私アムゴッド08 『夜が生まれた理由』
「……魔法、少年?」
「自分でそう名乗ったわけじゃないんだけれど。魔法を使う少年だから魔法少年」
単純だろう? と、彼は初めて笑った。その照れくさそうな笑みが、なんだか印象的に思えた。初めて、彼から人間味を感じる。
「町を守っている、っていうのは?」
「そのままの意味さ。今日はもう、現れないみたいだけれど」
そう言って彼は、空を見上げた。そこには相変わらず星が瞬いているだけで、何もない。もしかしたら、彼にしか見えない何かがあるのだろうか。
「この町には、君たちが知らない脅威が毎夜のように襲ってきているんだ」
「それって──」
「それは君たちが知らなくていい事だ。俺が、戦っているから」
「……一人で?」
「ああ」
「辛くないの?」
「いいや」
「本当に?」
「本当だよ。戦う事は辛くない。他に、辛いことはあるけれどね」
悲しそうに言うと、彼は歩き出した。
「もう家に帰った方が良い。今日はもう現れないって言ったけれど、俺には奴らが出てくるのを感知することは出来ないんだ」
慌てて私も彼の横を歩く。
「あの、あなたは、なんで魔法少年をやっているの?」
私の言葉に、彼は少し考え込むと言った。
「そうだな……、そう言う存在だから、っていうのが、ちょっと前までの回答かな」
「今は?」
「魔法少年だからだよ」
「それは、同じじゃないの?」
「魔法少年は、町を救うヒーローだから」
「ヒーロー……」
「全部を守らなきゃいけない。一つも取りこぼしてはいけない。十のために一を捨てるなんてことがあってはならない」
「素敵だと思うわ。とても」
「ありがとう。でも、現実にはそれはそう簡単にはいかないんだ。俺は何度も取りこぼした。救えなかった命が、ある」
「あなたは影なの?」
言ってから、口を手で塞いだ。なんてことを聞いてしまったんだろう。けれど、彼は私の言葉に怒りもせずに、言った。
「いいや。違うよ。俺は影じゃない。人を殺したことなんてない。少なくとも、直接的にはね」
「間接的にはあるの?」
彼は少し驚いた顔をすると、ふ、と微笑んだ。
「君は面白いね」
「たまに言われるわ」
「思ったことをそのまま口に出来るのは、とても良いことだと思う」
「空気を読めって、よく言われる」
「そうだろうね。俺は学校では空気を読んでばかりだから、一人だったけれど」
「学校に行っているの?」
「そうだよ。魔法少年であるのは夜の間だけ。昼はなんてことのない男子高校生さ」
「私も、学校では学生だけれど、外を出ると神様なのよ」
「神様……? ああ、最近神様を名乗る女子中学生がいるって聞いたけれど、君の事だったんだ」
「名乗っているだけじゃないわ。私は、神様なの。本物よ」
「そりゃあ、すごい。神様なら、夜に出歩いていても、問題ないわけだ」
「ええ」
「それで、神様はいったい何をしに夜の町へ?」
「私は、神様だから、町のみんなの願いを聴き届けなければいけないの。理不尽から守らないといけない。棺ヶ丘には理不尽に訪れる死が存在している。あの影から、私はみんなを守らないといけない。けれど、私にはその力はないの。そんなとき、唐乃介に夜のことを聞いたのよ」
「唐乃介がホラ吹き野郎だっていうのは、知っているんだろ?」
「うん。……けど、アレの言う事は、妙に理にかなっていたから」
あの言葉は、ホラでも真実でもない、唐乃介の所感だった。
信じてみた甲斐は、どうやらあったようだけれど。
「あなたが夜の町にいるのも、私に何もしないのも、助けてくれたのも、魔法少年だからなのでしょう?」
「ああ、そうだ」
「その剣は何?」
「見た通り、俺の武器だよ」
「それで何と戦っているの?」
「そうだな……」
そこで、彼はなぜか急に口ごもった。
何か私には伝えられないことがあるのだろうか。
「言えない事なら、私は聞かないわ」
「いや、そう言うわけじゃない。ああ、厳密には合ってるんだけど、そう言う意味じゃないんだ」
「つまりどういうこと?」
「別に話しても構わないんだけど、説明が難しいんだ。何せ、誰かに魔法少年の仕事を話したことがなかったからね」
「一度も?」
「一度も」
ずっと一人で戦うというのは、どんな気分なのだろう。私も一人だったけれど、きっとそれとは、レベルが違う。
「俺が戦っているのは、今は見えないけれど、夜になると突然やってくるんだ。決まった名称はなくて、俺は”黒いの”とか”黒い何か”とかって呼んでる」
「黒い何か……」
「それが何なのか分からない。どこからやってきたのかも、何をしようとしているのかも。ただ、それが存在している事は良くないことだと、それだけは分かるんだ。魔法少年の直観かな」
聞きたいことは、もうない? と私の方を見て彼は言った。
基本的には無表情だけれど、決して冷徹な人間ではなくて、きっと人と話すのが苦手なだけなんだと思う。
「ううん。むしろ、まだまだ聞きたいことがたくさんあるわ」
「だろうね。そう言う目をしてる」
「どういう目?」
「聞きたいことがたくさんあるって目」
「なぜ魔法少年になったの?」
「理由は色々ある……、こともないか。実はね、俺にもよくわかっていないんだ」
分かっていない、とはどういうことだろう。私は私が神様である理由を知っている。神様になったあの日の出来事を覚えている。
「覚えていないのに、自分は魔法少年であるとなぜわかるの?」
「なぜだろうな。分かるんだよ。俺は、魔法少年だって」
不思議だろう? と彼は少し自嘲気味に笑った。
「いつから?」
「もうずっと、永い間だ」
理由も分からずにただ戦わされているのは、どのような思いなのだろう。私には想像もつかない。やりたくてやっているわけじゃないのに。
「君は……、ああ、そう言えば、君の名前をまだ聞いていなかったな」
「千尋。神崎千尋よ」
「それじゃあ、神崎さん」
「うん」
「神崎さんは、五分前仮説というのを知っている?」
「いいえ」
「世界はね、いまから五分前に突然誕生したという仮説だよ」
「五分前?」
「そう。今からきっかり五分前に、何の前触れもなく、ポン、とポップコーンが出来上がるみたいに、出来上がった」
「でも、私には今までの記憶がちゃんと存在しているわ。昨日の晩御飯だって覚えているし、小学生の頃に書いた作文だって覚えているんだから」
「すごいな。高校生にもなると小学生の頃の作文なんて思い出そうとしても記憶にないんだ。神崎さんは記憶力が良いのか。でも、その記憶も含めてすべてが五分前に生まれたんだよ。五分前に、それ以前の記憶も経験もすべてを含めた森羅万象が、生まれたっていう仮説だ。俺たちの五分前の記憶も、実際には存在しなくて、それ以前の記憶に裏付けられる経験も、知識も、証拠も、すべてそうあるべくして生まれたんだ。世界は数億年の歴史を改竄されている。そういうものとして生まれたんだ。それが五分前仮説」
「……よくわからない」
「ああ、説明している俺も、詳しくは分かっていないんだよ」
高校生になると、途端に頭が良くなったりするのだろうかとも思ったけれど、そう言うわけでもないらしい。
もしも、五分前の記憶が偽物なら。全人類は生後五分なのだとしたら。何か変わるだろうか。
「でも、例え五分前に生まれたんだとしても、記憶はあるし、それが行われた跡もある。なら、五分前でも十分前でも同じことじゃない?」
「君は強いね」
彼の強さの基準が良くわからない。もしも私だけがそうだと言うのなら、確かに多少のショックは受けたかもしれないけれど、この世のすべてがそうだというのなら、何も問題はないように思える。
「俺が魔法少年をやっているのも、同じ理由だと思うんだ」
「五分前に、魔法少年として生まれたから?」
「もしかしたら、一年くらい前かもしれないけれどね」
「一年前の記憶はあるの?」
「はっきりと思い出せるのは一年前だ」
少なくとも一年、彼はこうして夜の町を一人で駆けている。
話を聞いて、思いついた可能性を口にした。
「あなたが戦っているのは、もしかして、死なの?」
「いいや、違う」
意外にも、彼はすぐに答えた。
「どうして言い切れるの?」
「……これは、君には話せない方の言えない事だ。誰にでも、秘密はあるってこと」
秘密は、安易に暴かれるべきではない。質問を変えた。
「唐乃介は、私が死と戦うヒントが夜にあるって言っていた。あなたは、何か思い当たることはある?」
「悪いけど、すぐには思いつかないな。本当に、俺には戦う事しかない。あいつらは何も言葉を発さないし、倒しても霧散して跡形もなくなってしまう。……ああ、でも」何かを思いついたように彼は言った。「君に言えない秘密を少し考えてみると、何かわかるのかもしれないな」
「……なら、しょうがないわ」
「聞かないの? 俺の秘密」
「聞いてはいけないから、秘密なんでしょう?」
「道理だね」
話しているうちに、私の家へと戻ってくることができた。
まだまだ聞きたいことはたくさんあって、話したいこともたくさんあったけれど、彼は決して私の家に入ろうとはしなかった。
まだ夜は明けていないから、だそうだ。
「そう言えば、私あなたの名前を聞いていないわ」
「そうだっけ? まあ、別に大したものじゃないんだけど」
「あなたの名前がどんなに突拍子がなくても、どんなに平凡でも、私は気にしないわ。でも、あなたを呼ぶときに不便でしょう?」
そう言うと、彼はなぜか固まって、声を上げて笑い出した。
こんなふうに笑うイメージがなかったから、こちらが驚いてしまう。
「なぜ笑うの?」
「ああ、いや、確かに、その通りだな、と思ったから。悪かった」
「別に笑われたことは気にしていないわ。なぜ笑ったのか、理由は気になったけれど」
「確かに俺の事を呼ぶときに不便だ。そのために個別の名前が存在しているんだから、使わないと損だ」
「ただ呼ぶだけなら番号を付ければいいのよ。そうしない理由があるんだから、呼ぶだけに必要なんてことはないわ」
「……神崎さんはたまに、驚くくらいに大人な事を言うね」
「思っていることを言っているだけ」
「それが出来るという事が、大人だってことだよ」
「私の知り合いは、いろんな人間を知った人が大人だって言っていたわ」
「大人の定義を決めたいなら、辞書を引けばいい。何をもって大人なのかなんてことは、神崎さんが決めることだよ。目の前の人間が大人なのか、自分の中のラインを決めて、それに沿って判断すればいい。その判断を基に、その人に評価を下すんだ」
「あなたは、大人なのね」
「俺はまだ高校生だ」
「私は私のラインを決めて、判断したのよ。あなたはとても立派な大人だと思うわ」
「それは嬉しいな。初めて言われたよ」
「それで、そんな大人のあなたは幼気な女子中学生に、自分の名前を教えてくれないの?」
「自分で自分の事を幼気なんて言う人は、総じて幼気な要素なんて持ち合わせていないと思うけど」
「あなたの名前は、なんですか?」
少し考えてから、彼はそっと私に耳打ちをした。
「─────」
告げられた名前を、口の中で反芻する。
「なんだ、思っていたよりも、ずっといい名前じゃない」
「それは、ありがとう」
「今日はもう帰るけど、また来てもいい?」
「死ぬかもしれないよ」
「あなたが守ってくれるんでしょう?」
「そうだね。それが俺の役目だ」
「なら、私の役目は、あなたが守ってくれているという事を、しっかりと記憶することだわ。あなたの戦いは意味があるものだと、私が知っている。それが、私の役目」
「ああ、それは──それは、とても最高だね」
噛みしめるように、彼は言った。
手を振って、ドアノブに手をかけた。
「また来るわ」
そう言って振り返ると、彼の姿はもうなかった。
風が、頬にあたる。
肌寒さを感じて、部屋に入ると私はドアをそっと閉じた。
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