聖三木彦伝

 その日三木彦が横濱家で女の霊にあったそうな。

 気づいたらとなりの席に女がいた。垂れた長い髪の隙間から、こちらをっとみていた。

「自分になにか?」いってから、この女は生きていないな、と直感したという。

 小鉢をもらい、ミニラーメンをつくって女に供えた。三木彦がラーメンを完食しなかったのは、あとにもさきにもこのときだけである。

 思えばこのとき、相手をしてしまったのが悪かったのだ。三木彦は彼女に憑かれてしまった。


 女は普段はすがたをみせないが、三木彦がラーメンを食べようとすると、きまってあらわれた。そうして、彼がスープを飲みすのを悲しげに眺めている。

「きみはラーメンが食べたかったのか」三木彦は話しかけた。

「もう食べられないのが悲しいのか」

 女はものいわず、悲しげな顔を寄越すだけである。

「なにを食べればいいのかわからないのか?」

 以来、女のためにさまざまなラーメン店に足を運んだ。どこかにかならず、女の気に入るラーメンがあるはずだ。

 というのも、店によって、女の表情が変わることに気づいたからである。

 多い日には、日に五軒ものラーメン店をはしごすることもあった。体調の悪い日でも、豚骨は風邪に効くから、と信じて休むことはなかった。彼女の反応が悪い店でも、ラーメンに罪はないのでスープまで飲み干した。

 そうして、黙禱するかのように目をとじたあと、店員と器に静かに頭を下げて帰るのである。

 決して主張せず、ひととつるむこともなく、ただひたすらラーメンを食べ、感謝を捧げる……そんな姿勢から、いつしか麵マニアのあいだで「ひじり」とあだ名されるほどになった。

 ただ、三木彦はインターネットをやらないので、本人はそれを知らない。

 そんな日々が三年もつづいたある日のことだ。その日店をでると、わたパチというのか。口のなかで駄菓子がはじけるのに似た音がふいにして、三木彦は店のまえの露地で倒れた。塩分の過剰摂取が原因の脳内出血だった。

 気がつくと、自分の周囲におおぜいの人間がいるのがみえた。

「聖さん! しっかりしてください!」おれのこと?

「おれ、聖さんに憧れてこの業界にはいったのに」業界って?

「聖さんがいなかったら、だれがここらのラーメンを仕切るんですか!」そりゃ、店長じゃないの……。

「やっとお話できるね」

 あの女だった。店外で会うのははじめてのことだ。

「そうか、ぼくも死んだのか」無理もないと思った。と同時に、切ない気分がこみあげてきた。

「結局、きみを救うことができなかった」

「ううん。わたしのために命をかけてくれて、ほんとうにうれしかった」

「いまだからいうけど、ほんとうは、きみに会いたくてラーメンを食べていた。ぼくは、きみが好きになってしまったんだ」

「わたしもおなじ気持ち。三木彦さんが好き。愛してる」

 そうしてふたりの魂はひとつとなり、天国へ昇っていった。そのときに三木彦を囲んでいたマニアたちは全員、空に光り輝くものをみたという。

 彼は遺族に「ばっかじゃないの」といわれながら荼毘に付され、その葬儀には全国から五百名ものマニアが参列したとのことである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る