私アムゴッド05 『無力な神様』
その次の日、幹山さんは公園には現れなかった。
私たちは連絡先を交換していたわけでもないし、彼の家をしっているわけでもないので、ただ待つことしか出来なかった。元々約束をしていたのではないのだから、これは私が勝手に待っているだけだったけれど、約束をほっぽりだされたような気分になり、そんな自分にきがついて自己嫌悪に陥る。
一時間ほど待って、もう今日はこないだろうと思った私は、仮面の少女に挨拶をして(もちろん返事は返ってこなかった)町へと繰り出した。ここのところはあまりちゃんと出来ていなかったが、神様として町のパトロールを私は日課としていた。
棺ヶ丘は大きく三つの地域に分けることが出来るが、私はその中でも最も人の多い棺ヶ丘三丁目を重点的にパトロールをしていた。もちろん三丁目だけではなく、町全体をパトロールする必要があるのだが、時間と体力的な問題がある。時間の流れが遅いときは、広域にわたって町に異常がないかパトロールできるのだが、時間の早い日は、そうもいかないのだ。
この町には、夜になると家の中にいないといけないというルールがある。
誰が決めたルールなのか、特に疑問を感じる人は少ないが、ごくたまに夜遊びをしていた人が、その間の記憶をなくして気付いたら家の中にいた、という話をたまに聞くこともある。
この町に何か不思議なことが起こっているのか、その真偽を確かめたいと思う気持ちもあるけれど、この暗黙の了解を神様である私がやぶるわけにはいかないので、夜の帳がおちるころには私はいつも自宅に戻っているのだ。
丁度、学校のチャイムがどこからか聞こえてきた頃。
中学と高校では授業が終わる時間が違うので、今聞こえてきたのはこの近くの高校のものだろうと考えながら道を歩いていた。
案の定、五分ほどで前方から人の流れがこちらに向かってくる。みんながみんな、同じ制服を着て、好きな事を喋りながら歩いている。
その中の一人の姿を見て、私は目を見開いた。邪魔だと分かっていても、思わず足が立ち止まり、道の中央に弁慶のように棒立ちになっていた。
目の前の一人の女子学生。……その、すぐ後ろ。
女子学生よりも一回りほど大きな、黒い影。
あれがなんなのか、この町で知らない人間はいない。
棺ヶ丘の人間にとって、馴染みがあるものではないけれど、どこまでも理不尽で、嫌なものだけれど、それでも受け入れるしかないもの。ぴったりと女性の後ろを付いて離れない。
あれに憑かれているということは、あの女子生徒は……。
あれをなんと形容したらいいのか分からないし、なんと呼べばいいのか分からないのでもっぱら「あれ」としか呼ばれていないが、私はその黒い人影をそのまま「影」と呼んでいる。もちろんなんの捻りもないネーミングセンスだが、名前がないのも呼びづらいし、どうせ私には影の事を話題にする知り合いなんていないのだから大して気にしてない。
周りの人間は、彼女の後ろの影について、なんの興味も持っていない風だった。
もちろん、それは務めて気にしないようにしているだけで、それは本人も充分分かっていることだろう。あれは、どうしようもないもので、周りが同情したり、哀れんだり、助けようと何か行動しようとしたところで何も変わらないものなのだから。
……私に、力があれば。
神様としての権能が、影を消してしまえるほどの力があれば。
この町には犯罪というものがほとんどない。ゼロ、とまでは行かないけれど、それでも限りなくゼロに近い数字だと言ってもいい。だからこそ、この町の住人にとっての恐れの対象はあの影だけなのだ。
あの影に取り付かれると、その人に待つのは死だけだ。誰だって、死にたくない。あの影可視化された余命のようなものだ。自分の死が近づいてくるのが、はっきりと目に見えるのだ。
どうすれば、影から開放されるのか。
どうすれば、影に取り付かれないのか。
その方法は、誰にも分からないし、分かったところで、それが容易な方法ではないことは想像に難くない。
死を防ぐ方法なんて、碌なものじゃないからだ。
歩道の真ん中で突っ立っている私を波が左右に避けながら進んでいく。そのうちに、影に憑かれた女子生徒が私の横を通り過ぎた。
何か、声をかけるべきかと一瞬悩む。
でも、何を?
「頑張って」何を頑張れというのだろう。どうせ死ぬのに。
「負けないで」何にも負けていないのに、影にとりつかれたのだ。
「私が助けます」どうやって? 私は、無力な神様だ。
そもそも、私は彼女と接点なんてない。ただ、神様がいるこの町に住んでいるというだけだ。だが、神様が自分の土地の住人を心配してはいけない道理がどこにあるだろう。しかし、いたずらに声をかけたところでどうせ私には何も出来ないし、それこそ私の自己満足感が満たされるだけだといわれても仕方がない。
「三戸科さん!」
すると、後ろから小走りで別の女子生徒が走ってきた。そのまま影に憑かれた女子生徒の横に並ぶと足並みをそろえて歩き出す。二人とも、笑顔だ。諦めきった笑顔ではなく。
多分、友達だろう。
しばらくその後姿を見ていると、なんだかお腹の下あたりがむずむずしてくる。
この辺りはもう大丈夫だろう、とパトロールを打ち切り、逃げ出すように走り出すと、むずむずはどんどん強くなっていく。これはどういう感情だろう。考えて走っているうちに、あの公園へとたどり着いていた。
公園のベンチには、いつもの少女。相変わらず仮面を被ったまま微動だにしない。
「ねえ、あなた」
返事がないと分かっていて、いや、返事がないということを期待して、私は上がった息のまま話しかけた。
「私、ちゃんと神様だよね? 神様が出来ているよね? 私は、神様としてこの町にいていいんだよね? だって、だってだって私、こんなに頑張っているのに……なのに、なのに!」
声を荒げても、少女は反応しない。だからこそ、私はこのむずむずを腹の底から押し上げることが出来た。
「私には、何にも出来ない! 人を守りたくて、町を守りたくて、でも、あの影は全然消えてくれない! どうして!? どうしてあの影は存在してるの! あの人だって、悪いことなんてしたいないはずなのに! 笑ってた! 友達と笑って、普通に下校して……、そんな普通の人生だったはずなのに! あんな後ろから付いてくるだけの気持ち悪い黒い奴に付きまとわれて! 最終的に死んじゃって! どうして!? どうして……私は何も出来ないの……? おかしいよ……、こんなの、おかしい……。間違ってる……」
あのむずむずは、無力感。何も出来ない自分への苛立ち。友達と笑う笑顔を見て。自分の死を当然のものだと、夜になれば眠くなるように、お腹がすけばぐうっと鳴るように、生きていれば当然の事だと思っているあの笑顔。話しかける友達らしい人の笑顔はあんなにもぎこちなかったのに、あの人はどうしてあんなに強く笑っていられるんだろう。自分の死がすぐそこにいるのに、普通の笑顔をしていられるんだろう。
……私のお母さんは、あんな風ではいられなかった。
自分の死を目の当たりにして、壊れてしまった。
たとえ知らない人でも、人が死ぬのは悲しい。
神様として助けてあげたい。なのに、死を受け入れてしまったら。
そうしたら、私の存在意義がなくなってしまう。あの日の誓いが、約束が。なくなってしまうのだ。そうなってしまったら、私はどうやって生きていけば良いのだろう?
神様として生きていけないのなら、私は誰だろう。神崎千尋という人間に、残されたものは?
……私が、神様でいるためには?
ふ、と目の端に違和感を感じ、仮面の少女を見る。
彼女は、空を向いていた。今まで顔を少し動かす程度の動きもほとんど見せなかった彼女が、じっと空を見つめている。
「ね、ねえ……」
「─────ぉ───」
「……え」
今、確かにこの子が声を発した。
風の音で掻き消えてしまいそうな、けれど自然の音ではない、肉声。
何を言ったのかまでは聞き取れなかった。けれど、この子は確かに喋ったのだ。
私に何かを言おうとしたのか、全然関係ないことなのか。
それきりまた少女は何も言わなくなってしまった。諦めて家に帰る。帰っても、どうせ誰もいないのだけれど。それでも、帰るしかない。この町は、夜に出歩いてはいけないのだから。
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