振り上げた。真っ白な陶器から、湯気の登るお茶が宙に舞ったのだ。それはリタの顔面を叩きながら、彼女の髪を濡らし、床を濡らして飛び散った。

「いい加減にしなさいよ!」

 コチュンは、悲鳴をあげたリタの前に立ちはだかった。リタはお茶を被った顔を覆い、ギョッとした顔でコチュンを振り返っていた。

「あ、あんたクビになったんじゃ……」

「わたしは皇帝夫妻のお気に入りだから、また呼び戻されたんですよ。これから、傷物同士よろしくね、先輩」

 コチュンはそう告げると、前髪をそっと掻き上げて、顔の傷跡を見せつけた。

 その途端、リタは悲鳴をあげて、お茶で濡れた顔を押さえた。顔に火傷を負ったと思ったのだろう。涙を浮かべて、取り巻きの女中たちにすがり出した。

 コチュンが勝ち誇って鼻を鳴らしたとき、その場に凛々しい声が轟いた。

「あなたたち、何の騒ぎですかっ?」

 女中長のキランが、怒りで顔を真っ青にして駆けてきたのだ。

 コチュンはテュシと視線を交わし、乾いた笑みを浮かべた。

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