私アムゴッド09 『誰も何もしない日』

 何か、とてつもなく壮大な夢を見た気がして、思わず目を開けると、もう朝になっていた。

 帰宅してからの記憶が一切なく、顔だけを横に倒してみるとここが玄関だと分かる。

 昨日の事は、どこまでが現実だっただろう。記憶の通りなら、私は確かに夜の町に出かけ、そこで魔法少年のお兄さんと出会った。

 彼は高校生だと言っていたから、今日、この町の学校をしらみつぶしにすれば、見つけることができるかもしれない。棺ヶ丘には高校は二つしかないので、二日か、三日もあればそれは達成されるだろう。

 けれど、それをする気にはならなかった。彼は昼間はただの高校生だと言った。魔法少年であるのは夜だけだと。

 ならきっと、日のあるうちには会わない方が良い。私にとっても、彼にとっても。まだ私にも話せない秘密がある風だったし、詮索しない方がいいのだろう。

 彼は私がまた夜の町に出ることを、駄目だとは言わなかった。

 なら、私と彼の関係は夜だけのものだ。きっとそのほうが、彼も話をしやすいだろうし、そう言った二人だけの秘密というのは、なんだかワクワクする。

 笑みをこぼすと、起き上がる。とりあえず朝ごはんの準備をして学校に向かわなければならない。もちろん神様として、幹山さんの事を考えたりだとか、町のために出来ることをしなければならないのだけれど、さすがにこれ以上学校生活を疎かにしていては、本気で怒られてしまう。怒られるのは別に構わないのだけれど、それに付随する、神様としての活動時間が削られるという点は、とても看破できるものではない。

 朝ごはんを適当に作ってから、制服に着替えて少し急ぎ足で家を出る。

 いくら遅刻ギリギリとはいえ、道中、同じ制服を着た生徒と誰一人として会わなかった。

 少し息を上げながら校門の前まで来て、ようやくその理由を知った。

「今日、前夜祭か……」

 そう言えば、誰かがそんなことを言っていたような気がする。どこで聞いたのかはもう忘れたけれど。

 前夜祭。

 明日は棺ヶ丘が生まれた日だ。その前夜祭。

 毎年棺ヶ丘生誕祭とその前夜祭には、町を挙げてのお休みになる。

 誰も何もしない日。

 仕事も、勉強も、遊びも、何もしないのだ。ただ、なんとなく一日を過ごす。それが、前夜祭。

 日付が変わって棺ヶ丘生誕祭当日になると、前日までのゆったりとした空気が嘘のように、みんなバカ騒ぎをする。

 道路には出店が並ぶし、花火だってあがるのだ。もちろん夜に出歩てはいけないから、そのすべてが日が沈むまでに終わってしまうけれど。

 毎年、この日には私の意識は関係なく、なんだか体も気だるげになり、すぐに横になってしまうのに、どういうわけだか今年の私は、驚くほどに目がはっきりと冴えているし、通学路を走ってもあまり疲れも眠気も感じていない。

 夜の町を歩いたからだろうか。むしろ夜更かしをしていたのなら今すぐにでもふかふかのベッドにもぐりたいほどに眠くなっていそうなものだけれど。

 ともかく、ここで立っていても誰もやってはこない。例の公園に寄っていこうかとも思ったけれど、きっとあの仮面の少女も幹山さんも、家で休んでいることだろう。

 なんだか長い間、二人と会っていない気がする。幹山さんは社会人なので、もともと私と一緒の時間を過ごすということに無理が多少なりともあったのだろうけれど、仮面子は、いつだってあそこにいた。

 会ったところで、あの子は何も喋ってはくれないのだから、別にわざわざ会いに行く必要もないのだけれど。

 けれど、なぜか足はあの公園へと向かっていた。仮面子は決して私と言葉を交わさない。決して相槌を打ったりもしない。ただそこに存在しているだけだ。

 けれど、それが逆に救いになったりする場合もある。同級生が自慢の携帯端末で撮った写真や、出会った出来事なんかをみんなに向けて発信しているのと同じだ。

 ただ、誰かに聞いてほしい。それに対してレスポンスが欲しいわけでもない。けれど、独り言として処理をするには、私の気持ちは収まらない。

 私の話を聞いてほしい。ただ、聞いてほしい。肯定も否定もしないで欲しい。所感を述べることも、アドバイスをすることもしないで欲しい。

 私はただ、”誰かに聞いてもらった”という事実だけが欲しいのだ。

 公園が見えてくると、自然と歩くスピードが上がる。いつものベンチに、あの少女はいた。

「……久しぶり。そうでもないか」

 幹山さんとは会っていないけれど、この子とはなんだかんだと会っている。同じ空間に存在している、とも言いかえられる。

「私ね、夜に町に出たのよ」

「……」

「そこで、不思議な出会いがあったの」

「……」

「いくら無口なアナタでも、このことは言えないんだけれどね。ごめんなさい」

「……」

「でも私は、とっても素敵な経験をしたわ」

「……」

「幹山さんとは違う、大人と出会ったのよ」

「……」

「幹山さんが言っていた大人には当てはまらないのだけれど──いいえ、もしかしたら私が知らないだけで当てはまっているのかもしれないけれど、とにかく彼は、表面上は、私が知っている限りでは、幹山さんの言う大人じゃなかった。けれど、彼には彼の考えがあって、私はそこをとても大人だと思ったの」

「……」

「あなたは、何歳なの?」

「……」

「どうして、何も喋らないの?」

「……」

「どうして、仮面をかぶっているの?」

「……」

「私は、あなたとお話をしてみたいわ」

「……」

「どうでも良いことで笑い合ってみたい。流行りのお店について話してみたい。今日学校であったことを聞いてもらいたい。別にお友達になりたいと言っているんじゃないの。ただ、話を聞いてほしいのよ。……ううん、違うな。話を聞いてほしいだけなら、今のこの状況でも満足しているわ。私は、あなたの声を聴きたいのよ」

「……」

「きっと、誰かと話すという事は、楽しい事だわ。いつかあなたが、それに気が付く日がくるといいわね」

「……」

 少女は相変わらず一言も発さない。以前に聞いた、あの微かな声すらも。

 きっと、この子にも秘密があるのだろう。

「それじゃあ私は家に帰るわ。恥ずかしい事だけれど……、今日が前夜祭だと忘れていたから」

 そう言えば、この子は平気なのだろうか。今棺ヶ丘では大人も子供も、家でぐだぐだと過ごしていることだろう。きっと、外に出ることだって嫌になるくらい、気だるげになっているはずだ。なんたって、今日は前夜祭なのだから。

 もちろん反応をしない彼女に、手を振ると私は帰路へとついた。

 家に戻っても、どういうわけだか私のもとへと眠気は一向に訪れない。

 寝転がってみても、頭は冴えているばかりでどうにも何もしないというのが難しい。

 今日は確かにだれも何もしない日ではあるけれど、”夜の町を歩いてはいけない”というように、厳格に定められたルールと言うわけではない。

 ただ物理的に不可能なのだ。体にも心にも力がはいらなくなって、何も出来ない。町中がすべて、そうなのだから、必然的に誰も何もしなくなる。

 起き上がって、押し入れから掃除機を取り出した。

 床を一通り掃除し終えると、今度は捨てるために置いてある新聞紙を何枚か取り出して、窓を拭く。

 タンスの裏の埃や、ベランダに積もった落ち葉なんかも綺麗に取り除いて、満足感と共に、時計が十二時を告げる音を聞いた。

 棺ヶ丘生誕祭の前夜祭に何かをしているのは、町でも私くらいのものではないだろうか。

 ……正確にはまだお昼なのだから、前夜祭ではない。まあ、今日と言う日が始まってから終わるまでの二十四時間を総じて誰も何もしない日と呼ぶのだから、今日と言う一日に対して私がアンチテーゼ的存在になってしまったのは間違いないだろう。

 正直なところを言うと、まだまだ物足りない。普段から掃除はしているけれど、やり始めてしまうと、とことんやりたくなってしまう。

 お昼ご飯を簡単に済ませ、再び掃除機を手に取る。


 ぐおんぐおんごーごーきゅっきゅざらざらじょぼじょぼざっざっずずずず。


 無心で手だけを動かして、気が付くと西日が窓から差し込んでいた。

 握った雑巾をきつく絞って水をすべて吐き出すと、ベランダで乾かす。

 掃除機も仕舞うと、家の中を見渡した。随分と綺麗になったのではないだろうか、と自分で自分をほめてみる。

 一息つこうとお茶を淹れにキッチンに立った瞬間、急に眠気が襲ってくる。

 誰も何もしない日に掃除をした代償なのか、少し遅れて私のところにも前夜祭がやってきたらしい。ポットのお湯が沸く音を、どこか遠い所の出来事のように、耳の外で聞きながら、布団に倒れこむ。思い返してみると、誰も何もしない日というのは、ただ単に、誰も活動をする気にならないだけの日であって、ここまで猛烈な眠気が襲ってくると言う前例は聞いたことがない。

 ただ単に、私が掃除のしすぎで疲れているだけなのかもしれないけれど。

 でもなんだか、今年の誰も何もしない日は、どこかがおかしい気がする。そう感じるのは、多分私だけだけど。

 そういえば、彼はどうしているだろうか。魔法少年である彼は、やはり私と同じように、誰も何もしない日であっても、何かをしているのだろうか。

 お昼には普通の高校生だと言っていたので、もしかしたら他の住民と同じように、何もしていないかもしれない。

 誰も何もしない日。

 考えてみればおかしい日だ。

 なぜ、町の人間すべてが、同じ日に何もしなくなるのだろう。段々と遠ざかる意識の中、考える。

 明日は棺ヶ丘の誕生日だと言うけれど、一体出来てからどれくらいの年月が経ったのだろう。

 町で一番のお年寄りも、小さいころからこの町に住んでいたと言う。それだけ歴史のある町であるのなら、なぜ、死を運ぶ影が今なおこうして私たちの生活を脅かしているのだろう。

 そういえば、私は町の外を見たことがない。この町の外は、どうなっているのだろう。棺ヶ丘は山に囲われている。南北に線路が通っていて、山の中をトンネルで抜けていくのだ。

 町を出たらどこにたどり着くのだろう。

 神様であるというのに、私はこの町の事を何も知らない。

 死は、どうやって憑りつく人間を決めるのか?

 魔法少年が戦っている敵は何なのか?

 日によって時間の流れが変わるのなら、どうして仕事をしている人は毎日夜までに帰宅できているのだろう。

 私は何も知らない。

 目を閉じた。

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