私アムゴッド07 『神様の夜遊び』

 夜も更けた丑三つ時。

 玄関の前で立ちすくむ。

 この扉を開けた先には、夜がある。生まれて初めての、全身で感じる夜だ。今まではずっと、窓の外からただ眺めるだけだったから。

 夜の帳が落ちてからも、なんだかんだと理由をつけてこの時間までドアの前に立つことは出来なかったけれど、十分ほど前にようやく決心をして靴を履いた。

 そのまま十分間、何もできずに何度も足元とドアノブを交互に見やるだけだけど。

 どこまで信用できるか分からない唐乃介のあの言葉を思い出して、大きく息を吸うと、目を見開いた。

「……よし」

 小さく漏れた声をかき消すように、ドアが少し不快感を掻き立てる音を立てながら外側へと開く。

「わ……」

 目の前に広がるのは、当然いつも通りの街並み。特に何が変わっているでもなく、ただ空の色だけが真っ黒に染まっている。

 これが、夜。

 後ろ手にドアを閉め、鍵をかけると、もう一度辺りを見回してみる。

 夜、夜だ。

 道行く人は誰もいなくて、虫の鳴き声と風に揺れる木々の音だけが聞こえてくる。

 歩道に出て見ても、当然道行く人は一人だっていない。

 まるで世界の中に私一人だけがいるみたいだ。

 少し怯えながらも、学校の方へと向かってみる。

 街灯と星明りだけが頼りで、はるか先の黒から、今にも何かが飛び出してきそうな気がする。

 ……でも、私は許されている。

 夜に出歩いてはいけないという棺ヶ丘における絶対のルールを破った私を、誰も咎めようとしない。

 もしかしたら、これから何かとんでもないことが私の身に起きるのかもしれないけれど。

 十分も歩くと、夜の静寂にも慣れてくる。学校に着くが当然敷地内に入ることは出来ず、校門の外から校舎を眺める。

 明かりは一切ついておらず、当然、人影もない。

 踵を返し、元来た道を戻る。

 次はどこへ向かおうか、と考えたところで、唐乃介の言葉を思い出した。

 そうだ。私は唐乃介に言われて、理不尽と戦うためのヒントを探しに来たのだ。

 もちろん、あのホラ吹きの犬が適当なことを言っている可能性だってぬぐい切れないけれど、私は今、こうして夜の町を歩くことが出来ている。

 棺ヶ丘に、認められたのだ。だからこそ、こうして生きている。

 ヒント、と唐乃介は言ったけれど、それが具体的に何なのかは言ってくれなかった。それはモノなのか、ヒトなのか。どこにあるのかも、簡単に見つけられるものなのかもわからない。棺ヶ丘は広い。少なくとも、一夜で町を廻りきることは出来ない。

 ──そうだ。

 思いついたのは、いつものあの公園。

 今は誰もいないだろうけれど、この数日で私の記憶に残っていて、何かがありそうな場所と言えばそこしか思いつかない。

 けれど、あの公園にはいつも行っている。お昼にはなくて、夜になると現れるヒントになるものなんて、存在するのだろうか。

 藁をもすがる思いで、公園に向かって駆け出した。

「───ッ」

「……?」

 自分の足音ではない音が、鼓膜を震わした気がして、振り返る。

 何もない。見慣れた道路があるだけだ。

 また走り出そうとして、今度はよりはっきりと、音が聞こえた。

 何かを蹴る音。固い物同士がぶつかるような音。

 けれど、周囲を見渡しても何もない。

 これが、夜の町を歩いた私への罰だろうか。とてつもない恐怖を感じて、足がすくむ。やはり、唐乃介の言う事を信じるべきではなかったのだろうか。

 今すぐにでも家に戻れば、間に合うだろうか。許されるだろうか。手遅れなのかもしれないけれど、みっともなく喚けば、どうにかなるだろうか。理不尽な死と戦いたくて夜の町へと飛び出したけれど、それが原因で私のところへと死が訪れるというのなら、それは仕方のないことなのだろうか。確かにルールは破った。けれど、それは理不尽な町のルールと戦いたかったからで、でも、ルールはルールで、私は神様なのだから、それを守らなければいけなくて、やっぱり唐乃介の言う事なんて信じるんじゃなかった。逃げ出したいと言う感情がアクセルを踏む。走りながら振り向いても、何も追いかけてはこないけれどどこまでも続いているような暗闇には何かが見えるような気がする私は死ぬのだろうかまた、先ほどのような音がする唐乃介の言う事を信じた私が馬鹿だったでも私はただ理不尽と戦いたいだけだった今ならまだ間に合うだろうか許してもらえるだろうか立ち止まっている場合ではない一刻も早く家に帰らないと明日には私のところへ影がやってくるだろうか死にたくないまだ何も出来ていない町を救えていないこれは天罰だろうか音が少しずつ近づいてくる嫌だ死にたくない夜遊びなんてもうしないただ堅実に太陽が見えている時だけ私は神様でいる大人の言う事も聞く人も救うだからだからだから死にたくない死にたくない私はまだ神様として何も出来ていないのだから死にたくないきっとやっぱり唐乃介の言う事なんて聞くべきではなかったなぜこんなルールが存在しているのだろうこんなルール誰が決めたのだろうなぜ私が夜遊びをしたことがバレたのだろうでももとはと言えばルールを破った私が悪いのだやっぱり夜遊びなんてするべきではなった死を理不尽だと思ったこと自体が間違いだったのだだから私はもう身の程知らずなこと「───君!」

「……っ!」

 声が聞こえて、立ち止まる。

 荒い呼吸と濁流のように流れてきた思考が、一瞬にしてせき止められる。

 辺りを見渡しても、やっぱり誰もいない。幻聴? 

 ダン、と地を蹴る音がして、ようやく気が付いた。

「……上?」

 見上げると、満天の星空。

 そして、夜空を駆ける影が一つ。

 屋根から屋根へと伝い、すぐに私の前に着地した。

「……こんなところで何をやっているんだ?」

「あな、たは……」

 街灯に照らされたのは、一人の青年だった。私より少し年上くらいの、男の子。

「質問をしているのはこっちだ。なぜ、夜の町を歩いている?」

 もしかして彼が、私を殺しに来たのだろうか。夜に外に出た人を罰する存在なのだろうか。

「──私は、唐乃介に、言われて、その……」

 そう言うと、彼は困った様に頭を掻いた。

「あいつか……」

「わ、私は、神様で、この町には死が理不尽に襲ってきて、誰も、それを、理不尽だと、思ってなくて、だから、戦いたくて、ヒントがあるって、唐乃介が……」

 継ぎはぎだらけの言葉を、彼は何も言わずに黙って聞いていてくれた。言葉尻がしぼんで、私が何も言えなくなると、優しい声で彼は言った。

「唐乃介の言うヒントっていうのが何のことなのかはわからないけれど、夜の町を一人で歩くのは危険だから、早く家に帰った方が良い。これだけで影が君のところにやってくるわけじゃないけれど、そんなことで死ぬのなんて、もっと嫌だろう?」

「あなたは?」どういう訳か、夜の町に慣れている様子の彼に思わず聞いた。

「あなたはなぜ、夜の町にいるの? どうして私に何もしないの? 夜の町で何をしているの? なぜ私を助けてくれるの? その後ろの──」視線を、彼の後ろにある、大剣に向けた。「その、大きな剣はなに? あなたはいったい、何者なの?」

 逡巡ののち、彼はためらいながらも口を開いた。

「君の質問には、全部最後の質問の答えだけで答えられるんだ」

 あなたは、何者なの?

 もしかしたら、人間ではないのだろうか。神様なのだろうか。

 唐乃介が言っていたヒントとは、彼の事なのだろうか。

「あなたは、だれ?」

「俺は魔法少年だよ。自分で言うのはなんだか恥ずかしいけれど、この町を守っているんだ」

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