ガストでのこと

「殺してやるから‼」

 物騒な大声とともに、水の激しく飛び散る音がした。驚いて顔をあげると、店内にいる全員が同じところに注目していた。

 窓際のソファ席。上座のほうに、スーツの上を脱いだ中年らしい男性が頭から水を流して座っている。おしぼりを抱えて駆けつけた店員も変な顔でおろおろしている。

「すみません」男はいっそ涼しげな態度で伝票を取ると、

「どうもすみませんね、汚してしまって。お会計をお願いします。清掃代が必要なら請求していただいて構いません。これが名刺です」

 店内はしばらく、文字どおり水を打ったようにしんとしていたが、男性が店をあとにした途端ざわめきだした。

「すっごい」教科書に目を落としているふりをしていたが小さく声をあげた。

「うん、すごいね。ドラマみたいだ」いしが同意した。

「みた? あの男の態度。掃除のお金は払います、だって」裕美はえっへんと胸を張ると、

「あのおじさん、そうとう世間体を気にするね。そうじゃなきゃ、水ぶっかけられてあんな態度できないじゃん。わたしの見立てじゃ、不倫だね。世間体が、とかいって別れようとしたから怒られたんだ」

「さすがミス研の女。推理が下世話」

「ほんとに水かけるひとがいるんだねー! ある意味すごい勉強会になったよ」

 わたしは思わず訊きかえした。

「みたの?」

「や、ま、かけられたあとに気づいたんだけど」

「あのおじさん、ずっとひとりだったよ」

「えっ」

 今度はふたりが声を揃えた。掃除をする店員の肩ごしに窓のそとをみると、ちょうど男性が駐車場を車へ向かってとぼとぼと歩いていた。

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