魔法少年ノクターン03 『使命』
今日はどうして過ごそうかと考えたところで、冷蔵庫の中身がそろそろ尽きようとしていたことを思い出す。
歩いていた通学路からくるりと方向転換をして、商店街の方へと向かう。毎日の朝食は食パンとチーズがあれば充分なので、スーパーで食パンを五斤、とけるチーズを二袋買う。ついでに糖分を摂取するためのチョコレート。夜はいつも、適当なおかずと白米を食べている。米はまだあったと思うので、野菜や肉を適当に見繕うとレジへと進んだ。
買い物を済ませ帰宅する途中の公園で、唐乃介に会った。
「よう、買い物か?」
「そうだけど」
「それなら気をつけな……。最近買い物帰りの学生を狙った引ったくりが多発しているそうだぜ」
「へえ、そっか。それは気をつけないとね」
唐乃介は、この町では有名なホラ吹きだった。このようにすぐに嘘だと分かるようなものから、もしかしたら信じてしまうかもしれない高度な嘘まで、その種類は様々だが、唐乃介が本当の事を言っているところは見たことがないので、町の住民の間では彼の言葉は全てが嘘だというのが共通認識となっている。
「それじゃあな。俺は呉服屋夫婦の喧嘩を仲裁しに行って来るぜ」
「行ってらっしゃい」
唐乃介は嘘ばかり言うけれど、それを無視するととても不機嫌になりとてもめんどくさい。だから、本心ではなくても何かしらの返答をしなければいけないというのもまたこの町での暗黙のルールだった。
唐乃介は立ち上がると、てこてこと呉服屋の方へ歩き出す。ここから呉服屋までは人間の足で十分ほどかかる。一歩一歩が小さく四本足の唐乃介には、さらに時間が掛かることだろう。彼が本当に呉服屋に行くならの話しだけれど。
唐乃介、という名前は誰に付けられたのか聞いてみたことがある。
「昔、俺には信頼できる唯一の相棒ってのがいてな。そいつがまだ子犬だった俺に付けてくれたのさ」
遠いどこかを見ながら唐乃介はそう言ったけれど、別の日に同じ事を聞くと、
「俺が散歩しているときに交通事故にあってな……。間一髪で助けられたんだが、代わりにそいつが死んじまった。俺は、あいつ……先代唐乃介の分まで生きていかなきゃいけないのさ」
と言い、また別の日には、
「こいつは俺が自分で付けたんだ。俺の力はちょいとばかし強力なもんでな。自分に名前をつけることで自分を縛っているのさ」
と言った。おそらくどれも嘘だろう。俺がこれを聞くのは、ただ単に暇つぶしだし、まともな答えや本当の答えが返ってくることも無いだろう。
歩き出す唐乃介を目で見送ると、帰宅しようと、公園へと足を向けると、「ああ。そうだ」と唐乃介が振り返って言った。
「その子、寂しそうだぜ。もしお前さんが良いのなら、相手をしてやんな」
「その子?」
唐乃介の目線の先を見る。公園の片隅に一人の少女が座っていた。少女と言っても人目には分からない。ただ、スカートを穿いているのでなんとなく女ではないかな、と思ったのだ。もしかしたら女装趣味の男子かもしれないけれど、そんな事は俺には分からない。
「相手って言われても」
「お前さんは、そういうの得意だろう?」
それだけを言うと、唐乃介は今度こそ歩いて行ってしまう。もちろん、俺はそういうのは得意ではない。得意なことといえば、剣をふるって敵を倒すことくらいだ。コミュニケーションなんて、不得意中の不得意。
少女……だと思われる人に少し近づいてみる。近づいてみて分かったことだけれど、胸が少し膨らんでいる。やっぱり性別は女で間違いないだろう。
なぜ人目でそれが分からないのか。それは彼女が仮面をしているからだ。頭の先から顎まですっぽりと隠れてしまっている。仮面をしたまま公園の隅で座っている少女は、さながら座敷童子のようだ。
多分、この少女と意思疎通を図るのは難しいだろう。なんだか、この子と対面していると、心がむずむずとしてくる。あまり、僕と相性のいいタイプではないのだろう。
結局話しかけることなく、帰宅した。道中、唐乃介の言葉を思い出す。そういえば彼が言っていた事は本当なのだろうか。
『その子、寂しそうだぜ。もしお前さんが良いのなら、相手をしてやんな』
確かに、彼女は寂しいのかもしれない。あんな公園で、仮面を被って一人でいるのだから。しかし、もしもそうだとすると、唐乃介が本当の事を喋ったことになる。あの唐乃介が。これが、唐乃介の”もしかしたら信じてしまうかもしれない高度な嘘”だ。
確かに状況だけを見ると、本当の事なのかもしれない、と思わせられてしまう。今までは後になってそれが嘘だったと発覚したけれど、今度の事は分からない。もしも彼女が寂しがっていたとすると、これはとんでもない事件になる。
唐乃介が本当の事を喋った。あの本当の事を喋ると死ぬ呪いにでもかかっていそうな唐乃介がだ。
そんな事を考えながらようやく帰宅した。今日は時間の流れが遅いので、まだまだ日は高い。夜までの時間も長くなる。買って来たものを冷蔵庫に入れると、床に寝転んだ。
頭の中では先ほどの唐乃介の言葉が反響している。彼女は、何を思いあの公園で一人仮面をつけながら佇んでいたのだろうか。目を瞑りながら考えているうちに、いつの間にか意識が遠くなっていく。目が覚めた時には町は夕闇に包まれようとしていた。
もうすぐ夜になる。準備らしい準備があるわけではないけれど、制服のまま帰ってきてそのままだったので私服に着替えると、おにぎりとハムを入れた弁当箱をかばんに入れると家を出る。
まだまだ夜になるには時間が掛かるけれど、出来るだけ早くいつもの鉄塔に行って、夜ご飯を食べないといけない。完全に夜になってしまうと、夜ご飯を食べる暇が無いからだ。夕闇の中、町民皆が家に帰ろうと歩く中、俺だけ鉄塔に向かう。私服に着替えたのは、制服を来ている俺を見られたら、少しめんどくさいことになるからだ。
「よお、どこかへ行くのかい?」
鉄塔に向かう途中で唐乃介に出会った。
「ちょっとね」
「そうか、せいぜい気をつけな。この当たりでスリが起こっているらしいぜ」
「ありがとう」
唐乃介がそう言うということは、この当たりは安全で治安が良いということだ。唐乃介の嘘には、こんな使い方もあるので、町民皆が彼のことを嫌っているわけではない。彼の言葉は外れることしかないからだ。
鉄塔に到着し、町を見渡せる定位置に腰掛けると、弁当を広げる。今日は時間の流れが遅いので、まだまだ余裕はある。
弁当を全て食べ終わって一息ついている間に、完全に夜の帳が落ちた。もうすぐ、黒い何かがやってくる。未だに黒い何かがやってくるときの法則性がつかめていないのもどうかと自分でも思うけれど、本当に不規則なのだ。黒い何かが意思を持ってこの町にやってきているのか、それとも何者かが黒い何かをこの町にけしかけているのか。
もしそうならば、俺はその何者かとも戦わなければいけないことになる。夜の町を守るのが俺の仕事だからだ。しばらく何も起きないまま、時間だけが過ぎていく。時間の流れはいつも日付と同時に変わるので、あと数時間は遅いままだ。
今日が遅ければ明日は速いのかというと、そうでもなく、ずっと何日か続くときもある。もちろんそんな場合は同じ時間だけ早い日があって、一年間での時間はいつも同じになるようになっている。ちゃんとつじつまが合うようになっているのだ。世界とは、そういう風に出来ている。
黒い何かはまだやってこない。空を見上げると、星が輝いている。俺は正座には詳しくないので、どれがなんと言う星座なのかは分からない。星は、空の端から端まで一杯に広がっている。手を伸ばせば掴むことが出来そうだと錯覚してしまう。
ふと気配がして、後ろを振り返る。そこには、一つの人影があった。
「俺に何かよう?」
分かっていることだけれど、もちろん人影は何も答えない。ゆっくりと俺に近づいてくる。つまり、俺の番ということだろう。本来は甘んじて受け入れなければいけないのだけれど、生憎俺は魔法少年だ。町を守るという使命がある。
魔法を発動させ、俺の手に剣が現れる。
魔剣アブストラクト。
実態としてそこにあるものではなく、黒い何かや、今目の前にある人影のような実態の無い、概念のような存在をのみ斬ることが出来る。
人影は、俺が魔剣を出現させてもまったく気にしないようで、近づいてくる。そのスピードはゆっくりなので、魔剣アブストラクトを薙ぎ払う。それだけで、人影は霧消した。
「悪いな。こっちにも事情があるんだ」
もちろん、俺の言葉はあいつらには届かない。そもそも言葉を認識しているのかどうかも分からないのだけれど。人影を斬ったところで、二時の方向に黒い何かが出現するのが見えた。
ぐにぐにと形を広げているそれが、大きくなってしまう前に破壊しなければならない。アブストラクトを握りなおすと、夜の空へと飛翔した。
「はあっ!」
黒い何かは基本的に攻撃してこないのだが、稀に身体の形状を変化させて攻撃してくることがある。一度も攻撃を受けた事はないので、どうなってしまうのかは分からないけれど、何かまずそうである、と言うことくらいはなんとなく感じ取ることが出来る。魔法少年だからだ。
昨日もそうだったが、今日出現した黒い何かも攻撃を仕掛けてきた。蛸足のように身体を変化させると、それを槍のように突き刺してくる。アブストラクトで向かってくる触手を斬りながらかわしていく。
攻撃は、決して速いというわけではない。落ち着いてよく見れば、避ける事は充分に可能だ。触手を斬り倒しながら充分に距離をとると、一気に間合いをつめ、核部分にアブストラクトを突き立てる。身体を貫通すると、黒い何かは、ゆっくりと霧散していった。これで、一つ終わり。安心する間もなく、民家の屋根に着地すると同時にまた黒い何かが現れた。今俺がいる場所から距離があるので、屋根伝いに移動する。
今度の黒い何かは攻撃を仕掛けてくる様子は無い。向こうから何もしてこないのなら、それは好都合だ。アブストラクトの柄を握りなおすと、一気に距離を詰め剣でなぎ払う。黒い何かは抵抗せずに霧消した。ふっ、と息を吐く。が、一息つく暇もなく、また次の黒い何かが現れた。
「今日は、多いな」
誰に言うでもなくぼそりと呟いた。いくら俺がここで文句を行ったところで黒い何かがいなくなってくれるわけじゃない。
トントンとその場で何度か小さく飛ぶ。そしてまた、夜の空へと駆け出した。
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