第30話 波乱の終わりは、長い夜に

 黄昏時の港町に、生ぬるい風が吹いていた。潮臭い香りが、石垣の街を流れていく。

 オリガは、風に吹かれた金髪をかきあげ、造花の髪飾りを挿した。するとたちまち、長く伸びた髪が、行儀よくまとまった。

 赤いサザンカを模した髪飾りは、小さな布を幾重にも織って作られている。オリガの褐色の肌と錦のような髪の間で、大輪の花を咲かせた。これが、あまりにも美しいと評判で、オリガが街を歩けば、たちまち町中の女性たちに質問責めに合う程だった。

 彼女たちに髪飾りについて問い詰められると、オリガは決まって「特別な贈り物」とだけ、答えていた。

 


「オリガ先生、明日の準備全て整いました」

 オリガの後ろから、真っ黒に日焼けした若者たちが声をかけた。

「お疲れさん。明日からはもっと忙しくなるから、よろしく頼むぜ」

「いよいよ開校するんですね、オリガ先生の作った学校が」

 少年も少女も目を輝かせている。その姿が、いつかの自分と重なり、オリガはくすぐったそうに微笑んだ。

「おれが作ったわけじゃない。この学校は、ラルゴ王をはじめ、同盟国の後押しがあったから出来たんだ。おれは、雇われ店主みたいなもんさ」

 真っ赤に暮れた空を見上げれば、真新しい校舎の輪郭が、クッキリと浮かび上がっていた。大嵐にも、地震にも耐えうる、城のような学校だ。

 オリガは、この学校の初代学長に任命された。なにもかもが手探り状態だが、すでに学んでいる自分の弟子たちは、順調に知識と教養を得ているようだった。

 オリガが感慨深く見上げていると、少女たちがオリガの金髪に目を留めた。彼女たちは、赤いサザンカの髪留めに夢中になっていたのだ。

「オリガ先生の髪飾り、いつ見ても素敵ですね。触ってみてもいいです?」

「ダメダメ、これは一品物の、特別な髪留めなんだよ。おれ以外が触ったら、絶対にダメなの」

 オリガがキッパリ断ると、少女たちはガックリと肩を落とした。すると、少女たちに混じって、一人の少年が声をあげた。

「おれ、こんな髪飾りを作れるようになりたいなあ」

「これは、バンサ国の少女が作ったものなんだ。その子は、手芸の達人プロだった。これを作るには、何年も鍛錬が必要だろうな」

 オリガは、髪飾りを慈しむ代わりに、自分の金髪に指を絡めた。

 すると若者たちは、感服して舌を巻いた。オリガがバンサ国に渡っていたことは、みんなが周知の事実。つまりサザンカの髪飾りは、そのときの土産なのだ。

 これから、多国籍の学校を運営する学者として、これほどしっくりくる装飾品もないだろう。

 若者たちが、素直に感心しているのを、オリガは微笑ましく見守っていた。彼らが、この髪飾りと、それをつけている自分に対して、どんな想いを寄せているのか、手に取るように想像できたのだ。

 だが、オリガは片方の頬だけで笑った。この髪飾りは、融和の象徴などではない。この髪飾りの本当の意味は、誰にも教えるつもりはなかった。

「さあみんな、さっさと家に帰って飯を食え。それで、夜更かししないでしっかり寝るんだ。知識は、余裕のある身体と精神にしか宿らないぞ」

「オリガ先生、なんかジジイくさい」

「ふざけんなよ、まだ若いっていうの」

 オリガは笑う若者たちの尻を叩き、彼らを帰路に就かせた。

 そのとき、突然誰かに呼び止められた。振り向いてみれば、ユープー王宮の使用人が、肩で息をしながら立っていた。

「オリガ様、ラルゴ王からのお呼びです。至急、王宮に来たれよ、との伝令です」

 兄の火急の要件に、オリガは不安で顔を曇らせた。



 かつて、オリガも住んだユープー王宮は、どっぷり日が沈んでも、煌々と灯りが燃えていた。

 オリガが駆け込むように王宮に入ると、ラルゴ王が髭を撫でながら出迎えた。ラルゴ王は、久しぶりに対面する弟の姿を、繁々と見つめた。

「すっかり学者の風貌だなあ、オリガ。一瞬、王宮の主治医かと思ったぞ」

「なんだよ兄上、火急の要件だっていうから、飛んできたのに。急ぎの用じゃなければ、おれは帰るぞ」

 予想外にのんびりしている兄に、オリガはムッと口を尖らせた。朝から働きづめて、すっかり腹が減っていたのだ。しかし、ラルゴ王はオリガを宥めつつ、王宮の応接間に目線をやった。

「王宮が窓口になって、文化教師の選別を行ってきただろう。最終の受験者が、ようやく決まったんだよ。だけど一応、学長のお前も面接したほうがいいと思ってな」

「兄上に頼んで助かった。選ばれたのは、どんな人?」

「バンサ国の若い女性だ」

 ラルゴ王は、一枚の封書をオリガに手渡した。それはバンサ国の国務大臣に就任した、ドゥンからの推薦状だった。

「ドゥン大臣の推薦を受けているが、これは渡航についての許可証みたいなものだ。バンサ国が、彼女をユープーに渡すのを惜しむほど、かなり腕利きの服飾職人らしい」

 ラルゴ王がワクワクした口調で話すのを、オリガは澄ました顔で聞いていた。だが、ドゥンの手紙を読んだ途端、顔色がサッと一変した。目つきが変わった弟を、ラルゴ王は怪訝そうに見つめた。

「どうした、何か問題があるか?」

「……兄上、この人の合否、おれに決めさせてもらえないか?」

 つまり、新任教師を選別する面接を、オリガ一人で行うということだ。

 思いがけない申し出に、ラルゴ王は驚いた声を出した。だが、オリガの真剣な眼差しをみて、不安げにしながらも、黙って頷いた。

「結果は、明日聞く」

 ラルゴ王はオリガの肩を叩くと、悠然と背中を揺らしながら去っていった。オリガは兄の背中を見送ると、面接を待つ受験者の元へ、足を進めた。



 その部屋の扉を開けた途端、オリガは息がつまるほど胸がいっぱいになった。

 二つのお団子髪をした、一人の女性が椅子に座っていたのだ。小さな唇には、淡い紅をのせ、つぶらな瞳をいっぱいに見開いている。そして、顔には大きな痣があった。

「……久しぶり、オリガ」

 女性になったコチュンが、立ち上がってオリガを見つめた。美しい微笑みには、かつての新米女中の幼さなどはない。

 けれども、オリガは声を震わせた。

「やっぱり、コチュンなんだな?」

 コチュンはニコッと微笑んだ。それだけで、オリガは激しいめまいを感じてしまった。足が床に張り付いたみたいに、一歩も動けない。ただ、高鳴る心臓の音が漏れていないように、願うしかできなかった。

「まさかコチュンが、服飾の教師としてユープーに来るなんて思わなかったよ。一度、連絡をくれればよかったのに」

 オリガが恨みがしく不満を垂れると、コチュンは眉を寄せて言い返した。

「手芸の修行が忙しくって。だって、まずはバンサ国で稼げるくらい、腕を磨かなきゃいけなかったんだもの。そのあと国の代表にもならなくちゃいけなかったし。海を越えるって、すっごく大変だったのよ」

「おれも、そうだったよ」

 オリガが片方の頬だけで笑うと、コチュンは嬉しそうに声を弾ませた。

「オリガも、昔のまま、変わらないみたいで良かった。すっごく変わっちゃってたらどうしよう、って少し心配してたんだ」

「おれは変わらないさ、今も昔も、目標のために不器用に頑張ってるよ」

「髪の毛、その髪飾り使ってくれてるんだね。嬉しい」

 コチュンが赤いサザンカの髪留めに目を止めて、頬を赤らめた。その恥じらいの意味を知っているオリガは、ようやく足を動かした。

「コチュンがくれた髪留めだ。また髪を伸ばして、ずっとつけてたよ」

 オリガがバンサを出立する日に、コチュンから送られたのが、このサザンカの髪留めだった。バンサ国では、髪飾りを異性に送ることは、求婚を意味している。オリガはそれを知っていて、肩身離さず、ずっとつけ続けていたのだ。

 オリガは、恐る恐るコチュンの手を取り、ぎこちなく抱きしめた。

「コチュンにずっと会いたかった。ユープーに来てくれて嬉しい」

 オリガは、腕に抱えたコチュンの小ささに、大きな愛おしさを感じていた。あのときの未練が、ようやく打ち消された気分だった。

 ところが、コチュンはオリガの腕を振り払い、むすっとした顔を向けた。

「それとこれとは別。わたしは、裁縫の仕事をしに来たのよ。教師になれるのか、なれないのか、はっきり教えてくれなきゃ困るじゃない」

 コチュンのキッパリした言葉に、オリガは思わず目を点にしてしまった。離れ離れだった愛し合う二人の、感動の再会だと思ったのに。

「わたしは、裁縫で身を立てて、田舎のヒン叔母さんに仕送りしなきゃいけないの。もちろん、腕はいいから安心してね。でも冬の間はバンサに帰らせて欲しいの。それから、えーっと」

 コチュンの口から、雇用された場合の条件が矢継ぎ早に飛び出してきて、オリガはズッコケながらコチュンから離れた。

「ちょっと待って、おれを追ってユープーに来たんじゃないの?」

「もちろん違うわ。わたしは、裁縫の技術で、バンサとユープーの架け橋になりたいと思ったのよ」

 コチュンが澄まして答えると、オリガは力が抜けてしまい、思わず椅子に座り込んでしまった。二人が離れ離れになった間に、お互い随分と大人になってしまったようだ。

 コチュンに迫られた選択に、オリガは渋々答えた。

「……今ユープーでは、この布細工の髪飾りが話題でね。みんな、この技術を知りたがっている。これを作れる服飾職人は、コチュン以外にいなだろう?」

「今はもっとすごいのも作れるようになったのよ。試作品をバンサ国から持ってきてるから、後で判断材料にしてね」

「見るまでもない。ぜひうちの学校で、たくさんの子に裁縫を教えてくれ」

 オリガは困ったように笑い、コチュンを見上げた。

 その瞬間、コチュンの小さな体が、オリガの胸の中に飛び込んできた。オリガはすっかり面食らい、潰れたカエルのような悲鳴をあげてしまった。

「なんだよ、さっきは拒んだくせに!」

「わたしの新作を、オリガに受け取って欲しいの」

 コチュンは布細工の髪飾りを差し出した。桃色の蘭が、何輪も咲き誇る見事な作品だった。

 髪飾りを受け取ったオリガは、泣きそうになりながら微笑んだ。

「おれの髪は花刺しかよ」

「似合うからいいじゃない。それで、返事は?」

 髪飾りを送る意味を、コチュンは挑むように確認させた。オリガはコチュンを見つめると、彼女の小さな頬に、そっと唇を寄せた。

 くすぐったい感触に、コチュンは笑った。

「まさか、感謝の仕来りの口づけ?」

「そうだよ」

 オリガがさらっと答えた途端、コチュンは目を剥いた。

「それ本気で言ってる?」

「いいや、嘘だよ」

 オリガはコチュンを抱きしめ直し、もう一度唇を寄せた。今度は、嘘も誤魔化しもない、本物の愛の証だった。


 ユープー国の夜は更けていく。だが、二つの未来は、夜明けを迎えた。

 コチュンとオリガは、手を取り合って、まだ見ぬ平和を作っていくのだから。



 おわり

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嘘つき皇后様は波乱の始まり 淡 湊世花 @nomin

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