第25話 内通者の仕事
集荷を終えたトギが、無事に王宮を出て行った。馬車が見えなくなると、サザは静かに胸を撫で下ろし、本来の仕事場に戻るため、足を動かした。
ところが、王宮の衛兵たちが、サザの前に立ちふさがった。その中に、国務大臣のアレンが肩を並べているではないか。
「アレン大臣、わたしに何用ですか?」
「その理由なら、君が一番わかっているんじゃないか?」
アレンはそっけなく答えると、サザのポケットから、馬車屋の契約書を引っ張り出し、顔の横でパッと開いてみせた。それがどんな意味か尋ねなくても、サザは諦めがついていた。
「君は裏切り者だ。それ相応の処罰が待っている、覚悟したまえ」
サザは、口を固く結んだ後、力なく笑った。
その頃コチュンは、女中長室に連れてこられていた。仕事道具がギュッと詰め込まれた部屋に、作業台がポツンと置かれている。欠けたコップに挿された花が、寂しそうに揺れていた。
飾りっ気はまるで無いが、仕事熱心なキラン女中長らしい部屋だと思った。
その中に、珍しいものを見つけて、コチュンは眉をひそめた。壁に備え付けられた棚の中に、紫色の美しい布地が置かれていたのだ。遠目で見ても、高価な布だとわかるほどに美しい。
コチュンは、その生地に見覚えがあった。王宮のどこで見たのか思い出せないが、コチュンは妙な懐かしさを感じて、その布から目が離せなくなっていた。
そのとき、濡れた服を着替えたテュシが、コチュンの隣に戻ってきた。
「どうしたの、コチュン。何かあった?」
「ううん、何でもないよ」
「そう……、ごめんね、わたしのせいで」
テュシの青ざめた顔を見て、コチュンはすぐに頭を切り替えた。
「テュシのせいじゃい。気にしないで」
「キラン女中長にも、事情を話してみようよ。もし、それでも協力してくれなかったら、絶対に、わたしがなんとかする」
二人がささやきあっていると、部屋の扉が開かれて、キラン女中長が戻ってきた。
「コチュン、髪の毛をいつものように結びなさい。ぼさぼさでよくないわ」
キラン女中長は、変わらない口調で告げた。コチュンは言われた通りに髪を結び直したが、顔の傷を気にしていた。すると、キラン女中長は柔らかく微笑んだ。
「しばらく見ない間に、少し大人っぽくなったわね」
思いがけな言葉に、コチュンは顔を真っ赤にしてしまった。その横で、テュシが早口に言い出した。
「コチュンの話を聞いてください、キラン女中長。この国を揺るがすような、一大事なんです」
「もちろんよ、離職した女中が王宮に忍び込むなんて、話を聞かないはずないもの。だけど、その前に。あなたとも話を聞しなくてはいけないわ、テュシ」
キラン女中長は、作業台の整理をしながら答えた。片付けの最後に、紫の布を奥に押し込んだ。コチュンの視界から、紫の布が消えると、キラン女中長が話を続けた。
「リタのことだけど。あの子達は、辞職させたわ」
コチュンとテュシの声が重なり合って響いた。それほどまでに、キラン女中長の報告は驚きだったのだ。ところが、キラン女中長は平然と言葉を続けた。
「リタは、色々と問題を起こしてきたのよ。わたしの教育不足だと思っていたけど、流石に、かばいきれなくなったわ」
キラン女中長は、頭痛に悩むような仕草をしてみせ、力なく笑った。
「それに比べて、テュシはよく頑張っているわ。一年前に比べると、すっかり頼もしくなったわね。まだ大変でしょうけど、これからも頑張ってね」
「ありがとう、ございます!」
テュシは顔を輝かせ、激励に答えた。キラン女中長の顔にも、誇らしさが滲み出ている。しかしキラン女中長は、すぐに厳しい上司の顔に戻った。
「それじゃ、あなたの話を聞きましょうか。コチュン、離職したあなたが、なぜ王宮の中にいるのか、教えてもらえるかしら」
「……話せば、長くなりますが」
コチュンはそう前置きをしてから、テュシとキラン女中長に、今までの経緯を洗いざらい告白した。
「王子様? あの人、王子様なの?」
テュシには、前に会ったときに、オリガが男性だと明かしていた。それでも、彼の真の正体を知った驚きは尋常ではなかったらしい。コチュンは、動揺する親友を支えながら答えた。
「本当だよ。わたしは、本物のニジェン姫にも会ったの。二人は双子で、見た目も瓜二つ。周りの人を騙すなんて、簡単だったと思う」
「わたしたちも、すっかり騙されたものね」
キラン女中長が深いため息をつくと、コチュンは話を区切って、厳格な上司の反応を伺った。キラン女中長は、コチュンの意図を察したように微笑んだ。
「だけど、コチュンは嘘つき皇后様を、助けたいわけね?」
「平和の架け橋を守ろうとした意思は、尊重されるべきです。見せしめのように処刑するなんて、それこそ、平和を台無しにする行為だと思いませんか」
「わたしは、なんとも言えないわ。だけどあなたは、どうやって王子様を助けるつもりなの?」
「……民意に、訴えます」
コチュンの答えは、意外すぎるものだった。キラン女中長は眉をひそめ、テュシまで唖然とする始末だ。しかしコチュンは、大真面目に答えた。
「ちょうど一年前、ユープーの船が港についた日のこと、覚えていますか。花嫁衣装のニジェン様を、オリガを、ドゥン皇帝が出迎えたとき。国中がお祭り騒ぎでした。平和の訪れを喜んでいました。本当はみんな、ずっと隣国と仲良くなりたかったんですよ。それを叶えてくれた皇帝夫妻を、みんなは歓迎したんです」
コチュンの話に、テュシも思い当たる節があったのだろう。ポツリと切り出した
「戦争を知ってる人たちは、平和がどんなに貴重なものか知ってるからかな」
「オリガの処刑は、次の戦争のきっかけになるかもしれない。だから、そんなことさせちゃいけないって、国中の人たちに訴えるの」
少女たちが力強く頷きあう前で、キラン女中長だけが涼しい顔で首を傾げた。
「だけど、一人の女の子が訴えたところで、国中の人が動くかしら。世の中、そんなに甘くないわよ」
「だから、わたしは王宮に戻ったんです。国中の関心を集める人が、ここに、もう一人いるじゃないですか」
「わかった、ドゥン様に話してもらうのね!」
テュシが手を叩いた。キラン女中長は、意外そうに目を瞬いたが、コチュンは真剣に頷いた。
「ドゥン様が牛相撲の観戦に行った日、ピンザオ市中から人が殺到したんですよ。あの人には、それだけの求心力があるってことです」
キラン女中長も、ようやく腑に落ちたと言わんばかりに頷いた。
「なるほど……、ドゥン皇帝が民衆に訴えたなら、上皇の意向も覆せるかもしれないわね。王宮としても、国民の信望を手放すことはできないもの」
「キラン女中長、なんとかドゥン様に取り次いでもらうことはできませんか。わたしは、あの人に会わなくちゃいけないんです」
コチュンが必死に頼み込むと、隣に並んでいたテュシまで、深々と頭を下げた。キラン女中長は、キリリとした顔を不敵に微笑ませると、二人の方を優しく叩いた。
「コチュンの考えは、よく伝わったわ。わたしに、少し時間を頂戴」
「それじゃ、取り次いでくれるんですね!」
テュシが声を弾ませると、キラン女中長は頷いた。
「待っていなさい。ここにお連れしてくるわ」
キラン女中長はキビキビと話すと、猫のように部屋を出て行った。
テュシは、ほっと胸を撫でおろした。だが、コチュンには、心に引っかかるものがあった。キラン女中長が部屋を出て行った直後、突き動かされるように、壁の棚に駆け寄った。
「どうしたのコチュン、勝手に漁ったらまずいよ」
心配するテュシが、慌ててコチュンを引き止めた。しかし、コチュンは棚を漁る手を止めずに、あるものを引っ張り出した。キラン女中長が奥に押し込んだ、紫色の布だった。
それを目の当たりにした途端、テュシがため息をついた。
「わあ、すごく綺麗。鳥の羽みたいだね」
その途端、コチュンの胸がドキリと高鳴った。
この布を、どこで見たのか、思い出したのだ。
「気づいてしまったわね」
コチュンの背中に、刃物のような声がかけられた。
振り向いた先に、出て行ったはずのキラン女中長が立っていた。
「どうして、その布を出してしまったの?」
「この布、前に見たことがあるんです。ダオウ上皇が、オリガに送ったドレスと、同じ生地です。そのドレスは、足に大きなスリットが入っていて」
「皇后の隠している足が見えてしまう、っていうデザインだったわね」
辿々しいコチュンの言葉を
まだ事情が飲み込めていないテュシだけが、目を丸くして二人を見比べていた。
コチュンは、深く息を吸いこむと、挑むようにキラン女中長に向き直った。
「あのドレスは、キラン女中長が仕立てた衣装だったんですね 」
「そう、あの服は上皇様にお見せしたのよ。息子の妻になった女性に、さしあげたらいかがですか? ってね。そうすれば、彼がどんな身体をしているのか、わかるでしょう?」
キラン女中長は、肩の力を抜いて不敵に微笑んだ。
「どうして、そんなことを? キラン女中長に、どんな関係があるんですか」
「皇后付きの女中には、本来ならわたしが任命されるはずだった。当たり前よね、女中の
キラン女中長は大股で部屋を突っ切り、コチュンとテュシを壁際まで追い詰めて答えた。
「おかげで、わたしは間接的に情報を引き出し、手を回して騒ぎを起こすしかなかったわ。政略結婚でくっついた夫婦の嘘が、暴かれれるぐらいにね。ドレスも、闘技場の事故も、とても大変だったわよ」
コチュンが目を見開くと、キラン女中長は不敵に囁いた。
「わたしの主人は、ユープー国の皇女、ニジェン様ただ一人よ。姫様が弟君を調略のための犠牲になると決めたならば、わたしはそのための手駒になる」
言い終えると同時に、キラン女中長はコチュンの腕をギュッと掴んだ。その途端、氷のように冷たいなにかが、皮膚の内側に広がった。たちまちコチュンの足がふらつき、その場に座り込んでしまった。
テュシの悲鳴が遠くなっていく。それが毒だと気がつかないうちに、コチュンは気絶してしまっていた。
「コチュン、しっかりしろ、コチュン、返事をしてくれ!」
聞き覚えのある声が、コチュンの耳をつんざいた。酷く重い身体を、無理やり起して周りを見ると、目の前には、黒い鉄格子がびっしりと並んでいた。コチュンがギョッとする間もなく、檻の向こうから、再び声が飛んできた。
「コチュン!」
鉄格子の向こうから、皇后姿のオリガが呼びかけていたのだ。
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