幽霊のようなもの

「このたびは……」

 兄の四十九日も過ぎた昼過ぎ、女性が訊ねてきた。

 この暑い盛りに、汗ひとつかいていない。落ち着いた雰囲気だがまだ若い。兄の友人だとすると、二十代半ばといったところか。

 両親が不在なので、自分との近い客でいくぶんほっとした。

「兄とは、どういうご関係だったのですか」線香をあげた彼女に茶をだして問うた。

「私は……彼の……恋人のようなもので……」

 正直、驚いた。兄はやんちゃな人間で、こういう儚げな美人とは結びつかなかったのだ。

「あなたのお兄さんには……救われたようなもので……」

「えっ。どういうことでしょう」

「あのひとは……私のジョー・ブラッドレーのような人で……」

「ちょっと待ってください」聞きおぼえがあるぞ。そうだ、『ローマの休日』だ。よほど愉しかったのだろうか。

「それまでが、貧乏くじを引いたような人生だったもので……」

「はあ」

「私は彼を春の熊のように好きでした」

 村上春樹かお前は。

「彼のいない日々は……青竹を炙って油を絞るようなものですね」おっと、難解なのがきたぞ。

「兄がいないのはクリープをいれないコーヒーのようなものですか?」

「……」

「すみません」

 理不尽な気持ちになった。

「そういえば、葬儀にはいらっしゃいませんでしたね」

「三キロ以内には立ち入らぬようにと……」

「なんだか、ストーカーみたいですね」

 女性は照れくさそうにうつむいた。

「……そのようなものです」

「マジか⁉」

 そのとき、錠の回る音がした。パートへ出かけていた母だろう。失礼して玄関へ迎えにいった。あれに会わせたものかとも思ったが、後半は隠して兄の客がきているとだけ伝えた。

 母と居間にもどると、そこにはだれもいなかった。飲みさしのお茶がぽつねんと、線香のにおいと一緒に置かれていた。

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