私アムゴッド14 『神様の過去』
「その、後ろの……」
「ああ。どうやら、僕のところにもこいつが来たみたいだ」
「そんな、どうして……」
分かりきったことを聞く。
理由なんて一つしかない。
誰にも分らない、が理由だ。
「ありがとう。僕のために悲しんでくれて」
「当たり前じゃない。だって、私はまだあなたのお願いを叶えていないのよ」
彼は空を飛んでみたいと言って、私の前に現れた。神様として、私は彼と約束した。
なのに、そんな彼がやがて死んでしまうなんて。
「どうすればいいの? どうすれば、私はあなたを助けられる?」
「ああ、そうやって、僕のために泣いてくれることが、僕にとっては救いだよ。家族以外の人間が、僕のために涙を流してくれていると言うのは、とても嬉しいんだ。きっと、君にはまだ、分からないだろうけれどもね」
分からない。幹山さんの言う事が何一つだって理解できない。死ぬことが分かっていて、何が嬉しいのだろう。
死に付随して起こる幸せなんて、一時的なものでしかない。
それなのに、どうしてこの人はこんな笑顔でいられるのだろう。
「君が叶えてくれるという僕の望みは、破棄してもいいかな」
「……っ」
「決して、君の事を悪く言いたいわけじゃない、ということを分かってほしいのだけれど。僕は、家族との時間を大切にしたいんだ。もちろん今までが疎かだったわけじゃないけれど、もう、あまり時間は残されていないからね」
「そう……、ね……。家族との時間は……、大切にするべきだわ」
震える声でそう答える。
幹山さんは、私に手を振ると、公園を出て行った。
その後ろ姿を、脱力しながら見送る。
隣には仮面子が、微動だにしないままに座っている。
「どうして、幹山さんが……」
呟いて、魔法少年である彼の事を思い出す。
彼のところに現れた死は、彼によって斬られ、別の人のところへと移動する。
「まさか……」
逸る足で、家へと向かう。
夜になれば、彼にまた会える。
確かめないといけない。彼が、死を斬ったのか。もしもそうなら。私は、彼を許せるだろうか。
許すも何も、彼は悪い事なんて一つもしていない。ただ、自分の使命を全うしているだけだ。
けれど、幹山さんは彼よりも長く私と知り合っている。
どちらも大切な人で、尊敬するべき大人であることには違いないけれど、幹山さんは知らなくて彼は知っていることがある。幹山さんは自らの後ろを歩く死をどうすることも出来ないけれど、彼は出来る。彼の代わりに幹山さんが死ぬのだとしたら。私はいったい誰に、この思いをぶつければいいのだろう。
分かっている。誰も悪くない。
けれど、理屈ですべてを片づけられるのなら、人間に感情なんてものは必要ない。
家に駆けこんで、鍵を閉める。
こうしたところで、すぐに夜になるわけでもない。
ただ、何かをして自分の気持ちを別の方向へと向けたかった。全力で走った影響で、心臓が早鐘を打つ。
大口を開けて脳に酸素を送り込む。
夜になれば、彼に会える。逆に言えば夜にならないと魔法少年とは会えない。
シャワーを浴びて、汗と一緒に余計な感情も洗い流そうとした。けれど、胸の違和感は何度洗っても落ちてはくれない。
ベッドに寝転がり夜になるまで眠ろうとするけれど、目が冴えてしまってなかなか寝付けない。
仰向けのまま、窓の外を眺める。徐々に空は明るさを失っている。青から赤に、赤から黒に。
この町では、夜に出歩くことは禁止されている。
けれど、夜の町を見下ろした時、とても輝いていた。
この町にはたくさんの人がいて、それぞれに人生があって。死はその一つを奪おうとしている。
また、私の目の前で人が死ぬのだ。
神様だから、とか。
願い事が、とか。
そんなことはどうでもいい。
ただ、嫌なのだ。死が、私から大切な人を奪っていくのが。
幹山さんにもう会えなくなることが。ただただ、嫌だ。
鼻の奥がツン、と痛む。
腕を目元にあて、涙を隠した。
「どうして……、どうして幹山さんなの?」
他の誰でもいいわけじゃないけれど、なぜよりによって、私の周りの人間なのだろうか。
母親の時だって、そうだ。
死ぬ間際の母親の顔を思い出す。
今にも、生命が終わろうとしている時の、絶望的な表情。
ああ……、そうだ。
お母さんは、絶望して死んでいった。
死なんかに、殺されたくないと。
死を受け入れるこの町では、お母さんのような人はきっと、異常者だったのだろう。
もともと、変わった人だと、言われていた。
犬が喋ったり、頭からねじが飛び出ていたり、時間が早く進んだり遅く進んだり。
考えてみれば、この町はおかしなことばかりだ。
なぜ、それをおかしいと誰も認知しないのか?
思考が、堂々巡りになる。
それが生まれた時からの日常なら、それをおかしいと思う理由はない。
洗脳と、同じだ。
生まれた時から、そういうものだと教えられていたのなら。
けれど、学校で習った、朝と夜が存在している仕組みを考えれば、時間の流れ方が変わるなんてことはおかしい。
人間のように犬が喋る理屈は存在しない。
図書館の本を読めばわかることだ。
なぜ、これを違和感だと思わなかったのだろう……。
おかしいのは、この町の方だと……。
母親の死に顔が、目に浮かぶ。
あれを忘れたことは、一日だってない。
腹部から、血を流す母親と、それを見下ろす私。
そうだ。お母さんは、死に絶望して死んでいった。
けれど、死に殺されたわけではない。
断続的な思考の流れに、頭が割れそうになる。
ああ、そうだ。
お母さんは、死んだ。
間違いなく、私が、この手で。
この手で、殺したのだ。
もう二度と、お母さんのような人を生まないために。
私は、神様になった。
◇◆◇◆
結局夜まで、眠ることは出来なかった。
かといって、目が冴えているわけでもない。
重い頭を振りながら、どうにか起き上がる。涙と鼻水で、顔はドロドロになっていた。鼻をかんで、顔を洗う。
鏡に映った私は、それはもう酷い顔になっている。
夜の帳はすっかりと落ちて、吐きそうになるのを我慢しながら、夜ご飯のようなものを胃に詰め込んだ。
何かを食べないと死んでしまう。これは、生き物の絶対不変のルールだ。
鈍く動く足を引きずりながら夜の町へと出た。
彼がどこにいるのかは分からない。当てもなく夜の町をさまよう。
私の足は、自然とあの公園へと向かっていた。
そう言えば、夜にこの公園に来たことはない。
中を覗いてみると、さすがにあの仮面の少女はいなかった。
当たり前だ。彼女だって、夜に外を歩いてはいけないというルールに縛られている。もっともそれは、意味のないルールだったけれど。
いつも、彼女が座っている場所に腰を掛けた。
空を眺めると、前と同じような、綺麗な空が広がっている。
黒い何かの姿は見えない。
当然、彼の姿もだ。
ああ──この、美しい空を眺めるだけの人生を送れたら、どれほど幸せだろうか。
神様にだって、休息は必要だ。誰も救えていない哀れな神様だけれど。私ほど、身の回りの人間が死に近い存在も、この町では稀なのではないだろうか。
三十分ほど、そうして空を眺めていた。
頬を伝う涙が流れ星に変わって、空を伝う。
「やっぱり、ここにいた」
近づいてくる人影に気づかず、突然声を掛けられて、呆けた顔でそちらを見る。
「……こんばんは」
「こんばんは」
「ちょっと、時間をくれる? こんな──みっともない顔。見せられないから」
「俺は気にしない」そう言って、本当に何でもない風に彼は私の隣に座った。「何か、あった?」
その言葉を聞いて、私はむしろ安心をした。
もし私が考えていることが、正しかったのだとしたら。
彼はそんなことを言わない。あの話をした直後に、そんなことを私に伝えるはずがない。
「……この前言っていた、あなたに紹介したい人」私は言う。「死んでしまうの」
「ああ……」悲しさと、憐れみと、苦しさが入り混じったような、ため息のような声を出す。「そうか……」
「もし──もしもよ。あなたがまた、自分のところへとやってきた死を斬った、と言っていたら。私の心がどうなっていたか、分からないわ」胸に手を当てる。「心が平穏であった自信が、あんまりない」
「それはそうだ。俺の代わりに、君の大切な人が死ぬのだから、君の心が平穏である方が、異常なんだ。もしそうだったら、俺は君からの誹謗中傷をいくらでも受ける覚悟がある」
「そんなことは……」
「例えその相手が君でなくても。もしも誰かにこの事実を告げられた時、俺はどんな非難をも受け入れる準備は、とうにしていたよ」
きっと私が想像しているよりもずっと強い覚悟だろう。
「私も、一つ、あなたに告白をしないといけないことがあるの」
「……辛い事なら、話さない方が良い」
「でも、あなたは話してくれた」涙は既に止まっている。「次は、私の番よ」彼の目を見る。
「例え、それがどんな話だとしても、俺は君の事を信じるよ」
「ありがとう。……そう言ってくれて、本当に嬉しい」
大きく息を吸う。
体が震え、呼吸が浅くなる。
取り込んだ酸素で、心臓を押さえつける。
早口にならないように。
学校の発表の時間を思い出す。
あの時よりもオーディエンスは少ない。何て言ったって、彼一人だけなのだ。気の許せる相手一人。
けれど、今から行う発表は、授業のそれとは、レベルが違う。
息を吐く。
頭の中で、自分の過去を丁寧に並べていく。
私の事。
母親の事。
母親の最期。
私が、神様になった日。
「私はね」ゆっくりと、言った。「お母さんを殺したの」
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