第29話 春、夏、秋、冬、そして

 前代未聞の偽装結婚が発覚してから、一年近くが経っていた。

 ユープー国を糾弾する声が何度もあがり、ダオウ上皇を中心に、一触即発の事態にも陥った。だが、国務大臣のアレンが直接ユープー国との交渉に乗り出し、開戦への道はなんとか回避された。

 一方ユープー国では、件の終結に不満を抱いたニジェン姫が、軍隊を動かそうとしていたらしい。だがラルゴ王に咎められ、兄妹同士の論争に発展している。


 まだまだ平和の途上にいるが、同盟国も頑張っている。

 ドゥンは難しい顔をして、一通の封書を、木の上にいる友人に手渡した。

「お前の姉上、相変わらずらしいぞ」

 すると、褐色の腕を伸ばして、オリガが手紙を受け取った。

「もうすぐお顔が拝めると思うと、胸がいっぱいだ」

 オリガは木から飛び降りて、ドゥンの横に並んだ。身長がさらに伸びて、今ではドゥンを見下ろす格好になっている。オリガが隣に並ぶたび、ドゥンは不機嫌に笑った。

「お前を女だと思って過ごしたあの頃が、もう想像できないぞ」

「喉の調子もおかしくなっちゃってさ。これが声変わりってやつかな」

 オリガが愉快そうに笑うと、ドゥンは呆れたように天を仰いだ。年下の友人は、いつの間にか一人前の男になっていた。


 この一年の間に、オリガの裁判がやり直された。国の政治を混乱させた罪は重いが、目的が戦争の回避だったこと、ドゥン皇帝との共謀だったこと、そして民衆の支持が大きな要因となり、懲役期間も賠償金も、ドゥンとの折半になっていた。

 そしてついに、オリガの役目が、全て終わった。

 受け取った手紙は、ユープー国から、迎えの船を出すので、帰国しろという通達だったのだ。


 赤い夕日を横目に見ながら、オリガはドゥンと並んで、王宮への帰路についた。これから、こんな時間を過ごすことができないと思うと、オリガの胸はシクシク痛んだ。

「祖国に帰ったら、お前は何をするんだ?」

 少しだけ前を歩くドゥンが、明るい口調で振り向いた。だが、目元には寂しさが見え隠れしている。オリガも、小さく微笑んでから答えた。

「正式に、王位継承権を放棄するよ」

「じゃあ、なかなか会えなくなるな」

 ドゥンは悲しげに俯いた。ドゥンは、既に偽装結婚の責任を取って、王位継承権を放棄していた。ゆくゆくは、姉夫婦が治める政治を、裏から支えるつもりだった。つまり、王族同士の会合にも参加せず、公務でユープー国に行くことも限られる。

 せっかく友情を育んだのに、二人は別々の道を歩むのだ。

 オリガは、ドゥンの肩を組んで微笑んだ。

「そのうち、俺の育てた牛を連れて、バンサの闘牛に来るぜ。どっちの牛が強いか、競い合おう」

「オリガは牛飼いになるのか?」

 ドゥンが目を丸くすると、オリガは笑って首を振った。

「ただの牛飼いじゃない。畜産業や文化、医療について勉強できる、学び舎を作ろうと思ってる。色んな国から教師と若者を集めて、知識を祖国に持ち帰ってもらうんだ」

 オリガはバンサ国に来て、わかったことがある。バンサとユープーは交流がなかったために、互いの文化も歴史も知らなかった。隣国を、見知らぬ敵と見なしていたのだ。

 だが、深く付き合ってみれば、そこにいるのは、自分たちと同じ感性を持つ人間だとわかる。言葉を交わし考えを深め、友情を育むことができる。

「バンサに来てわかったことを、自分の国だけじゃなく、全ての国の人に伝えたいんだ」

「戦争や災害に勝つ術じゃなく、友人になる術を学ぶための学校か。悪くないな」

 ドゥンは深く頷き、感心したようにオリガを見た。この男なら、本当の平和を作れそうだと思ったのだ。

 だが、一つ心残りがある。

「友人になる試みは賛成だが、お前は恋人をこの国に残して帰るつもりなのか?」

 ドゥンが訪ねた途端、オリガはむせて激しく咳き込んだ。

「こっ、恋人って?」

「団子の女中に決まっているだろう。あの子の居場所を知っているなら、会ってきたほうがいいんじゃないか?」

 王宮の女中だったコチュンは、あの処刑場以来、行方をくらましていた。数々の修羅場を、一緒にかいくぐったというのに。姿を見せに来ることもなければ、便りもない。

 それでもオリガは、あれから絶えず彼女を思い続けていた。それを知っているから、ドゥンは攻めるようにオリガを睨みつけたのだ。

「このままなにもしないで帰国したら、きっと後悔するぞ」

「おれは、あの子と特別な関係じゃ無い。好きだと伝えたけど、返事をもらっていないから」

 オリガが言い訳を繰り返すと、ドゥンは首を振って“またか”と呆れ果てた。上から目線の友人に、オリガは白い目を向けた。

「そういうお前はどうなんだよ。いい歳なんだから、改めて恋人探しをしたらどうなんだ?」

「それにはもう事足りてる」

「えっ、ちょっと待てよ、初めて聞いたぞ。どうして帰国する寸前で暴露するんだよ、詳しく教えてくれなきゃ、それこそ帰れねえよ!」

 オリガは、肩を組んだ腕でドゥンの首を締めた。青年たちは大声で笑いながら、国の平和と、自分たちの未来について、語りつくせないほど語り合った。



 朝日は容赦なく空に登る。

 オリガはユープー国の衣装に身を包み、晴れ渡った空を見上げた。

 ピンザオ市の末端に位置する港には、多くの市民が、平和の使者を見送ろうと集まっていた。牛相撲で訪れた満員の闘技場が、今では遥か昔のことのように思える。

 ドゥンとオリガが馬車から手を振ると、婚礼の日と同じくらいの歓声が沸き起こった。

「これなら、バンサとユープーの未来は安泰だと思えてくるな」

 ドゥンが明るい声で呟くと、オリガは真剣な表情で首を振った。

「違う、おれを嫌いな人間の、ユープーを許しきれない人間の、その声が聞こえてこないだけだ。どうしても和解できない部分は、やはり残ってしまう」

 だから、じっくりお互いのことを知っていくしかない。本当の平和は、長い時間の、ずっと先にあるのだ。

「おれがこれから身を投じるのは、そのための基盤づくりだ」



 港に到着した馬車は、観衆のど真ん中で停まった。

 オリガが馬車から降りようとすると、その前に腕が伸ばされた。先に降りたドゥンが、儀礼的護衛エスコートするために、わざとらしく身構えていたのだ。

「二年前を思い出すな」

 オリガは片方の頬で笑って、ドゥンの腕をガシッと掴んだ。

 港には、すでにユープー国の帆船が付いており、衛兵や船乗りが、ユープー国の王子を待ち構えていた。

 オリガはため息をつくと、名残惜しそうにバンサ国の陸地を振り返った。

「……団子の女中、来ていないな」

 ドゥンが沈んだ声で呟くと、オリガは自虐的に笑った。

「おれみたいな嘘つきに、散々振り回されたんだぜ。もう顔も見たく無いと思っていてるかもしれないな」

「それは、否定して欲しいのか?」

「否定しようがないだろう」

 オリガは言い切ると、波止場に向かって歩き出した。

 ところがそのとき、バンサ国の護衛団から、衛兵長のサザが駆け込んできた。ドゥンの前で膝を折ると、明るい顔をした。

「オリガ様に使者が来ています。あの、女中の少女からです」

 サザの嬉しそうな声に、ドゥンも顔を輝かせた。ところが、オリガだけは青ざめた。緊張が全身に走り、動揺しているのだ。

 しかし、現れた使者の姿を見て、オリガは一気に白けてしまった。馬車屋のトギが、肩を怒らせて歩いてきたのだ。

「馬車屋、何の用だ」

「バーカ、仕事だ、仕事!」

 トギは不機嫌に言い捨てると、オリガの前に、毛糸で編まれた袋を差し出した。緻密に編み込まれた模様を見た途端、オリガは顔つきを変えた。すると、トギはニヤッと笑ってみせた。

「やっぱり、見てすぐわかったな。コチュンから、お前に渡して欲しいって預かってきた。直接顔を見ると、お前に悪いからってさ」

「悪いって、どうしてだ」

 ドゥンが尋ねると、トギはギロッと目を尖らせた。

「わからねえなら、これはおれが預かる」

 トギは、差し出した袋を、脇に抱えなおした。

「ユープー野郎に、一つ確かめることがある。それに答えてからじゃないと、これは渡せねえ。お前、どうしてコチュンのところに来なかった。ラムレイは田舎だけど、来れない場所じゃねえだろ」

 トギが高圧的に尋ねた。ドゥンと同じ疑問を尋ねているが、声に緊張を滲ませ、猛烈に怒っている。オリガの返答次第では、乱闘騒ぎになってもおかしくなさそうだ。

 オリガは、しばらく間を開けていたが、観念したように呟いた。

「会いに行ったら、ユープーに連れて行きたくなると思ったからだ」

 オリガのこんな声は、初めて聞いた。ドゥンは目を剥いて友人の顔を見た。トギも、意表を突かれた顔をした。

「そう思ってるなら、コチュンに言ってやれよ。一緒に来てくれってさ」

「それはできない。身一つで異国に渡ることが、どんなに大変なことか。それは、おれが一番よく知っている」

 声を強めたオリガは、拳をギュッと握りしめて声を震わせた。

「本当は、死ぬほどコチュンを連れて行きたい。だけど、それがコチュンの幸せになるとは思えない。おれだけのために、身内や友人から離されて、辛くないわけがないだろう」

「じゃあ、お前が残れよ。散々コチュンを振り回した挙句、用が済んだら捨てるのかよ!」

 トギが怒りをぶつけると、オリガは歯を食いしばった。

「……おれには、ユープー国でやることがある。コチュンのためだけに、その使命を捨てられない」

 オリガが俯いた瞬間、トギの拳がオリガの頬にめり込んだ。殴り飛ばされたオリガは、地面に崩れ落ちた。サザが護衛としての臨戦態勢に入ったが、すかさずドゥンが押しとどめた。

 するとトギは、咆哮のように不満を漏らして、毛糸の袋をオリガの前に差し出した。

「コチュンも同じこと言ってたよ、会ったらお前について行きたくなるってさ。それは、お前の邪魔になるって。だから、会わないと言っていた。あーもう、むしゃくしゃする」

 オリガは血の滲んだ口元をぬぐい、毛糸の袋を受け取った。すると、トギは舌打ちをして背中を向けた。

「覚えてろよオリガ。てめえのことは絶対忘れねえし、後もう一回、絶対に殴ってやるからな!」

 物騒な捨て台詞を残して、トギは観衆の中に戻って行った。

 オリガはドゥンに支えられて立ち上がると、コチュンからの贈り物を確かめた。

 そして、一瞬で破顔した。

 それは、オリガの髪が好きだと言った、コチュンらしい贈り物だったのだ。

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