第28話 あなたの名前は

 コチュンとリタは、牢屋から逃げ出した。今は処刑の真っ最中。新米の女中が走っていても、目を光らせる衛兵はいないらしい。おかげで、処刑場にたどり着くのは容易かった。

 ところが、二人に思わぬ障害が立ちはだかった。処刑場には、予想を超える群衆が詰めかけており、絞首台に近づくどころか、コチュンが背伸びをしても、オリガの姿が目に入らないのだ。

「こんなに人が集まってるなんて」

 テュシは長身を精一杯使って、人垣をこじ開けた。その隙間を、コチュンが子猫のように掻い潜る。

 これほど多くの国民が、欺かれたとはいえ、一人の人間が殺される瞬間を、見世物みたいに待ちわびるなんて。そう思うと、コチュンの腕に力がこもった。

「コチュン、あれ見て!」

 テュシが叫んだ。人垣の中に、小さな灯籠を見つけたのだ。

「すごく細いけど、コチュンなら上に乗れるんじゃない?」

 テュシに支えられて、灯籠の上によじ登った瞬間、コチュンの視界に、絞首台に佇むオリガの姿が飛び込んできた。

 オリガは、首に輪縄を通して、処刑人の問いかけに静々と答えている。もう、助けられる状況じゃない。コチュンの胸に、重い衝撃が走った。オリガは死に臨む覚悟を決め、人々の怒りと興味を一身に浴びている。

 松明の火のように、彼の命が、もうすぐ消えようとしているのだ。


 コチュンは、救いを求めるように、周りの人々を見渡した。だが、周りの人間は興奮していて、話を聞いてくれる様子じゃない。王国を欺いた愚か者が、正義の鉄槌によって落ちるのを、心待ちにしているのだ。

 あの人の本当の姿を知らないくせに。もし、オリガのこころざしを知ったら、そんな目では見られなはずなのに。


 そのとき、コチュンの脳裏に、リタの言葉がよぎった。

 ここにいる誰もが、オリガの真の姿を知らないならば、今ここで“知らしめてやれば”よいのだ。


 処刑人が、オリガの正体を剝きだすように問いかけた。

「最後にお前に問う。明らかにしていない、嘘偽りはないな」

 オリガが目を閉じたのを、コチュンは見た。彼は、憎らしいほどかたくなな表情を崩さなかった。

「……ありません」

 コチュンの胸が、カっと燃え上がった。そこに立っている皇后は、ただの虚像でしかない。本当のあなたは、気高い意思を持った、青年だ。

 コチュンのほとばしる思いが、叫びとなって飛び出した。

「嘘つき!」

 オリガが、驚いたように目を見開いた。波打つ人だかりの中からコチュンを見つけ出し、驚愕の表情を浮かべた。

 二人の視線が重なった。だが、コチュンは感傷に浸る間も無く、さらに声を上げて責め立てた。

「その人は、まだ嘘をついています!」



 コチュンが高々に叫んだ途端、群衆がざわめき始めた。何事だとコチュンを振り返り、比べるようにオリガを見上げる。すると、群衆の誰かが、コチュンの顔を見てアッと叫んだ。

「この子、闘技場で落ちた女の子だよ!」

 コチュンの顔の傷跡や、お団子結びを指差して、周囲の野次馬に教えるように言い始めたのだ。どよめきは、風のように人々の中を走り抜け、処刑人に待ったをかける人も現れた。

「ええい、静まれ、静まらんか!」

 主賓席のダオウ上皇が声を上げたが、大勢の声には太刀打ちできない。上皇の命令は、群衆の中に掻き消されてしまった。群衆の追及の声が大きく波打った。

「偽物の皇后は、まだ何を隠しているんだ」

 群衆から沸き起こる声は、無視できないほど膨れ上がった。処刑人は、オリガを睨みつけた。

「明らかにしていない、嘘偽りがあるか?」

「嘘なんて、なにも……」

 オリガが消え去りそうな声で答えた。その様子は、離れたコチュンの目にもしっかり捉えられていた。

「あなたの名前を、わたしは知ってる!」

 コチュンが叫ぶと、オリガは目を見開いた。

「処刑人、絞首台を開けろっ!」

 コチュンの声を押さえつけて、ダオウ上皇が言い放った。民衆の声に左右されないその命令は、まっすぐ処刑人の耳に飛び込んだ。処刑人は、慌てて留め具を抑える縄に手をかけた。


 そのとき、一人の男が、雄牛のように絞首台を駆け上った。突然現れた男は、処刑人を後ろから羽交い締めにし、絞首台の起動を寸前で止めた。

「この処刑こそ、嘘偽りの塊だ! 中断を求める!」

 叫んだ男は、若き皇帝ドゥンだった。喉が千切れそうなほどの声を轟かせ、群衆に呼びかけたのだ。その姿は全身傷だらけで、頭からは血を流している。オリガは、盟友の変わり果てた姿に驚愕した。

「ドゥン、どうしたんだ、その格好」

「高い所から飛び降りた。木登りは苦手でね」

 ドゥンは処刑人を絞首台から降りさせると、オリガを頑丈な足場の上に引き寄せた。首にかかった輪縄を外してやった途端、ドゥンは胸を撫で下ろした。

「だけど、間に合ってよかった」

 二人が向き合うと、群衆からのどよめきが、一層強くなった。国を欺いた大罪人を、その国の皇帝が助け出すなんて、前代未聞だったのだ。

「ドゥン、貴様、此の期に及んでまで!」

 ダオウ上皇はカンカンに怒り狂い、衛兵たちに命令を飛ばした。それでは飽き足らず、衛兵から槍を奪い取ると、自ら動きだし、矛先ほこさきを息子に向けた。

 だが、ドゥンは動じることなく、群衆に向き直った。

「みなに、言わなければならないことがある。この政略結婚は、わたしが友人と画策したものだ。その証拠に、これを見てくれ!」

 ドゥンは、喉を血で焼きながら、オリガの金髪を、グッと引っ張り下ろした。

 除幕式のように、皇后の代名詞とも呼べる髪がずり落ちた。その下から現れたのは、精悍な輪郭と、金色の短い髪の毛、逞しい首もとだった。

 群衆からは悲鳴が上がり、主賓席の要人たちは息を飲んだ。

「“彼”の名は、オリガ。ユープー国の王族で、わたしと志を同じくする、無二の友人だ」

 ドゥンが名を轟かせると、オリガは顔を引きらせてドゥンを見た。

「てめえ、何をっ」

「見ての通り、彼は性別を偽って、わたしとの政略結婚を画策した」

 ドゥンはオリガを振り返らずに、群衆を見据えながら言葉を続けた。その眼差しには、一切の迷いがない。

「婚姻交渉を押し進めたのは、我がバンサ国だ。災害によって衰退したユープー国に、支援を申し出る代わりに姫を嫁がせろと要求した。もし姫を嫁がせない場合は、弱ったユープー国を一気に叩き潰し、侵略する構えを取っていた」

 ドゥンは主賓席を振り返り、ユープー国のラルゴ王を振り返った。

「だが、ユープー国はそれを受け入れられなかった。あまりにも理不尽な要求だったからだ」

 ドゥンは再び群衆を振り返ると、オリガの背中を支えて、肩を並べた。

「ユープー国は、黙って侵略を受け入れるほど謙虚な国じゃない。婚姻交渉が決裂すれば、ユープー国は衰退の一途を辿り、バンサ国との熾烈な戦争が始まる。オリガ王子は、その末路を、なんとしても防ごうとした。そして、バンサ国のわたしと結託し、両国を欺く、この政略結婚を決行したのだ」

 ドゥンの言葉が区切りをつく頃には、野次を飛ばしたり悲鳴をあげたりする民衆は、一人もいなくなっていた。喉から血を滲ませながら叫ぶ、ドゥンの話に聞き入っていたのだ。


 そこへ、ダオウ上皇の悲鳴が轟いた。

「デタラメを申すでないっ、この、青二才めっ」

「デタラメかどうかは、父上ではなく、バンサ国の民が決めることだ。ここで、平和を望んだユープー国の若者を殺して、我らは本当に平穏な暮らしを手にできるのか? 我々は、どんな未来を作るべきか、今一度、皆に問いたい!」

 ドゥンは叫ぶように断言すると、オリガを振り返った。

「お前も、この国の民に、言うことがあるだろう」

 狼狽えていたオリガが、目を瞬いた。唇はとっくの昔に乾いてしまって、思うように言葉が出てこない。それなのに、民衆の視線は、矢のように自分に注がれていた。

「お、おれは……」

 そのとき、オリガは民衆の中に、コチュンの姿を見つけた。コチュンは、強い目をして微笑んでいた。

「おれの名は、オリガ。ユープー国の第二王子。女に化けて、皇后の座についてしまったことを、バンサ国のすべての民に、謝ります」

 オリガは深々と頭を下げると、声を張り上げた。

「許してくださいっ」

「わたしは、皇帝として未熟者だった。嘘で国を収めようとした、不届きものだった。本当に申し訳がない。どんな断罪でも受ける。だが、お願いだ。平和への道だけは、残してくれ!」

 ドゥンも頭を下げ、そのまま膝をついた。民衆から再びどよめきが沸き起こった。まさか、王族の青年が、ここまで平身低頭、謝るなんて、歴史上ありえないことだったのだ。

 民衆の戸惑いを、引き裂くようにダオウ上皇が怒号をあげた。

「好き勝手騒ぎおって! ドゥン、貴様も国を混乱に陥れた罪で、この場で裁きを受けるがよい!」

 それが合図だとばかりに、、数十人の武装した衛兵が、処刑場になだれ込んだ。群衆の目の前で、二人の王族の青年が、針山にさらされたのだ。人々は息を呑み、悲鳴をあげた。

「ドゥン、ユープーの小僧、孤高のバンサに命を捧げよ!」

 ダオウ上皇の号令が轟くと、衛兵たちは槍を持ち替えた。このまま、オリガとドゥンを串刺しにしようと言うのだ。


 だが、衛兵たちの奮闘を邪魔するように、処刑場の外が騒がしくなった。地響きのような、無数の蹄の音。大地を揺るがす、車輪の乱暴な音が、なだれ込んできたのだ。

 群衆の目が一斉に処刑場の外へ向けられた。

 するとそこへ、何十台もの馬車が駆け込み、一斉に手綱を引いた。馬のいななきと、車輪が地面を削る音が鳴り響いた。

「待て! バンサ国の民はピンザオ市の人間だけじゃねえぞ! 王族は、おれたちの意思もしっかり聞け!」

 先頭の馬車から、御者姿のトギが現れた。彼が操る馬車には、ほろに大きく「嘘も方便」と殴り書きされている。トギに並ぶ他の馬車にも、さまざまな謳い文句が掲げられており、そのどれもが、平和への訴えや、嘘つき皇后の助命を嘆願する内容だった。

 さらに、乗合馬車の中から、さまざまな地方の住民が一斉に顔を出した。

「その人を殺したら、ユープー国との仲が、取り返しのつかないことになるぞ!」

 トギを筆頭にして、彼らが口々に叫び出した。すると、それまで処刑を見物していた群衆からも、同じ言葉が飛び出し始めた。

「大事なのは平和だ!」

「公正な裁判を!」

 民衆の声はさらに大きさを増し、あっというまに衛兵たちを牽制した。

「何をしておる、腰抜けどもめ!」

 ダオウ上皇は衛兵たちを叱りとばすと、槍を持って処刑台に上がろうと身構えた。ところが、アレンが上皇を無理やり引き止めた。

「民衆の声をお聞きください。この声を無視して、血の争いを始めようと言うのなら、あなたこそ国家反逆罪の囚人となりますよ!」

 その言葉に、ダオウ上皇はグッと奥歯を噛みしめた。民衆とドゥンを交互に見比べると、苦しそうに呻いてから、槍を床に叩きつけた。それを皮切りに、衛兵たちも槍を下げた。

「やったぞ、嘘つき野郎の助命が叶ったんだ!」

 それを目にした群衆は、一斉に歓声をあげた。馬車の上では、トギとルマが抱き合って喜んだ。

 民衆の声に包まれたオリガとドゥンは、手を握り合った。

「ドゥンのおかげで、命を救われた」

「おれだけの力ではない。オリガと、この国の民のおかげだ」

 二人はバンサ国の民衆に目を向けた。だが、オリガは眉を寄せた。

 コチュンの姿が、どこにも見えなかったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る