百鬼夜行もいいところ

 襖の向こうで両親が盛り上がっている。

 両親はともに三十歳さんじゅうも更けて盛り上がりたい気持ちも分からぬではないが、色に感けて三歳みっつの長男を気にせぬようでは、勢い人生の先行きを思わずにはおられぬ。

 先ほどから女の霊が私を虐待しておる。

 女は目を極端に吊り上げ、曖昧な、それでいて空気の質量だけはしっかりと持った手で私をつねったりはたいたりと好き放題だ。異様な光景である。襖の隙間からちらとでも垣間見てもらえればすぐに不穏を感じ取るだろうものを。

 私は口をへの字に結び、女の虐待を黙って受け容れておる。

 私は三歳みっつにしていまだ喃語を脱しておらぬ。両親には私の発達を疑問視する姿勢すらある。併し口にのぼせることをせぬだけで、私は日々世の理を脳裡に涵養させておるのだ。

 私と母が産院から越してきた時、女はすでにこの部屋に憑いていたし、私は明瞭はっきりとその存在を感得しておった。女は昼夜ともなく部屋を彷徨うろつきまわり、問わず語りに何事かを囁いておった。彼女のためにこの部屋は家賃四万円なのである。父は夢見がちな作家志望者であり、このような心理的瑕疵物件にしか手が届かぬ。そんな父に母は依存しきっており、いまひとつ生活力を欠く。そうであってみれば、私が女の虐待を甘受したほうが父母の、ひいては私の先々の人生において正解なのではないかと考えた。

 女の足もとには老犬がいっぴきっとしている。目が合うとおどおどと隠れるようにするものだから、私はもとより彼に期待はせぬ。凡そ生前からこの女に苛められてきたに相違ない。憐れではあるがこの期に及んでは腹も立つ。

 女の暴行は三十分になる。というのは、律義に午前零時に虐待を始めたからである。即ち父母はまだ前戯の段階である公算が高い。父母が父母なりに私を愛してくれていることは理解の上だが、とはいえそろそろ苛立ちがきざしもしてくる。

 確かにあの男女をえらんだのは私である。そうであってみれば、否やを申し立てるものではない。併しいわせてもらえるならば、私を担当したコウノトリ氏に首根っこをくわえられて痛く、いささか冷静を欠いておった。

「わしゃ猫の子かい」と適当な家に落下していった同輩は、近所の金持ちの家に生まれつき、天蓋にフリルのついたベッドですやすや寝ていると聞く。念のために付けくわえれば、私はフリルのベッドに寝たいわけではない。

 女の暴行はむ気配もない。襖の奥の隣室では両親がいよいよ本番に差し掛からんとしておる。老犬は女の迫力に恐れをなしたとみえ、さっさと簞笥の陰に引っ込んでしまった。

 あまつさえ簞笥の裏から気色の悪いものどもがわらわらと湧きはじめた。

 魑魅魍魎、葬列、脂身、陰キャ、虫の裏側、猫の糞、うつ病の作家志望者、……何れも私よりもいくぶん小さく、蚤のように軽快である。軽快であるがゆえにうすらキモい。

 パニックを起こして火が点いたように走りまわる老犬を後目、彼らは上機嫌に見える様子で私の蒲団を取り囲んだ。頭上で何者かがボイスパーカッションを始め、統制の取れていない乱痴気な踊りをそのどれもが始めた。百鬼夜行もいいところだ。

 私を虐待していた女が、思いだしたように天を仰ぎ吼えた。

 うまく聞き取れなかったが、何故だかそれが下品な罵声であるということは理解できるのだった。彼岸にも此岸にも真面まともなものはおらぬのか。遂には彼ら(彼ら?)は私をガリバー旅行記よろしく霊的な縄で縛りあげ、異様に達者なボイパに合わせて跳んだり跳ねたりを続けた。

 その時ようやく、隣室から母の声が聞こえた。

「いれて、いれて」

 私はいい加減にしろと思った。

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