家族百景

 母が「盗聴器が仕掛けられている」といいだしてわたしは「やばいな」と思ったけれど、本当に盗聴器が出てきたのでわたしはもういちど「やばいな」と思った。

 固定電話の子機から出てきたそれは、わたしの目には機械より巨大な金魚そのものにみえた。表面は白く吹いた粉で覆われ、ところどころ破けてその下の白いものがのぞいていた。ただ、魚でいえば白い目の部分がちかちかと点滅しているのだった。

「電話」わたしはそれを見下ろしながらいった。「使えるのかな」

「知らないよ」母は食卓の椅子を引いてため息をついた。「どうしてわたしの人生はこうなんだろう」そう天井へ向かって漏らすのだった。

 より苦労してきたせいで、母には卑屈さを隠そうとしないところがあった。それはたとえば買い物の最中でさえ、「あの家はなんでも買えるんだろうけどね」と、仮想の何者かをひがんだりするのだった。そんなわけなので母の人生はさておいて、いま電話が使えないと人生が終わるのが部屋の片隅に転がっている父だ。

 部屋の片隅で父はおおらかにいびきをかいている。ところが声をかけると意識がない。数年前の脳出血のときとおなじ症状なのだ。

 父は数年前に脳梗塞で倒れた。以来ずっとわたしと母とで彼を養っている。父はもともと働くのが嫌いな人間だったから、ようするに母の苦労とは大半が父のことなのだ。そこでなにか天に嘆いている母は、もしかしたら父をほうっておきたいのかもしれない。かといって、……。

 わたしはようやく自身の動顚に気がついた。電話は一家に一台ではない。わたしはスマートフォンを手にとると、

「救急車呼ぶよ?」つい問うような口調になってしまった。

「そうね」母は宙にほうるように、「好きにして」

 これからかける電話も、盗聴器をしかけただれかに聞かれているかもしれない。逆上して家にくるかもしれない。一瞬迷ったが110の前に119に発信した。

 そのときだった。スマートフォンの画面に人間の影が映りこんだ。慌てて振り向くとだれもいない。ふたたび画面に目をやると、すこしはなれた場所に輪郭がゆらゆらと動く裸の女が立っていた。女には首から上がなかった。

 119にはすでに通話中になっていた。が、救急らしい声は聞こえなかった。代わりにハミングの声がスピーカーから流れていた。女は次第に近づいてきた。

 わたしは何度もボタンを押したが切ることができなかった。

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