「作り話」と「小説」の境目はなにか。
それは、どれだけ作者が自分の物語を「本物」と信じられるかにかかっている。
自分の妄想に他人を巻き込むには、テーマや文章の巧拙はあまり関係ない。何よりも重要なのは、描いた世界が「本物」だと自分が信じて疑わないことだ。そうでなければ、作家はみんなただの「嘘つき」に過ぎない。
嘘ばかりついている自称作家の私にとって、この本物の「小説」はあまりにもまぶしかった。
架空の国家、架空の文化、架空の政治……。にもかかわらず、それらが強い説得力を持って、読み手に訴えかける。世界のどこかで、本当にこんな物語が展開されているのではないか、と信じさせるだけの綿密な描写。二転三転する物語の構成。一本筋の通った魅力的な登場人物たち。そして、抱きしめたくなるエンディング……。
どれだけ作り込んだのだろう。
どれだけこだわったのだろう。
どれだけ時間をかけたのだろう。
内容に関してレビューで触れることはあえて避ける。みなさん自身でこの世界を堪能して欲しい。
タイトルには「嘘つき」とあるが、この小説は「本物」だ。
是非ご一読を。
景色が浮かんでくるような優しい文体の物語なのです。
題材にされているのは、中華を思わせる華やかな宮廷の人間関係なのですが、私の目に浮かぶ景色は何故か青空が入る構図が多くて、いつも太陽があるように気がしてしまいました。
主人公は女性ですが、月のようなたおやかな、星のような輝いているというような印象はありませんでした。
太陽です。
とても激しい印象があります。
しかし思うのです。月や星は、夜空にあって目立つから特別、綺麗に思えるけれど、太陽は青空にあって直視できず、「美しい」という形容詞とは無縁のような気がする、と。
空にあって当たり前、冬には暖を取れる程、暖かくしてくれる訳ではなく、夏には寧ろ迷惑に感じるような存在…とまでいってしまえば、悪口の類いになってしまうのですが、そんな印象が悪口にならないストーリーだと感じました。
題材にしているのは、様々な野望、思惑のある宮廷事情と政略結婚、
平和のためでした。
その平和という状態に、私はこの太陽と同じような印象を受けてしまうのです。当たり前にある、迷惑な時もある、十分な役に立たない時もある。
直視できない時もある、と。
あらゆる理屈が飛び交い、自らの考えが正しいと補強していく人たちがいる宮廷で、主人公サイドでは理屈ではなく感情で進みます。
その感情の動きが、とても好ましいのです。○○だから、××だから、「私がこう思うのは仕方がない」とか「私が思うのは当然」とか、「思わない人はおかしい」という暴力的な所が全くなく、大団円の最後を飾るのも、人々の歓声でした。
怒声を上げる事よりも、歓声を上げる事で良い結末を迎えられる…それだからこそ、物語から感じられる景色には、明るい空がいつもある気がしました。
直視できない時も迷惑な時もあるけれど、当たり前にある事が好ましい物語と主人公の一致、素晴らしい物語です。